……やっぱりおかしい。
夏休みも残り少なくなってきたある日の昼過ぎ。
学園付近にあるややお高めのファミレスで、いつもの面子と久しぶりに談笑していた最中、
実を言えば今日、加奈子はこの席に座った時からずっと、普通に会話を続けながら一人の少女に注目していた。
その相手は、仲のいい三人組における中心的人物――染めた金髪を軽く跳ねさせ、ややラフな格好に身を包んだ少女、クラスメートの西崎李狐だった。
李狐は割と可愛くて人目を惹く少女だ。
さすがに転校生の深海真里亜のような本格的な美人と比べるのは酷だが、少なくとも加奈子のような身長人並み、体重も人並み、容姿も胸の大きさも平凡な人間よりはずっとマシ。
特に、目立つ色の髪を堂々と晒す彼女の度胸に淡い憧れを抱いている生徒は加奈子だけではないだろう。
そんな李狐が今日、注文したメニューはトマトクリームを使ったパスタのサラダセットだった。ドリンクバーからは紅茶をチョイス。
ちなみに加奈子はマルゲリータにココアで、もう一人はミートドリアにオレンジジュースだが……まあそれはどうでもいい。問題は李狐のチョイスだ。
四月からずっと
……洋食、しかも紅茶との取り合わせは珍しい。
理由を尋ねてみると、一見どうということもなさそうな答えが返ってきた。
「あー、うん。最近洋食にもハマっててさ。こういうのもいいかなって」
確かに、夏休みに入ってからは顔を合わせていなかったから、単なる気まぐれで食の好みが変化してもおかしくはないのだが……。
「そのチョーカー」
「ん?」
「ずっと着けてるよね。やっぱ大事なの?」
ピザを食べつつ何の気なしに尋ねる。
李狐が首に茶色のチョーカーを巻き始めたのはもう二か月近く前になる。見たところ品物はかなり良く、値段はおそらく五桁を下らない。
センスも間違いなく李狐のものだが、服ではなくアクセにその金額はちょっと勇気がいる。また、以降李狐がチョーカーを着けてこなかった日は見ていない。いくらお気に入りでもヘビーローテすぎる。
だから最初の頃から、加奈子はそれをプレゼントだと考えていた。
……多分、男からの。
だが、何度尋ねても李狐は言葉を濁すだけ。
昼休みもこれまで通り加奈子達と一緒だし、そうでない時も高槻愛華など他の女子に呼ばれていただけ。メールの返信が遅れることはあるが、これはぶっちゃけ前からだ。
確証はない。
しかし、状況証拠の積み重ねからおそらく間違いない。
例えば、彼女はしばらく前から言動が柔らかくなった。
顕著なのはクラスメートの男子、和泉知尋に対する言動だ。李狐は六月頃まで彼を目の敵にしていた癖に、ある日突然何日か休んで以来、すっぱりと攻撃を止めてしまった。
『構うのも面倒になったから無視することにした』
そう言っていたが、明らかに不自然だ。
食事の好みが変わり、プレゼントらしきアクセを毎日身に着け、人当たりが良くなった。
ついでに終業式まで根元が黒かった髪は金に染め直されている。いつ美容院に行ったか聞いたら一週間以上前とのこと。始業に併せたにしては早すぎる。誰か見せたい相手がいたのだ。
ここまで急に女子が変わる理由なんて男絡みしかない。
大方、彼氏の好みにでも合わせているのだろう。相手が誰なのかは微妙――学園の生徒や教師だとすれば、ちょっと動きが無さ過ぎにも思える。
とすると外部の人間か?
