翌日の起床も、朝のやや早い時間帯だった。
カーテンの隙間から漏れる光に目を覚ますと、真里亜はやはりもうベッドにはいなかった。
知尋はある程度意識がはっきりするのを待って身を起こす。
床には制服の残骸もなし。
体調は……思ったほど悪くない。やはり夕食をきちんと食べたのと、真里亜とのセックスが比較的――体感では十分激しかったが――軽かったおかげか。
こんな生活を毎日続けられる気はさすがにしないが。
「あ。おはよう、和泉くん」
「……おはよう、真里亜」
廊下に出て、料理中の真里亜と挨拶を交わす。どうやら昨日と起床時刻は大差なかったらしい。真里亜の格好も昨日と同じく下着にエプロンだ。
二度目ともなると多少は慣れたのか、朝の挨拶はちゃんと交わすことができた。
「それじゃあ、シャワー浴びてきちゃって」
「いいの?」
「ええ。私はもう浴びちゃったし、食事の支度にはもう少しかかるから。……本当は一緒に浴びるのもいいと思うけど、それには私がもう少し手際を良くしないとね」
「いや、僕が手伝うなり、早く起きればいいんじゃないかな……?」
昨日と同じようにシャワーを浴びて眠気を覚ます。
浴室を出るとやはり洗濯機の上に着替えが用意されていた。ワイシャツと下着は真里亜が持ってきてくれた替えを利用したものだ。
同い年の女の子が下着まで世話してくれたと思うと色々こそばゆい。
着替えを済ませると朝食になった。
メニューは昨日とはうって変わって和食で、厚焼き卵にご飯と味噌汁(大根にネギ)、小松菜のおひたしという取り合わせ。
品数は少ないがほっとする味で、自然と箸が進んだ。
「ええと、今日も放課後はここに来ればいいかな?」
「ええ。できれば明後日以降も。その方が時間も節約できて楽でしょう?」
「……まあ、そうかな」
知尋の寮は殆どアパート同様で、就寝時の点呼や外出許可、共用の食堂等は存在しない。食事の支度等の面倒はあるものの、外泊しようと特にお咎めはない。
基本的には真里亜とここで共同生活をする。
物を取りに行くなど必要が出たときだけ寮に帰る、とした方が確かに効率的だ。
「いっそのこと完全に越してきてもらってもいいけど」
「それはさすがに難しいよ。学校にも住所変更の届け出をしないといけないから」
その場合、真里亜と同じ住所を書いて提出することになる。もし気づかれれば何かしらの詮索を受ける可能性は高い。
これには真里亜も頷いてくれた。
「そうね。もう少し後、成績を上げるなりしてから考えましょう」
「……成績か。上がるかな」
「上がるでしょう。昨日の体育だって多少の評価には繋がったはずよ」
「多少は、ね」
普段なら何もできず逃げ回って終わりのところ、神代を打ち取るチャンスを作った。李狐の幻に惑わされずにボールを投げつけることもできた。
何の評価もできない、という状態よりは多少マシだろう。……多少は。
「でも、塵も積もれば、か」
「そういうこと。頑張って、私のご主人様」
登校は昨日と同じく二人別々にした。
教室へ着いた後はHRと午前中の授業を消化していく。
珍しく、李狐からは何の攻撃もない。休み時間にそっと様子を窺えば、彼女は知尋を気にする様子もなく友人達と会話していた。
そのまま、知尋は平穏無事に昼休みを迎える。
座学の授業については特に難しいこともない。ただ机に向かい、教師の話を聞きながら板書を書き写していくだけだ。強いて言えば、時間割の多くを訓練に割いている分、詰め込み気味の授業が多いことが難点か。
「和泉くんって、座学の成績いいよね」
不意に愛華に言われたのは、購買の総菜パンを自席で食べていた時だ。
今日は真里亜と別々の食事だった。彼女はクラスの女子から昼食に誘われたらしく、知尋のすぐ傍で数人集まり、雑談しながらコンビニのおにぎりを齧っていた。そのメンバーの中に高槻愛華もいたのだが……。
驚きつつ振り返れば、穢れのない瞳が知尋を見つめていた。傍にいたから声をかけてみた、という感じだ。
「別に、大したことないよ」
知尋は彼女から視線を逸らしながら答えた。
「そう?」
「うん。高槻さんとも殆ど成績変わらないし」
実際、座学に限って言えば、知尋と愛華の成績は同程度だ。
一応、知尋の方が多少上だが、ギリギリ上位に含まれるかどうかというレベルで、誇るには少々物足りない。
