「和泉君と神代君は放課後、理事長室に行ってください」
金曜日。
帰りのHRにて担任教師がさらりと口にした言葉は、当事者二人だけでなくクラスメート全員を凍りつかせた。
そして一瞬の沈黙の後、教室内はうって変わって喧騒に包まれる。
「和泉君と神代君? なんでその二人?」
「やべえ、理由がわからねえ」
一同がざわめく中、知尋はふと神代の席を見た。すると彼の方も知尋を振り返って目が合う。
困惑。
お互いに苦笑しあって目を逸らした。
担任が教室から出ていくと、真っ先に愛華が近寄ってきた。
「知尋君、理事長室って」
「……うん。全然心当たりはないけど」
とりあえず行くしかないだろうと目くばせしあった。
どれくらい時間がかかるかわからないから帰りは別々にすることにし、「じゃあ後で教えてね」と約束していると、神代の方は舞阪に絡まれていた。
「来たか。まー、悪い話じゃないはずだから気楽に行って来いよ」
「って、どういう意味だよ」
「行けばわかるって」
悪い話じゃない、らしいが。
舞阪に見送られて教室を出ていく神代を、知尋は呆然と見送った。
と、歩み寄ってきて李狐が首を傾げながら言う。
「和泉、神代に置いて行かれると気まずくない?」
「……確かに」
慌てて鞄を手に取り、神代の後を追いかけた。
タイムラグは一分もなかったはずだが、その差が案外大きかったらしい。廊下が混みはじめたこともあって、追いついたのは理事長室の直前だった。
かと思えば、何やら威勢のいい声が進行方向から聞こえてくる。
「なんであんたまで呼ばれてるのよ!?」
「そんなこと言われても。俺も何が何だかわからないんだ」
困り顔の神代に、色んな意味で小さな少女――朱香が突っかかっていた。相変わらず二人はそういう関係らしい。
……その割に泊りがけで海に行ったらしいし、朱香の方は神代に気が合ったりするのではないか。
「まあいいけど……皆さんの足を引っ張らないようにね。あと、もちろん私の足も」
「はは。女の子の足を引っ張ったりしないよ」
ふと思ったことも、神代が朴念仁っぷりを発揮しているためよく分からず。
それはひょっとして冗談のつもりなのか、と思いつつ神代に声をかけた。
「……神代君、湯瀬さん」
「ああ、和泉君。そうか、悪い。一人で先に来てしまって」
「ん? ……ああ、この前、神代悠希にボコボコにされてた子か。名前なんだっけ」
朱香は知尋のことなどばっちり覚えてなかった。
彼女に軽く自己紹介をした後、気を取り直して理事長室のドアをノックした。
「どうぞ」
大人の男性の声。
「失礼します」
それぞれに挨拶しつつドアをくぐれば、中にはいかにもという感じの部屋が広がっていた。
高そうな木製のテーブルの左右には応接用のソファが置かれ、左右には高そうな戸棚やら本棚。そして正面奥の窓際には大きな執務机。
室内には一人だけ。
三十代中盤くらいの男性である。中肉中背……よりはやや恰幅がいいか。割と生真面目そうな顔つきで、皺のせいかもっと歳に見えなくもない。
知尋はこれまで遠くからしか見たことがないが……彼がこの学園の理事長、
窓際に立っていた鳳は振り返り、三人を順に見つめると口を開いた。
「君達は……呼ばれてきた一年生だね」
「はい」
学生の身としては部屋の重厚感や、鳳の『理事長』という肩書きにはどうしても気圧されてしまう。
勢いで整列し、A組の朱香から順にクラスと名前を告げた。
「湯瀬君に神代君……それに和泉知尋くん、か」
最後の知尋に目を止めたまま鳳が呟いた。
何故知尋だけフルネームで呼ばれたのか微妙に気になったものの、それを口に出せる雰囲気でもなく。
状況に戸惑っているうちに神代が尋ねた。
「あの、理事長先生。僕達はどうして呼ばれたんでしょうか?」
「ん? ああ、聞いていなかったのか」
理事長は神代へ視線を移すと表情を和らげて答えた。
「直にもう何人かここに来るから、詳しい話はそれからにしよう」
その言葉が終わるか終わらないかというタイミングで、理事長室のドアがノックされた。
「失礼いたします」
開かれたドアから入室してきたのは二人。どちらも三年生の女生徒だった。
