知尋は息を吐き、スマホを操作した。
……今の会話で情報収集は十分。図書館に行かなくても、後は舞阪の連絡を待てばいいだろう。
電話帳から李狐の番号を選び、コールする。
『あ、和泉? 今どこ?』
「これから帰ろうかな、っていうところ」
『そっか。じゃあ、三十分後くらいに寮に行くからよろしくね』
「え、ちょっ……」
一方的に通話が終わった。
明るい声だったのを見ると、何か問題があったわけではないのだろうか。単に知尋の部屋に来るのに鍵が無かったから、時間を合わせたかっただけ?
ちょっと人騒がせな話だった。
知尋は荷物を持って訓練場を出た。三十分後ならある程度余裕はあるが、早めに移動しておくに越したことはない。
と。
「あ、和泉君」
メイン校舎の廊下で愛華に会った。彼女は夏服の上に、何やらエプロンのような白衣を身に着けている。
彼女はその場に立ち止まると知尋に話しかけてくる。
「今、帰るところ?」
「うん。高槻さんは医務室?」
「うん。お手伝いの途中」
授業が早く終わる土曜日が狙い目なのだという。
平日の放課後、医務室は授業を終えた生徒で賑わうのが常だが、土曜日は土曜日で自主訓練する生徒が怪我をしてやってくるらしい。
その生徒達を校医二名、あとはお手伝いだけで対応するのだから確かに大変だろう。
愛華自身が楽しそうにやっているのが幸いだ。
「そっか。……その白衣、似合ってるよ」
大変だねとか、頑張ってとかは前に伝えたので、代わりに衣装を褒めてみた。
愛華の白衣は簡易式なのだろうが、前から見るとかなりナース服っぽい。愛華の雰囲気にも似合うし、色が白なので少し夏っぽくもある。
「そうかな? ありがとう」
愛華も悪い気はしなかったのか笑顔を浮かべてくれた。
「和泉君も何かあったら遠慮なく来てね。あ、ごめん。やっぱり来ないで」
「う、うん」
来るな、とはっきり直接言われると胸に刺さるものがあるのだが。
微妙な気持ちが顔に出てしまったか、愛華は慌てて付け加えてくる。
「あ、変な意味じゃないよ。怪我なんかしない方がいいんだし、それに」
「それに?」
「和泉君って、なんだか危なっかしいから」
やっぱり、ポジティブな意味で言われていない気がした。
返答に困ると、愛華が顔を覗き込んでくる。知尋の顔をじっと見つめて、
「ほら、今も疲れた顔してる」
顔が近い。
知尋の、愛華への気持ちは相変わらず継続中。
真里亜や李狐に対してより幾分ピュアな思いは持て余し気味で、気になっている女の子からそんな風にされたら、どうしていいかわからなくなる。顔が赤くなるのを感じながら照れ隠しに呟く。
「……そういうのは、あんまり男子にしない方が」
「え。どうして?」
「好きに、なっちゃうから」
って、いきなり何を言っているのか。
言った直後に後悔した。
「え……」
愛華はぽかん、と口を開け。
「え、えええっと」
意味を理解した途端、顔を真っ赤にして意味のない声を発し始めた。あー、とかうー、とか、ひとしきり混乱を表し、目の置き場に困るようにあちこち視線を彷徨わせた後、小さく俯いて言った。
「……そんなこと、男の子から言われたの初めて」
それは、言わないだろう。
普通は恥ずかしがる。逆に、口説き文句に慣れたタイプならもう少し気の利いた台詞を考えるはずだ。どっちにしても知尋の言ったことはセオリー、というか常識外。
「ごめん、今のは」
「和泉君も」
忘れて、と言おうとしたところで遮られた。
一歩踏み出した愛華が真っ赤な顔で知尋を見つめてくる。
「好きになっちゃう、の?」
というか。
「……もう、手遅れかな、とか」
どうしてこうなった。
破れかぶれのように、知尋は正直に口にする。自分自身も恥ずかしいが、言われた愛華はもっと恥ずかしかっただろう。
「―――っ!」
弾かれるように顔を背けた彼女は、そのまま医務室の方向に走っていった。
知尋は、愛華の姿も足音もなくなるまでその場に立ち尽くした。
廊下がしん、と鎮まりかえっている。あの話の最中に誰かが通りかからなかっただけマシか。
……嫌われたかな。
いきなり変なことを言ってしまったのだ。おかしな奴、気持ち悪いと思われて避けられるのが関の山だろう。
神代からストレートに奪うという望みも潰えたかもしれない。
はあ。
溜め息を吐き、知尋は廊下を歩きだした。玄関で靴に履き替えて寮へ直行。なんだかんだやっていたせいで、到着したのは李狐から指定された時間の数分前だった。
部屋に荷物を置いて私服に着替えたところでスマートフォンに着信。
『今着くけど、平気?』
「うん。今開ける」
部屋の扉を内側から開き、人目がないのを確認してから李狐を迎え入れた。李狐は私服で、手には買い物袋を提げている。
「それは?」
「どうせ、まだ買い物してないでしょ?」
だから、スーパーで色々調達してきてくれたのだそうだ。
実際、食事のことはまたしても忘れ去っていたので、これは素直に有り難かった。
「ありがとう、李狐」
「……べ、別に。これくらい大した手間じゃないですし」
なんだか微妙に怪しい口調になりつつ、李狐は恥ずかしそうに目を逸らした。
割と大量だったので、二人で手分けして冷蔵庫に詰める。卵に肉、野菜、魚。ひとおおりの食材が揃っていた。
「こんなに食べきれるかな」
「二人で食べれば大丈夫でしょ」
「え、ここで食べるの?」
「うん。明日は日曜だから出入りしても問題ないし」
問題ないだろうか?
