高槻愛華との外出は、八月も三分の一を過ぎた頃……知尋と李狐が帰省する直前に決まった。華の説得に時間がかかったことと、愛華と予定を合わせるのに苦労したため、ここまで遅くなった。
「話を聞いているうちに、その高槻さんに興味が出てきました」
最終的に同行を了承した華が告げたのはそんな一言。
愛華の何が華の琴線に触れたのかはわからないが、ひとまず話が進んだことを喜び、また余計なことをしないよう李狐と二人で口酸っぱく言い含んだ。
そして当日。
「おはよう、和泉君」
身軽なワンピース姿で、手には小さな鞄と、それとは別に大きめのスポーツ用バッグ。ふわふわな髪はいつも通りで、愛華は待ち合わせ場所に現れた。
彼女は知尋ににっこりと笑いかけると、その後ろに立つ三人の姿を順に見つめて。
「それから、李狐ちゃんと深海さん……御宿さんも、おはよう」
やはり、いつもの暖かい笑顔で笑いかける。
「う、うん」
「……ええ、おはよう、高槻さん」
「どうも」
李狐が少々気後れした様子で答え、真里亜が一瞬遅れて丁寧な笑顔で返す。華はどうということもなく、一歩距離を取った場所からぺこりと頭を下げた。
彼女達もまたそれぞれ思い思いの私服姿だ。
真里亜は黒、華は白のワンピース姿で、李狐はシャツとデニム地のショートパンツにいつものチョーカー。ちなみに知尋は、事前に李狐に見立てて貰ったコーデに身を包んでいる。
「じゃ、行こっか」
「そう、だね」
そっと促してくる愛華に頷き、知尋は歩き出す。
五人が目指す場所はプールだ。近隣で『二番目に』大きい施設で、最寄り駅の駅前で待ち合わせた。一番大きな施設を避けたのは、この時期だと間違いなく混むからだ。
……まあ、二番目でも大して変わらないかもしれないが。
行き先がプールに決まったのは主に知尋の発案。愛華からは特に希望がなかったため、李狐達の希望を聞きつつ選択した。
決め手は主に時間と予算。
海に行くとなると結構遠く、日帰りは現実的でなくなる。誘った以上、愛華の分は知尋が持つつもりだったが、宿泊費まで出すのは恥ずかしながら少々厳しい。
山は、逆に学園の最寄り駅から簡単に行けるが、だからこそ有難みに欠ける。また、あの山はイメージ的にもうちょっと大人が趣味で登るイメージがある。
花火大会や肝試し。この面子で行ったらムードも何もないし、華がいる以上暗がりは少々危険だから避けるに越したことはない。
というわけでプールに決まったのだが。
現状、愛華は上機嫌だ。
メールで予定を調整する際も特に文句は出ず、「楽しみにしている」と書いてくれていた。実際、今もにこにこと知尋の隣を歩いている。
ただ、それだけに不安もある。あまりにも静かすぎるのだ。
終業式の教室で見せた姿はどうなったのか。真里亜達と対面した内心はどうなっているのか。
心を覗いてしまいたくなるが、今それをするのは悪手だと思う。
きっと、後ろの少女達は知尋以上に居心地が悪いはず。
ちらりと後ろを振り返る。
三人はそれぞれ微妙な緊張感を漂わせながら、知尋と愛華の後をついてきていた。
とりあえず華が大人しいことに安堵すると、隣から声。
「李狐ちゃん達が気になる?」
「え。あ、うん」
「そうだよね。和泉君の奴隷なんだもん」
奴隷、という物騒な単語が、愛華の口から漏れたことにびくっとする。
愛華の表情は殆ど動いていない。
なのに、彼女から受ける印象が「あの時」と同じものに一変した。
「皆、
「う、うん」
「そっか。約束、守ってくれたんだ」
言うと、愛華は謎のプレッシャーを霧散させた。
すると残るのは優しく柔らかな、ごく普通の少女の姿だけ。
「あ、もうすぐだね」
何事もなかったように言う愛華に、知尋は思わず恐怖に似た感情を覚えてしまった。
ともあれ。
五人は施設の入り口に到着。利用料金を支払って中へ。更衣室は男女別々なので、ここで愛華達と分かれる。
大丈夫だろうか。
女子更衣室で交わされる会話は、知尋には聞こえない。干渉することもできない。少し不安になりながらも服を脱ぎ、水着に着替えた。
男の着替えは大して時間がかからない。
貴重品を取られないよう、ロッカーの施錠だけはきちんとしてから更衣室を出た。さすがにまだ愛華達は来ていなかった。
入り口付近で待ち合わせと伝えてあるので、しばらく待つ。
