思わず、華と同じようにその場へ立ち尽くしてしまった知尋は、上座に座る三年の男子生徒の声で我に返った。
「実行委員の方は学年、クラスごとに座ってください」
知尋をちらりと振り返った華は、一年A組の席――真里亜の二つ隣に向かっていく。そうなると知尋もぼうっとしているわけにはいかなかった。
先程の三年生、学園祭の実行委員長に歩み寄って挨拶する。
「一年C組の和泉知尋です。生徒会代表として参加させてください」
「ああ、聞いてるよ。よろしく」
他の主要メンバーとも挨拶を交わすうち、二・三年生の実行委員も揃ってしまう。
折を見て様子を窺ってみたが、華も間に生徒を一人挟んでいるせいで真里亜に話しかけるタイミングが掴めないようだ。
『何ですか生徒会って。聞いてないんですけど』
とでも言いたげな視線を、代わりに知尋へと送ってきていた。
そのまま委員会が始まり、終わる。
今回は第一回目ということもあり、委員の自己紹介と各種説明が主だった。知尋は最初に自己紹介をした後は、ひたすら新品のノートに議事録を取るだけ。
……自己紹介の際も、真里亜は平然とした様子だった。
委員会は二時間ほどで終了。生徒達はそれぞれ思い思いに席を立って出入り口へ向かい始める。
真里亜は――華に呼び止められて何やら話し始めた。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様。今後ともよろしく頼むよ」
委員長らと再び挨拶してその場を離れる。
真里亜が華と別れ、荷物を整えたところに間に合った。
「真……」
真里亜、と呼ぼうとして口を噤んだ。
……誰もこちらに注目していないとはいえ、校内で親しげに話すのはまずい。表向き、二人はただのクラスメートになっているのだから。
はやる気持ち、彼女に真意を問いただしたい思いを抑えながら、極力平静を装って言い直した。
「深海さん」
黒髪の少女が振り返る。
「ああ、和泉君。お仕事お疲れ様」
微笑む真里亜と目が合う。いつもの衝動を予想していたが、胸に入ってきた気持ちは意外にも穏やかな親愛だった。
……どういうことだろう。
あの真里亜が性欲よりも強く、そんな感情を胸に抱いている?
奇妙な居心地の悪さが知尋を襲う。目の前の少女が自分の知っている真里亜ではなく、同じ顔の別人に入れ替わっているかのような。
何かを見落としている。
知らないうちに、真里亜の身に重大な出来事が起こっていたのではないか。
ぞっと背筋が冷えた。
しかしそれは今、この場では確かめようがない。
「和泉君?」
「あ……ごめん」
不思議そうに見つめてくる真里亜に笑顔を返した。
……彼女に何を言うべきなのだろう。
「知らなかったよ。深海さんが学園祭実行委員になっていたなんて」
多少、声色が恨みがましくなってしまったのは仕方がないだろう。
しかし真里亜は気づいた様子もなく、くすりと笑った。
「そうね。舞阪君から直接頼まれて、その場で受けてしまったから。殆どの人は知らないと思うわ」
でも、と彼女は続けて。
「和泉君がいてくれて良かった」
「え?」
「同じクラスの人がいてくれるだけでほっとするもの。これからも、よろしくね?」
少し恥ずかしそうな上目遣い。
「う、うん」
「ありがとう」
言って荷物を手に取り「それじゃあ」と頭を下げる仕草も自然で、だからこそ違和感を覚えた。
何だ、これは。
これではまるで普通すぎる。
あまり交流の無かったクラスメート同士がイベントで一緒になり、ちょっとした会話の機会を持った……そんなやりとり。
「あ……」
遠ざかっていく黒髪に思わず手を伸ばしそうになる。
呼び止めた方がいいのだろうか。
もう一度話しかけて、二人きりになれる場所で真意を問いただした方が。
……だが、それで本当になんとかなるのか?
