「どういう、こと?」
愛華が困惑気味に目を瞬いた。知尋はそれを見つめながらゆっくりと説明する。
「……やっぱり、あの言い方は高槻さんらしくないと思う。だから、僕は高槻さんがあんな提案をしたのが許せない。そして、これから似たようなことがあるのも嫌だ」
知尋の知っている愛華はもっと優しくて、穏やかで自然体だ。
だから、相手の感情や周りへの影響を無視して望みだけを突きつけるような真似は、彼女らしくないと感じる。
「そんなの、和泉君の勝手な決めつけじゃ」
「わかってる。だから、これは僕の我が儘だよ」
従う必要はない。
同時に、愛華の良心に訴えかける手段であるのも事実。
もしこれで知尋の言葉を気にしてしまうようなら、やっぱり愛華にはああいうやり方は似合わない。
少女は、言われた言葉をぐっと噛みしめて。
「別の条件を出せってこと?」
「できれば。……もしくは、高槻さんがどうしたいのか、自分で決めて欲しい」
はあ、と深いため息。
「そんなの、男の子だからって勝手すぎるよ。自分は何人もの女の子と付き合っておいて、私とも付き合いたいなんて」
恋人同士とは対等なもの。
なら、自分だけを見て欲しいと望むのがいけないことなのか、と。
愛華が告げた数秒の後。
ことん。
アイスティーのグラスがテーブルに置かれ、華が静かに告げる。
「和泉君に付き合っている女の子はいませんよ。いるのは奴隷だけです」
「……そんなの一緒でしょ?」
愛華が横目で睨むも、華は平然と答えた。
「違いますよ。だって、主人と奴隷は対等じゃないです。高槻さんは恋人が雌のペットを飼っていたら嫉妬するんですか?」
「人と動物を一緒にしないでよ」
「一緒ですよ。所有する側とされる側という意味では」
暴論だが、ある意味正しい指摘でもある。
知尋と真里亜、李狐、華との関係は、実際そのくらい極端に表さなければ理解されづらいかもしれない。
はっ、と。
華が鼻を鳴らして言葉を続ける。
「勝手なのは高槻さん、あなたも同じじゃないですか? 二人の男の子を天秤にかけながら、片方の男の子を脅しているんですから」
「っ」
身を震わせた愛華が華を睨んだ。
華は悠然とその視線を受け止め――
「え」
愛華がぽかんと口を開けた。
「今、私の」
「はい。あなたの治癒能力を奪いました」
一同が話に気を取られた、その隙を突いての犯行だった。
考えてみると、愛華が華の能力をはっきり把握していたかどうか怪しい。体育祭で華の能力は広く周知されたものの、詳しい条件を知っている人間は限られる。
迂闊だった。
しかし、何故今このタイミングで。
くすり。
「……少しは頭、冷えました?」
「……あ」
華が笑み、愛華が胸に手を当てる。
おそらく治癒の能力が返還されたのだろう。
「私、焦り過ぎてたかな」
「ええ。性格悪いのが丸見えになってましたよ」
ドヤ顔の華を見て李狐が「人のこと言えるのかな」と小さく呟いたが、幸いそれが華に伝わることはなかった。
コンコン。
個室のドアがノックされ、サラダや一品料理が運び込まれた。ここで話はいったん中断となり、一同はひとまず食事を始めることにした。
シーザーサラダにシーフードサラダ。フライドポテトとフライドオニオンの盛り合わせ。トマトとチーズのカプレーゼに手羽元の唐揚げ、エビチリ。
それからメイン料理として牛フィレ肉のステーキにボロネーゼ、ビーフシチュー、サーモンのムニエルに海老グラタン。
更にスープやライス、パンまで並べられ、テーブルは見る間にいっぱいになった。
「こんなに食べきれるかしら」
「大丈夫でしょ。個室なら多少長居しても平気だろうし」
不安そうな真里亜に対し、李狐はあっけらかんとした声。
結果的には李狐の言う通りになった。知尋も他の四人も柴鳳の生徒、アスリート程ではないにせよ身体が資本で、一般的な高校生よりは良く食べる。というか、食べないと普段身体が持たない。