ただ待つのも芸が無いかと思って、施設内で営業している屋台を見てみる。かき氷やドリンク類をここで摂取するのは微妙。あまりお腹にたまり過ぎず、みんなで分けられそうなもの。
フライドポテトの屋台を見つけて一つ買い求めた。
戻るとちょうど愛華達が顔を出した。また緊張感が増している気がするのは気のせいだろうか。
「あ、知尋。なんか食べてる!」
と、知尋に気づいた李狐が、目ざとくポテトを見つけて駆け寄ってくる。とりあえず差し出してみると、にっこり笑って一本を袋から取り、口に放り込んだ。
「ありがと。割と美味しいね、これ」
「そっか。良かった」
そこへ愛華も歩いてくる。
「和泉君。私も貰っていい?」
「うん。もちろん」
「ありがとう」
更に真里亜が「じゃあ、私も」と手を伸ばし、華も「私だけ除け者にしないですよね?」とポテトを持っていく。
気付けば残り一本になったポテトを摘まみ、知尋は紙袋を近くのゴミ箱に放り込んだ。
そこでようやく、少女達の姿をまじまじと見つめる。
四人がそれぞれ、思い思いに自らの身体を華やかに飾っていた。
真里亜は黒のワンピースタイプ。露出が少ないのは意外だが、水着に包まれた艶めかしい肢体を見ると納得する。これでビキニなんて着たら男性の視線を集め放題で、きっと遊ぶどころじゃなくなる。
李狐はライムイエローのツーピース。布面積が薄い割に色は地味めで、結果、活動的な印象が強くなっている。髪の色ともマッチする、彼女らしいチョイスだ。
華の水着は白と黒のツートンカラーで、ツーピースにひらひらしたスカートが付属したタイプだった。可愛らしさと露出度の低さ、両方とも諦められなかったのだろうか。
……李狐と華のお腹には奴隷の刻印も見えるが、小さいため案外目立たない。紋様が複雑すぎることも手伝って、他人にはただの痣にしか見えないだろう。
そして、愛華はツーピースで、ごく薄いピンク色の水着だった。
もう少し濃いと途端に「あざとさ」が増すところ、敢えて薄い色に抑えている。
彼女は真里亜ほど男好きする身体ではない。また、李狐ほど健康的ないやらしさもないし、華ほど華奢でもない。だからこそ普通の女の子らしさがあり、それが彼女の雰囲気とマッチしている。
思わず言葉を失ったまま硬直すると、愛華がほんのり頬を染めながら口を開いた。
「どう、和泉君?」
「一人分ずつ感想を言っていいですよ」
追い打ちをかけたのは華。
不遜な表情を見れば、知尋を困らせるつもりなのはすぐにわかった。
李狐や真里亜も助け舟を出してくれそうにはないので、仕方なく恥ずかしいのを我慢して言葉を紡ぐ。
「……ごめん、見惚れてた。真里亜は綺麗だし、李狐は可愛い。御宿さんは優雅で、高槻さんは……なんていうか、すごく安心する感じ」
言葉にしづらい想いを、敢えて一言ずつに纏めた。
四人の反応が怖くて顔を見づらかったが、思い切って様子を窺うと、少女達はそれぞれ顔を見合わせて笑っていた。
一部、苦笑が混じってはいたが。
「よし、許してあげる。じゃ、行こっか」
李狐が知尋の肩を両手で押してプールへの移動を促した。
「それで、こういう所はどうするものなの?」
固まって移動する最中、真里亜がよくわからないというように一同へ尋ねた。
きっと、こういう場所に友人同士で来るのは慣れていないのだろう。
「ええと。僕も良くは知らないけど……」
こういう大型のプール施設では基本「泳ぐ」というより「水を楽しむ」遊び方になる。どうしたって人が多く、まともに泳ぐには不向きだからだ。
人にぶつからないよう注意できるなら――背泳ぎとか浮き輪とか――短い距離は泳げるだろうが、フィットネスクラブの室内プールのように25メートルまっすぐ泳ぐのは諦めた方がいい。
「なるほどね。のんびり涼を取る方向で考えましょうか」
「別に皆で固まってる必要もありませんよね。集合時間だけ決めてバラけません?」
「うん、いいじゃないかな」
真里亜が頷けば、華が身も蓋もない提案をし、愛華が穏やかに同意する。
そうと決まれば、とばかりに華が真里亜と離れていく。今は午前十一時過ぎなので、二時間後の午後一時に待ち合わせとなった。
「じゃ、あたしも適当に泳いでくるね」
「う、うん」
あっという間に李狐も離脱を宣言。
……これ、一緒に遊びに来る意味あるのかな?
