御宿華を見送った後、李狐が最初に口を開いた。
「……本当、人騒がせな奴。お芝居ならお芝居って言っときなさいよ」
調教――というか華への仕返しと口止め――がようやく終わってほっとしたのだろう。ため息を吐いて真里亜へ視線を向ける。
「そう、だね」
知尋としても同感だ。
ここ数日は華の調教のせいで三人でゆっくり話す時間がなかった。
真里亜の事情については日曜に大よそ聞いたが、それに関する追及はひとまず不問になっていた。
だから、本格的な話し合いはこれから。
「ごめんなさい」
一応、謝罪は既に貰っているが――真里亜は再度、二人に謝意を示してくれた。
今回の件、真里亜から知尋達への暴言は全て演技だった。
普通にやったのでは華に対処しきれず、ずるずる決着が長引く可能性があったため、真里亜は自分一人で終わらせることを選んだらしい。
……知尋達と協力すれば、計画に綻びが生じる可能性は大きくなる。
知尋も李狐も形振り構わない時の切れ味は鋭いが、腹芸は決して上手くない。また、華がどの程度の情報収集能力を備えているかも未知数だったため、危ない橋を渡るのは避けるべきだと考えたのだ。
――実際、舞阪が関わっていたことを考えれば、警戒したのは正解だったと思われる。
華の正体に、知尋が彼女の名前を出した時。
同時に華が厄介な相手であることもわかったため、ならば敢えて相手の懐に飛び込むことを思いついた。
『……幸い、うってつけの切り札もあったから』
快感を返す。
『報復』の特殊機能は、使いどころがなくて温存していた。
なにしろ真里亜が感じやすすぎるため、知尋に使うとやり過ぎになる。レズプレイに使うにも李狐の調教進度がそこまで到達していなかった。
暴漢にレイプでもされた時用に取っておいたのが功を奏したのだという。
『でも、そのせいであなたを……あなた達を傷つけてしまった』
突き放して嫌われる腹積もりだったらしい。
知尋と李狐の感じた怒りは全部、華を捕らえて差し出した後、真里亜自身の身体で贖おうと。
しかし、知尋達は真里亜を諦めなかった。
情報を集め、二人の関係に近づき、真里亜を説得しに来てくれた。
『本当はあなた達に任せてしまいたかった』
彼らの方法でも解決はできるだろう。最短で最適な方法でないとしても、知尋達が望んだやり方ならそれに協力するべきなのでは。
あるいは、事情を話して楽になってしまってもいいのでは。
そう思ったが、ここまで来た以上は、と思い止まった。
中途半端が一番まずい。
それに、公園に呼び出された時はまだ仕込みが完成していなかった。本当は体育祭が終わり、終業式が済んでから華を呼び出すつもりだったのだ。それなら華を監禁可能な時間もぐっと長くなる。
しかし、知尋達の焦れ方を見たら悠長にしていられなくなった。
今しばらく時間を稼ぐため――移動に使う足と、大事な股間は避けて知尋を痛めつけ、すぐに華へ連絡を取った。
マンションへ招き入れ、敢えて責めを受けて油断させ、逆に拘束し返した。
後は知尋達も知っている通りだ。
『でも、どうして? 読心を失った僕に用は無いんじゃ』
『いいえ。……たとえ能力を失っても、私が定めたご主人様はあなたよ。簡単に見捨てるなんてありえない。華さんを排除する方法があるのなら、私はそのために何でもするわ』
そこには主人を裏切ることも含まれる。
結果、見放されることになったとしても。
華を何とかできれば、この件で知尋が決定的な傷を負うことはなくなるのだから。
『覚悟はしているわ。自分の身よりも主人を優先するのが奴隷だもの』
だからこそ――たとえ主人を守るためでも、主人を傷つけることは許されない。
罪は罪。
罪を犯した者は罰を受けなければならない。
それでも、結果的に主人が負うダメージが減るのならそうするのが当たり前。
それが、真里亜の考える奴隷の姿。
『……あんた、やっぱ頭おかしいと思う』
『ありがとう、西崎さん。はっきり言って貰える方が助かるわ』
真里亜の告白を聞いた知尋は、彼女をいったん許した。
詰るのも罵るのも止めた。時間が無かったし、言い始めると止まらなくなってしまいそうだったから。
全てを保留にして華の調教に協力するよう命じた。
真里亜も粛々と命令を受け入れてくれた。
怒りや悲しみ、行き場のない衝動は全て華にぶつけた。
結果やりすぎたというか、後から思うと自分でも怖いくらい容赦はなかったが。
