そのメールに本文はなかった。
代わりに、動画ファイルがひとつ添付されている。
見知らぬアドレスから送られてきたそれを、湯上りの知尋は李狐と共に開き、絶句した。
動画に映っているのは真里亜だった。
彼女は目隠しをされ、耳には大きなヘッドホン。口には球状の物体が付いたベルト――ボールギャグと呼ばれる口枷が嵌まっている。手は頭の後ろで革の拘束具に繋がれ、足は同じく足首に拘束具。こちらはチェーンによりもう片足と繋がっている。
衣装はボンテージ。
乳房の一部を申し訳程度に覆う他はほぼ全体が革のベルトで構成され、それらが金属製のリングで繋がっている。股間は剥き出しで、そこには男性器を簡易的に模したマッサージ器具――バイブレーターが挿入されていた。
ブブブ……という振動音からして、バイブは起動中。
連続して響く真里亜の喘ぎ声と息の音、シーツにできた染みの量は、責めが開始されてからある程度、時間が経過していることを示していた。
既に『何者か』の手によって何度も絶頂させられたのかもしれない。
彼女は視覚も聴覚も封じられ、ただ快感だけを与えられ続けているのだ。
「何、これ……。深海さん、どうなってるの?」
「……調教、されてるんだと思う」
知尋は血を吐くような思いで答えた。
「調教、って……まさか」
「うん。こんなことをするのは一人しかいないよ」
知尋の呟きを肯定するように、動画から別の声が聞こえてきた。
『こんばんは、和泉君。約束通り、真里亜ちゃんはいただきました』
「……御宿さん」
それは、紛れもなく華の声だった。
スマートフォンで撮影しているのだろう。本人の顔は映っていないが、昨日今日で彼女の声を忘れるわけもない。
『というわけで、さっそく調教中です。真里亜ちゃんも素直なもので、拘束を受け入れてくれました。いっぱい興奮してるみたいで、さっきから何度も気持ちよくなっちゃってるんですよ』
「……そんな」
李狐が呻いた。
早すぎる。そして恐ろしい準備の良さだ。
『わざわざ奴隷を要求する以上、彼女は私を調教なり拘束する手段を用意しているはずよ』
あれは、どうやら真実だったらしい。
それにしたって、女子高生の身であれだけのSMグッズを用意するとは。金銭的にも外聞的な意味でも、華は本気らしい。
本気で、真里亜を調教して自分のものにしようとしている。
『ふふ。和泉君は真里亜ちゃんに、こういう道具を殆ど使ってあげてないらしいじゃないですか。首輪、一つ買ってあげただけなんですよね?』
嘲るような声に、無意識に両手へ力が籠もる。
……真里亜が喋ったのか。
無理矢理聞き出されたのか、自発的に喋ったのかはわからないが。
「……行かないと」
スマホを持つ手を下ろし、知尋は呟いた。
そのまま歩き出そうとしたところで李狐に止められる。
「待ってよ和泉。行くってどこへ? 場所もわかってないでしょ?」
「いや、場所ならわかるよ。この大きなベッドに、周りの雰囲気。光の加減からして……」
「……深海さんのマンション?」
「うん」
おそらく、真里亜が自分から華に連絡を取り、自分の部屋を提供したのだろう。
知尋が何度も彼女を抱いたこの寝室も、華に抱かれるための場所として。
「っ!」
思えば思うほど、衝動が胸を焦がす。
動かなければいられない。そういう気分になる。
しかし、李狐は再び手に力を籠めて知尋を引き留めた。
「でも……和泉。今から行っても間に合わないよ。メールで送られてきた動画だから生じゃないし。それに、あたしたちはマンションに入れない」
「……ぅ」
李狐の言う通りだった。
行ったところで華が開けてくれるとは思えないし、真里亜はどのみちこの状態では何もできない。
『じゃあ、そういうわけで。これから真里亜ちゃんを本格的に調教しますね。実はまだキスもしてないんです。その方が和泉君にとっても効果的かと思ったので』
何も、できない。
『ああ、楽しみ……これだけトロトロにされた上、一晩中愛されたら、真里亜ちゃんも私の虜になっちゃいますよね。絶対』
唐突に動画が終わる。
スマホを操作し、ファイルの作成日時を確認すれば――一時間以上も前だった。当然、今から移動すればより時間が経過する。
真里亜の精神がそれまでもつか。
……いや。そもそも彼女は嫌々、華に身を差し出したのではないのか。
これから華に抱きしめられ、キスされ、完全に蕩かされながら懇願し、絶頂の中で服従を誓う真里亜の姿を想像し――。
知尋はスマホを持った手を振り上げ、叩きつけることができないまま下ろした。
「……ぅ、ぁ」
