「どう、和泉くん? こういうのは」
夜の自由時間。
李狐がスマホをいじる傍で、知尋は真里亜とノートPCを操作していた。今日の題材は真里亜が収集したWeb上の官能小説だった。
デジタル全盛の今の時代、紙とペンを使わずとも長い文章が書ける。そうなれば人の欲に即した作品が氾濫するのは当然……そう理屈では理解していたが、あらためて見るとやはり驚きがある。
「文字だけだと見た目のインパクトはないけど……想像する余地があるんだね」
AVやアニメ、写真や漫画と違い、小説にはビジュアルが存在しない。その分、官能小説は言葉に工夫を凝らし、受け取り手のイメージによって作品を成立させようとする。ある意味、最もフィクション性の強いジャンルだ。
「そういうこと。生み出すコストが安いのも要因の一つね。気軽に手を出しやすい分、多くの作品が生まれ――多様な価値観、感性が表される」
絵、アニメーション、写真、動画……リアルに近づけば近づくだけ身近で受け入れやすいものになるが、その分だけ自由度は失われる。
自由な発想から生まれる描写。
ちりばめられた淫らな言葉の数々。
それが読む者の想像を促し、官能を刺激する。
「……でも、ちょっとこういう言葉は刺激が強すぎる気も」
例えば、性器を表す言葉だけで一体何種類あるのか。
他言語での呼び方であったり、比喩的な表現、代名詞的表現などなど、数え上げれはキリがない。
そして、それらの多くが気軽に口に出すのは憚られる種類のものだ。
と、真里亜は知尋の肩に身を寄せながら。
「あら、だからいいんじゃない。はしたなくて、いやらしい言葉を口にする……あるいは『言わせる』興奮。和泉くんにもわかるでしょう?」
「それは、まあ」
行為の最中、相手に感じているかどうか尋ねる……そういうソフトな言葉責めだって羞恥、精神的興奮を得るためで、つまりは同じことだ。
ただ、やはり直接的な淫語というものに抵抗は感じるが。
「っていうか、そういうあんたもあんまり使ってなくない?」
不意に、スマホから顔を上げた李狐が真里亜を見て言った。
確かに。
真里亜は淫乱で、性行為にも積極的だが、案外言葉の使い方は丁寧だ。イクとか、ご奉仕、といった単語を時折用いるくらいで、後は間接的に匂わせるような表現を好んで使っているイメージがある。
彼女から受ける印象――どこか気品を感じる物腰とはマッチしているのだが。
「やっぱ、自分だって恥ずかしいんじゃないの?」
「そうね」
李狐の指摘に、真里亜はあっさり頷いてみせた。
「恥ずかしいというよりは、むしろ『怖い』と言った方が近いけれど」
「? どういう意味?」
「歯止めがきかなくなるのが怖い、という意味よ」
未だ李狐には細部を話していないが……もともと、真里亜が知尋を求めたのは、己の性欲を制御してくれる主人を欲していたからだ。
誰かの制御を受けなければ、真里亜の激しすぎる性欲はいずれ暴走し、あっという間に破滅へ向かってしまう。
それと同じく、自分から積極的に淫語を用いることにも躊躇があるのだろう。
「だから、別にそういうのは嫌いじゃないわ。むしろ好き。ただ、自分から口にするんじゃなくて、和泉くんが調教してくれるのに委ねたい」
「……成程」
事実、真里亜の深い瞳の奥にある感情は、ドロドロとした被虐の喜びだった。
「というわけで、ご主人様。どうなさいますか?」
「ええと。そう言われると、ちょっと試したくなるかな」
真里亜の思う壺のような気がしつつも、知尋はそう答えた。
それを見た李狐は、はあ、とため息をつく。
「また変なコト言い始めたし……。言っとくけど、あたしは別にそういうの、したいとか思ってないからね?」
しかし、彼女がそう言いながらも少しずつ、行為への心の準備を始めているであろうことを、知尋はもちろん、そしておそらくは真里亜もまたしっかりと気づいていた。
寝室の大きなベッドに裸で腰かける。
黒いランジェリーを身に着けた真里亜と、白い下着姿の李狐は横に並び、知尋の前の床に座っていた。真里亜の首には黒い革の首輪が、李狐の首にはお洒落なチョーカーがそれぞれ嵌まっている。
真里亜は正座。服従の喜びに頬を紅潮させながら姿勢を正している。
李狐は横に足を崩した姿勢。恥ずかしそうに片手で髪をくるくると巻いている。
下着姿の同級生を見下ろす快感に浸りながら、知尋は口を開いた。
「李狐は『そういう言葉』をどれくらい知ってるの?」
すると李狐は気の強そうな瞳に困惑を浮かべた。
横目で真里亜の様子を窺いつつ知尋を見上げ、
「どれくらい、って言われても……基準がわかんない」
「じゃあ、全く知らないわけじゃないんだ?」
「っ。そりゃ、少しは知ってるけど」
誘導尋問――という程でもないが――の成功に、知尋と真里亜は顔を見合わせ笑った。
「私も人並みよりは詳しいつもりだけど……何せ、人前で口にするのは初めてだから」
「そっか。……じゃあ、李狐」
何を命じられるのか、という顔で李狐が顔を上げる。
「知ってる範囲でいいから、自分の言葉でおねだりしてみて」
数秒の沈黙。
金髪の少女は、床に座った姿勢を崩さないまま声を荒げた。
「おねだり、って何をおねだりすればいいのよ?」
「それも任せる」
軽く答えてやると彼女は口を噤む。
恥ずかしがり屋で、無駄にプライドの高い彼女には難題だろう。しかし、だからこそ命じてみたかった。