後は、この店が基本的に飲み屋であるせいか、一品ごとの量がやや少なめに設定されていたのも要因か。
最終的には追加注文するか、なんて声も出た程である。
「さすがにもういいです。それよりデザート頼みません?」
「おっけ。じゃ、そうしよ」
店員を呼びデザートを注文。一応、知尋も少女達に混じってチーズケーキを頼んだ。甘い物も割と好物なのだ。
「あの、和泉君」
そして愛華が再度口を開く。
彼女が、食事をしながら色々考えていたのは知っている。李狐や華が遠慮なく言葉を交わし合う中で口数が少なかったからだ。
だから知尋も静かに頷く。
「……うん」
「考えたの。確かに、私もちょっと焦ってたっていうか、でも、やっぱり和泉君が李狐ちゃん達を奴隷にしてるっていうのは納得できない」
それも普通の感性なら当然だ。
しかし、続いた言葉はかなり常識外れだった。
「だからね、私と勝負しよう。私が勝ったら和泉君が、和泉君が勝ったら私が、相手を優先して考える。どうかな?」
さすがに、この提案を断る選択肢は知尋にはなかった。
……ただ、突然の話と、それによるプレッシャーのお蔭で、運ばれてきたチーズケーキの味はよくわからなかった。
☆ ☆ ☆
勝負は翌日、柴鳳学園の個室訓練場で行われることになった。
午前十時過ぎ。剣道の試合範囲よりやや広い個室へ集まったのは真里亜、李狐、華。わざわざ宣伝するような話でもないため、完全に昨日と同じメンバーだった。
知尋と愛華は、どちらもトレーニングウェアに体操着を併せた姿。二人ともそれぞれ更衣室で着替えてきた。
十分な距離を取って向かい合ったところで、知尋は愛華に尋ねた。
「時間無制限で、急所への攻撃はなし。素手のみ。自分で参ったと言うか、ダウンしたままテンカウントで負け……って、ところでいいかな?」
「うん、いいよ」
概ね標準的なルール設定だ。
ただし、知尋が神代と行ったような「完全にガチの真剣勝負」よりはだいぶ軽い。
加えて言うと、むしろ知尋より愛華に有利な設定でもある。何しろ愛華には格闘技の経験があるのだから、徒手空拳は望むところ。
しかし、流石に女の子相手に自分だけ武器を使うのはフェアじゃない。
これは別に憎い相手との私闘ではないのだから。
「知尋」
壁際に立つ少女達のうち、金髪の少女が小さく声を上げた。
不安げなその表情に、知尋はそっと微笑みを返した。
「大丈夫」
……真里亜や李狐からは、この戦いについて反対された。
『これって、譲ったように見えるけどさ』
『ええ。不公平だと思うわ』
一対一の白兵戦では、知尋の能力は殆ど生かせない。
最も役に立つのが読心で、睡眠促進は間接的に役立つだけ。支配に至っては何の意味もない。
対する愛華は戦闘中に自身を治癒できる。真里亜ほど効率は良くないが、上手く使えば男女の体力差を覆すだけのポテンシャルはある。
真剣勝負ならチーム戦を提案すべきだと言われたが、知尋はそれを却下した。
『これは僕の我が儘だから』
我が儘で始めた以上、自分で何とかするべきだ。
そして、ここで女の子の手を借りるのはさすがに格好悪すぎる。
譲らない知尋を後押ししたのは華だった。
『いいんじゃないですか? 和泉君が負けても、私的には何の問題もありませんし』
知尋が負ければ、三人との奴隷契約は解除される可能性が高い。
だから、華はむしろ望むところだと言わんばかりだった。
……しかし、負けるつもりはない。
知尋は愛華を見据えて告げた。
「高槻さん。悪いけど、無茶するよ」
「……駄目、って言いたいけど、駄目だよね」
二人の間に緊張が高まる。
開始の合図は華が引き受けてくれた。
「――始め!」
先に動いたのは愛華だ。
躊躇なく真っすぐに進んでくる。視線は知尋の首筋あたりに向いており、身長差もあって視線を合わせることは難しい。
