誰も何も言わない。
お蔭で、理解するための時間は十分に取ることができた。
「僕と、一緒にいるためって……」
実行委員になれば、知尋と同じ空間にいられる時間が増える。
だから舞阪の頼みを引き受けた。
その理屈はわかる。
「でも、生徒会のスタッフと実行委員じゃ立場が違うし、会議中は話もできない――それに、帰ってくればずっと一緒なのに」
「………」
真里亜は答えない。
ただ黙ったまま、視線をテーブルの上に向けている。
代わりに答えたのは愛華だった。
「それでも、知尋君と一緒にいられる時間が増えるから……だと思うよ」
一緒にいられる時間。
思えばそれは愛華自身も気にしていたことだ。
これまで放課後の自主訓練に宛てていた時間を生徒会に回しても、一緒の時間はどうしても削られてしまう、と。
色々方法を考えたがどうにもならず、結局二人の繋がりを『物』で示すことで解決したけれど。
同じことを真里亜が考えていてもおかしくはない。
しかし。
「……それだけのために?」
どうしてそこまでするのか。
愛華達の言っていた通り、それなら意固地になる必要がない。
前もって打ち明けてくれるなり、もっともらしい理由をつけて実行委員への参加を納得させれば良かったはずだ。
意固地になって話をこじれさせる必要なんて何もない。
「ね、そう思うでしょ?」
愛華が声に静かな怒りを滲ませながら言った。
彼女はそこで軽く首を振って。
「でもね……私が許せないのはそこじゃなくて、その先なんだ」
「先?」
「そう。知尋君にも、私にも黙っていた理由」
真里亜へ、きっ、と視線を向けた。
「理屈じゃない。ただ、抜け駆けしたかった。私のいない所で知尋君と一緒にいたかった……そうでしょ、真里亜ちゃん?」
問われた真里亜はゆっくりと顔を上げた。
漆黒の瞳に何か深い激情が揺らめいている。しかし、それが向けられた先にいるのは知尋ではなく愛華だ。
「違うわ」
「嘘」
「いいえ、本当に違う」
「嘘!」
だん、と。
愛華がテーブルに手を突き、少女の怒声が居間に響く。李狐が慌てて愛華を押さえ、もう一度椅子に座らせた。
愛華はそれでも興奮さめやらず真里亜を睨みつけたまま。
そんな友人を切なげに見つめながら李狐は言った。
「高槻さん。あたしも、高槻さんが言ったのはちょっとだけ違うと思う」
「え……?」
意味がわからない、というように瞬く愛華。
そこへ今度は華が静かな声で告げた。
「多分ですけど、高槻さんもわかってると思いますよ。ただ注目しているポイントが違うだけで」
それから、と彼女は続けて。
「簡単に言うと、今回の件はだいたい和泉君のせいです」
「………」
相変わらず歯に衣を着せない物言いを黙って受け止めた。
華の指摘自体は予想の範疇だった。そもそも、愛華や真里亜達と今みたいな特殊な関係を築いていなければ、今回のトラブルだって起きなかっただろうから。
その上で尋ねる。
「どういうことか、教えてもらってもいいかな?」
「……ん」
李狐が頷き、ちらりと真里亜に視線を走らせる。
「いいよね、真里亜」
「……好きにしなさい」
答える声はどこか弱々しかった。
それでも同意は同意。
李狐は了解を得られたものとして話を始めた。
「あたしは……真里亜は知尋と『学校で』一緒にいたかったんだと思う」
視線を送られた華も頷く。
「でしょうね」
「……学校でも、殆どの時間は一緒にいると思うけど」
知尋と真里亜は同じクラスだ。
授業中も休み時間も、少し隣へ目をやるだけで相手の様子を確認することができる。
しかし李狐は首を振った。
「それは一緒にいることにならないでしょ。ただの他人、クラスメート。話もしないで、ただ同じ場所にいるってだけ」
ただ同じ空間にいるのと、一緒にいるのとでは大きな差がある。
当たり前といえば当たり前のこと。
あらためて突きつけられて初めて気づくこと。
「それは……学校ではお互いに干渉しないっていう約束で」
「ええ、そうですね。でもそれ、『和泉君が決めた』約束じゃないですか?」
華の指摘にどきりとした。
……彼女の言っていることは正しい。
学園内ではお互いに不干渉、このルールを作ったのは知尋で、真里亜は最初から碌に気にしてはいなかった。
ただ、知尋の決めたルールを守ってくれていただけ。
それが、実は不満だった?