と、言い出しっぺながら知尋が考えていると、李狐が近づいてきて短く耳打ちする。
「頑張ってね、知尋」
「え」
言葉の真意を問う暇もなく離れていく李狐。
残されたのは知尋と……愛華。
「じゃ、のんびり回ろっか」
この状況をどう思っているのか、彼女はおもむろに知尋の手を取るとにっこり笑った。
もちろん、拒否はしなかった。
二人が辿り着いたのは広く、適度な深さがあって流れのない――つまりはごく普通のプールだった。小さい子供には深いのと、別の場所にスライダーや流れるプールがあるせいか、ここは比較的空いている。
愛華は知尋の手を引いたまま回り込み、特に人気のないあたりで止まるとプールサイドに腰かける。
ちゃぷん。
少女の健康的な生足が水に浸かり、小さな音を立てた。
「あ、冷たくて気持ちいい」
歓声を上げると、愛華はそのままぱしゃぱしゃ両足をばた足させる。
「泳がないの?」
「うん。この間、十分楽しんだから」
答えながら、仕草で座るように促してくる。
知尋は頷き、そっと愛華の隣に腰を下ろした。
「あ、本当だ。気持ちいい」
「でしょ?」
愛華に倣って足を伸ばすと、せっかくの美しい光景にノイズが走るのが気になった。
なかなか筋肉がつかないのは脚も同じだが、さすがに愛華達と比べると骨太だし色も違う。そもそも比べるのが間違いだとわかっていても、こういう時はどうしても気後れする。
やっぱり、知尋にとって女の子――中でも愛華は特別なのだ。
「高槻さん。この間、って?」
「あ、うん。この前ね、神代君達と海に行ったの。そこで思いっきり泳いだんだ」
そう言えば終業式の後、神代と舞阪がそんな話をしていた。
『皆まで言うな。お前が誘って欲しい子はわかっている!』
あの流れから舞阪が誘う相手といえば当然、愛華に決まっている。
彼らの計画も無事、実現したということか。
「私と神代君、舞阪君と……それからA組の湯瀬さんって子」
朱香も一緒だったらしい。
それは予想外だが、これも舞阪の差し金と考えると納得がいった。面白いから、とか言って気軽に場をセッティングしそうだ。
何かにつけて朱香に絡まれ困惑する神代を想像し、知尋はふっと笑みをこぼした。
すると、それを見た愛華が眉を顰めた。
彼女は水面に視線を落としながら言葉を続ける。
「ちなみに、一泊二日のお泊りだったよ」
「………」
そこまで言われれば、愛華の言いたいことがさすがに分かった。
しかし、湧き上がった想いをそのまま口に出すのは憚られる。だから代わりに別のことを尋ねた。
「神代君と、何かあったの?」
期待した返事は、ノー。
「うん、あったよ」
実際の返答はイエスだった。
足で水面を揺らしながら愛華が教えてくれたのは、海水浴の夜に起こった出来事。
舞阪が大浴場で長居している間に、愛華は神代から男子部屋のテラスへ誘われた。そこで、浴衣姿の二人は静かに話をしたらしい。
『私のこと、今でも好き?』
『……ああ、好きだよ。気持ちは今も変わってない。いや、前よりも強くなってる』
愛華の問いかけに、神代は顔を赤く染めながら、しかりはっきりと答えたという。
『私をひとりじめできたら、神代君はどうしたいの?』
『高槻さんの傍にいたい。高槻さんに、俺の傍に居て欲しい』
それは事実上の再告白だった。
今度は誰かに聞かれることもなく、ムードも申し分なし。
前回のような条件も付いていない。
「高槻さんは、なんて?」
もしもOKしたのなら、その場で二人は恋人同士だ。
今の愛華はもう神代の彼女……他人のものということになる。
知尋の問いに、愛華は首を横に振った。
「……答えられなかった。ありがとう、嬉しいって言って」
今は考えられない。
だから、またいつか告白して欲しいと答えた。
「そう、なんだ」
正直言って、ほっとした。
断ったわけではなく『保留』だが了承したわけではない。それを知尋は嬉しいと感じた。
「でも、どうして?」
神代ほどの人物はそういない。
容姿も個人の身体能力も、『落とし物』としての性能も。どれを取っても申し分なく、性格だって真っすぐで礼儀正しく心優しい。
彼に告白されて嬉しいと感じたのなら、OKしない理由なんてそうないだろう。
まして、愛華は一度彼の告白を了承しかけていたのだから。
ぱしゃ。
愛華の足が水面を強く叩き、しぶきが知尋の顔まで飛んだ。反射的に目を閉じると、そこへ静かな声が飛び込んでくる。
「だって、別の子の顔が浮かんで離れなかったんだもん」
「え」
思わず身体ごと振り返って愛華の顔を覗き込もうとして。
どん。
背中を強く押され、知尋は顔面からプールへダイブしてしまった。
ごぼ……ごぼごぼ。
空気を求めて水を吸い込みそうになるのを堪え、逆に息を吐き出す。崩れた身体のバランスを取り戻せば、もともと足が着く場所だ。立ち上がって顔を出すのは造作もなかった。
「っぷは!」
空気が美味しい。しばしそのまま何度か呼吸し、
くすくす。
笑い声に顔を上げると、軽く足を開いた愛華の股間と、知尋を見下ろす彼女の顔とがそこにあった。
「高槻さん、いきなり何を」
「ねえ、和泉君」
真剣な声。
ほんの一瞬で、愛華は笑顔から知尋を試すような表情へと変わっていた。
軽く細められた目から伝わってくる感情は、選択を迫る強い意志。
「私が欲しかったら、李狐ちゃんと深海さん、御宿さんの三人と別れて」
高槻愛華は、無回答や保留を許さない形で、知尋へ残酷な願いを突き付けてきた。