一クラス四人、計三十六名が入場し、楕円形のトラックの外周へクラスごとに並ぶ。
配置はランダムらしく、ちょうど正面に1-A――湯瀬朱香の姿があった。やはり彼女が騎手を務めるらしい。朱香以外のメンバーは男だ。
「皆、多分A組の騎馬はこっちに来るから」
「OK」
「とりあえずそこに集中だな」
C組の騎馬三人が頷きあう。
目印の鉢巻をつけた後、知尋は三人に持ち上げられた。
高くなった視界で周囲を見渡しながら呼吸を整える。
そして数十秒後、スタートのピストルが鳴った。直後、全ての組が同時に動き出す。朱香は……やはり、真っすぐ知尋達に突っ込んできた。
「神代!」
「ああ、いったん離れる! 密度が薄いところで迎え撃とう」
知尋達は、乱戦が形成されたエリアを避けて左に迂回した。すると朱香達はなんと、乱戦の中を突っ切る形で肉薄してくる。
当然、他の馬が襲い掛かるも――。
「邪魔!」
まさに電光石火。
手を伸ばしてきた二年生の騎手を振り払い、そのまま駆け抜けながら鉢巻を奪い取ってみせた。熱操作を使った早業だ。
失格した2-Cの馬を見て、他の馬達は朱香の対処をいったん諦めたらしかった。
誰もそれ以上手を出してこない中、悠々と知尋達へと接近。
「ここで会ったが百年目!」
きっ、と強烈な視線が知尋に突き刺さる。
神代と直接対決できるわけじゃない、とか文句を言う暇もない。知尋は目を逸らしたくなるのを堪えつつ、朱香の瞳を見返した。
――正面から接近して、右手ですくい上げるように攻撃。
攻撃方針を理解し、身体が動くのと朱香の攻撃が始まったのはほぼ同時だった。心を読まれる違和感に戸惑ったのか、朱香の表情が訝しげに変わるのを認めつつ、知尋は朱香の手を左手で払った。
びりっと、衝撃で左手が痺れる。
「なっ……?」
驚きから一瞬硬直する朱香。しかしもちろん、彼女が調子を取り戻すまで待つつもりはなく、知尋は右手を伸ばして朱香の鉢巻を狙う。
「っ!」
間一髪。
朱香はギリギリのタイミングで知尋の手を払った。認識から反応までのタイムラグが短い。やはり彼女の瞬発力は恐ろしいものがある。
「いったん下がって!」
鋭い指示が飛び、1-Aの騎馬が数歩後退する。
「和泉君!」
「ごめん、待機で!」
相手が体勢を立て直す前に責めたい気持ちもあったが、おそらく向こうにカウンターを取られると知尋には対処できない。
向かってくる朱香をこちらがカウンターで制する。
勝てるとしたら、おそらくそれしか方法がない。もしかすればスタミナ切れを待つことも可能かもしれないが、朱香の余力がわからない以上は危険だ。おそらく、昼食前だからと限界までカロリーを消費してくるだろうし。
「神代悠希!」
思ううちに再び朱香達が接近。またも正面。今度は鉢巻を奪えるまで粘り、高速の連続技で勝負を決める算段のようだ。案外、頭が回る。単発技では防がれることをさっきの交錯で理解したのだろう。
これは、まずいか。
初撃は、右手を腰だめから真っすぐ鉢巻へ向かわせて来る。そう読み取った知尋は、先手必勝とばかりに右手を突き出した。
先に鉢巻を取ってしまえばそれで勝ちだ。
「甘い!」
しかし朱香の左手がそれをガード。反撃の右手をなんとか防ぐも、これで攻める余裕はなくなった。連続して繰り出される攻撃をギリギリで察知し防ぎ続ける。
攻撃が素直なのは助かるが、
「とっととやられなさいよ、神代悠希!」
お互い、膠着状態に焦れてくる。
そして、負担がかかるのは騎手だけではない。接近したままじりじりと向きを変え、相手に正対し続ける騎馬達にもだんだんと、疲労が蓄積されていく。
こうなると不利なのは――騎手に精神的余裕がなく、また体重が重い方。
「うあっ」
十数回の攻防の後、後方右側の騎馬が崩れ、それにつられて左側の生徒もよろめいた。崩れていく知尋達の騎馬を見て、1-Aの騎馬は慌てて距離を取っていった。