なら、もっと早く言ってくれれば。そう思ってしまうのは傲慢か。
傲慢、なのだろう。思う知尋をよそに愛華が口を開いた。
どうやら似たような思考に至ったようで、
「……でも、必要なことでしょ? どっちが決めたとかはともかく」
李狐はそれに頷いた上で更に尋ねる。
「そうだけど。じゃあ、どうして必要なんだと思う?」
「それは、そうしないと知尋君が目立ち過ぎて……っ」
言葉の途中で愛華が目を見開き、口を噤んだ。何かに気づいたらしい。
華がちらりと知尋を見て。
「そういうことです。あまり和泉君の周りが賑やかになれば目立って、全員の行動が縛られる……確かにその通りですけど、現状でも十分賑やかですよね?」
「……それは」
その通りだ。
今、知尋の傍には恋人である愛華がいて、愛華の友人である李狐がいることも多い。舞阪は頻繁に話しかけてくるし、神代とは二回も特別な試合をした。
――真里亜だけが離れている。いや、離されている。
もちろんマンションに帰ってからは普通に話ができる。
むしろ真里亜の提案する突飛なプレイを知尋が採用したり、知尋が真里亜に夜の相手を求めることも多いが……だからこそ。
学園内でただ一人、蚊帳の外に置かれている状況には耐えられない。
しかし、それは。
知尋の傍から離れるのは寂しい、と。
主人の言いつけよりも自分の気持ち、想いを優先する態度はまるで。
「真里亜ちゃんは、和泉君のことが好きなんだね。ご主人様とかじゃなくて、男の子として」
――理屈も、立場も関係ない。
ただ羨ましかった。知尋と学園内で、普通に話ができる李狐が。知尋と恋人として周囲から認知されている愛華が。
彼女達の位置を少しでも奪いたかった。
出し抜きたかったから、誰にも伝えずに実行委員を引き受けた。
奴隷ではなく、女として。
『同じクラスの人がいてくれるだけでほっとするもの。これからも、よろしくね?』
ただのクラスメートとして出会い、仲良くなる建前を作るために。
……愛華の呟きに、真里亜が強く身を震わせた。
「違うわ」
必死の否定。
それを愛華はさらりと受け流す。
「ふうん。何が違うの?」
「私が実行委員を引き受けたのは、その方が好都合だと思ったから。それだけ」
「好都合?」
「一緒にいるデメリットはあるけれど、メリットだってあるでしょう? 有事の際に迅速に行動するには、和泉君の傍にいた方がいいわ」
一理あるといえばある。
その発言は結局のところ、同じ疑問を導いてしまうが。
「そう思うなら、先に知尋君に伝えるべきじゃない?」
「……それは」
真里亜が口ごもる。
彼女がちらりと知尋を見た。
苦しそうな、どこか責めるような色の瞳。
「……言ったら却下されると思ったの」
ずきん、と胸が痛んだ。
本当に、真里亜が今言った理由で相談を諦めたのだとしたら、それは二人の間に信頼が足りていなかったということだ。
……知尋が、提案を頭ごなしに否定すると思われた、ということ。
ふう。
ため息を吐いたのは李狐だ。
「……だから、あたしは真里亜が悪いと思う。もちろん、気持ちはわかるんだけどさ」
「いや、李狐。今の話なら悪いのは」
僕だと、言おうとした知尋を愛華が遮った。
「ううん、李狐ちゃんの言う通り。これは真里亜ちゃんが悪いよ。だって、知尋君をご主人様だって言いながら――知尋君を信じなかった。しかも、知尋君に従うのも嫌がったんだから」
奴隷として失格だ、と。
そうでしょうか、と華が呟く。
「真里亜ちゃんを追いつめたのは、ご主人様と奴隷の関係に『恋人』なんていう異物を持ち込んだ和泉君。それから彼女面をして、無邪気に真里亜ちゃんにプレッシャーをかけ続けた高槻さんでしょう」
そう。
真里亜が奴隷としてやってはいけないことをしたのだとしても、根本の原因が知尋にあるのは変わらない。
愛華にまで責任を求めるのはお門違い、というかやり過ぎだと思うが。
「違うわ」
再び真里亜。
「違うの。私はそんなこと考えていない。私はご主人様の奴隷としてそうしたの」
「だから、それは真里亜ちゃんの言い訳だよね」
「言い訳じゃない!」
真里亜が縋るように知尋を見つめる。
