目を覚ますと、ベッドに少女達の姿はなかった。
ぐっと伸びをして眠気を吹き飛ばした知尋は、しばし、部屋に留まったままぼんやりした。
気持ちと考えを整理してから部屋を出る。
「おはよう、和泉くん」
「おはよう、真里亜」
真里亜は台所にいた。いつも通り下着にエプロンで料理をする彼女と挨拶を交わし、居間に移動する。
李狐は席につき、何やらぼうっとしていた。既に弁当は作り終えたらしく、テーブルには薄い布の包みが二つ置かれている。
知尋が近づくと彼女は一度振り返り、すぐに真っ赤になって顔を背けた。
昨日ともまた様子が違う。
やはり一晩明けると恥ずかしいのかと、思いつつ声をかける。
「おはよう、西崎さん」
「ぇ」
すると、ぴくん。
少女の身体が震えた。
知尋の方へ向き直った李狐は、瞳にじわりと涙を溜める。
おもむろに開かれた口からは小さな嗚咽が漏れ始めた。慌てて駆け寄り肩をそっと支えると、
「ちょ……っと。どうしたの?」
「っ、だって」
かすかに責めるような色を含む上目遣いの視線。
どうやら拗ねているらしい、と理解した。
「……今、あたしのこと『西崎さん』って」
「……あ」
そのせいで泣きそうだったのか。
昨夜のこともあって、知尋が怒っていると思ったのだろう。見放される、撮られた写真を放出される……というところまで考えたかもしれない。
少し申し訳ない気持ちになった。
「違うよ。呼び方を変えたのはそういう意味じゃないんだ」
「じゃあ、どういう意味?」
「ええと。調教のため、かな」
「?」
李狐は首を傾げた。
それだけでは意味がわからないのも無理はない。
「……昨日の西崎さんを見てあらためて思ったんだ。呼び方は大事だ、って」
あの時、李狐は知尋を『ご主人様』と呼ぶことを重く受け止めていたようだった。呼んだ直後は泣くほど取り乱し、落ち着くと一転して従順になった。
あれを見て、呼び名は互いの関係を表すのだと再認識した。
もちろん、これまで『李狐』と呼んでいたのも主従の関係をはっきりさせるためだ。
しかし、李狐があの時、主人と呼ぶのを躊躇ったのは、知尋の態度も原因のはず。彼女に以前と変わらない態度を許し、自分自身も自然体で接するよう心掛けていたから。心のメリハリがつかず、結果的に肝心な場面で傷つけた。
もっと、李狐や真里亜の『ご主人様』らしくありたい。
李狐が安心して従属できるような関係性を築きたい、と。
「これから、李狐のことを普段は『西崎さん』って呼ぶ。ただし、抱くときや命令する時は今まで通り『李狐』と呼ぶ。……この家でも、学校でも関係なく」
「……あ、それって」
言葉の意味を理解したのか、李狐が恥ずかしそうに俯いた。
「うん。これからは公私……っていいのかわからないけど、呼び方を使い分けるから。李狐、って呼ばれた時は奴隷として接して欲しい」
つまり、呼び方をスイッチにする。
『西崎さん』と呼んでいる時はクラスメート、あるいはただの同居人として扱って構わない。ただし『李狐』と呼んだ時は容赦なく李狐を支配する。その覚悟を持って接するという意思表示。
これまでは学園での外聞や、李狐の精神安定を考えて態度を統一していた。
しかし昨夜、李狐は知尋に付き従う意思を示してくれた。ならば知尋も、相応の対応を取らなければ李狐に失礼だ。
「いいね、李狐」
命じられた李狐の瞳が潤む。
「……はい、ご主人様」
か細く紡がれた言葉と、視線から伝わる感情は、どちらも従属を示していた。
とりあえず、学園では今まで通り振る舞うよう李狐に命じた。李狐は素直に了承してくれたものの、意外にも真里亜の方が不満を見せる。
「和泉くん、私にも何か調教はないの?」
そう言われても、同じ対応を真里亜に適用するのは難しい。
「真里亜も普段は『深海さん』って呼んで欲しい?」
「いいえ。今更、他人行儀な呼び方をされても困るわ。それなら『おい』とか『雌豚』って呼んで貰った方が」
「……いや、それはちょっと」
さすがに抵抗がある。
可哀そうとかを置いておくとしても、知尋にとって女の子を下の名前で呼ぶのは大事なことだ。ある意味、物扱いをするよりもずっと、相手を所有している実感が持てて……なんというか、興奮する。
そう伝えると真里亜は納得してくれた。
「和泉くんの趣味なら仕方ないわね」
人道的理由なら拒否したと言わんばかりだった。
しかしやはり物足りない様子ではあったので、食事中にフェラチオを命じてみた。案の定、真里亜は喜々として応じ、知尋から精液を搾り取ると恍惚のため息をつく。
「……あたしも、こういう風にならなきゃいけないんだよね」
そうだとも違うとも言い難い、微妙な気分になった。
☆ ☆ ☆
「おっと」
突き出した拳をひょい、と無造作にかわされる。
身体の向きを正面に戻しつつ今度は蹴りを繰り出せば、一歩後退して避けられた。足を引き戻すタイミングで相手は逆に前進し、拳を肩に当ててくる。
神代ほどではないが、固い男の拳が痛みを生んだ。
「くっ」
反撃のため、身体の捻りと共に肘を繰り出す。
「よっ、と」