頭がくらくらした。
何を警戒し、何を疑えばいいのか見当もつかない。
既に真里亜が変わってしまっている――変えられているのだとしたら、人目のない場所へ移動しても無意味なのではないか。
既に真里亜が何者かと入れ替わってしまっているのなら、誰もいない場所へ連れ出すことこそが相手の狙いである可能性はないか。
思ううちに真里亜は教室を出て行ってしまう。
きちんとマンションに帰ってきてくれるのだろうか。帰ってきたとして、李狐はあの真里亜を見てどう思うのだろう。
そうだ、華。
彼女はどう思ったのだろうか。
こと真里亜の様子について、御宿華以上に信頼できる相手などいない。
「……っ!」
慌てて教室を出て華の番号をコール。
いざとなれば真里亜を追えるよう、階段に近く昇降口の様子が見える窓際を取る。幸い華はすぐに電話に出てくれた。
『はい? 何か用ですか?』
「華、さっきの真里亜の様子って変じゃなかった?」
『はあ? というか、どさくさに紛れて名前で呼ばないでくださ――』
「悪いけど時間がないんだ。そういうのには付き合ってられない」
苛立ち混じりに言葉を遮る。
『………』
華は数秒の沈黙の後、深いため息を返してきた。
それから、先程よりは真剣な声で質問に答えてくれる。
『何を焦っているのか知りませんけど……普通でしたよ。いつもの真里亜ちゃんです。変なところなんて、少なくとも私は気づきませんでした』
「……そう、か」
返答を聞いて身体から力が抜けた。
それが安堵なのか落胆なのか、知尋自身にも区別がつかなかったが。
華の見立ては信頼できる。ならば、真里亜が何かの事件に巻き込まれている可能性は低いと考えていい。
『あの。何か、あったんですか?』
「……わからない」
『わからないって、ふざけてるんですか?』
「もちろん真剣だよ。……教えてくれてありがとう。もう大丈夫だから」
華はなおも納得しきれない様子だったが、素直に話を打ち切ってくれた。まあ、単に知尋と長々話したくなかっただけかもしれないが。
ふう、と息を吐く。
……落ち着け。単なる早とちりならそれでいいんだ。だから、ひとまず今やれる最低限のことをこなせ。
少し考えてから、李狐と愛華にメールを送った。
文面は簡潔にした。もし真里亜と会ったり話をしたら、何か変わった様子がないかそれとなく窺って欲しい。もしマンションに中々帰ってこないようなら連絡して欲しい、とそれだけ。
二人からは程なく了解の返信があった。
これで、とりあえずは問題ないはず。
途中で顔を洗い気持ちを切り替えてから生徒会室に向かう。
相変わらずコーヒーの匂いが漂う室内には四葉とルシルの二人がいて、席に座り何やら書類仕事をしていた。
ノックして返事を待たずに入ったので、二人が顔を上げたのは入室とほぼ同時だ。
「ふ、どうやらサボらなかったみたいね」
「遅くなってすみません」
小さく鼻を鳴らすルシルに、委員会終了からここまで少し間が空いたことを詫びる。
金髪の少女は「ん?」と首を傾げた。
「寄り道でもしてきたの? 別に初回から重要情報があるわけでもなし、私達が帰る時間を過ぎたわけでもなし。そこまで気にしなくていいわよ?」
私が悪い上司みたいじゃない、と続ける彼女を見て四葉が微笑む。
「ルーは誤解されやすいのよ。……お疲れ様、和泉君。議事録はあるかしら?」
「あ、はい」
鞄からノートを取り出し、テーブル越しに手渡す。
議事録が四葉からルシルに渡り、ルシルが中身を眺めるのを見つつ口頭でも説明する。
まず、特別な問題もなく会議が進行したこと。
それから会議の内容。自己紹介や学園祭の概要説明等に終始したため詳細な報告は省き、委員になった生徒達の出席状況や参加態度等を簡単に付け加えた。
ぱたん、とノートの閉じる音。
「ま、悪くはないわね」
「わ」
ぽん、と投げ渡されたノートを慌ててキャッチする。
「ルーのお眼鏡に適ったみたいね」
「ま、使いっ走りならこんなもんでしょ。次からもよろしく」
「はい。ありがとうございます」
報告の後は椅子に座らされて半強制的に休憩タイムとなった。
今このタイミングだと焦りのようなものを感じてしまうが……まあ、すぐに帰らなくても大丈夫だろう。
直近の危険が低いのは確認したし李狐達にも連絡を取った。
むしろ知尋がいない方が、李狐達がうまく聞き出してくれるかもしれないと自分に言い聞かせる。
四葉がコーヒーを淹れてくれ、ルシルがテーブルの上の皿にどさりとお菓子を追加する。チョコレートにパイ、マシュマロ、クッキー、ビスケット……どれもいたって普通の市販品だが、これだけあると壮観である。
「甘いお菓子ばっかりなんですね」
「疲れた時には甘い物がいいでしょう?」
マシュマロを一つ、上品に口に運びながら四葉が言った。せっかくなので知尋もいくつか口に運ばせてもらう。
