「高槻さん。和泉のどこがいいの?」
その日の放課後、加奈子は高槻愛華を呼び止めて尋ねた。
当然『媚声』は発動中。
隙あらばと狙う加奈子に対し、愛華の方はいつも通り穏やかな雰囲気で答える。
「んー……そうだなあ。優しいところ、かな?」
やはり隙だらけの答えだった。
内心ほくそ笑みつつ、あくまで世間話を装いつつ知尋へのマイナスイメージを送りこむ。
「でもさ、それって、男としては頼りないってことじゃない?」
加奈子の声は能力によってつい同意したくなる魅力が生まれている。
もちろん、ここで愛華を同意させてもそれ自体に大きな効果はない。ただ世間話で相手に話を合わせた、程度のことだ。
しかし世間話を続けて何度も悪印象を積み重ねれば話は別。
愛華は自分でも知らず知らずのうちに思考を誘導され「言われてみれば知尋君って大した男の子じゃないかも」と考えるようになる。加奈子の狙いはまさにそれだ。
動機としては腹いせに近い。李狐を自分好みの性格から遠ざけられた報復。
これで愛華が知尋と別れたり話が拗れてもそれはそれ。本人達の絆が脆かっただけで加奈子には何の責任もない。後から思い返して加奈子を批判しても証拠はないし、個人の意見に流されて軽率な行動を取ったのは愛華の方だ。
せいぜい踊らされてくれればいい。
……というつもりだったのだが。
「うん。そうだね」
何と、愛華はいともあっさり肯定の返事をしてきた。
加奈子の『媚声』にそこまでの効果はない。つまりこれは愛華本人の意思のはず。
困惑する加奈子に彼女は小さく首を傾げて言う。
「でもね、だからこそ私が傍にいてあげたいの。変かな?」
「それは……普通、和泉と神代なら神代を選ぶんじゃない? 高槻さん、神代から告白されてたでしょ?」
落ち着け。話の流れ自体は悪くないのだ。一度で効かないなら二度三度やればいい。
そう思いながら更に言うと、
「そうだね。私はちょっと変なのかも」
またしてもあっさりと愛華は答えた。
……何だ、この違和感は。
発言を肯定されているのに、意図を完全に潰されているような違和感。
まさか。
すっ、と愛華が目を細めた。
「ねえ、佐城さん」
途端に彼女の印象が変化し、冷たい視線が加奈子を射抜く。
「能力で私を唆したいなら無駄だよ。私はそんな卑怯な方法で、知尋君から離れたりしないから」
……バレている。
能力自体はクラスメートなら知っていて当然。しかし不意の世間話だというのに『媚声』の影響を警戒しているとは。
加奈子はこれまで表向き、この能力で事件など何も起こしていない。
ましてや知尋の読心みたいに不快感を齎すものではないのに。
愛華は淡々と加奈子に言う。
「知尋君の能力と違って、加奈子ちゃんの能力には悪意があるよね。人の心を無理矢理、思い通りに変えようとする感じ」
「……私の能力が、和泉の能力以下だってこと?」
「そうだよ。知尋君の能力は好きだし、友達にこんなこと言いたくないけど……正直、加奈子ちゃんの能力は好きじゃないかな」
身を翻して去っていく愛華を、加奈子は呼び止めることができなかった。
☆ ☆ ☆
加奈子は苛立っていた。
人からあんな風に言われるのが許せなかったのだ。
……何にも悪い事したわけじゃないのに。
加奈子はきっかけを与えるだけ。最終的に判断するのは本人なのだから、加奈子が非難されることは何もないはずだ。
なのに愛華は軽蔑するような目で加奈子を見てきた。
あの子を見返してやりたい。そのためには――。
明確な悪意を胸に思考を巡らせ、一つの計画を定める。
そして翌日から計画――神代との接触を開始した。
「おはよう、神代君」
「まだ暑いよねー。早く涼しくなって欲しい」
まずはごく普通の挨拶から。
いきなりがっついたりはせず、廊下ですれ違った際などを利用して一日に何度も声をかける。
なるべくさりげない形で加奈子の存在を印象づけてイメージを残させる。
これを一日半続け、二日目の午後からは授業での訓練中や授業終了後に『好き』というワードを混ぜて話しかける。
「頑張ってる男の子って格好いいよね。私、そういうの好き」
「水分補給する時は水とスポーツドリンク、どっちが好き? 私は甘いのが好きだな」
これは一度では効果が薄い。
しかし、繰り返すことで単語が耳に残っていく。『好き』という言葉と告げた加奈子のイメージが神代を包み引きつけていく。
『媚声』の能力を利用した、声によるサブリミナル。
その効果か、三日目の朝には神代の反応も少し変わってきたように思う。
「おはよう、佐城さん」
加奈子が挨拶すると笑顔でそう返してくれる。
「神代君は今日も格好いいね」
「はは、ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
「……お世辞じゃないんだけどな」
「え? なに?」
「なんでもない」
にっこり首を振って立ち去る。
授業間の休み時間や昼休みにも折を見て接触を続け、そして放課後。
タイミングを見計らって神代の机に入れたラブレターを使い、彼を人気のない廊下の突き当りに呼び出した。
生徒達のざわめきは遠い。
しんと静まり返った廊下はまるで別世界のようだった。
二人だけの空間。女子生徒に呼び出され二人きりとなれば、いくら神代が固い男でも意味は理解できるはずだ。
残念なのは加奈子自身の容姿だが、精一杯良く見えるように努力はしてきた。
さりげなくメイクもしているし、はしたなく思われないようスカートの長さも調整した。もし身体を求められてもいいように下着も揃えた。