それでも、華の調教は完全とはいかなかった。
本当は心まで奴隷に染めるつもりだったのだ。
しかし、華が思ったより本格的なレズビアンだったこと、三日間では華の体力的に限界があったこと、処女を調教するには知尋達の技術がまだまだ未熟だったことなどから最低限のラインを満たすに留まった。
それでも華を解放したのは、絶対的な最低ラインだけは満たしたと判断したからだ。
『もう、華さんは和泉君を害せないはずよ。口ではどう言うかわからないけれど』
というのは真里亜の言。
正直これは半信半疑だが、ともかく華と交換条件を結ぶことは成功した。
行動を縛るだけでなく飴も用意したのだから、そうそう破られることはないだろう。
あるいは、三日という制約は逆に良かったのかもしれない。
調教を長期に伸ばすと、華を廃人化してしまっていた恐れもある。そうなるよりは理性を残した方が都合がいいし、体育祭と終業式を控えたこのタイミングなら「調教を断念した」と受け取られるリスクも減る。
「ご主人様、あらためて謝罪させてください。ご無礼を申し上げたこと、あろうことかご主人様に手をあげたこと。何度頭を下げてもお詫びしきれません」
真里亜が姿勢を正し、知尋の前に跪く。今、彼女は首輪を身に着けていない。入浴のためいったん外し、今は知尋の手の中にある。
――再びこれを与えるかどうかの選択権も、一緒に。
まず何を言うべきか。
知尋は数秒考えてから口を開いた。
「ありがとう、真里亜」
「……え?」
真里亜が目を丸くしながら顔を上げた。いつも冷静な彼女には似つかわしくない表情に苦笑しながら、知尋は彼女の傍にしゃがんだ。
ぽん、と彼女の頭に手を置いて。
「僕達のために頑張ってくれて。お蔭で能力も戻ってきたし、華さんを押さえこむこともできた」
「ご主人様。ですが、私は……」
「うん」
頷く。
「正直、不満もあるよ。一人で片づけられたら、まるで僕達が信用されていないみたいだし……踏みつけられた手は本当に痛かった」
「―――」
「だから、命令させて欲しい」
ぐっ、と。
真里亜の頭に少しだけ力をこめて。
「これからは、相談なしに自分を犠牲にしないで欲しい。嘘でもあんなこと言わないで欲しい。前に言った通り、僕には真里亜が必要なんだ」
奴隷は主人の所有物。
壊れてもいいモノ、なのだとしても。
自分の物が傷つき、壊れるところは見たくない。それが自分の手が届かないところなら猶更だ。
「……ご主人様」
真里亜の漆黒の瞳に涙が滲んだ。それを見た李狐がかすかに息を飲む。
知尋が手を伸ばすと、真里亜は自分から胸に飛び込んできた。知尋よりも小さく軽い身体を胸で受け止める。
ややくぐもった声が、知尋の胸から耳へと届いた。
「お約束します。二度と、このようなご迷惑はおかけしません」
答えを聞いた知尋は手元の首輪を手に取り、真里亜の首に巻いた。
それを見届けた李狐が、ややおどけた様子で声を上げる。
「もう、和泉は甘いんだから。なんか、きついお仕置きでもしてやればいいのに」
「あはは」
言いながらもほっとした様子の彼女に、知尋は苦笑を返した。
「……お仕置きはこれからだけど?」
「え? やるの?」
「やるよ?」
数秒顔を見合わせた後、李狐の方が先に顔をそむけた。
呆れたような、諦めたようなため息。
真里亜はといえば顔を離し、涙を拭こうともしないまま二人を見上げている。
「あー、ドSモードだ。で、どんなお仕置きするの?」
「んー。それが、真里亜が嫌がるお仕置きってなかなか思いつかなくて」
「そりゃそうだよね。じゃあ、こういうのは?」
「ん、それならこういうのの方が」
耳打ちしてくる李狐と幾度か会話して、方針を決定。
にっこりと李狐が笑って知尋から離れた。彼女はしゃがんで真里亜の耳元に囁きかける。
「覚悟しときなさい。あたしは正直ドン引きするレベルのお仕置きだから。あんたなら楽しめると思う」
「……西崎さん」
ぽう、っと。
真里亜の頬が赤く染まった。それがどういう意味なのかは、読心も使わずに読み取るのは不可能そうだったが。
黒い少女の右手が李狐の服をきゅっと握る。
「西崎さんも、本当にありがとう」
「へ? 何、急にあらたまって」
「ずっと和泉くんの傍に居てくれたんでしょう? だからよ」
「あ。あー、それか」
じっと真摯な瞳に見つめられ、李狐もまたほんのり頬を染めた。