先に入り口をくぐったのはショートの髪に琥珀色のカチューシャを付けた少女――いや、女性と言うべきか。滑らかな肌は若さの強い輝きから大人の艶へとその色合いを移しつつあり、またその物腰は押しつけがましくない程度に上品で整っている。
続いた二人目はかなりの長身だった。
神代には及ばないが、知尋より背が高かった鈴より更に高い。長い黒髪は艶やかで、一瞬、真里亜を思い出すものの、彼女の立ち居振る舞いは凛としていて清廉さを感じさせる。胸もほどほどでスレンダーな体型だ。
……隣の隣で朱香が妬ましそうな目つきになっているのは見なかったことにした。
知尋はこの二人にも見覚えがあった。
どちらも全校集会などでよく壇上に立っている人物。
……理事長に生徒会長に、風紀委員長。
だいぶ後ろ暗い学園生活を送っている知尋としては今すぐ逃げ出したくなる面子だが、まさか本当にそうするわけにもいかない。なるべく平静を装って立つ。
「お待たせして申し訳ありません」
よく通る声で生徒会長――四葉が詫びる。流石に場慣れしているのか、彼女は理事長相手でも気後れした様子はなかった。
鳳の方も鷹揚に頷き、一同に着席を促してみせる。
「気にする必要はないよ。それより、皆そこに座るといい」
促されるまま、知尋は神代、朱香と共にソファの片側に腰かけた。向かいのソファには四葉と風紀委員長――沙雪が腰かける。
……査問会議、じゃないよね?
先程から一言も喋らず――入室の宣言も四葉だったはずだ――キツい目つきで神代達を睨む沙雪の姿に不安を覚えるも、正面に座る四葉が微笑んでくれたので多少力を抜くことができた。
「では、詳しい話は当事者同士に任せよう。私は彼らの顔を見るのが一番の目的だったからね」
「かしこまりました」
軽く告げた執務机に戻っていく鳳に対し、四葉が気にした様子もなく一礼した。
つまり、知尋達に用があるのは四葉と沙雪であって、鳳は基本的には場所を貸しただけということか。
顔を見たかったという理由はよくわからないものの経緯は飲みこめた。
「いきなり呼び出してしまって申し訳ありません」
「いえ、それは構いませんが……お話というのは?」
早速、神代が尋ねるのを聞きつつ思う。
生徒会長と風紀委員長、二人がこの時期に一年生を呼び出す理由というと――。
「単刀直入に言えば、お前達が欲しい」
本当にストレートな物言いだった。
告げたのは、これまで黙っていた沙雪の方。女性らしい綺麗な声だが、それとはやや不釣り合いなほど男性的な口調だ。
これには朱香が眉根を寄せる。
「あの、欲しい……って風紀委員会に、ですよね?」
「そうだ。君達を風紀委員会の補助を頼みたい」
つまりはスカウト。
知尋自身を除けば、呼ばれた二人は一年生の優秀者だ。能力の特殊性が強い華が呼ばれなかったのも含め、風紀委員会へのお誘いということなら理解できる。
風紀委員会は校内、および一部の校外において生徒達が校則違反等、学園の生徒として相応しくない行動をしていないかチェックし、注意する役割を持った組織である。
基本的な活動は持ち物や服装の検査等、地味なものが主体。
教師だけでは手が回らない部分、注意が行き届かない部分をカバーするのが本分で、その関係上、ちょっとした揉め事なら独自に仲裁、解決することが暗に認められている。
柴鳳学園においては生徒が一定の戦闘訓練を受けている関係上、(実際に行使する機会は多くないにせよ)ある程度の腕っぷしを持つ者が多いようだ。
神代と朱香ならば適任だろう。
となると疑問なのは。
「あの……僕も、でしょうか?」
何で知尋まで呼ばれたのか。
ぶっちゃけ場違いすぎる。風紀委員に所属させるなら他の生徒、例えば真里亜とかの方が絶対に有用のはずだ。
すると、その問いには沙雪ではなく四葉が答えた。
「あ……いいえ。神代君と湯瀬さんは風紀委員会ですが、和泉君は風紀委員会ではなく生徒会にお招きしたいと考えています」
だから沙雪だけでなく四葉もこの場にいたわけか。
生徒会。
学校行事の運営や、全校集会の進行、広報なども務める組織だ。
風紀委員会に比べると華やかな面もあるものの、裏方や事務仕事がメインで業務量も多い。
「僕が、生徒会に?」
「……俺も、正直突然の話なので驚いています。良ければ理由を聞かせてもらえませんか?」