同じ中学だった男とか、そういう可能性もある。李狐は中学時代、結構派手に遊んでいたみたいだし。
「あー、あたしも彼氏欲しいなー」
ひとまず、わざとらしく嘆きつつ李狐を観察。
少し動揺していた。敢えて『も』と言ったところに引っ掛かってくれたらしい。
「作ればいいじゃん。うちの学校、割とそういうの少ないでしょ」
柴鳳学園の校則は緩く「節度ある生活を心がけ」ていれば男女交際も禁止されていない。その割に彼氏彼女になる生徒が少ないのは忙しいのと、身体を動かすことでストレスが発散されるせいか。
逆に言うとフリーの生徒はいっぱいいるわけだが。
「簡単に言わないでよ。私は李狐みたいに可愛くないし」
「そんなことないって。加奈子は可愛いし、あんま美人すぎても逆に彼氏できないよ?」
真里亜のことか。
確かに、あの子を取り巻いているのは専ら女子だ。男子は気後れしているのかあまり積極的に話しかける様子がない。
ある程度手頃な相手の方が付き合いやすいというのはあると思う。
例えば、加奈子だって神代に告白するのは色々勇気がいる。
……待てよ。神代か。
「じゃあ、神代とか狙ってみようかな」
「へ? ライバル多そうだけど平気?」
さりげなくカマをかけてみると、李狐はきょとんした顔。
……付き合っていることを大っぴらにできない相手と考えると神代の可能性はあると思ったのだが。例えば体育祭あたりの神代と知尋は仲が良さそうだったし、彼に配慮して知尋を虐めるのをやめたとか。
しかしこの様子だと違う。
だとすると、可能性はもう一つ。
「神代は格好いいよねー。ちょっと暑苦しいけど」
「あー、言えてる」
ナイス。
三人目の少女がいいタイミングで相槌を打ち、李狐の意識を逸らすのに協力してくれた。丁度いいので加奈子もそれに乗っかる。
「あれは簡単にはやらせてくれないタイプだよね」
「やるって、付き合う前からそういうこと考えてるわけ?」
眉を顰めて李狐。
相変わらず微妙に意識高いというか、純粋というか。
「そりゃそうでしょ。そいつとやりたいかどうかって重要だよ。ね、
「んー。確かにそうかも」
玲奈はやや身長が高めで、すらっとした体型。髪は切るのが面倒だと言って伸ばしており、不潔さを感じない程度に手入れされている。
一見あまり男っ気はないが、彼女には地元に彼氏がいることを加奈子達は知っている。
ぼんやり、のんびりした態度はある種の余裕、持つ者ゆえの無自覚だ。
「でも、服着た上からだけだと結局わかんないよ。がっしりしてて頼りがいがあるけど、おちんちんは小っちゃくてつまんなかったりするし」
「……直球だなあ」
ぶっちゃけ過ぎて、李狐どころか加奈子まで引く。
恋愛自体にはそこまで興味がなく、まだ処女である加奈子には良くわからない部類の話だが。
「やっぱり大きい方が良いわけ?」
「んー、まあ、小さいよりは。限度はあるけどねー」
大きすぎると痛いのだと話す玲奈に「へー」と適当な相槌を打った。
李狐は、何やら顔を真っ赤にしている。これは彼氏とまだやってないのか、それとも行為を連想して恥ずかしがっているのか。
……そろそろいいか。
「ねー、李狐」
「ん? なに?」
食いついてくる。得意な話題ではないから別の話に移りたいのだろう。
しかし、それが罠だったりする。
「最近、和泉は元気にしてる?」
「和泉? 別に普通だけ……ど……」
はいアウト。
あっさり引っ掛かってくれた友人に、加奈子は笑いながら感謝した。
☆ ☆ ☆
李狐と知尋が付き合っている。
そんな噂は二学期早々、瞬く間にクラス内へ広まった。
当然だ。他ならぬ加奈子が噂を率先して広めたのだから。
――佐城加奈子。ランクはEで、能力は『媚声』。
声自体が美しくなるわけではない。ただ、声と共に低周波だかマイナスイオンだかが出て聞く者を安心させる。それによって加奈子が込めた『意図』が相手に伝わりやすくなる。
強制力は低く、意識していればそれだけで防げる程度。また時間経過と共に効力は薄くなり、携帯電話等の機械を通した声では効果がない。