また、この学園では座学の成績は大きく二分傾向にある。『落とし物』としての能力や運動能力をメインとする、勉強の得意でない生徒が一定数存在するためだ。
できる生徒はできるし、できない生徒はできない。だから中途半端な成績だとあまり目立たない。
「んー、それでも、得意なものは得意だって言っていいと思うけどな」
「そう、かな?」
「そうだよ」
にっこり笑う愛華。
そこへ、隣にいた女生徒が彼女に耳を近づけた。
「ね、高槻さん。わざわざ和泉に声かけなくても」
小さな声だったが、知尋の耳にもかろうじて届いた。
よくある内緒話だ。言った本人は知尋に聞かせるつもりもなかっただろう。クラスで知尋の能力が良く思われていないのは知っているから、特に怒る気もない。
しかし、声を聞きつけ反応した者がいた。
「どうして?」
真里亜だ。
僅かに首を傾げながら、愛華に囁いた女生徒を見つめる。知尋は彼女の声と雰囲気にどこか有無を言わせないものを感じた。昨日、知尋にマンションに来るよう命じた時と同じだ。
見つめられた少女もまた得体の知れないプレッシャーに感じたらしく、困惑気味に返事をする。
「……え? ええと、あ。そっか。深海さんはまだ知らない、んだよね?」
「何を?」
「和泉の能力が、読心だってこと」
もちろん実際は知っているし、
それどころか自分から心を読ませようとすらしているのだが、二人の事情を知らないクラスメート達は重要なことだという顔で、口々に真里亜へ説明を始めた。
「和泉君と目が合うと、その時一番強く思ってることを読まれるの」
「考えてることを全部読まれるわけじゃないし、変なことに使う人じゃないとは思うけど」
「やっぱり良い気はしないでしょ? ……ね、和泉君」
最初の内緒話はどこへ行ったのか。
同意まで求められた知尋は、一同の誰とも視線を合わせないまま頷いた。
「……うん、そうだね」
逆の立場で考えてみれば、彼女達の言い分もわかる。自分の考えていることが筒抜けになるのは誰だって嫌だ。
だから、やはり怒りは感じない。
ただ、疎外される悲しさと、知尋の人格については肯定的な意見を聞けたことに小さな嬉しさを感じた。
気になるのは真里亜の反応だが、
「そう」
幸い、彼女も余計なリアクションを取らなかった。
ただ静かに頷いただけで食事を再開する――と、思いきや。
「そのくらい、私は別に気にしないけど」
言って無造作に視線を合わせてくる。
突然のアクションに知尋は驚き、反応が遅れた。結果、読心の能力が発動し、真里亜の心が入ってくる。
「なっ」
何度与えられても慣れない被虐的な衝動が胸を焦がす。
妙な声が漏れそうになるのを咄嗟に堪え、ついでに股間が生理現象を起こそうとするのも必死に我慢した。
さすがに今、この場で悪印象を持たれたら色々終わる。
「ほら、大したことない」
その後、視線は一秒足らずで逸らされた。
ほっとしつつ、空気を読まない言動に対する周囲の反応を窺えば、
「凄い」
「深海さんって度胸あるんだね」
女生徒達の反応は意外にも好意的だった。
彼女達の興味はあっという間に真里亜へと移っていき、知尋を気にするものはいなくなる。
まさかこれも真里亜の計算……ということはおそらくないだろうが。
ともあれこれでのんびりと食事を再開できる。
と。
「ね、和泉君。私も別に気にしてないからね」
顔を前に戻しかけた知尋へ向けて愛華が微笑んだ。
一瞬、視線交わる。
伝わった感情は、混じりけなしの純粋な好意。
別に恋心でもなんでもなく、友人というか隣人に対するものだったが。それでも知尋の胸に、ほのかに温かい感情が生まれた。
……遠くから送られたある冷ややかな視線に、知尋はやはり気づかなかった。
☆ ☆ ☆
五、六時限目は基礎トレーニング。
昨日や一昨日と異なり、主に異能と戦闘技術の熟練を目的としている。生徒個人の自主性に任される部分の大きい授業である。
ちなみに明日の木曜日は昨日と同じように体育、金曜日は月曜と同じく実戦訓練となる。月曜に休み中の進歩を確認すると共に生徒の気を引き締め、一週間の成長を見る意味で金曜にもう一度試合をする流れだ。
一日ぶりにトレーニングウェアに身を包む。昨日は体育だったため、知尋を含め多くの生徒は略式の体操着姿だった。
基礎トレーニングは屋外の練習場で行われる。テニスコートのごとく床面が舗装された区画だ。