彼女の瞳を正面から受け止めた知尋は、彼女の胸に渦巻く感情を見た。
「お願い、信じて和泉君。信じて……信じてください、ご主人様」
自己欺瞞。
今、彼女は自分で自分を騙そうと必死になっている。
痛々しい。
……見ていられない。
気持ちが手に取るようにわかるからこそ、信じると言ってあげられない。
「………」
口を噤んだ知尋を見て、真里亜は切なげに目を細めた。
いやいやをするように首を振り、嗚咽混じりの声を漏らす。
「認めない。私は……そんなこと思っていない」
沈黙が降りた。
誰もがそれぞれの思いを胸に抱え、そのせいで何も言えない。
苦しいばかりの静寂を破ったのは華だった。
「だから、和泉君じゃなくて私の物になっていれば良かったんです」
それは、どちらかといえば独り言だったのだろう。
「そうしたら、そんな苦しい気持ちにならなくて済んだのに」
苦しい。
……恋とは、愛とは苦しいものだっただろうか。
愛華に対して抱く思いは暖かくて優しくて、苦しくなんてないのに。
いや。
神代が愛華に告白した時の気持ちはどうだっただろう。
つまり、報われる恋と報われない恋――想うだけの恋では全くの別物なのか。
「ねえ、真里亜ちゃん」
愛華が静かに言う。
先程までに比べると声音も表情も大分落ち着いている。代わりに彼女が滲ませるのは哀しさと切なさ。
「もう嘘だとかは言わない。でも、今の真里亜ちゃんはやっぱり認められないよ。だって、全然真里亜ちゃんらしくないもん」
深海真里亜はもっと凛と、毅然としていて、自分をしっかりと持った少女だ。
迷子の子供のような今の表情は相応しくない。
「もしかしたら私が間違ってるのかもしれないね。でも、だったら真里亜ちゃんの気持ちをちゃんと教えて。でないと私は許さないし認めない」
「愛華」
「ごめんね、知尋君」
呼びかけられた愛華は知尋を振り返って目を細める。
「こんな喧嘩、誰も楽しくないよね。でももう、しっかり終わらせるまで終われないよ」
「……うん」
そう、なのだろう。
起こってしまったことは取り返しがつかない。ここで表面上、何もなかったことにして取り繕っても、しこりは皆の胸に残り続ける。
ならば今、綺麗に片づけてしまうべきだ。
原因があった以上はいつか、必ず起こり得る自体だったのだろうから。
「知尋」
李狐もまた知尋を見ていた。
「全部が知尋のせいなんて言わないし思わないけどさ。多分、これをどうにかできるのは知尋だけだと思う」
「……そうだね」
彼女の言葉に頷いた。
それから、自分の胸の内を整理していく。
……確かに経緯はわかった。
しかし正直、まだ動機については半信半疑だった。
あの真里亜が知尋に恋愛感情を抱く。
――知尋にとってはありえないことだった。
彼女の処女を奪い、幾度となく抱き、その身体を味わってきた。ある程度の絆を築けたという自信もあった。
それでも、深海真里亜という少女は誰にも恋をしないと思っていた。
馬鹿にしていたわけではない。
彼女の胸の内にある強烈すぎる欲望、それを思えば、恋なんて必要ないと思っていたのだ。
もし、それが誤りだったというのなら。
知らなければならない。もう一度、深海真里亜という少女のことを。
深く、読心とは違う方法で求めなければならない。
そのためにはどうしたらいいか。
考え、そして決めた。
……おそらくこれは、知尋にとっても真里亜にとっても、そして李狐達にとっても辛い選択になる。
それでも、そうするべきだと信じることにした。
「じゃあ、ご飯にしようか」
「へ? 知尋、ご飯って、今そんな場合じゃ」
李狐が妙な声と共に首を傾げるが、そんな彼女に精一杯の笑顔を作って告げた。
「いや、今だからこそなんだ。これからすることは体力を使うと思うから。……それにもしかしたら、これが皆で食べる最後のご飯になるかもしれないから」
「それって、和泉君。どういうことですか?」
華の問いかけに、知尋はゆっくりと答えた。
「ご飯の後、真里亜を調教する。その結果によっては、僕は真里亜を手放す」
きっぱりとした宣言に、その場にいる誰もが言葉を失った。