それも読まれていた。
下がりつつ腕を掴まれ、足払いと共に床へ叩きつけられる。
「った」
小さく呻き、身を起こそうとすると。
空気を切って腹の上に拳が降り、めり込むギリギリのところでぴたりと止まった。
「参りました」
「っし、勝った。ありがとうございました」
差し出された手を掴んで立ち上がり、お互いに一礼する。
対戦相手――舞阪と周囲に視線を巡らせれば、室内訓練場ではまだ、試合を続けている生徒が多くいた。
それを確認してから、知尋はあらためて舞阪に向きなおる。
「……いつもだけど、攻撃が全部読まれてるみたいだ」
「まーな」
にっと笑って舞阪が頷く。
「一応そういう能力だし。相手別にパターンを保存しておけば対処方法は色々と導き出せるわけで」
しかも戦えば戦うだけデータは蓄積されていく。知尋の読心と違いあくまで予測、その時の行動がはっきりわかるわけではないが、代わりに相手の目を見る必要はなく、相手の動きに集中しやすい。
日常生活から戦闘まで応用範囲の広い能力――ある意味チートと言いたくなる。
「わかっててもどうしようもない相手も結構いるけどな。神代とか深海さんとか諸々」
現状では必要な情報を取り出すのにややラグがあり、また一度に利用できる情報量にも限度があるようだ。
都度、部分的なデータを取り出していて対応が間に合うのは知尋や李狐、愛華といった、戦闘能力自体に特殊性のない面子だけ。真里亜に至っては行動をいくら読もうが能力の対策には全くならない。
こうした弱点があることや、戦闘以外の局面においてはコンピュータの代用に過ぎないこと、あくまで知識を集積する能力であって分析は舞阪自身の役割になること……等々の理由からランクはEに留まっていた。
経験の量がそのまま性能に直結する……わかりやすく成長する能力のため、現在の評価が必ずしも将来性と一致するわけではないが。
「……ま、和泉の場合も、この前神代にやったアレを出されたら話は違ったかもな」
「見てたんだ」
「当然だろ。あんな面白そうなコト見逃すかよ」
良いデータも取れたらしい。
……舞阪の言う通り、あの拳を当てればさっきの戦況は引っくり返ったかもしれない。
しかし、知尋は「もう無茶はしない」と愛華に約束した。
まあ、あのとき拳が砕けたのは神代の拳に正面からぶつけたせいなので、普通に使う分には一発ぐらい問題ないはずだが。
だからと言ってほいほい使うものではない。
「それよりあそこの試合見ようぜ。深海さんの戦い、お前も気になるだろ?」
舞阪が一つのブースを指さした。
そこでは、真里亜が女子生徒と対峙していた。試合時間が半分を過ぎようとしている今もなお、彼女の試合が続いているのは珍しい。
理由は……対戦相手が防御に専念しているからか。
相手の女生徒は木刀を構え、真里亜の拳をひたすら防御し続けている。自分から攻撃すれば『報復』が来るので攻めるに攻められないのだろう。真里亜のメインは『報復』による反撃ダメージだから、相手が攻撃してこないのでは決定力に欠ける。
「まー、チキンっちゃチキンだけど立派な戦術だよな。別にトーナメントしてるわけでもない、ただの訓練だし」
「そうだね」
対戦相手の攻撃を防御し続けるのも十分訓練になる。
相手の生徒を咎めることはできないし、恨み言を言うのも間違っている。
――この状況、真里亜はどうするのだろう。
攻めあぐねたまま試合を終えるのか、それとも打開策を見出すのか。舞阪と共に固唾を飲んで見守っていると。
「お」
真里亜が動いた。
ふっ。
荒く息を吐き出し、相手に接近しながら左拳を繰り出す。奇をてらわらない左ストレート。フェイントではないことは勢いを見れば一目瞭然。
高速で突き出される拳から想像できる威力は、いささか過剰ではないかと思える程で。
そんな真里亜の姿に、知尋は妙な既視感を覚えた。
がっ!
木刀の刀身を拳が叩いた。
「いたっ」
柄を両手で保持していたにもかかわらず、女生徒は顔をしかめて左手を離す。ストレートを受け止めた衝撃で手が痺れたらしい。
そこへ、追撃。
「はっ!」
安定性を減じた右手の木刀に、真里亜の右拳が迫る。
またもいい音がして、木刀が腕ごと後ろに跳ね飛ばされた。
ぽかん、と。
女生徒は信じられない、という顔で木刀を下ろしながら言った。
「参りました」
「ありがとうございました」
挨拶を交わす真里亜達を横目に、知尋は舞阪と顔を見合わせた。
先程、真里亜が繰り出したのはまず間違いなく、以前、知尋が用いたあの技だ。
「おい和泉、深海さんが使ってた奴……お前が教えたのか?」
「まさか」
首を振る。あれを披露したのは神代との一度きりだ。あの一回きりの経験から、真里亜は技を再現したのだろう。
考えてみれば……痛みに強く、自己治癒能力を持つ彼女とは相性のいい技ではあるが。
「深海さん、マジでパねぇな」
「……そうだね」
真里亜も強くなっている。神代だって日々、強くなるために努力を続けている。
自分も、もっともっと強くならなければ追いつけない。
知尋は、両手の拳をぎゅっと握った。