「あー、湯瀬……あのぺったんこか。確かに面倒かも」
「その子のこと、李狐は知っているのね?」
「まあ、割と目立つし」
帰宅後、真里亜と李狐に尋ねればそんな回答があった。
どうやら湯瀬朱香という少女は割と有名らしいが、知尋にはとんと記憶がなかった。
「いず……あんたは学校でかなりぼーっとしてるでしょ」
「そうかな?」
首を傾げるが、確かに。教室内ならともかく、廊下や通学路ではあまり他者に注意を払っていない。誰かに話しかけられることも基本的にないので、情報をシャットアウトしていることが多い。
と、真里亜が首を傾げて李狐に尋ねる。
「ちなみに、面倒というのはどういう意味で?」
「あいつは神代を目の敵にしてるから、顔見たら突っ込んでくるんじゃない? で、多分、そのままどっちかがやられるまで構ってくる」
……どこかで聞いたような話だった。
そんな相手に付き纏われる神代はご愁傷さまだが、今回は他人事で済まない。何しろ狙われるのは知尋なのだ。
「知尋」
「ん?」
「頑張れ」
にっこりと、満面の笑顔で言われた。
思わず見惚れてしまうくらい可愛いが、絶対この状況を面白がっている。
はあ。
息を吐く。いずれにせよ、やるしかないのだろう。幸いにも実戦ではなく、ただの騎馬戦なわけだし。
「それはそうと。昨夜の痣の件だけど」
「ああ、うん」
真里亜の声に頷く。あれについては早めに検証しておきたい。
「痣?」
「ええ。昨夜、突然私の身体に痣が浮かんだの。今もまだ残っているんだけど」
「って、いきなり脱がないでよ! っていうかその落書きとっとと消しなさい!」
無造作に服へ手をかける真里亜に李狐が突っ込みを入れるが、彼女も真里亜の臍が露わになると、まじまじとそこに見入った。
「何これ、字?」
「おそらくは文字の集合体ね。意味も、昨夜から生活してみてなんとなくわかったけれど……」
「本当?」
「ええ」
頷いた真里亜はしかし首を傾げ、李狐を見る。
「推測を話す前に、西崎さんにも検証に付き合ってもらえるかしら。サンプルは一人より二人の方がいいでしょう?」
「別にいいけど、何するの?」
「簡単よ」
真里亜が説明してくれた方法は、確かに難しい手順が必要なものではなかった。
李狐も交えた三人で新能力の検証を行った結果、確かに知尋に新たな能力が目覚めていたのだが――。
「……えーと。おめでとう、でいい?」
「ふふ。予想外だけど、面白い能力なんじゃないかしら」
その内容は、一同にやや斜めな反応をもたらした。
☆ ☆ ☆
私立柴鳳学園は、二百人弱という生徒数の割にかなり広い敷地を持っている。これは学園の性質上、身体を動かす授業がメインとなるためと、『落とし物』達の能力を育成するのに広いフィールドと多様な設備が必要になるからだ。
そんな理由から、学園のグラウンドもまた生徒二百名全員と保護者来賓、更には各種道具類等を収容してなお余りある広さがあった。
「さって、いよいよ始まるな」
校長による開会式を終え、生徒用のブースへ帰還して。
一息ついた知尋に向けて、左隣に座った舞阪が声をかけてきた。
「楽しそうだね、舞阪君」
「そりゃあもう。だから和泉には俺の実況の餌食になってもらおう」
自分の出場種目よりも実況がメインなのか。
「こいつはそういう奴なんだよ」
と、右隣から爽やかな声。
長身のおかげで観戦が楽そうな彼は、横目で舞阪を見やって苦笑している。昨日の体育でも思ったが、二人は案外。
「仲、いいんだね」
「まあ、そうなるかな。入学式でいきなり話しかけられたかと思ったら、いつの間にかこれが当たり前になってた。和泉君も気をつけた方がいい」
「ははっ。ならもう遅いな。和泉は聞き役として俺が唾つけたから」
「……あはは」
嬉しいような、迷惑なような。
微妙な笑みを浮かべつつ、隣の女子席を見やる。李狐はいつも通りの友人達と、真里亜は愛華と何やら話をしていた。