落ちる。
思った知尋は、思わずぎゅっと目を瞑るも、予想したような落下はやってこなかった。
神代が腕を持ち上げ、知尋の身体をホールドしたからだ。お蔭でぎりぎりのところでバランスを取り、神代に肩車される形でなんとか制止する。
「和泉君、もっと強くしがみつくんだ」
「う、うん」
すまない、後は任せたとフィールドを離れていくクラスメートを横目に、知尋は神代にしがみついた。股間が彼の後頭部に当たるのとか、正直非常に気持ち悪いが、この際、背に腹は代えられない。
「……OK。まだやるっていうんなら相手してあげる」
二人だけで立て直した知尋達に顔を引きつらせるも、朱香はすぐに表情を引き締めた。彼女の声と共に、A組の騎馬が突進してくる。
「っ」
神代は最小限のステップで右に回避。両者が互いに向きなおると、今度は左へ。
「ちょこまかと!」
時折朱香も手を伸ばしてくるものの、目まぐるしく動く中では狙いが定まらないらしい。攻撃は防ぐまでもなく空を切る。
人数が減ったことで、こちら側はむしろ小回りが利くようになっている。
代わりに安定感はなくなり、知尋は振り落とされないようにするのに必死だった。
そして、ふと気づくと。
フィールド上では、殆どの騎馬が既に退場していた。知尋達と朱香達の他には二騎が残るのみ。
あの組が決着をつけたら、勝った方がこちらへ介入してくる。
……それまでに勝負を決めないと。
神代も、そして朱香も同じことを思ったのだろう。
「和泉君、次で」
「決めるっ!」
二人の声が重なり、最後の交戦が開始。
真っすぐ突っ込んでくる朱香の馬に対し、神代は受けて立つ構えを見せつつぎりぎりで一歩分、左側へ逸れる。まともに衝突したら崩れるのはこちらだから、これは当然必要な措置だ。
そして、朱香もそれは読んでいたらしい。
「もらうよっ!」
高速で手が伸ばされる。騎馬が安定しているのをいいことに、彼女は両手を離して攻撃に専念する構え。
払うか? いや、持久戦ではこちらが不利だ。
知尋は思い切って、朱香の手を無視したまま右手を伸ばす。狙うは相手の鉢巻。
早いのは――朱香の方。
しかし。
「えっ……」
ぐらり。知尋の身体が揺れ、攻撃は空を切る。
当然だ、神代の頭に四肢を使って必死にしがみついていたのだから、右手を離せばその分バランスは崩れる。
そして、いい加減、知尋も神代も限界が近い。バランスを立て直している暇はなく、故に知尋が落馬するか、鉢巻を取るのが早いかという勝負。
……余計なことは考えるな。
知尋は、ただ鉢巻を目指した。
自分の身体がどうなっているかは無視。右手が目標に到達できればそれでいい。
そして、掴んだ。
「……やるじゃん」
目を見開き、直後に笑みを浮かべた朱香が呟く。
それを聞きながら、知尋は自分が落下していくのを感じ――。
「っ、っと」
咄嗟に伸ばされた神代の両腕に抱き留められた。
きゃあ、と。一部の
はあ。
息を吐き、強いて胸の鼓動を落ち着けながら、知尋は神代の顔を見上げる。
額に汗を浮かべているものの、彼は笑顔。
「お疲れ、和泉君」
「……神代君。これ、失格になるのかな?」
「え……ええと、そうだな。落馬してはいるからな……」
と、そこに横手から声。
「騎手が地面についてなきゃセーフよ」
馬から降りた朱香だった。他の三人が駆け足で退場していく中、彼女だけはその場に残って神代を見上げてくる。
「今回は負けたけど、次も勝てると思わないでよね」
「……はは。今回勝ったのは、僕じゃなくて和泉君なんだけど」
どこにそんな元気があるのか、威勢よく喚く朱香に神代が苦笑する。
正直、知尋としては話に巻き込まないで欲しかったが。
幸い、朱香は知尋をちらりと見ただけで、ふん、と鼻を鳴らした。
「オプションに興味はないし」