まあ、言っても仕方ないことかもしれない。知尋としても、こうして来てくれること自体は有り難いのだし。
「後でルールって言うか、怒られない対策だけしておこう」
「おっけ」
食材を整理した後、李狐はマンションから持ち込んだ荷物を分類し始めた。
どうやら、服や下着類を二つに分けている模様。
「ねー、和泉。服とか洗顔フォームとか、ここに置いてっていい?」
「う、うん。構わないけど」
「やった。ありがと」
残った荷物は寮に持ち帰るらしい。
たまに寄った時に不便でないように、というのが主目的だとか。
李狐の整理が終わった後は、ペットボトルの麦茶を注いで一息つく。
「そうだ。一応、ここの鍵はスペアがあるけど」
「要る」
食い気味に言われた。
「……で、どうだった?」
「うん。多少進展はあったかな」
舞阪に調査を頼むことができ、華と再び接触して会話した。
現段階では断片的な情報に過ぎないが、舞阪からの調査結果を合わせれば手掛かりになりそうな気がする。
「それに、なんとなく引っ掛かってることがあって」
「具体的には?」
「それは、言いにくいんだけど」
漠然とした違和感がいくつか。
例えば今日、知尋が華に指摘したこと。華は知尋に能力を返す気があるのか。無いとしたら今後『略奪』のスロットを読心で埋め続けるのか。返すつもりなら、その後起こる知尋の反撃をどうにかする手があるのか。
『私に手を出せば、真里亜ちゃんも巻き込むことになると思いますけど?』
本当にあの程度の脅ししか無いのなら、恨みを晴らす手段はある。
『目的さえ達成すればどうとでもなります』
華の目的にどんな意味があるのか。
見落としているというか、見えていない糸口があるような感覚。
「じゃあ、どうにかなるの?」
「なる、と思う。……思いたいな」
「そっか」
李狐がグラスを傾ける。
半分以上残っていた麦茶を一気に飲み干すと、小さな音を立てて置く。
「ね、和泉。もし能力が戻ってきて、深海さんが戻ってこなかったとしてさ」
「……うん」
「諦める? 諦めない?」
読心を取り戻しても真里亜が戻ってこない場合。
彼女が本当に華に隷属した場合。
「……多分、諦められない」
きっと知尋はどうにかしようとしてしまう。
真里亜を凌辱してでも自分のものにしようと無理を通す。場合によっては本気で華を殺しにかかってしまうかもしれない。
殺す気で人を手にかける感覚はもう知ってしまっているから。
必要であれば、知尋は人を殺すことができる。
「深海さんのこと、好きなの?」
探るように、窺うように見つめられる。
答えるのには少し躊躇が必要だった。
「好きだよ。……でも、恋人にしたいっていうのとは違うと思う。なんていうか、真里亜は僕に必要なんだ」
悩んでいた時にいきなり現れて、とんでもない要求をして。
契約を交わした相手を、簡単に諦められるわけがない。
李狐は怒るでもなく、悲しむでもなくそれを聞いた。
「じゃあ、あたしは?」
「好きだよ。李狐が傍に居てくれないと、多分、不安になる」
執着、愛着……そういった感情。真里亜が「傍に居て欲しい」だとしたら李狐は「傍に居てくれ」とでも言えばいいか。
李狐がふっと笑い、同時に小さくため息を吐いた。
「和泉さ。物凄く最低なこと言ってるのわかってる?」
「う。……うん、まあ」
愛華にも好きだと言った手前、何も反論できなかった。
何人もの女の子を「キープ」しようとするような態度。全員から愛想を尽かされたとしても仕方がない。
「ま、いいけどね。……あたしは、和泉がいらないって言うまではずっと、和泉の傍にいるつもりだし」
「……李狐」
金髪の少女は、自分で言った言葉に恥ずかしそうに頬を染めた。
