番外編 切なさが溢れて /高槻愛華 ★
一人暮らしは初めてだ。
中学時代の友達からは羨ましがられ、両親からは愛娘が手元から離れることを必要以上に心配された。
どちらも等しく嬉しかったが、愛華が寮生活で大事にするよう心がけたのは友達ではなく両親からの言葉だった。
生活は規則正しく。
夜、遅くなってからの外出は控えること。
食事はなるべく自炊して、栄養バランスに気をつけること。
体調が悪い時は無理せず休むこと。
四月に柴鳳学園へ入学し女子寮での生活を始めて以来、愛華はそうした心得をできるかぎり守るようにしてきた。
休みの日でも平日と同じ時間に寝起きした。
宿題や課題やなるべく帰ってすぐ片づけ、後回しにしなかった。
学校帰りにスーパーで買い物をして食材を揃え、料理の勉強がてら色々な料理に挑戦した。
一方で友達付き合いも疎かにしないように心掛け、おかげで皆とも仲良くやれていると思う。
充実した高校生活を送れている。
柴鳳学園は私立だけど学費は安いし、『落とし物』には国から助成金も出る。Cランクとなると馬鹿にできない金額になるので、両親にお金の面で心配をかけることも少ないはずだ。
なのに――。
「はぁ……」
最近の自分はおかしい。
節度ある生活を心がけているのに、不満なんてないはずなのに。
「やっ……ん……」
ちゅ……ちゅぷ……。
夜。
食事や入浴、明日の支度などは全て済ませ、後は寝るだけという時間。
パジャマ姿でベッドに上がった愛華は、ここのところ頻繁に繰り返している『遊び』を今日も始めてしまった。
高まった性的欲求を一人で解消するための行為。
自慰行為――もっと俗っぽい言い方をするのであれば『オナニー』である。
「ふぁ……」
ちゅぷ。
左手の中指と人差し指を揃えて立て、口に含む。
相手の唇、舌に見立てたそれに舌を絡め、唾液をまぶし、水音を立てながら出し入れする。
キスをしている。
唇を合わせるだけじゃない、舌と舌を絡める淫らなキス。
そう思うと身体が興奮に包まれていく。
甘い痺れが思考を鈍らせ、代わりに衝動が溢れてくる。
いけないことなのに。
止められない。止めたくない。
もっと欲しいと思ってしまう。
「あぁ……」
指を引き抜く。
唾液をまぶされ糸を引くそれをぼんやり見つめて息を吐いた。
……あの時、李狐ちゃんは次に。
薬指を増やし、三本の指で三角形を作った。
幅は変化ないものの太さを増したそれを再び口に近づける。
……まずは先端にキス、して。
指の部分や根元にも口づける。
ただ自分の指にキスしているだけの、傍から見れば馬鹿みたいな行為だけれど、この部屋には他に誰もいない。
カーテンもしっかり閉じているし、誰にも見られる心配はない。
……舐める、んだよね。
舌を突き出して指の唾液を舐めとる。もちろん味は殆どなく、強いて言えば汗の味が少しするだけ。本物の『あれ』はきっと無味無臭とはいかないのだろうが。
同い年のクラスメート――李狐は美味しそうに舐めていた。
はぁ、はぁ……。
荒く息を吐きながら、今度は指をしゃぶる。
赤ん坊のように。
はしたない、女の姿を晒すように。
ぷはっ。
数分も唇で指を愛撫したあとで吐き出した。
残念ながら、と言っていいかわからないが、体液の放出までは再現できないので次に移る。
「あぁ……」
待ちきれない。
ようやく触れる、と恍惚に酔いしれながらパジャマのボタンを外す。
わざとブラを着けていなかったため、パジャマの下は裸だ。愛華は上のパジャマをはだけたまま、ゆっくりと自らの身体に手を伸ばした。
上半身のあちこちを両手で撫でる。
「んんっ」
それだけで背筋にぞくぞくとした刺激が走る。
あの行為を見た時は、ただ撫でるだけで気持ちよくなるなんて信じられなかった。でも実際にやってみたらわかる。
優しく撫でることで感じるくすぐったさ、それが期待と興奮によって快感になり、愛華を蕩けさせるのだ。
逆に言うと、興奮していなければただくすぐったいだけなのだが。
あの時の、李狐の表情。
そして『彼』の手つきを思い出すと否応なく興奮してしまう。
……あんなもの見せるなんてどうかしてる。
見たいと言ったのは愛華なのだが、そのせいで『こんなこと』をしていると思うと恨みがましい気持ちも湧いてくる。
自慰なんて欲求不満を解消するための行為で、そう頻繁に繰り返すものじゃない。
でないとまるで中毒症状――すればするだけ泥沼に嵌まる禁忌に手を染めているようではないか。
「和泉君……っ」
『彼』の名を呼ぶ。
最近気になっている男の子。
女の子みたいに可愛い顔をしているのに、一生懸命で、意地っ張りなところもあるらしい少年。
愛華のことが好きだと言っておきながら、愛華の前で李狐を抱いてみせた彼。
……李狐は彼の奴隷で、彼は李狐のご主人様らしい。
正直、愛華にはその関係性は理解不能だ。
セックスは心を許した相手とするもので、セックスするような相手がいるなら相手に恋愛関係を求めるのは当然のことだ。
なのに、李狐は知尋と付き合わないと言い、更には。
『あたしは高槻さんが和泉とどうなっても構わないし』
わけがわからない。
……李狐ちゃんは私が和泉君とそういうことしても本当にいいの?