大声を出してしまいたいのに、こんな時に隣室の迷惑を気にしてしまう自分が嫌になる。自己嫌悪と怒りが胸の中を渦巻いて、どうしようもないままその場にうずくまる。
どうにかなってしまいそうだった。
この気持ちが、新たな力を得る糧になってはくれないだろうか。そうしたら、その力を華に叩きつけるのに。
と。
「もういいよ、和泉」
李狐の手が知尋の頭を撫でた。
「もう、深海さんのことは忘れよう? あたしは和泉の傍にいる。それでいいじゃない」
「……忘れる」
不意に、知尋はいつかの真里亜の言葉を思い出した。
『もしも、あなたが私を『忘れようと』するのなら話は別よ。そうなったら、たとえどんな理由があろうと私はあなたを許さないし、あなたをそんな風にした『誰か』も絶対に許さない』
皮肉なことに、あれからまだ一か月も経っていない。
舌の根も乾かぬうちに、真里亜自身が知尋を捨てた。知尋のことなどもうどうでもいいというように、華へその身を委ねた。
……もう、いいか。
諦めるしかないというのなら、拘っていても辛いだけなのか。
知尋は深く息を吸い込んだ。
そして、吐こうとした瞬間。
スマートフォンが新たなメールの着信を知らせた。
今更何が。
思いながら画面を確認すると、差出人は『深海真里亜』。
またも本文はなし。動画ファイルが添付されている。
画面を操作する知尋の手に、李狐の手が重なった。
「もう、見るのやめない?」
それもいいかもしれない。
胸に諦観がよぎるが、しかし思い直して首を振った。
「……見るだけ見よう。最後に」
「……うん」
李狐も頷いてくれる。
二人は並んで座り、スマートフォンの画面を覗き込んだ。動画を再生。映ったのは先程と同じベッドの上。
当然だ、あれからわざわざどこかに移動する必要もないだろう。
ベッドの上にいる真里亜の姿も、先程と同じく全身拘束状態で――。
「あれ?」
違和感があった。
声を上げた李狐と共に、知尋はまじまじと画面を確認し、気づく。
先入観を除いて見ればすぐにわかった。
違う。
ベッドの上で拘束されているのは前の動画とは別の少女だ。
頭の後ろで髪を二つに縛った、文学少女風の女の子。
御宿華。
「……どういう、こと?」
違うのは拘束されている人物だけではなかった。
華の口にはボールギャグが装着されていない。また彼女はショーツを履いたままで、その中にはピンク色のコードが潜り込んでいる。
あれは――。
知尋には見覚えがあった。真里亜がもともと所有していたというローター、そのコードがあんな色と太さだった。
ヴィィィィ……。
バイブのものより細かい振動音が室内に響いている。
『真里亜……ちゃ……お願い、もう止め……てぇ』
華の口から漏れるのは弱々しい声。先程の動画の声とは一転、今の彼女は気力を使い果たして許しを懇願する、ただの雌にしか見えない。
自分が動画で撮影されていることにも気づいているのかどうか。
その様子、言葉の内容からすると、これを行ったのは真里亜のようだが。
『ね、真里亜ちゃん。お願い。もうしないから、謝るからぁ……これ、外し……っ』
唐突に動画が終わった。
結局、真里亜の声は一言たりとも入っていない。何が起こったのかの説明も、状況を把握するための材料もまるで足りない。
「電話……」
李狐が呟き、知尋ははっとして真里亜の番号をコールする。
コール音は鳴る。しかし一向に繋がらない。出る気がないのだとすぐに察する。
「何これ、どういう意味?」
「わからない。わからないけど……」
状況が変わった。
動画から何もわからない、電話も繋がらないというのなら、何が起きたか確かめる方法は一つしかない。
「行こう」
今度は李狐も反対しなかった。
二人はさっぱりした格好に着替えると、戸締りをして部屋を出た。念のため武器になりそうなものを探したが、碌なものがなかったので断念。さすがに包丁とか刃物を持ちだすのは警察に咎められた時が怖い。
道中、二人はぽつぽつと小さな声で意見を交わし合った。
一番ありえそうなのは罠。意味不明な動画を送りつけることで知尋たちをマンションへ誘い、何らかの危害を加えるつもり。
後は……これ自体が一種のプレイである可能性だろうか。真里亜を奴隷化した華が、逆に自分を責めるように命じたとか。いささか変態が過ぎる気はするが。
他に残る可能性は――。
入り口のインターフォンで真里亜の部屋を呼び出すと、彼女の声で応答があった。
『いらっしゃい。入って。鍵は開いているから』
余計な文言は一切ない、簡潔な言葉。
李狐と顔を見合わせ、頷きあってから進んだ。
