※この作品はR-18です。

儚き異能は心を映す   作:緑茶わいん

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第三十七話 真里亜からの決別

 知尋は一歩も動けなかった。

 全身が喪失感でいっぱいだ。能力を奪われたことで疲労が生じたわけでは無いが、精神的にずっしりとした重みを感じていた。

 人と目が合っても心が読めない。

 それはいったいいつ以来の感覚か。自身の力を忌避したことは数えきれないが、本当に力を失うことになるなど想像もしていなかった。

 これから、どうするべきなのか。

 返せと叫んで華に掴みかかる? ……駄目だ。いくら屋上に人気がないとはいえ、ここは校内。まだ人も残っているだろうし、屋外だから声も通る。暴行なんかして華に叫ばれれば、悪者にされるのは知尋の方だ。

 それに極端な話、華を殺してしまった時、力が戻るという保証もない。

 

「今度こそ、本当の用件に入りますね。和泉くん、能力を返して欲しければその代わり、私のお願いを一つ聞いてください」

「お願い?」

「はい。……ああ、体育祭の件じゃないですよ。あれは嘘です。C組に勝ちたいのは本当ですけど、用件は別です」

 

 そして知尋に、華からの要求が付きつけられる。

 

「あなたが親しくしている人物を一人、私にください」

「……え?」

 

 意味がわからず問い返した。

 親しい人を華に渡す。それはつまり、

 

「私に奴隷をください、ということです」

 

 端的な回答のおかげでようやく理解できた。一般人なら逆に理解不能かもしれないが、知尋にとっては最近、頻繁に聞いた単語だ。

 華は人を所有し、支配したいと言っている。

 しかも知尋に奴隷になれと言うのではなく、奴隷を提供しろと。

 

「……何のために?」

「あなたに拒否権がありますか?」

 

 ぴしゃりと、回答を拒否された。

 しかし、今できるのは少しでも情報を得ることくらいだ。状況を理解するためにも、打開するためにも情報は絶対必要になる。

 最低限、口と頭が動いてくれているのは真里亜の言動に鍛えられたおかげだろうか。

 

「渡すにしても、どんな奴隷が欲しいのかわからないと」

「……それはそうですね。安心してください。欲しい人物はもう決まっています」

 

 人物、と華は言った。

 ということは条件を指定するのではなく、特定の相手をもう見定めているのか。

 奴隷、という単語から知尋が思い浮かべる相手は二人。

 

「深海真里亜。ご存じですよね」

 

 幸い、想定の範囲内にある名前だった。

 なら、肝心なのはここから。

 腹芸なんて大の苦手だが、自分自身の読心能力については把握している。せめて華と目を合わせないようにしつつ平静を装う。

 

「深海さんは確かにクラスメートだけど、だからってなんで」

「あ、そういうのはいいです」

 

 きっぱり言われ、眼前にスマホの画面を差し出された。

 マンションから知尋と真里亜、李狐が出てくる写真。わざわざ登校時を狙って撮影したのか。

 

「別の日の写真もありますよ。連日、同じマンションから出てくる間柄です。彼女を私に差し出すくらいなんとかなりますよね」

「どうして深海さんを?」

 

 口を滑らせてくれないかと期待したが、華はかすかに眉を寄せただけだった。

 

「言う必要ないですよね。受けるのか受けないのか、イエスかノーで答えてください」

 

 少し考えてから知尋は答えた。

 

「……考えさせてくれないかな。もし本人を説得なりなんなりするにしても時間はかかるし、すぐにはOKできない」

「……わかりました。いいでしょう。でも、対価を払えないのなら力はお返しできませんから、それを忘れないでくださいね」

 

 言って、華は悠然とその場から去った。夏服のブラウスとスカートがまるで豪奢なドレスのように見えたのは、知尋と華との精神的格差のせいか。

 屋上を出る際、入り口に小さなカードが挟まっているのを見つける。

 手に取ると、カードに書かれていたのは電話番号とメールアドレス。手紙と同じ筆跡だった。

 