「といっても、大きくはルーの糖分補給のためなのですが」
「糖分? 能力の代償か何かですか?」
思い浮かべたのは『熱操作』を持つ朱香のこと。彼女も能力のせいでカロリー消費が激しい体質だったはず。
そ、とルシルは案外平然と頷いた。
彼女は話をしながらもチョコレートやクッキー等をぽんぽん口に放り込んでいる。
「私の能力はカロリーもだけど、特に糖分が不足するのよ。だからこうやって補ってるわけ。ま、半分は単に好みの問題だけど」
女の子なら普通は体重を気にするところだが、ルシルは能力のおかげで好きなだけお菓子が食べられるらしい。
そう聞くと羨ましい気もする。
「どんな能力なのか、聞いてもいいですか?」
「『天才』よ」
「え?」
「だから、『天才』。それが私の能力」
自分で言うのもアレだけどさ、とルシル。
彼女の『天才』は運動、学問、芸術、音楽……等々、あらゆる分野において非凡な才能を発揮する能力。
使っても、本人が知らない事までできるようにはなるわけではない。しかし知っている事柄を思い出したり応用したり、教えられた内容を習得するのに抜群に役立つ。
一を聞いて十を知る、万能の能力。
ランクはA。
「むしろ有名だから、知っててもおかしくないと思ったけど」
「……あはは。どうもそういうのには疎くて」
「ルーのことは大抵の子が怖がったり敬遠したり、逆に尊敬したりする子が多いから不思議だったけど、そういうことだったのね」
納得がいったと頷く四葉。
「ルシル先輩ってそんなに凄いんですか?」
「凄いわよ」
ふん、とルシルが鼻を鳴らした。
「三、四か国語余裕で話したり、剣道空手柔道を見ただけで覚えるようなのが、もしあんたにとっては『普通』なら別だけど」
「……凄いですね」
むしろ、普通に高校生をしていることが不思議なくらいだ。
「だって面倒じゃない」
「面倒、ですか?」
「そうよ」
コーヒーを口にし、更にお菓子へ手を伸ばすルシル。
「誰が好き好んで高校生すっとばして大人の仲間入りなんかするかっての。青春なんてのは、子供でいる間しか味わえないんだから」
まるで達観した大人のように彼女は言った。
青春。
子供の特権。
……あまり正面から考えてみたことはなかったが。
「ふふ。ルーがそんな風に言うなんて珍しいわね」
「何よ。いいでしょ、たまには」
「ええ、もちろん」
和やかに言いあう二人。
それを見ていて、ふと真里亜達の顔が浮かんだ。
やっぱり、気になる。
知尋はコーヒーのカップを手にすると、中の液体を飲み干した。
「すみません。今日はこれで帰ります」
四葉が振り返って目を瞬いた。
「そう? ……あ、それなら少しだけ時間をくれる?」
立ち上がった四葉がテーブルを回りこんで知尋の傍で立ち止まる。
彼女の手がそっと知尋の右手に触れ、持ち上げた。
「手を、開いて」
左手で知尋の手を保持したまま、右手の人差し指を手のひらに滑らせる。
何度か八の字を描くように動かすと、今度は最初の八の字と交差するように別の八の字を描いた。
くすぐったい。
同時に何か儀式めいた神秘性を感じる。
「はい、おしまい」
「あの……今のは?」
一分ほどで四葉は知尋を解放してくれた。
尋ねると、彼女は微笑んで首を傾げる。
「おまじない、かしら。和泉君にいいことがありますように、っていう」
「……ありがとうございます」
もう子供騙しを信じる年頃ではないが、四葉の言葉は素直に受け入れることができた。ぺこりと頭を下げて荷物を手にする。
「それじゃあ、失礼します」
「ん。達者でね」
「さようなら、和泉君」
会長と副会長、先輩二人と別れて生徒会室を後にする。
すぐにでもマンションに戻りたい気分だったが、思い直して医務室に立ち寄った。
ベッド数が十近い、普通の学校と比べかなり広いその室内を入り口から覗く。
ベッドは一つ二つ埋まっているものの、直近の怪我人はいないらしい。傍の戸棚では、女性の校医――小岩井則子が何やら作業をしていた。
「ん? ああ、和泉。高槻ならもう帰ったぞ」
顔を見るなりそう言われた。
どうやら愛華を探しに、会いに来たのはバレバレだった。三十分くらい前に作業が一段落したため、今日のところは終わりにしたらしい。
まだ校内にいるのなら、と思ったが一足遅かった。
「ありがとうございます」
則子にお礼を言って医務室を出た。
他には特に用事もないので学園を出て、マンションへ向けて歩いた。そうしてもう少しで辿り着くという頃、スマートフォンに着信。
李狐から電話がかかってきていた。
「もしもし、李狐?」
『あ、知尋。ごめんね、今すぐ帰って来れない?』
慌てたような、怯えたような声色から何かあったと察する。
「どうしたの?」
『真里亜と高槻さんが喧嘩してるの。もしかしたら手が出るかも』
「っ」
すぐに行く、とだけ答えて知尋は通話を切った。