「佐城さん。話って、何かな?」
「……うん。その。もし良かったら、でいいんだけど」
神代悠希を落とす。
誘惑して彼を手に入れ、李狐や愛華を見返してやる。
後から神代を選ばなかったことを後悔しても遅いのだ。
「神代君。あなたのことが好きです。私と付き合ってくれませんか……?」
努めてしおらしい態度で告げる。
男の子に告白するのはこれが初めての経験で、敢えて演技をしなくても心臓は高速で脈打った。きっと顔も赤かっただろうと思う。
加奈子の告白は『媚声』によって心地よく聞こえるはず。
昨日から仕込んだ『好き』の布石が効果を上げ、彼の心に染み込んでいく。
「……ごめん。佐城さんの気持ちは嬉しいけど、付き合う気はなれない」
「どうして? 高槻さんのことがまだ?」
一度断られるのも織り込み済み。
本番はここからだ。
「……うん。俺はまだ彼女のことが好きだ。だから他の子と付き合うことは考えられない」
「でも、高槻さんは和泉君と付き合ってるんだよ? 二人が別れるまで待つの?」
「それは……」
口ごもった神代の胸に飛び込む。
汗の匂いと胸板の厚さを感じながら、必死の面持ちで彼に伝える。
「私じゃ、駄目? 高槻さんの代わりにはならないかもしれないけど、私には神代君が必要なの。神代君に、好きになってもらえるよう頑張るから」
半分は本音だった。
李狐と決別した加奈子には頼る相手が必要だ。それは誰でもいいが、高いスペックか確固たる意思を持っている人物がいい。
神代悠希は状況的にも能力的にもうってつけだった。
「だから、神代君。私と」
「ごめん」
瞳を潤ませて見上げれば、ぐいっと身体を押し返された。
何かを堪えるような表情。
『媚声』に抵抗している? いや、そうでなく……。
悲しげに歪んだ神代の目が加奈子を見た。
「もし高槻さんのことが無くても、佐城さんとは付き合わない。……君は、西崎さんと一緒に和泉君を笑っていたことを彼に謝ってないだろう?」
「え――」
思いがけないことを言われた。
ぽかん、と口を開けて立ち尽くす。
……だって、彼を痛めつけたのは全部李狐で私は彼に何もしていない。
違う。神代はそんなことは関係なく「笑っていたこと」について言っている。
……でも、だったら李狐の方が悪いはず。
いや。そういえばクラスの騒ぎの中で李狐は別のクラスメートからそのことについても言及されていた。
『うん。和泉には悪いことしたと思ってる。……今は和泉のこと別に嫌いじゃないし、謝って許してもらったよ。皆にも嫌な思いをさせて本当にごめんなさい』
他ならぬ知尋自身がそれを肯定してもいた。
でも、それでも。何か言わないと。
でないと『私が悪い』ことになってしまう。
口を開けない加奈子を、神代は申し訳なさそうに一瞥した後、もう振り返らずに去っていった。
誰もいなくなった廊下は、『特別』ではなく『孤独』の感情を加奈子に強く覚えさせた。
☆ ☆ ☆
気づけば加奈子には何もなくなっていた。
神代への告白に失敗した後、加奈子は噂を流すことで彼らのイメージを下げようとした。
――神代の本命はA組のロリっ子なのに、愛華にもちょっかいをかけていた。
――愛華は神代と知尋の二股をかけていた。
――知尋はああ見えてむっつりで、愛華に変態的なプレイを要求している。
しかし、本人達が相手にしなかったこともあり、噂はことごとく成立することなく消えていった。
むしろ、流した加奈子の方に白い目が向く始末。
「……何で」
こうなったんだろう。
クラスに居るのが辛くなり、食堂の片隅で一人、お昼を食べながら呟く。
注文した海老ピラフはぱさぱさしていて美味しくない。
周りからは楽しそうな声がいくつも聞こえてくる。けれど加奈子の傍には誰もいない。
誰も――。
「ここ、座ってもいい?」
ことん、と。
テーブルの正面にトレイが置かれた。
同時に、ふわりと漂う甘い香りに顔を上げると、玲奈が向かいの席に腰を下ろすところだった。
「……どうして?」
「探しに来たんだよー。最近、加奈子が元気ないから」
……それだけのために。
ぱくぱくと海老ピラフを食べ始める玲奈に、加奈子は再び尋ねた。
「でも、だからってどうして?」
「どうしてって、友達でしょ?」
「……友達」
玲奈はにっこり笑った。
リア充で、捉えどころのないこの友人――なのか、まだ――の態度は以前と何も変わらない。
「私は面倒なのが嫌いなの。学校ではのんびりしていたいから、面倒なことしてる友達を止めに来たってわけ」
ふわふわと。
不思議な包容力を発揮して言う彼女が、加奈子は何故か聖母のように見えた。
「無理に思い通りにしようとしてもうまくいかないのは当たり前だよ。私は加奈子の傍にいてあげるからさ、そろそろ大人しくしておかない?」
ぽとり。
意識せず、自分の分の海老ピラフに涙が落ちる。
「……うん」
二人で食べるピラフはさっきよりも美味しく感じた。
これからは、能力を濫用するのは止めよう。
一連の出来事によるトラウマと玲奈への感謝から加奈子はそう決めた。
宇野玲奈。
ランクはEで、能力は人を安心させる香りを放つ『芳香』。
『媚声』と似た能力を持つ彼女を、最初は警戒心――目的が反発し争いあうことにならないようにと仲間に引き入れたことをふと思い出す。
……本当に、この子が味方で良かった。
極めて利己的な理由で作った友達に助けられた成り行きに、胸を痛めると同時に感謝しつつ、加奈子は微笑んだ。
ふわり。
玲奈のいい匂いが再び加奈子の鼻腔をくすぐると、心から寂しさが消え去った。