「……どうして、こんなことに」

 

 知尋は重い足取りでマンションへ戻った。

 

「ただい……」

 

 玄関にて、帰宅の言葉を告げようとして口を噤む。今の自分に、その言葉を口にする資格があるのだろうか。

 結局、黙ったまま廊下を進んだ。

 居間では、真里亜と李狐が何やらノートパソコンを眺めながらああだこうだと言いあっていた。

 

「何これ、こんなの下着って言うわけ……?」

「見せるための下着なんだから、生地が少ないのは仕方ないわ。用途の違いよ――ああ、和泉くん。お帰りなさい。……どうしたの?」

「え? ……和泉? ちょっと、顔色凄く悪いけど」

 

 二人は知尋の姿を見ると顔色を変え、立ち上がって歩いてくる。

 

「真里亜、李狐……」

 

 何故だろうか。彼女達の姿を見た途端、ほっとすると同時に胸が痛んだ。先程の出来事をどう切り出すべきか、重いプレッシャーに襲われて息が詰まる。

 不意に身体がふらつき、両側から真里亜と李狐に支えられる。

 二人がそれぞれに顔を覗き込んできて、

 

「……ご主人様。なんで」

「和泉くん。本当に、何があったの?」

 

 目が合ったことで異常は二人に伝わったようだ。

 身体を気遣うだけではなく、より切迫した事態に対する顔つきに変化する。

 有無を言わさず荷物を奪い取られ、制服も剝ぎ取られて服を着せられた。そのまま寝室のベッドに半ば無理矢理に運ばれ寝かされる。

 一連の行動を終えた真里亜達は部屋から出て行こうとはせず、それぞれ側面からベッドに乗り、横たわる知尋の傍に座る。

 夕食の準備なども始まるだろうに、申し訳ない。

 そして、それ以上に情けなくて仕方ない。

 

「能力者に会ったんだ。能力を奪う能力、『略奪』の力を持った相手に」

 

 知尋はできるかぎり情報を整理しながら二人に事情を説明した。

 御宿華に手紙で呼び出され、屋上で話をしたこと。二重に仕掛けられた嘘について。能力を奪われた顛末に、彼女が口にした『略奪』の条件、そして能力を返す条件として提示された内容。

 

「……そんなやばい奴が、うちの一年にいたの?」

 

 それは知尋にとっても誤算だった。

 学園内なら暴力沙汰はそう起こらないという目算はあったが、暴力を伴わない策略についてはあまり警戒していなかった。また「A組のBランク」についても情報が足りていなかった。華から正式に名乗られるまで、Bランクは男子だと漠然と思っていたくらいだ。

 ……とはいえ、あの舞阪でさえ華の能力は知らなかった。学園内で一度も使われていない能力だったのだから、事前に警戒することは不可能だったかもしれないが。

 

「……どうするの、和泉?」

 

 知尋には答えられなかった。

 自分一人で決められる問題ではないことがひとつ。

 そしてもうひとつは、真里亜が黙ったまま座っていること。

 深い漆黒の瞳はここではないどこかを見つめているようで、やや焦点が合っていないように感じられた。

 

「ねえ、和泉くん」

 

 やがて紡がれた言葉も、どこか虚ろ。

 

「あなたは、私をどうするつもりだったの?」

 

 怒っているのか、呆れているのか、悲しんでいるのか。真里亜に見下ろされているのに、目を合わせても感じ取れない。

 怖い。

 

『人の心がわからないのが、辛いんでしょ?』

 

 その通りだ。

 知尋は人の心を知りたくて仕方ない。わからないと怖くて、不安で動けなくなる。そのことを久しぶりに、本気で実感する。

 ……わからないから、真里亜の問いには正直に答えた。

 

「真里亜をどうするかは、考えてなかった」

 