それだけ言うと、彼女はフィールド外にすたすた歩いていく。
つい、その姿を目で追ってしまう知尋と神代だったが……。
「後ろ、来るわよ」
「え?」
振り返ると、残るただ一騎となった騎馬が、知尋達に迫っていた。
「い、和泉君。早く俺の頭に上って」
「う、うん。あ、ああ、でもこの鉢巻も巻かないと」
二人はわたわたと準備をしようとして間に合わず。
あっけなく、三年生の馬の突進によって仲良く地面へ倒れたのだった。
「おっつー。二位おめでとう、と言っておこうか」
神代と二人でクラス席に戻ると、舞阪がにっと笑って出迎えてくれた。
「うん、頑張ったよ。二番だもん」
「神代君、凄かった。一人で和泉君を担いじゃうんだもん」
「まー、和泉も割と頑張ったんじゃね?」
他のクラスメート達も口々に感想を述べてくれる。昼食前最後のイベントということもあり、後につかえている種目がないため、皆割と真剣に観戦してくれていたらしい。
基本的に知尋はオマケみたいな扱いだったが、悪い気はしなかった。
「二人とも、お疲れ様」
そこへ歩み寄ってきたのは体操着姿の愛華だった。
彼女の姿を見ると、神代がすっと目を細める。
「高槻さん」
そう思って見ると恋心が丸わかりだが、愛華は気にしているのかいないのか、にっこり笑って彼に告げる。
「疲れたでしょ? 少しでも治させて」
神代はこの後もリレーに参加する。騎馬戦で体力を使い切られては困るポジションだった。回復という、愛華の役割を果たすにはこれ以上ないタイミングだ。
しかし神代は、嬉しさ半分、申し訳なさ半分といった表情を浮かべて。
「それなら先に和泉君を。落ちた時に背中を打っただろうし」
「いや、僕は……」
大したことない、と言おうとすると。
ちら、と愛華が知尋に目をやって、つん、と顔を背ける。
「それくらい大丈夫だよ。和泉君はもう出番ないんだし、怪我するのは慣れてるでしょ」
「え、と」
ぴしゃり、と告げられた冷たい言葉に神代は困惑気味だった。
知尋はできるかぎりの笑みを作って彼に言った。
「高槻さんの言う通りだよ。僕は大丈夫だから」
言って、自分の席に着く。神代は愛華に引っ張られてクラス席の後方へ移動していった。そこで治療を行うつもりなのだろう。
つんつん、と舞阪が知尋の脇腹を突いた。
「おい、和泉。お前、高槻さんを怒らせるようなことでもしたのか?」
「……ええと、どうだろ」
もちろんやったのは自覚しているのだが、大っぴらには言いづらい知尋だった。
騎馬戦終了後は昼食となる。
生徒は、あらかじめ持参したお弁当を食べるもよし、学食や購買に行って食事を買い求めるもよし、保護者が来ているのなら話をするもよし。午後の部開始までに戻ってくれば殆ど自由行動になる。
「……さて」
生徒達が各自動き始めたのを見計らい、知尋も席を立った。弁当箱の入った荷物を手に、その場を離れようとして。
「あれ、和泉。どっか行くのか?」
「うん。ちょっと静かなところでぼーっとしたくて」
「……ああ。そっか、失恋はショックだもんな」
うんうん、と妙に納得された。
……いや、ある意味間違ってはいないが。
一人になる理由は、なるべくクラスから離れて食べろと李狐に厳命されているからだった。体育祭ともなると知尋の弁当も手を抜くわけにはいかない、しかし二人の関係を悟られるわけにもいかないから……という、嬉しいような嬉しくないような理由である。
ちなみに、愛華は神代ではなく真里亜や李狐を誘って食事にするようだった。そういえば、今日は李狐が真里亜の分もお弁当を作っていたのだったか。
さて、どこに行こうか。
最低限グラウンドからは出るとして、屋外訓練場の隅にでも座ればいいか。
と、歩きながら考えていると視線を感じる。
振り返ると、眼鏡の女生徒と目が合った。彼女はふっと知尋から目を逸らすと、早くもなく遅くもないスピードでどこかへ歩き去る。
