うまくいっていると思っていた。
和泉知尋。
真里亜が見出したご主人様――『最弱の読心能力』を持つ同い年の少年は、思った以上の器だった。
……まだまだ、性奴隷を扱う者としては未熟もいいところだが。
純粋で感じやすく、自分のことでも他人のことでもすぐに思いつめてしまう気質は好ましいと思えた。
読心能力によって真里亜の心を読んでも――単に他人事として理解するのではなく、半ば共感するように受け止めてなお、真里亜を忌避しないその心根は何にも代えがたいものだ。
技術や立ち居振る舞いはこれから覚えて貰えばいい。
そう思い、彼と共に生活してきた。
西崎李狐という後輩奴隷を得ることもできた。
順風満帆だった。
直に平穏を手に入れられる。自分の心に殺される恐怖に怯えなくてすむようになる。
そう思っていたのだ。
知尋がある日突然、精神的に打ちのめされて帰ってきて――『略奪』の能力者に『読心』を奪われたと告げるまでは。
☆ ☆ ☆
「………」
動揺が顔に出てしまわなかっただろうか。
知尋から話を聞き終えて最初に思ったのはそんなことだった。
とにかく落ち着かなければ。
何をするにしても、冷静な人間がいなければ話が進まなくなる。ならばそれは自分の役割のはずだ。
――そこで思った。
『何をするにしても』とは、具体的にどういう行動を想定している?
李狐の時と同じように相手を犯す? 話し合いで能力を返して貰う?
果たしてそんなことが可能なのか?
知尋の能力を奪った一年生は御宿華というらしい。
その名前と容姿には覚えがあった。
姓は変わっているが――ほぼ間違いなく、小学生の頃、真里亜によく付き纏っていたあの少女。
彼女は危険だ。
聞いた限り、目的を達成するのに手段を選ばない彼女の性格はより悪化している。ターゲットである真里亜自身に大きな被害はないだろうが、知尋と李狐はどんなことをされるかわからない。
どうすればいい? どう行動すれば知尋を守れる?
真里亜は焦りつつも高速で頭を巡らせ、不意に一つの思考に行きついた。
――いや。そもそも、守る必要があるのか?
読心能力を失った知尋は常人と変わらない。
もちろん、だからといって彼の心根が変わるわけではない。だが、このまま読心が戻らなければもう二度と、彼と欲望を共有することはできない。
あるいは彼ならば、これまでの経験から真里亜と変わらず接してくれるかもしれない。
しかし人の記憶は薄れる。
月日が経ってもなお、二人は変わらず関係を続けていけるだろうか?
いつか知尋は面倒になって自分を放り出すのではないか?
――良くない考えまでもが頭をよぎる。
考えてはいけないこと。
『奴隷』が『主人』を裏切るという究極の罪悪。
しかし、真里亜は信頼などという形の見えない物では不安だからこそ『契約』に頼り、望みに最も適した読心能力の持ち主を求めたのだ。
「ねえ、和泉くん。あなたは、私をどうするつもりだったの?」
彼はどう思っているのだろう。
華は、真里亜を差し出せば能力を返すと言っているらしい。
読心能力と真里亜、どちらかしか選べないとしたら、彼は。
「真里亜をどうするかは、考えてなかった」
……予想外の答えだった。
「真里亜だって人間なんだ。命令するだけで全部が、本気で従わせられるなんて思ってないよ。気に入らなければ拒否できるし、関係を解除することだってできる」
そんなことを気にする必要はない。
真里亜は知尋の所有物なのだから、知尋の好きなようにすればいいのだ。
……奴隷に人格を認める必要なんてない。
ない、はずなのに、この胸にこみ上げる気持ちはなんだろう。
戸惑いつつも、真里亜は知尋の言葉に続いた。
「そしてもう一つ」
判断を委ねられても、真里亜に選択肢など最初からない。
かかっている品が真里亜自身の身柄である以上、主人の身の安全を考えるなら答えは一つ。
華の要求を素直に飲めばいい。
「読心が無くなった以上、私達の関係は根本から崩れる。今のあなたは私の望む『ご主人様』ではないのだから」
「何、それ?」
李狐が突っかかってくるのは仕方のないこと。
彼女は、知尋と真里亜の関係がどのようにして成り立っているのか知らない。
だから教えてやる。
敢えて冷たい言葉で、すっきりと決別できるように。
「私が和泉くんをご主人様に選んだのは、彼の読心能力が私の望むものだったから。だから契約を交わし、私は和泉くんの奴隷になった」
嘘ではない。本当のことだ。少なくとも、きっかけの時点では。
なのに今、こうして胸が痛いのは……二か月近く共に過ごした愛着と、知尋に対する好感のせいだろうが。
「何それ、そんなの今更……っ!」
「李狐」
「……でも、いず……ご主人様」
「いいんだ」
李狐の怒りも当然。何とでも言えばいい。
自分にはいくら怒りを向けてもいい。
そうして知尋に味方し、彼を一人にしないでやって欲しい。
「大丈夫よ、西崎さん。私と和泉くんの関係が変わっても、あなたが変わる必要はないもの。彼が読心能力者であるかどうかなんて、あなたには関係ないでしょう?」
「もちろん。あたしは今更、和泉の能力なんてどうでもいい」
「……そう」
彼女が眩しい――羨ましいと思った。
ありえない話だが、自分が李狐の立場にいられたら良かったのに。
「和泉くん。さっきとは別の質問をするわ。……あなたは、私にどうして欲しい?」
これで終わりは嫌だと思う気持ちがそんな言葉を口にさせた。
聞くべきではないのに、聞かずにはいられなかった。
「……僕は、真里亜に傍にいてほしい。できるなら、今まで通りの関係をこれからも続けたい」
どくん。
暖かな答えに胸が高鳴る。
自分の心を覗いてなお本心からそう言ってくれる人間が、果たして彼以外にこの世にいるだろうか。
「そうね。私も、できるならずっと続けたかったわ」
彼を失いたくない。今の生活をもっと続けたい。
華に従うだけでは駄目だ。
真里亜を手に入れた後、華が再び知尋に危害を加えるかもしれない。
そうならないためには――極力、知尋をこの件から遠ざけた上で、華を排除するには?