 考えていたのは読心能力をどうするか。

 奪い返す方法はあるのか。あるいは、奪われたままで自分は耐えられるのか。

 そしてもう一つ。

 事情を聞いた真里亜『が』どうするか。

 そう告げると、まず李狐が疑問の声を上げた。

 

「どういう意味?」

「真里亜だって人間なんだ。命令するだけで全部が、本気で従わせられるなんて思ってないよ。気に入らなければ拒否できるし、関係を解除することだってできる」

 

 奴隷は、所有の対象ではあっても真の意味での「モノ」ではない。

 意思がある以上、主人に反抗する可能性は当然残る。それを防ぐには屈服させるか心酔させるか、反抗をねじ伏せるだけの力が必要になる。

 そして、知尋には真里亜を抑える力がない。

 

「そしてもう一つ」

 

 知尋が続けて言おうとしていたことを真里亜が引き継ぐ。

 

「読心が無くなった以上、私達の関係は根本から崩れる。今のあなたは私の望む『ご主人様』ではないのだから」

 

 その事実は知尋も理解していた。

 理解していて、真里亜自身から突きつけられることを恐れていた。

 

「何、それ?」

「私が和泉くんをご主人様に選んだのは、彼の読心能力が私の望むものだったから。だから契約を交わし、私は和泉くんの奴隷になった」

 

 しかし、読心の能力は華に奪われた。

 知尋にはもう、真里亜の欲望を感じ取ることはできない。過去の記憶は消えないが、二度と生の欲望を受け取れない知尋に真里亜の主人を続ける資格はないだろう。

 より致命的な点を挙げるなら。

 奪われた能力を華が持っているのなら、真里亜は新たに華へ仕えればいいだけの話。奇跡的なことに華自身の要求とも一致してしまう。

 勝手と言えば、勝手な話ではあるが。

 

「何それ、そんなの今更……っ!」

「李狐」

「……でも、いず……ご主人様」

「いいんだ」

 

 激昂した李狐の抗議を、首を振って制した。

 しかし言葉で止めた程度では納得がいかない様子で、李狐は真里亜を睨みつける。

 真里亜も理解はしているのか、李狐を咎めはしなかった。

 

「大丈夫よ、西崎さん。私と和泉くんの関係が変わっても、あなたが変わる必要はないもの。彼が読心能力者であるかどうかなんて、あなたには関係ないでしょう?」

 

 優しい声で真里亜は言う。

 李狐を見上げると、彼女も知尋を見返してくる。ほんの一秒ほど見つめあったあとふっと笑い、頷いた。

 

「もちろん。あたしは今更、和泉の能力なんてどうでもいい」

 

 知尋の能力に対して嫌悪を示し、二か月に渡って攻撃し続けた少女。

 ある意味で最も、知尋の読心に執着していたはずの李狐は、いともあっさりとそう言ってのけた。

 ……笑ってもらえるとは思わなかった。

 痛めつけ、凌辱し、恐怖と首輪を与えて支配した少女は、弱った知尋の姿を見たうえでなお、味方でいると宣言した。

 その姿には真里亜ですら、一瞬目を細めて感嘆を示した。

 

「……そう」

 

 それから真里亜は知尋に目を落とす。

 

「和泉くん。さっきとは別の質問をするわ。……あなたは、私にどうして欲しい?」

 

 主人としての方針ではなく、一個人としての感情を問われた。

 真里亜との隔絶、変わってしまう関係を痛感しながら、知尋は自らの思いを口にした。

 一月程前に出会ったばかりの少女。

 知尋を必要とし、知尋の心を包み込んでくれた存在。確たる自分を持ち曲げることのない人。

 

「……僕は、真里亜に傍にいてほしい。できるなら、今まで通りの関係をこれからも続けたい」

「そうね。私も、できるならずっと続けたかったわ」

 

 淡々とした真里亜の返事は、知尋と違い過去形だった。

 何の感情も移さない瞳が知尋を射抜く。

 

「でも、和泉くん。私が自分の望みを捨ててまであなたに尽くすメリットがあるのかしら? 能力を取り戻す宛てもないのよね?」

 