目を見るよりは知尋の動きを察知しづらいだろうが、身体を見ていれば十分把握は可能ということだろう。
「――やっ!」
蹴りが来る。回し蹴り――いや、後ろ回し蹴り。
前に対戦した時も使われた。一つ覚えという言い方もできるが、呼吸を捉えづらいこの技は知尋には有効だ。
ガードした腕に衝撃。
体重を乗せた一撃は決して軽くはない。
一歩下がると、その間に愛華も体勢を立て直す。踏み込みながらの前蹴りを、やはり腕でガードする。
「まだまだ!」
続けて蹴り技の連続が来た。
蹴りは拳に比べると大振りになりがちだが、しっかり腰を入れて放たれるそれは威力が大きい。守りに入った今がチャンス、と見ているのだろう。
実際、前蹴りや回し蹴り、後ろ回し蹴りを織り交ぜたコンビネーションは間に割って入りづらい。インパクトのタイミングもそれぞれ違うため下手に気を抜けず、ガードを解くに解けなくなる。
そして、いくら防いでも攻撃を受ければダメージは蓄積する。
少しずつ、身体に疲労がのしかかる。
どうやら連撃での短期決戦が愛華の狙いらしい。
やはり、読心の力はそれなりに警戒されている。
『早めに勝負を決めないと、和泉君には全部読まれちゃいそうだから』
かつて、愛華自身に言われた通りだ。
あの時は彼女の思惑通り、無理矢理に押し込まれてしまったが――今回は。
……はあっ。
数分後、愛華が飛び退くように距離を取った。
特に知尋が何かしたわけではない。
ただ、
「和泉君、前より体力ついた?」
「……一応、暇を見て訓練してるからね」
攻める愛華の側にも疲労は溜まっているということだ。
知尋が焦らず防戦一方を貫いているせいで、どの攻撃も決め手にならず手数が増えてしまっている。
愛華だって訓練していないわけではないだろうが、彼女には校医の手伝いという役目もある。運動がメインではなく、また男女の差もある。
時間がかかれば、スタミナの問題で知尋が有利だ。
「っ」
短く息を吐いた愛華が再び向かってくる。
今度は、知尋も守りに徹さずに動いた。読心に頼らず、目で愛華の動きを追いながら右の拳を全力以上で繰り出す。
どんっ。
重い衝撃が知尋自身の腕にまで伝わる。
愛華は知尋の拳を腕でガードしたものの、それでもダメージから身体を揺らした。知尋は拳がズキズキと痛むのを感じつつ一瞬安堵し。
「……やあああっ!」
だんっ。
強く床を蹴る音が室内に響いた。
ぎゅっと握られた愛華の右拳が知尋に迫り、回避する間もなく腹に突き刺さる。回し蹴りを上回る重みに数歩、知尋は後退せざるをえなかった。
――今のは。
同じことをやり返されたのだとすぐにわかった。
真里亜だけでなく、愛華までも。
「……あはは。こんなの、やっぱり普通にやっちゃ駄目だよ」
言いながら、愛華は左手を自身の右手に当てていた。小さく漏れる光が治癒能力の発動を示している。
「高槻さん……」
技自体は誰にでもできる。
自己治癒を持つ真里亜と相性がいいように、愛華もあの技に比較的、適性があると言えるが、しかし、まさか彼女が使うとは思わなかった。
これは、意地か。
愛華も譲れないものがあるからこそこの勝負を挑んだ。そのために形振り構わない覚悟をしているのだ。
愛華が治癒を終えるまでの時間を、知尋は自身を落ち着かせることに費やした。
どのみち先程のダメージのせいで即座に動くのは難しかったし、右拳の痛みを少しでも和らげたかった。
そして二人は再び動き出す。
「……やっ!」
愛華はまたも後ろ回し蹴り。
さすがにタイミングは計れるようになってきたため、知尋はそれを難なくガード。
ずん。
先程までより重い衝撃が腕に走った。インパクトと共に愛華が顔をしかめたところを見ると、蹴りまで全力以上で放ったのか。
――もう、決めてしまおう。
真剣勝負とはいえ、これ以上愛華が自分を痛めつけるのは見たくない。知尋は固めた拳を再度振るった。