……華は。
逆方向、B組の男女を挟んだ向こうへ視線を向けるが、さすがに人混みのせいで様子は殆どわからない。
「来てるぜ、御宿なら」
ぎくりとする。
舞阪がにやりと笑みを浮かべて知尋を見ていた。
「あいつが何か仕掛けてくるか、湯瀬がどんだけ暴れるか、後はB組が地味な活躍でいつの間にか逆転しないか。勝負のポイントはそんなとこかなー」
じろり。
地味、という言葉が聞こえたらしいB組女子から視線が刺さるが、舞阪は碌に気にした様子もなかった。
体育祭序盤は、各チーム小さなポイントを重ね合う形での接戦となった。
概ね舞阪の予想通りといえば予想通りだが、知尋はここに至ってようやく、クラス委員の少年が全く言及しなかった要素に気づく。二、三年生――上級学年の活躍である。
その理由はすぐにわかった。
レベルが違うのだ。単純な身体能力も、『落とし物』としての能力も。単純な年齢による成長進度と経験量、そして訓練の量。どれも一年生には無いものであり、故に不用意には言及できないし、測るのも難しい。
空気の流れを操って追い風を得る者がいた。
念動力で身体のブレや反動を押さえこみ、高速で走る者がいた。
スタートと同時に前転、地面に手をつき「自分を投げ飛ばして」加速する者がいた。
何の能力を使わず、ただ鍛え上げたスピードだけで追いすがろうとする者がいた。
基本、徒競走などの個人種目は同学年同士でマッチングするため、高学年から一方的に潰される機会はあまりないが。
「凄えわ、やっぱ上級生は」
自分の種目を終えて帰ってくるクラスメートが口々にそう言うのを知尋は聞いた。同時に、彼らとは別の感想を同時に抱く。
確かに上級生は凄い。それは見ていればわかる。
しかし、一年生の全てが劣っているわけではないのではないか。
食らいついていこうとする。
学年の差など物ともせず、挑戦する者もきっといる。
ちらりと。
隣に座る神代を見れば、彼は興奮の中にあるようだった。
身体の震えは、きっと武者震い。
「……じゃあ、行ってくるよ」
きゅっと口元を引き締めた神代が立ち上がる。
知尋は、半ば反射的に彼の背中へ声をかけた。
「神代君」
「ん?」
「その、頑張って」
すると彼はぽかん、と口を開けた後「ああ、もちろん」と答えた。そうして彼の参加種目、二百メートル走へ赴いていく。
しばらくして行われた競技の結果、神代は一着でゴールした。
真剣な表情からのクラウチングスタート。初速から他の選手と差をつけ、その差をぐんぐんと引き離していく。身体強化の能力も出し惜しみしていないらしく、まさにぶっちぎりだった。
「おー。神代の奴、燃えてんな。絶好調なのはいいけど、ペース配分考えろよ」
「……まあ、それが神代君のいいところだよね」
素直すぎるほどに素直で、一生懸命な性格。
それは他の生徒達にも良い影響を与えるようで、1-Cの生徒達は神代の勝利に湧き、各々の種目への意欲を増していく。
「さすがにああいうの見せられると」
「テンション上がってくるよな」
エースが引き出したいい流れ。
このまま行ってくれれば……と思う知尋は、なんとなくそのまま神代を目で追う。彼はゆっくりと歩いて席へ戻ろうとし、一人の少女に呼び止められていた。
小さい。
どこがというか、全体的に。身長は真里亜より低く、百五十センチもないのではないかというレベル。体操着に包まれた身体は女の子らしい丸みが見て取れるものの、胸はまさしくぺったんこ。
天然か故意か、絶妙なバランスで跳ね、ボリュームを演出する髪の毛が無ければ、つい見逃してしまいそうな容姿だが。
目。
李狐のキツさとはまた違う、自分への自信に溢れた力強い瞳は、一度目に入ってしまえば見落とすことはできない。
「あれが……」
「ん? ああ、そうだ。あれが湯瀬朱香。A組のCランク」
朱香と神代は何やら二、三言葉を交わして――というか、朱香がほぼ一方的に神代へ突っかかっているようだった。