「私が、和泉君と……っ」
想像したら顔から火が出そうになった。
――ベッドに寝そべった知尋に跨る自分の姿。
そんなの他の誰とも想像したことなかったのに。
神代に告白された時、想像したのはキスと、手を繋ぐ想像。
でも、知尋との想像はそれらを軽く飛び越える。
どうしてなのだろう。
……わからないよ。
あんなこと言われたせいだ、と。
自分で自分の胸を揉み、乳首を弄りながら思う。思考に耽るうちに手つきが荒くなるが、それをどうこう思う余裕はない。
『高槻さんを抱きたい』
あんなこと、他に人がいるところで。
いや、二人っきりの場所だったとしても言うことじゃない。
なのに。
知尋が李狐を抱いたあの映像が頭に浮かび、嫌悪感以外の羞恥や興奮をも呼び出してしまう。
……全部、和泉くんのせいだ。
鬱屈した想いを指に籠める。
「あ、ああ……っ」
自分の気持ちいいポイントは自分でわかる。だから指でそこを重点的に刺激するが、一定以上の刺激が加わるとどうしても手が止まってしまう。
無意識のリミッターが働くように、快感があるラインから増えてくれない。
これまで何度かしたオナニーもそうだった。
……李狐ちゃんは、あんなに気持ちよさそうだったのに。
李狐は、知尋の愛撫で絶頂した後、騎乗位でセックスしていた。
「………っ」
愛華は左手を持ち上げ、指でまた三角形を作った。
それをじっと見つめた後、首を振って薬指を外す。そうして指をパジャマの中、やはり下着をつけていない股間に潜り込ませる。
つぷ。
「やぁっ!」
思わず大きな声が出た。
年頃の女の子ばかりということで、寮の防音はそれなりにしっかりしているが……だからといって大声を出せば隣や上に聞こえかねない。
異性に聞かれる心配がないのが幸いだけれど、同性でも嫌なものは嫌だ。
気をつけようと、守れるか微妙なことを思って再び指を動かす。
濡れた股間に指の唾液を塗り付け、単調に出し入れするだけの動き。
それでも乳首を弄るよりはずっと気持ちいい。
……そう、気持ちいいのだ。
知尋と李狐のセックスもそうだった。
二人の間には愛情もあるようだったが、それでも恋人同士のセックスではない。互いに気持ちよくなるためのセックス。
それだけにはしたなくて、淫らで――。
「駄目……っ」
止まらなくなる。
愛華はパジャマを完全に脱ぎ捨てると、秘所に入れた指の動きを速めた。
小刻みに指を前後させ、その動きを邪魔しない程度に腰を動かす。李狐の騎乗位の動きをオナニーで再現するように。
「あっ、あ、あぁんっ」
声が我慢できない。
もしかしたら自分はとんでもなくいやらしい子なのではないか、そう自己嫌悪するも、興奮しきった頭には何の効果も与えてくれない。
もっと、もっと、気持ちよく。
……李狐ちゃんみたいに。
「っ!」
やがて、びくんっ、と強く身体が跳ねた。
不意の強い快感の波が収まると、倦怠感と幸福感が身体を襲う。また、急に指の疲れが意識に上り、これ以上動かすのが億劫になった。
……今のが、イクってことなのかな。
きっと、違うだろう。
李狐はもっと気持ちよさそうだった。何もかもどうでもいいというように乱れ、涎を垂らして腰を振り、もっとがくがくと身を震わせていた。
愛華はあの境地に一度、辿り着くことすらできないでいる。
「……和泉君と李狐ちゃんのせいだ」
一応、性欲は収まってくれたが。
微妙な残り火を抱えたまま、愛華はパジャマを着直し――ベッドへ横になった。
……あ、手、洗わないと。それに目覚ましもセットしてない。
まあ、いいか。
もう疲れて動きたくないし、今日は終業式だったから明日からは夏休み。ちょっとくらい寝坊したからって罰は当たらない。
今まで自分に強いてきた習慣をあっさりと手放して。
愛華はどこか心地よい疲れに身を任せた。
知尋達とは夏休み中に会うことになっている。
その時、一緒にした約束を知尋は守ってくれるだろうか。
いや、きっと彼なら守ってくれるだろう。
だから、その日が来たら思う存分嫌味を言ってやるのだ。
どんなことを言ってやろうか。
そんなことを考えると、なんだかとても楽しかった。