「別に、あたしがしたくてやったことだし。お礼言われるようなことじゃない」
あからさまな照れ隠し。
そっぽを向きながら言う李狐に、真里亜はくすりと笑った。
「……そうね。でも、ありがとう」
言って服の裾を強く引き、
「これからは、李狐、って呼んでもいいかしら」
「へ」
「駄目?」
真里亜は言動こそ突飛なものの、容姿は紛れもない美少女だ。
そんな少女に間近で、優しく懇願されれば同性でも断るのは困難だろう。
まして李狐は素直じゃない割に感情豊かなタイプ。
「べ、別にいいけど。好きにしなさいよ……真里亜」
「ふふ。……ええ、そうさせてもらうわ。李狐」
呼び名の変更。
李狐を下の名前で呼ぶことにしたのは、真里亜に何か心境の変化があったからか。
ただのクラスメート、知尋を通して繋がっているだけの関係から……仲間、あるいは友人として李狐を正式に認めた。
これで、少女達の仲が深まるのなら、それはいいことだと思う。
身体を重ねても、言葉を募っても、首輪で繋いでも。
……離れる時は簡単に、離れてしまうものなのだから。
☆ ☆ ☆
知尋と李狐の荷物は、華を調教している間にほぼ運び直した。運び出してから数日しか経っていないが、逆に知尋の私物は大半バッグの中だったので、むしろ手間が省けて楽だった。
華を解放してようやく寝室が空いたので、知尋達は掃除や洗濯を済ませた上で荷物を運び込んだ。
「いい加減、あんたの荷物も整理したら?」
知尋のバッグはまた居間の隅に置いていたが、それを李狐に指摘された。いつまでお客様気分でいるつもりだ、と。
なので、知尋の服も一緒に寝室のクローゼットに収納させてもらった。
「李狐。あなたの服、前より少ないんじゃない?」
「ああ。何着か和泉の家に置いてきたから」
「……へえ?」
真里亜が横目で見てくる。どういうことか、と目が言っていた。
「ああ、ええと。それは西崎さんが」
「ねえ和泉。その呼び方なんだけどさ。やっぱ前の通りにしない? いちいち使い分けられるとこっちも面倒なんだけど」
説明しようとしたら李狐に割り込まれた。
関係ない話……ではないが、今しなくても。そう思ったものの、知尋に尋ねた真里亜まで李狐の話に食い付いた。
いいことを思いついた、という顔で、
「名前で呼んで欲しいなら、あなたも態度を改めるべきじゃない?」
「な。あたしに和泉を名前で呼べって!?」
李狐の叫びに知尋もぎくりとした。
相手を下の名前で呼ぶ、というのは特別な行為だ。真里亜と李狐がそうだったように同性でも傾向はあるが、異性間の場合は余計に重い意味になる。特に、女の子側からの呼び方は極めて重要なはずだ。
それを考えると、とても強要できることではない。
「って、あんただって和泉のこと苗字で呼んでるじゃない」
「私は使い分けてるもの。あなたの場合は、そもそも使い分けるのが面倒だから、っていう話よね?」
「う。ああもう、ああ言えばこう言う……っていうかあんた絶対、お仕置き楽しみにしてるでしょ」
李狐は俯くとぶつぶつ呟き、やがて「わかったわよ」と言った。
顔を上げ、血圧が心配になるような顔色で知尋を見つめ、口を開く。
「ち、知尋」
「う、うん」
答えながら、知尋は胸が高鳴るのを感じずにはいられなかった。
別に他意はない――恋愛的な意味で――のはわかっていても、嬉しいものは嬉しい。思わず顔にまで笑みが浮かんでしまう。
気持ち悪いだろうか、と思うも、李狐の口からお得意のフレーズが飛び出してくることはなかった。
「あたしが呼んだんだから、あんたも呼び方戻しなさいよ」
「うん。……李狐」
「……えへへ」
ふにゃん、と李狐が表情を緩ませた。これもまた不意打ち的な笑顔だ。
知尋が呆気に取られ、真里亜と顔を見合わせる中、李狐は寝室を出ていく。
と思ったら入り口あたりで二人を振り返り、
「じゃ、今夜は二人でゆっくりしときなさい」
「いいの? あなただって華さんの調教で……」
「いいの。あたしはその調教のせいで疲れてるし、あんたはあたしよりブランク長いでしょ」
それだけ言って今度こそ出ていく。
閉じる扉を見つめた真里亜は「ありがとう」と呟き、知尋を振り返った。
その瞳は既に潤み、欲情に蕩け始めている。読心によって知尋の全身にのしかかる重圧も、いつも以上に強い。
「ご主人様。真里亜にお仕置き、してください」
「……うん。もちろん」