声は聞こえてこないが、あなたには負けないとか、ちょっと勝ったくらいでいい気にならないでとか、そんな感じの事を言われているのだろう。
なるほど。
あの少女は、確かにC組にとっての不安要素だ。遠くからでもわかる熱意、激しい気性は必ず場のムードを作る。
女の子であることを考えれば、あるいは神代以上に。
「ただいま」
「お、神代が返ってきた」
「一位おめでとー」
席に帰還した神代がクラスメートから称賛を受ける中、女子の百メートル走。学年順なので、朱香は三レース目。
「和泉」
「うん」
いつになく真剣にグラウンドを見つめる舞阪に、知尋も頷きを返す。
果たして、レースは一瞬だった。
スタートの合図と共に、朱香は弾丸のごとく飛び出した。初速が早い。確かに、瞬発力で言えば神代を大きく上回る。たった百メートルしかない競技においてそれは重大な意味を持ち、彼女は二位と秒単位の差をつけて一着でゴールした。
「うわ、なんだあの子」
「ちっちゃいのに早い!」
「……小さいは禁句なんだけどな」
歓声の中、ぼそりと神代。なるほど、何かトラウマがあるらしい。
この、神代と朱香のパフォーマンスは、C組とA組とだけでなく、B組や他のクラスにも火をつけたらしい。
体育祭はだんだんと、着実に白熱ムードへと突入していった。
玉入れ。
B組チームの上級生が大量の玉を抱えてハイジャンプ、一気に大量得点を狙えば、李狐が最初から玉を握る素振りすらなく複数の幻影を展開。籠のダミーを他チームの陣地に設置して攪乱する。
一方、A組は李狐の幻影を冷静かつ迅速に特定すると堅実に玉を投げ入れ、得点を稼いでいた。その中心にいるのは――。
「御宿、さん?」
「来たか。あれは視力が良くなる能力か何か使ってるな」
確かに。彼女は眼鏡を外したまま平然と、正確に本物の籠へと玉を投げ入れている。現在競技に参加していない生徒の能力を『略奪』で使用しているのだろう。
光の加減か何かから幻影と本物を区別したか。
「やっぱり来たな。A組が騒ぎになってないところ見ると、無理矢理奪ったんじゃなくて、事情を話して借りてきたんだろーな」
厄介なことで、と舞阪が呟いた。
玉入れの最終結果は、李狐が幻影を入れ替え、本物の籠を人目から隠したりと奮闘したお蔭もあり、C組が僅差で勝利。
華はその後もいくつかの競技に出場した。
しかも、毎回、競技ごとに異なる能力を持って……である。
見た目こそやや地味ながら、彼女の活躍は大きな成果を上げた。競技ごとに有効な能力を選べるという時点で強力なうえ、他人の能力を使うというインパクトが主に一年生の他クラスに大きな衝撃を与えたのだ。
また、女子なので神代とは正面からぶつかりにくい。同じクラスの朱香と参加種目を分け、コンスタントに点を取っていく。
「一応、湯瀬の能力を使う様子が無いのが救いだなー」
「多分、彼女は断ったんだろう。割とプライドが高いから」
一時的でも他人に能力を明け渡すのは嫌だ、と。その気持ちは良くわかった。
そういえば、舞阪は知尋に読心が戻っていることを気づいているはずだが、何も言ってこない。敢えて触れないでくれているのか、あるいはその必要がないと考えているのか。
湯瀬朱香はまさに、女子版の神代といった活躍ぶりだった。走る系の種目でほぼ無双状態、ガンガンA組に点を送り込んでいく。
「さて。ここらで真打登場だな、和泉」
「……いや、真打って」
騎馬戦は昼休み前、最後の種目だった。派手なので、保護者達は早めに弁当を食べつつ眺めてもよし、学校側としては負傷者が出ても対処しやすい……といったところだろう。
舞阪の激励に顔を引きつらせた知尋だったが、そこへ神代がぽん、と肩に手を置いてくる。
「行こう、和泉君」
「うん」
頷いて立ち上がる。移動時、それとなく真里亜や李狐が視線を送ってくるのに、軽く瞼を伏せて答えた。
……やれるだけは、やってみる。