「トレーニングとはいえ気を抜かず、実戦と同じつもりで取り組むこと。能力を使う時は必ず周りを注意すること。怪我にはくれぐれも注意すること」
点呼や全員でのウォームアップ、諸注意を済ませたら個人ごとに散会する。
訓練の仕方が個人ごとに異なるからだ。
柴鳳学園が『落とし物』の学校で、生徒が全員能力者である以上、これはどうしてもそうなる。例えば、体術や武術の訓練にしても生徒ごとに「己の能力を前提」とするのが当然だし、能力の制御や活用方法となれば猶更だ。
だから、全員を集めての画一的な授業は行わない。一応、入学初期に何度かそういう授業はあったが今は違う。
生徒達は広い練習場へ思い思いに散らばり、好きなように訓練する。訓練の様子は複数人の教師が逐次チェックし、何か問題があれば対応する。希望者は屋内の訓練場を使うこともできるし、通り一遍の訓練が必要な生徒には教師がきちんと指導を行ってくれる。
「……さて」
何をしようか。
思い思いに散らばっていく生徒達をちらりと見つつ、知尋は小さく息を吐いた。
知尋の場合、特にこれといった「独自の訓練」は存在しない。彼の読心能力は相手がいないと意味がないため、殆ど訓練しようがないのだ。鏡を使っても自分の心が読めないのは検証済み。生徒の誰かと練習しようにも、好き好んで心を読まれたがる者はいない。教師に頼むにしても、人数には限りがあるのであまり頼れない。
結果、ごく普通の訓練をするしかないのだが、読心能力の都合からパートナーを募るのも難しい。
考えた末、知尋はいつも通りのメニューをこなすことにした。
木刀を借り、練習の隅で素振りを繰り返す。数十回ずつ何通りかのパターンを行ったら、走りこみや空手の型らしきものも混ぜ込む。
何の訓練かと問われたら「基礎」としか言いようのないメニュー。これまでは行っている本人ですら意味があるのか疑っており、そのため正直、あまり身が入っていなかった。
しかし、真里亜と出会ってからの出来事で多少、心構えにも変化があった。
こんなのでも、何かの役に立つかもしれない。
少なくとも、身を入れて型や素振りを続ければ多少は筋肉がつくだろう。根性とか集中力も身に着くかもしれない。ランニングも同様だ。脚力とか、肺活量とか。やらないよりはずっとマシなはず。
そして、適当にやるよりは真面目にやった方が、ずっと。
無心に、一通りのメニューを行う。
そうしてメニューが一周し、もう一度最初に戻ろうかと思った頃、不意に知尋の傍へ近づいてくる者がいた。
「こんな所にいたのね」
「……真里亜」
黒メインのトレーニングウェアに身を包んだ真里亜だった。
……身体にぴっちりしたウェアを、重ね着せずに利用する女子は少ないのだが。彼女がそうしているのはやはり「その方が興奮するから」だろうか。
「どうかした?」
「ええ。一人で練習していたら、なんとなく退屈になってきて」
「退屈? どうして?」
真里亜の答えに知尋は目を瞬かせた。彼女なら相手はいくらでも見つかるだろうに。
と、彼女はやや気まずそうな表情を浮かべて言った。
「ほら。私の能力だと、訓練のつもりでも実戦に近くなってしまうから」
「……あ」
考えてみれば、真里亜の能力もまた相手がいないと満足な効果を発揮しない。自己治癒は自傷してまで発動、訓練する能力ではないし、受けたダメージを返す能力は基本的に対人戦用だ。
これだと組み手形式の訓練もしづらい。
受け身を取らせる前提で軽く投げる、プロテクターを付けた部位を殴る。そうした安全なはずの訓練でも、真里亜の受けた衝撃は攻撃者に返る。すると真里亜のパートナーは訓練のはずなのに無駄な消耗を繰り返すことになる。
かといって能力をオフにすれば、真里亜側の訓練効率が落ちてしまう。
「だから誰にも頼まなかったの。それに、誘われても断った」
「……なるほど」
それで、知尋のところへ来た。
知尋の性格、能力は既にほぼ把握されているようだし、それなら彼がこうして一人で訓練しているのも予想できたはず。後は居場所を探すだけ、というわけだ。
「和泉くん、私と一緒に訓練しない?」
「僕と?」
「ええ。お互い、相手がいないと本領を発揮できないのは同じでしょう?」
確かに、悪くない話だ。
真里亜が相手なら知尋の能力も好きに使える。まあ、実力的に知尋に分が悪すぎる気はするが。
「わかった。じゃあ……」
「ちょっと待ってくれない?」
そこで、別の声が知尋と真里亜を呼び止めた。