言われた通り、部屋の鍵は開いていた。中に入った後、閉じた扉を見てしばし考え、念のために鍵を閉めておく。攻撃されて逃げなければならない可能性と、これ以上余計な邪魔が入る可能性を天秤にかけ前者を選んだ形だ。
廊下と、居間に人気はなかった。
なら、向かうべきは一つ。
閉じられた寝室のドアに手をかけ、開く。
「……いらっしゃい、和泉くん。西崎さん」
黒い下着姿の真里亜が二人を出迎えた。
室内は汗と女の淫臭が濃く、強く混ざりあった空気で満ちている。床には下着や淫らな道具などが散乱し、真里亜はそれを避けるように部屋の隅に立っていた。
ベッドの中央には華。
目隠しとヘッドホンをつけ、両手両足を拘束されてローターに責められ続けている。ショーツは既にぐっしょりと濡れ、口からは涎が垂れて一筋のラインを作っている。
ヘッドホンのせいで音が聞こえないようで、彼女はただ小さく呻きながら身を震わせるばかりだった。
「これは、どういうこと?」
背後で李狐が扉を閉めるのを確認した後、真里亜に尋ねる。
すると彼女は華を振り返り、切なげに目を細めた。
「見ての通りよ。彼女――華さんは拘束し、極限まで快楽を与えてあるわ。この子を、あなたに捧げる」
「捧げる……って」
知尋の隣に並んだ李狐が、きっ、と真里亜を睨む。
「全部、お芝居だったとでもいうわけ?」
「……ええ、そうよ」
真里亜は李狐の問いに肯定を返した。
言葉の割に彼女の顔色は優れないが……その意味は、本人の行動によってすぐ明らかになった。
おもむろに、真里亜はその場に跪いた。
床に手をつき頭を下げたまま、彼女は謝罪の言葉を口にする。
「まずは謝らせて。……あなたに、あなた達に酷いことを言ったこと。あなた達を遠ざけたこと。傷つけてしまったこと。謝って済む話ではないとわかっているけれど」
「……ええ、と」
微動だにしない真里亜を見下ろしつつ、知尋は躊躇いながら口を開いた。
「ごめん。先に説明してくれないかな。でないと……謝られても状況が把握できない」
罠を警戒してきてみれば、いきなり謝られた。
正直毒気を抜かれる部分はあるものの……信用しきれない気持ちも大きい。
全ては話を聞いてから、と、知尋は真里亜に頭を上げるよう促した。
「……ええ、わかったわ」
顔を上げた真里亜が頷く。
彼女は知尋達に座るよう勧めてきたものの、ここには椅子がない。居間に移動するのも、ベッドに腰かける気にもならなかったため、二人は立ったまま話を聞くことにした。
一方、真里亜は座したまま話を始めた。華はひとまずそのまま放置しておく。さすがにあの状態なら無害だろう。
「彼女と私の関係については、ある程度把握しているのよね?」
「うん」
おそらく、小学校時代の顔見知り。
中学進学の前後に華が東京に来て以来、二人に接点はなかった……という辺りまでは推測している。
真里亜はそれに頷いて。
「その通りよ。五、六年生の時、彼女と私は同じクラスだった。友人と呼んでいい間柄だったかどうかは微妙だけれど、話をしたり、家に呼んだこともあったわ」
当時の華は「御宿」ではなく、また『略奪』の能力も持っていなかった。
苗字が異なり、また華が『落とし物』になったことも知らなかったため、柴鳳学園に転校してきた時も華のことには気づかなかった。
「私が興味を持っていたのは最弱の読心能力者……和泉くん一人だけだったから。正直、他の生徒はどうでもよかった。全員分の名簿を見たわけでもないし、一年生のBランク能力者についても、私達に関わってこなければ興味はなかった」
しかし、華の方は違っていた、というわけか。
「私が連絡すると、彼女は喜々としてマンションにやってきたわ。彼女を油断させるために、私は言われるまま拘束を受け、器具を受け入れた。そして、彼女が気を許したところを……」
返り討ちにした。
「なんで、そんなことを?」
「これが一番、確実な方法だと思ったから。おそらく彼女の、私への執着は筋金入り。だから油断させて手の内へ招き入れ、確実に屈服させないと手痛い反撃を受ける可能性があった」
だから、知尋と李狐を遠ざけた。
二人がこのマンションにいたのでは、華への『罠』は成立しない。
今ある関係を絶ち、いったん華へ全てを委ねなければ、相手を油断させるには足りないと考えた。
……そして華は『罠』に嵌まった。
こうして今、防音の部屋に身動きすら取れない状況で拘束され、知尋達に痴態を晒している。
「調べたけど、華さんはまだ処女よ。どうする、和泉くん?」
いつもの誘うような表情ではなく、縋るような表情で。真里亜は知尋に、華の処分を委ねた。