しかし、主観的には大して危険ではない能力であるため、逆にちょっとした世間話や噂話などは「するっと」相手の思考に潜り込ませやすい。
「西崎さん、和泉君と付き合ってるって本当?」
始業式の翌日、授業初日の朝にはもう、李狐に尋ねる生徒が出た。
自分の席についたままその様子を窺っていると、李狐は困ったような笑みを浮かべて首を振っていた。
「嘘だよ。あたし、和泉となんか付き合ってないし」
ちらり。
李狐の目が加奈子を睨む。素知らぬ顔をしてにっこり笑ってやった。
……あの日以降、加奈子は李狐と縁を切っていた。
『和泉と付き合ってること、どうして黙ってたの?』
『黙ってたも何も誤解だって』
『へー。じゃあ何でわざわざ夏休みに和泉と会ってるわけ?』
『………』
加奈子の追及にも、李狐は明確な答えを出さなかった。
煮え切らない態度は彼女らしくない。
『がっかりした。李狐、前はもっと荒い性格だったのに』
『……和泉と仲悪かったあたしの方が良かったってこと?』
『そうだよ。今の李狐はつまんない』
きっぱり突き放した結果、最後は殆ど怒鳴りあいになった。店の人に迷惑だから、と玲奈が釘を刺してくれなければ李狐に殴られていたかもしれない。
正直、そうなるように仕向けた。
……文句があるなら掴みかかってくれば? そうしてくれるならむしろ嬉しいよ。
加奈子はもともと、他人の威を借るのが好きだ。
気に入った相手に近づき『媚声』で取り入る。あとは相手を煽て、その行動を見て楽しむ。
自分の手は汚さない。
『加害者』になって外野から非難されるのはご免だからだ。
……李狐のことは気に入ってたんだけどな。
好きだったのは李狐の率直な部分、特にかつての攻撃的な態度だ。
嫌いな奴は嫌いと言い、相手が音を上げるまで攻撃を止めないところ。事あるごとに知尋を責め続けたあのエネルギーは目を見張るものがあった。
まあ、多少『媚声』で扇動した部分はあったが、根っこは確実に李狐自身のものだ。
だから彼女に憧れていた。
丸くなった彼女には興味がないから喧嘩別れを演出した。ちょうど学期の変わり目で都合も良かったし。
これで李狐が昔に戻ってくれれば万々歳。
もしうまくいかなかったり、加奈子自身を標的にしてくるようなら仕方ない。
ヒステリーを起こした李狐に虐められた『被害者』になって事を収め、別の生徒と仲良くなることにしよう。
と、思っていたら。
「李狐ちゃんの言ってることは本当だよ」
教室内に穏やかな、しかし凛とした声が響いた。
高槻愛華が李狐の傍に歩み寄って宣言する。
「知尋君と付き合ってるのは私。李狐ちゃんには相談に乗ってもらったりしてたから、噂はそのせいなのかな?」
嘘であることを疑わせない、きっぱりとした声だった。
その意味が理解されると教室内は一気に喧騒を増した。
――あの高槻愛華が、和泉知尋と付き合っている。
騒ぎはHRによりいったん中断されたものの、愛華が生み出した新たな噂はその後も収まらず、加奈子の齎した噂はあっさり上書きされた。
知尋本人も愛華との交際を認めた。
知尋君、愛華と呼び合う二人を見れば、それについて疑う余地はなかった。
『おい神代、お前知ってたのか?』
『ああ。一昨日、高槻さんから聞いたよ』
愛華といえば神代との関係が噂されていた生徒だ。しかし、どうやら彼女はそちらの繋がりをしっかり清算していたらしい。
これでは文句のつけようもない。
――実際、そういうことなら事情もある程度は腑に落ちる。
一学期の途中、特に終わり頃は二人が話す機会は増えていた。殆ど毎日挨拶を交わしていたし、一緒にお昼を食べることもあった。
具体的に仲良くなった時期や愛華が相談を始めた時期、李狐は知尋を何とも思っていないのか等、不明瞭な点は多いものの想像で補完できる。
……愛華と仲良くなったから行動を諭され、恋愛相談を受けたか。
……知尋を巡って衝突した結果、最終的に仲良くなったか。
きっとそんなところなのだろう。
すると、李狐が丸くなった原因は主に愛華にあるということか。
なるほど。
「……ふふ」
人知れず、加奈子はにっと不敵な笑みを浮かべた。