「当たり前じゃないですか。ご主人様はあたしの処女を奪って、何度も犯したんですよ? それで他の男の所へ行けなんて無責任すぎます」
「……うん。そうだね」
最初の関係は最悪だった。
最初は嬲られ、次にこちらか嬲って屈服させた相手。力でしか関係を示せなかった二人が、今こうして一緒にいる。
……全部わかった上で「傍にいる」と言ってくれる。
有り難い。
そして、これ以上ない程に嬉しかった。
☆ ☆ ☆
李狐を抱き、一緒のベッドで眠り――明けた日曜日。
華については舞阪の情報待ちのため、知尋は学園に行き身体を動かすことにした。
そのことを李狐に告げると、彼女は当然のように言った。
「じゃ、あたしも行く」
一人でいるのも暇だし、寮に帰っても他のことが手に付かなさそうだから――ということだ。いそいそとお弁当の用意を始める彼女が楽しそうなので、知尋は何も言わないことにした。
午前十時前に寮を出て、学園へ。
誰かに見られでもしたら仲を勘ぐられそうだが、李狐はもうその辺りは割り切っているらしい。
「っていうか、もう怪しまれてるし。和泉と何かあったんじゃないかって」
「よく一緒にいる子達?」
「そ。一応、構うのも面倒になったから無視してるだけ、って言ってあるけどさ」
隣を歩く李狐は言いながらチョーカーを撫でる。
急に知尋を攻撃しなくなり、性格が柔らかくなった。誰かからのプレゼントらしきチョーカーを毎日身に着けている。
知尋と仲直りでもしたのか。
彼氏でもできたのか。
今のところ二つは別々の話題だが、両者がいつ結びついてもおかしくはない。
幸い、個室訓練場までは誰にも出会わなかった。
ここのところ、この施設に入り浸りっぱなしだと思いつつ部屋の利用を申請。代表者が学生証をリーダーに通す仕組みだ。
IDで検索すれば利用状況を確認できる。
華の言葉を思い出して一瞬迷う。李狐に頼む手もあるが、知尋は結局、自分の学生証を使った。向こうから会いに来てくれるなら望むところだ。
「で、何するの?」
「まあ、いつも通りかな」
基礎訓練と型と素振り。
ウェアに着替え、まずは柔軟から始めようとすると、同じくウェアに着替えた李狐が手伝ってくれた。背中を押してもらったりしつつ身体を解す。
それから訓練開始。最初、李狐も知尋の横で基礎訓練を繰り返していたが、小一時間もすると壁際に移動して見学を始めた。
「やっぱ、和泉と同じペースでやってたら身体がもたない」
知尋は倒れる寸前で止める前提、寮まで帰り着ければOKというスタンスなので当然だ。常人が真似すれば、翌日は筋肉痛で使い物にならないだろう。
李狐は訓練と休憩を繰り返しながら、知尋も時々短い休憩を挟みつつ訓練を続けた。昼頃、李狐の作ったお弁当を食べたらまた再開する。
「和泉、よく飽きないよね」
午後三時を過ぎたあたりで李狐が呟いた。
「まあ、単純作業だから。やってる間は余計なこと考えなくてすむし」
素振りの手を止めて答える。
とはいえ、さすがに疲労もピークに達している。
少し休もうと腰を下ろす。途端、くらりと目眩が襲う。李狐が駆け寄ってきて身体を支えてくれた。
「ちょっと無理しすぎなんじゃない?」
「大丈夫。このくらい寝れば回復するし」
「……全く。すぐそうやって……」
はあ、とため息を吐く音。
李狐の手が知尋の頭をそっと包むと、半ば強引に寝る姿勢へ移行する。
「西崎さん?」
「ちょっと昼寝しなさい。膝、貸してあげるから」
「……ん。わかった。ありがとう」
拒否しても無駄な気がしたので、素直に甘えることにした。
李狐の膝に頭を乗せたまま目を閉じ、全身の疲労に身を任せる。そうすれば、意識がどんどん深いところへ沈んでいく。
柔らかい。
枕とは違う、人肌の温もりを感じながら知尋は眠った。