知尋の言葉に神代が続けば、その隣で朱香も頷く。
それを見た四葉も頷きを返して沙雪と視線を交わした。
「そうですね。先に説明いたしましょう」
まず、四葉と沙雪……というか両委員会が知尋達に求めているのは、現状はあくまで補助、手伝いであるということ。
二度目の判定シーズンが終わった今、学園は十一月初めの学園祭に向けて動き出そうとしている。それが終わればすぐに生徒会役員選挙、および風紀委員長選挙が行われる。
そこから徐々に新会長、新委員長のもと組織の再編が行われるのだが、ぶっちゃけその時期から新二年生メンバーを集めて引き継ぐのは結構慌ただしい。
ついでに、学園祭時に使える人手は多いに越したことはない。
ということで、未来のメンバー候補に何人か唾をつけておこうと三人が選出された。
「神代と湯瀬を選んだ理由は人望と体力だ」
沙雪が淡々と言った。
風紀委員会は取り締まりという役割上、校内を歩き回ったり屋外で立ちっぱなしになることも多い。また、頻度は多くないとはいえ喧嘩の仲裁などが発生する場合もある。
やはり顔が広く腕っぷしがいい人材というのが決め手の模様。
次いで四葉が柔らかな声で言う。
「和泉君は近頃、目覚ましい成長をされているというのが大きな理由です」
放課後も熱心に訓練に打ち込んでいたこともあり、真面目で努力家だという評価に繋がったらしい。
座学の成績も悪くないため事務作業も問題なし。
読心能力はともかく、容姿に威圧感がないので一般生徒にも親しまれやすい。睡眠促進の能力はハードワークにもうってつけ。
……ついでに言うと度々の訓練のせいで暇だと思われている節もあり。
良く言えば能力を買われている、悪く言えば体のいい下っ端として期待されているといった感じだ。
一通りの説明を終えた四葉はにっこり微笑み、一同の緊張を緩和しつつ告げた。
「もちろん強制ではありません。そうですね……一週間。来週の金曜日までに考えていただいて、もし協力していただけるなら放課後、生徒会室、あるいは風紀委員の部屋まで来てくださいませ」
良い返事を期待しております。
そんな言葉で話は締めくくられた。
話の後は四葉や沙雪と共に理事長室を出る。揃って一礼すると鳳は鷹揚に頷いてくれた。
場所を貸してくれたことといい、案外人がいいのかもしれない。
「それでは、また」
「次は仲間として会おう」
気を遣ってくれたのか、四葉達は理事長室の入り口で早々に立ち去って行った。
残された知尋達はなんとなく解散する気にもなれないままゆっくりと廊下を歩き、昇降口を出た。
「どうするつもり?」
不意に朱香が口を開く。
「ええと……」
「あんたじゃなくて、神代悠希」
「………」
にべもない言葉に苦笑した。
神代も何とも言えない表情になりつつも朱香の問いに答える。
「俺はあの話、できれば受けたいと思ってる」
「へえ」
「これはチャンスだ。上級生に、学園の中心にいる人達に近づける。それにきっと風紀委員になれば……」
彼はそこで言葉を切った。
いや、と呟いてふっと笑い、朱香を見つめる。
「湯瀬さんは? こういうの即決しそうなタイプに見えたけど」
「なっ」
朱香の顔が怒りから赤く染まる。
「うっさいわね。私にも色々あるの! っていうか、受けないなんて言ってないし!」
「はは、そうだね」
なんだか兄妹みたいな対応だな、と思った。
微笑ましい会話を続けていた神代がふっと知尋の方を向く。
「和泉君は……」
「ん……まあ、考えてみるよ」
「そうだな。生徒会は生徒会で大変だろうけど、いい経験にはなるんじゃないか? 役員になれば舞阪をこき使う機会もあるだろうし」
クラス委員の舞阪は何かと生徒会に顔を出す機会があるらしい。
……なるほど。彼ほど雑用向きの生徒もいない気がしたが、実質既存戦力扱いだったから呼ばれなかったのか。
神代達とは校門で別れた。
歩き出すと、背中側から何やら言い合いをする声が聞こえてくる。
――生徒会の手伝いを引き受けるにしろ受けないにしろ、彼らとは別々の道になる。
そのことにやや複雑な気持ちを抱いて、知尋は意識しないまま少しだけ歩くペースを速めつつ、マンションまで戻った。