少し考えてから、知尋は彼女の後を追った。
グラウンドを出て、出入り口からぐるっと回る。ぐっと周囲が静かになるがそれでも更に歩いて小さなベンチに辿り着く。
ちょこん、と。
ベンチの右側に腰かける少女に、立ったまま問いかけた。
「何か、話?」
「ええ、まあ。大した用じゃないですけど」
とりあえず座ったらどうですか、と、華は平然とした口調で言った。
「………」
警戒しつつも、言われるままベンチに腰を下ろす。少なくとも横に並ぶ姿勢なら、不意に『略奪』を使われる心配も少ない。
知尋が隣に座ると、華は手にしていたビニール袋からメロンパンを取り出す。コンビニで買ってきたものらしい。
じっと見ているのがわかったのか、華はつまらなそうに言った。
「誰かのお蔭で、今朝までへとへとだったもので」
お弁当を作っている暇なんてなかった、と。
「……そっか」
ごめんとも言い難く、知尋はただ小さく頷いた。
華が話を切り出す気配がないため、とりあえず自分も弁当箱を開く。食べやすく、お握りと一口サイズのおかずが詰められたものだ。一緒にお絞りも入っていた。
「それ、真里亜ちゃんの手作りですか?」
ちらりと、横目で華が言ってくる。
「いや、李狐の手作り」
「ふうん……そうですか。一口ください」
結局欲しがるのか。
苦笑しつつ弁当箱を差し出すと、華はお握り一つとおかずを少しつまみ、ふぅっと満足げな吐息を漏らした。
「和泉君のために作られたものを横取りしてると思うと、格別に美味しいです」
「……よく、性格悪いって言われない?」
「生憎、人前では猫を被っているので」
しれっと答えて、華は再びメロンパンを齧り始めた。つまみぐいの代わりにパンを分けてくれる……などという様子はない。
諦めて、知尋も食事を開始した。
「……その節はどうも。いただいた屈辱は一生忘れません」
「……それは、ご丁寧に」
「よくもまあ、何度も何度も
華は、なんとなく、どうやっても孕みそうにないな。
などと、良くわからない感想を浮かべつつ、知尋は答えた。
「華が、完全に僕の物になるなら考えるよ」
「ありえませんね」
一刀両断だった。
「それはそうと、夏休み中は定期的にお邪魔してもいいですか」
「……言ってることが矛盾してない?」
「してませんよ。和泉君に従うのはあくまで仮。真里亜ちゃんの身体を味わうための条件ですから」
やはり、彼女の真里亜への執着は尋常ではない。だからこそ取引が成立したわけでもあるが。
「……真里亜の予定が合えば構わないよ。その代わり、僕も遠慮なく抱かせてもらうけど」
「どうぞお好きに。一回も二回も、何十回でも今更変わりません」
「妊娠率は変わると思うけど」
「そうですね。じゃあ避妊薬でも手配しておきましょうか」
奇妙な会話はそこで途切れる。
半ば以上食べ終えた弁当を見下ろしながら、知尋は華に尋ねた。
「……僕のことが憎くないの?」
「はあ? 憎いに決まってるじゃないですか」
何を馬鹿なことを言っているのか、というように華が息を吐く。
「和泉君のことはいつか殺します。でも、それは今じゃありません。とりあえず、今のところは共犯というか、一蓮托生ということで我慢します」
李狐のような強がり……では、ないだろう。
良くも悪くも、華は知尋へ碌に執着していない。恐怖で縛れていないのだから、やるとなったら本当にやる。
「その『いつか』が来ないことを祈るよ」
「じゃあ真里亜ちゃんをください」
……当たり前と言えば当たり前だが、この二人では全く会話が弾まなかった。
食事を先に終えたのは華の方だった。彼女は知尋を待つことなく立ち上がり、そのまま去ろうとする。
「御宿さん」
「はい?」
「体育祭、お疲れ様。午後も頑張って」
「……はあ。まあ、ありがとうございます」
返ってきた声も、目いっぱい素っ気なかった。