方法は、ある。
極めて単純な方法が。
それを実行するのなら、この場は彼を突き放すべきだ。
華には事がうまく運んでいると誤認してもらう必要がある。
そうして彼女自身に情報の拡散防止、証拠隠滅に協力してもらう。
……幸い真里亜には誰にも知られていない『切り札』もある。
知尋以外から犯されるシチュエーションにはうってつけの力。
それをギリギリのタイミングで華につきつけてやればいい。
それまで、知尋達には自分から離れてもらおう。
事情を話してもいいが、そうすると不自然な動きをする人間が増える。特に、華から警戒されているであろう知尋は真里亜の真意を知らない方がいい。
……その方が、きっと結果的に知尋は安全だ。
そう思い、真里亜は知尋と李狐にわざと酷い言葉を叩きつけた。疲れ切っている知尋を無理矢理起こし、マンションから出ていってもらった。
「本気でぶっ殺すわよ」
「無理よ。あなたに私は殺せないわ」
――西崎さん。あなたがそこまで言ってくれること、本当に嬉しいわ。
「……行こう。『深海さん』の言う通りだ」
――和泉くんはもう二度と『真里亜』と呼んでくれないかもしれない。
それでもやらなければいけない。
今回の件は状況が噛みあいすぎている。華への対処は迅速に、確実にしなくては。
迷っていたら成功率はどんどん下がっていく。
それに、この方法なら失敗してもそう酷いことにはならない。
……きっと知尋は真里亜を失うだけですむ。
マンションから知尋と李狐がいなくなり、彼らの荷物も全て運び出された。
残ったのは二人の持っていた合い鍵と、華の連絡先が書かれたカード、そして知尋の部屋の合い鍵だけ。
「……この部屋、こんなに広かったのね」
今、真里亜の手の中にあるのは、知尋がもともと持っていた一つ目の鍵だ。
知尋に放って返した合い鍵は、一つ目の鍵から複製した新しい物。合い鍵の作成はとっくに終わっていたのだが返し忘れていた。
……それに気づいて。気づきながら、わざと元の鍵を手元に残した。
首輪も返してしまった今、何か一つでも彼との繋がりが欲しかったから。
感傷的すぎるだろうか。
けれど、そもそも真里亜はそういう人間だ。
激しすぎる衝動を自分でも制御できない。制御するために『ご主人様』などという幻想の存在を求めてしまう。
だからこそ。
一人になった部屋に居るのはとても辛かった。
☆ ☆ ☆
華と接触するのは約一週間後と定めた。
それだけ待てば体育祭と終業式が終わるからだ。夏休みに入れば登校する必要がなくなり、必然的に生徒達には行動の自由が増える。
――華を何日も監禁したとしても、足がつく可能性が格段に下がる。
華が一人暮らしであること、彼女が小学生時代のクラスメートであることは伝手を使って突き止めた。真里亜の兄は幅広いコネクションを持っており、ある程度の情報なら簡単に手に入る。
……感情的な理由から極力、彼の手は借りなければいけない事態は避けているが。
ともあれ、これで準備は整った。
あとは時を待つだけ。
一週間かけて華を焦らしつつ、真里亜と知尋が決別したことを印象づける。
何も難しいことはない。
「……はぁ」
しかし、知尋達と別れた翌日の授業は辛かった。
理由ははっきりしている。日課にしていた自慰行為、オナニーをしなかったからだ。
……主人を裏切った奴隷に気持ちよくなる権利はない。
そう思ったからだが、これは覚悟していた以上に辛い。
知尋が傍にいない。常態化していた彼との行為ができない。そう思うだけで狂おしい気持ちに襲われる。
勉強もあまり手に付かず、外面を取り繕うので精一杯だった。
そして。
日曜日の夜、真里亜は知尋達に呼び出された。
「御宿さんとは、昔から知り合いだったんだよね?」
二人は華と真里亜の関係に辿り着いていた。
どういう手段を使ったのか――迅速な手際に驚くと共に、そこまでしなくてもいいのに、という思いが湧き上がる。
自分達の側に付いてほしい、と知尋達は言うが。
「方法は? どうにかできる宛てはあるのかしら?」
大丈夫だから。
大人しくしていて欲しいという思いを込めた。
しかし、知尋は諦めなかった。
「……ごめん。それじゃ納得できない。僕には、どうしても真里亜が必要なんだ」
「なら、力づくで私を納得させなさい。私を倒せないなら、私は今すぐ御宿さんのところへ行くわ」