真里亜にお手本を見せてもらうのは簡単だが、それでは李狐が自主的に行動したことにならないから。
はあ、と。
李狐が息を吐いた。
黙ったまま知尋の顔、胸、股間を見やり言葉を紡ぐ。
「……ご主人様」
囁くような声にぞくっとする。
震える声で、たどたどしく、懇願の言葉が少女の口から漏れだす。
「ご主人様の……おちんちんを、あたしにご奉仕させてください」
それは、李狐が初めて自ら口にした淫語。
かつて奴隷として宣言した、そこから更に一歩進み――自ら考えた淫らな言葉を使い、主人である知尋に淫らな懇願をしてみせた。
少女がまた一段、深く堕ちた瞬間。
知尋はもちろん、真里亜ですら一瞬息を飲み言葉を忘れた。
直後。
殆ど何の前触れもないまま、李狐の瞳に涙が溢れた。
突然の涙に、李狐は自分でもわけがわからないという表情を浮かべた。口を開き、閉じる動作を何度か繰り返して。
「あ、あああ……っ」
ぎゅっと自分の身体を抱きしめてぶるぶると震える。
間違いなく、尋常な反応ではなかった。
「李狐?」
知尋はベッドから降りて李狐の傍にしゃがみこむ。しかし彼女は俯いたまま首を振り、顔を上げてもくれない。
嗚咽が絶え間なく口をついて出ている。
「和泉くん」
真里亜の真剣な声。
振り返ると、彼女は人差し指を自身の唇に当てる。
強制的に落ち着かせる方法。
……知尋は頷き、極力優しい手つきで李狐の肩を抱いた。
片手で顎を持ち上げて震える唇にキスをする。拒まれそうになったが、背中に腕を回し強く抱きしめた。
はっと見開かれた瞳が間近に見える。
途端、ぐらりと意識が闇に落ちそうになった。極めて重い感情、敢えて言うなら絶大な喪失感のようなものに李狐は囚われているらしい。
それは知尋の能力により更に増幅されて彼女の心を蝕む。
アイデンティティの崩壊。一か月ほど前に知尋が壊し、繋ぎ合わせた心が再び砕けようとしている。
このままではまずい。
知尋はすぐに感情増幅機能をオフにし、口づけたまま李狐を抱きしめ続ける。
「……ん」
李狐はほんの少しずつ落ち着きを取り戻した。
薄れ始めた喪失感を一気に吹き飛ばそうとするように、自分から舌を割り入れディープキスを求めてくる。
知尋は彼女の求めるに任せ、舌と唾液を与えた。
十分近く続けたあと身体を離すと、李狐は「ごめん」と呟いた。
「……いきなり、わけわかんなくなっちゃった」
「西崎さんには、少し荒療治すぎたのかもしれないわね」
キスの間、黙って様子を見守っていた真里亜は、ふっと息を吐いてそう言った。
彼女は上半身を李狐に近づけると手を伸ばし、耳を軽く撫でる。
「これだけは聞きたいんだけど、西崎さんは和泉くんに命令されるのが嫌だったの?」
「……ううん」
李狐は少し考えてから首を振った。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を知尋に向けて言う。
「嫌じゃなかった。でも、なんか……とうとうここまで来ちゃったんだ、って思って。とっくに知ってたはずなのに、もう引き返せないんだって思ったら涙が出てきて」
彼女は、決して精神的に強いタイプではない。
だから、一度決壊してしまった感情の奔流を、自分ではどうすることもできなかった。
「そう。今はもう平気?」
「……うん」
しかし、造りなおされた堤防はより強固に、最適化される。
「なら、あなたのご主人様に謝りなさい」
真里亜が囁く。
こくりと頷いた李狐が知尋に向きなおってくる。
彼女は崩していた足を整え正座すると、軽く床に手をつきながら知尋を見つめた。
「ごめんなさい。和泉……ううん、ご主人様」
噛みしめるように言葉を切り、微笑む。
「あたしにご奉仕、させてください」
「……うん」
頷く。
今の李狐にはそれで十分だった。
ベッドに腰かけ直して足を開くと、剥き出しの股間へ静かに顔を近づける。どこか愛おしそうに竿を撫で、亀頭にキスをしてから本格的な奉仕を始める。
気持ちよかった。
技術自体が劇的に向上したわけではないが、根底にある心が違った。今まではペニスを射精に導こうとはしていても、知識と技術に頼っていた。それが今は一心に、奉仕することを考えて動いている。
さほど間を置かずに知尋は射精した。
口内に発射された精液を李狐は嫌がる素振りもなく飲みこみ、息を吐く。
「西崎さん、ご主人様の精液の味はどう?」
「……美味しかった。って、言えばいいんでしょ」
言って、ペニスに付着した精液の残りを舐めとる李狐。
そんな彼女を見ていると、知尋のペニスはすぐに回復してしまった。
「真里亜、悪いけど」
「ええ。先に西崎さんを満足させてあげて。私は後で構わないから」
「……ありがとう」
李狐が力尽きるまで、知尋は彼女を抱き続けた。下着を外し、柔らかな身体を丹念に愛撫しながらも、これまでよりもやや乱暴に。
敢えて自分の感触を李狐に刻みつけるように、何度も抱いた。
やがてベッドの隅で李狐が寝息を立て始めると、真里亜はそっと知尋に寄り添い、汚れたペニスや汗にまみれた身体に舌を寄せ始める。
「頑張ったわね、西崎さん」
「うん。……悪いことしちゃったかな」
「そんなことないわ。ただ、この子が駄々をこねてなかなか堕ちようとしなかっただけ」
その夜、真里亜は知尋を強く求めてきた。
長い間お預けしたせいで昂ぶっていたのか、あるいは李狐に嫉妬したのか。
それでも朝起きればすっかり回復している自分の身体に、知尋は深く感謝した。