「ぐっ……!?」
ぎりぎりで防がれる。
右腕に当てたため、これで愛華も右拳での攻撃は難しいか。
そして、それは知尋も同じ。
……もう一撃。
今度は左手を振りかぶり、先程よりも大振り気味に殴り掛かる。
と。
愛華が紙一重で攻撃をかわした。それだけでなく、彼女は知尋の身体の外へと回り込みながら、自身の左手で知尋の腕を掴む。
「えっ……」
一瞬、呆気に取られたところで愛華は完全に知尋の背後へ。
左腕から離れた手はそのまま持ち上がって知尋の首へ。ぐっと力が籠められ、更に右腕も回されて力強く絞められる。
密着した胸の感触など気にしている暇はない。
「降参して、和泉君」
低めの声が耳元から聞こえた。
降参しなければこのまま絞め落とすというのだろう。
愛華が習っていたのが打撃系の格闘技なら、関節技は本領ではないかもしれない。となると手加減の具合も不明で、下手をすれば命に関わる可能性もある。
今ならまだ声は出る……が。
「生憎だけど、できないよ」
「……危険だよ。もし死んじゃったら、私も治してあげられない」
「それでもだよ」
首絞めには少し特別な思い入れがある。
『西崎さんにしたいこと、全部私で試して?』
『西崎さんって堪え性ないんだね』
真里亜は知尋の首絞めを長時間耐えてみせた。
首を絞められ音を上げた李狐を、知尋は嘲笑った。
だから簡単には降参できない。
――それに、今度こそ我慢比べで負けたくない。
「知らないよ」
「高槻さんこそ」
愛華がかすかに怯んだ隙を突き、知尋は愛華の足へ靴の踵を叩きつけた。
「っ!?」
腕の力が緩む。しかし手放すには至らない。
もう一度足を踏もうとすれば、愛華の方から腕を離してくれた。
げほげほと咳き込みながら振り返る。涙に染まる視界で見れば、愛華は数歩の距離からじっと知尋を見ていた。
「まだ、やるの?」
「……もちろん」
ぐっと左手を握る。呼吸を整えるにはしばらくかかるが、振り回して時間を稼ぐくらいはできる。
……はぁ。
愛華が溜め息をつく。彼女は真っすぐに知尋を見つめたまま走ってきた。
「……っ」
知尋は左手を振り上げ――しかしすぐに戻してガードの形を作った。
飛んできたのは回し蹴り。
極めてオーバーなアクションから放たれた、本日最大の威力を持ったそれを、なんとか受け止める。
痛い。
左腕が悲鳴を上げている。これでは拳で戦うのはもう無理か。
「……どうして」
そこで。
愛華が小さく呻いて、ぺたんと床に座り込んだ。
「どうして、攻撃しなかったの」
知尋には、愛華の最後の攻撃は読めていた。彼女が真っすぐ目を合わせてくれたおかげだ。
強力な回し蹴り。
前もってわかっていたのだから回避も……そして、攻撃のモーション時無防備になる身体へ拳を叩きこむこともできたのだが。
「高槻さんのお腹を傷つけるのが怖かったから」
ぴくりと愛華の眉が動く。
「負けるつもりだったの?」
「違うよ。……大事な人だから、高槻さんが欲しいから、そうしたんだ」
実際、繰り出された渾身の蹴りは防いだ。
知尋はまだ戦える。両腕はぼろぼろだが、逆に言えば蹴りはまだ使えるのだ。
「……そっか」
対して愛華は座り込んだまま。
どこか呆然と知尋を見上げ、彼女は告げた。
「……参りました。私の負けだよ、和泉君」
少女自らの敗北宣言だった。
ギャラリー達――華が落胆のため息をつき、李狐が複雑そうに眉を顰める。真里亜はふっと小さく微笑んでいた。
知尋は、すぐには状況を受け止めきれなかった。
「いい、の?」
間の抜けた表情でそう尋ねれば、むっと頬を膨らませて睨まれた。
「何度も言わせないでよ。私の負け。和泉君の勝ちだよ」
言った愛華の瞳に涙が浮かぶ。
彼女はそれに少し驚いた後、にっこり笑って涙を拭った。
そこへ真里亜達が歩み寄ってきて、知尋と愛華の試合は終わった。