 現状、能力を取り戻せる可能性があるのは華に従うことのみ。華に従うなら、真里亜を彼女に差し出すことになる。

 条件が反発してしまっている。

 

「その御宿さんが約束を守る保証もなし。わざわざ奴隷を要求する以上、彼女は私を調教なり拘束する手段を用意しているはずよ。もし約束が守られて和泉くんの能力が戻ったとして……その時、私はあなたの傍を選ぶかしらね?」

 

 果てない欲望を満たしてくれる主人。それを欲している真里亜にとって、策を弄してまで真里亜を奴隷化しようとする華は格好の相手だ。

 快楽の闇に落ち早死にするのは嫌だと、前に言っていた彼女ではあるが。

 処女を捧げた知尋がこうなった以上、次善の対応としてこれ以上はない。

 

「わかった? わかったのなら……」

 

 首のあたりを掴まれ、ぐいっと引き起こされる。

 全く優しくない乱暴な手つき。

 

「今すぐ出ていきなさい。無関係の人間に部屋を明け渡すほど、私は心が広くないわ」

「っ、あんた、いい加減に……!」

 

 李狐が叫んだ。知尋を掴んだままの真里亜の首元に手を伸ばし、引っ張ると共に掴んだ手を離させる。

 怒りを隠そうともしていない罵声が響く。

 

「本気でぶっ殺すわよ」

 

 それでも真里亜は平然としていた。

 

「無理よ。あなたに私は殺せないわ」

「っ。死――」

「李狐!」

 

 思わず叫んだ。

 李狐がびくんと震えて手を離す。泣きそうな表情の彼女に精一杯、穏やかな声を作って言った。

 

「……行こう。『深海さん』の言う通りだ」

 

 返事が来るまでに、たっぷり一分は時間がかかった。

 

「……わかった」

 

 寝室を出て居間に戻り、荷物の詰まったスポーツバックを手にする。先程脱がされた制服も拾い、皺にならないように畳んで詰めた。

 ――真里亜が持ってきてくれたバッグを、自分の手で持って帰る。

 合い鍵は居間のテーブルに置いた。それと交換するかのように、真里亜は知尋に小さな鍵を放ってきた。照明を反射しながら知尋の手に収まったそれは、寮の部屋の鍵だった。

 ……ずっと渡しっぱなしだったのか。

 真里亜とこのマンションに来てから今日まで、一度も寮には戻っていなかった。それどころか、そのうち寮の部屋は引き払うことさえ検討していたのを思い出す。

 

 驚くほど短時間で知尋が準備を終える中、李狐は足音を立てながら寝室に戻っていった。開きっぱなしのドアから聞こえてくるのは乱暴な物音。クローゼットに収めた衣服を全部適当に荷物へ放り込んでいるらしかった。

 戻ってきた彼女に、真里亜は。

 

「別に西崎さんは合い鍵を持っていて貰っても構わないけど」

「いらないわよ、こんなもの!」

 

 半ば叩きつけるように、居間のテーブルにもう一つ合い鍵が置かれた。

 これで、全て終わり。

 李狐を先導して廊下を歩き、玄関に着いた。

 

「和泉くん」

 

 呼び止められて振り向くと、ベルト状の物体が放物線を描いて飛んでくる。真里亜の黒い首輪を、知尋はすんでのところでキャッチする。

 

「適当に処分しておいて。……それから準備ができ次第、華さんには私から接触するわ。あなたのことも伝えておくから安心しなさい」

 

 最後に「さようなら」と。

 一方的に告げると、真里亜はくるりと身を翻した。

 

 

 ☆   ☆   ☆

 

 

「……この部屋、こんなに広かったのね」

 

 一気に物寂しくなった室内で一人呟いて。

 少女は手にしていた小さな品――手垢で僅かに輝きの鈍った鍵――を、並んだ合い鍵の隣に置くと、静かに俯いた。

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