言葉でわかってくれないのなら仕方がない。
力づくでも大人しくしていてもらう。
もう、一人で片づけると決めてしまった。そのために知尋達を傷つけた。
だから、矛盾しているとわかっていても後に引けない。
けれど。
報復の力で痛めつけても知尋は折れなかった。
分の悪い我慢比べを続け、本当に限界ギリギリまで真里亜の関節を極め続けた。
「……和泉くん。どうでもいいけれど、臭うわ。西崎さんを抱くのは好きにすればいいけど、人と会うならシャワーくらい浴びなさい」
匂い。
約二日ぶりに嗅ぐ知尋の体臭と、入り混じった李狐の匂い。自慰を我慢し続けている身体が否応なく反応するのが恥ずかしい。
こんなものを嗅がされたら。
今すぐここで彼を求めてしまいたくなる。
「……お願いだから、諦めて」
「嫌だ」
……結局、知尋は諦めてはくれなかった。
そこまで求めてくれることが嬉しかった。
そんな彼を痛めつけなければならないことが辛かった。
歩けなくならないよう足を避け、また大事な股間も避けたが、そんなことで罪悪感が薄れることはなく。
きっと。
華を捕らえて捧げるから。
そうしたらどんな罰でも受けるから。
思いながら真里亜はその場を後にした。
☆ ☆ ☆
知尋達と別れた後、真里亜はすぐに華と連絡を取った。意地でも自分達で何とかする、という知尋の姿を見たら、終業式まで待てなくなったからだ。
マンションに来てほしいと華に頼むと、彼女は二つ返事で了承してくれた。
そうして急いで準備したのか、一時間もかからず部屋にやってきた。
「あなたに忠誠を誓うわ。華さん」
「これから、あなたは私のものです。真里亜ちゃん」
「……はい、お姉様」
後は、ちょっとしたお芝居をするだけ。
勝利に――望んでいた真里亜が手に入ったことに高揚している華は、防音の寝室に招かれてもまるで警戒していない。
だから、演技は簡単だった。
数日間もの禁欲によって昂ぶった身体は、華の不慣れな責めでも簡単に感じてしまい、何度も絶頂に達した。
他人の手でイかされることに不満はあったが……。
「お姉様の指で、真里亜をたくさん愛してください……」
お蔭で『最後の賭け』には簡単に勝てた。
華は真里亜の能力によって不意の快感を与えられ、更には真里亜の瞳を覗くことで、深すぎる情欲を受けて平静さを失う。
抵抗力を失った華を真里亜は拘束し、道具責めにした上で知尋にメールを送信。
やってきた『主』に華と、そして自身の身柄を捧げた。
☆ ☆ ☆
知尋は真里亜を許してくれた。
彼が李狐と二人で考えたという『お仕置き』はこれまでのプレイで最も辛く、気持ちのいいものだった。
彼に落書きをされながら。
卑猥な言葉を強要されながら真里亜は何度も絶頂し、最後には本当に狂う寸前まで導かれた。
そうして朝起きると、彼がすぐ傍で眠っていた。
☆ ☆ ☆
華の調教と、その後始末。
罪の告発と、その処罰。
全てが終わった次の朝、李狐から尋ねられた言葉。
「……ねえ、真里亜。知尋のこと裏切ろうとしたのって、本当に全部お芝居だった?」
その問いにはうまく答えられなかった。
――気まずくて、気恥ずかしくて。
誰にも、それこそ知尋にも全てを打ち明けるつもりはなかったから。
「……どうかしら。本心なんて、意外と自分自身でもわからないものよ」
だから、そう答えた。
「でも、嬉しかったわ。傍に居て欲しいと、私が必要だと言ってくれたこと。……私を許して、抱きしめてくれたことが、本当に」
本当に嬉しかった。
再びこうして知尋と、李狐と共にいられることも。
再びあの首輪を身に着けられたことも。
知尋が全力で真里亜を穢し、支配してくれたことも。
――人知れず、片手で身体をぎゅっと抱きしめる。
首輪も、落書きも。もしかしたらこの痣も。
支配の証であると同時に『絆』の証でもある。
とても歪で、普通の人から見ればおかしなものであったとしても、真里亜にとっては何よりも大切な。
「……ライバル増えたかなー、ちょっと複雑」
それは、どうだろうか。
……あなたが、あくまで奴隷としてご主人様を求めているのなら。私は一番最初から、あなたをライバルだと思っていたけれど。
そんな風に。
未だ恋を知らぬ少女は、長い付き合いになりそうな『友人』の言葉に心中で反論した。