ファルと付き合ってから初めて、休みを取った。店の休日と合わせての平日、前の晩にいつも通り店を訪ね、次の日は一日ゆっくり過ごそう――と思ったのだが。
「んっ……ん、は、ぁんっ……」
「……、う……ぐっ、ファルっ……」
抑えた声が互いの唇から漏れ出る。すでに喉は痛み、それも掠れかけているのを感じて唾を飲みこんだが、渇きのためだけではない。自分の下で足を開き、動くたびに細い腰をしならせるファルの肢体に欲情しているからだ。
(昨日から数え切れないほどしてるのに、まだ欲しいのか)
華奢な指と手を組み、ぴったりと体を合わせて、奥深くまで繋がり、頭の芯まで痺れるような快感に溺れる。
ファルの店から家に移動してからこっち、一度始めたセックスがとまらなくなった。
最初にした時もそうだったが、ファルの体はあまりにも簡単に理性を溶かし、交わるともう、快楽を貪る事しか考えられなくなる。
無我夢中で睦み続けて、閉じたカーテンの向こうが明るくなってもまだ重なり続けていたが、もはや疲労と眠気で体は重いし、喘ぎ過ぎて喉は痛み、頭もなかば朦朧としてきた。
それなのにまだ、気持ちよさそうに嬌声を漏らすファルを目にして、もっと欲しいと思ってしまうのだから、欲に果てがなさすぎる。
(とはいえ……さ、すがにっ……)
「ふ、……はっ……!!」
「っ……あ、らがきっ……!」
ど、と音が聞こえそうなほど欲を吐き出すと、手をきつく握りしめ、ファルが背をのけぞらせた。
互いに呻いてひくひくと体を震わせ、快楽の余韻に陶然と浸り――アラガキは天井を仰いで残った息を大きく吐き出した後、ファルの上に倒れ込んだ。
「は……はぁ……はぁっ……」
荒い息を細い肩に吐いて、目を閉じる。
精根尽き果てるとはこの事か。
トレーニングをし過ぎて倒れる寸前までいった時のように、手足がずしりと重く、くらくら眩暈がした。自分がこれだけ疲れているのでは、ファルはそれ以上ではなかろうか。
「……ファル……平気か……?」
辛うじて頭を持ち上げて問いかけると、同じように息を乱してぼんやりしていた彼女は軽く瞬きをした。間をおいて、うん、と掠れた声で囁く。
「……いっぱい、きもちよくて……すごいね、アラガキ……」
「っ……あ、あぁ……うん……そうか……」
てらいのない感想を言われるのは恥ずかしく、それでいて心が躍る。
望んでの事ではないとしても、多くの男にこの身を晒さなければならなかったファルをして、自分のセックスがそんなに気持ち良いと言わしめるのなら、男としても自信を持っていいのでは、なんて思ってしまう。
(うぬぼれかもしれないが……嬉しいものだな)
互いの鼓動が少しずつ落ち着いていくのを聞きながら、しばらくそのままベッドに沈み込む。
相手の体温や呼吸を耳元で感じて過ごす無言の時は、安らかで心が凪いでいくようだ。
特に何もつけていないらしいのに、ファルの肌はいつも仄かに甘い香りがする。今はそれに汗の匂いもまじり、香しく鼻先をくすぐるのが、また気持ちが良い。
(このまま寝たいな)
無我夢中でし続けてしまったが、さすがに徹夜はきついようで、疲労と共に眠気がとろとろ忍び寄ってきた。うとうとと瞼を閉じかけるが、不意に窓の外からちゅん、ちゅんと鳥の鳴き声が聞こえて、ハッとした。
(……いや、待て。これだけでせっかくの休みを終えていいのか)
アラガキは退役軍人会のメガロボクス部、ファルはバーに勤めているから生活時間が合わず、逢瀬の時も短い。リミットを気にしながら忙しなくベッドを共にする普段と違い、今日は一日あるのだ。
セックスの相性がいかに最高だとして、さすがにそれだけで終えるのはどうなのか……ちょっと不健全では。
(ま、まあ……最初の時も、時間を忘れてしまったんだが)
あの時は食事もしないで部屋に閉じこもっていたかと思い出しつつ、アラガキは少し身を起こした。ファル、と呼びかける。
「少し休んだら、どこかに出かけないか」
「……うん……?」
彼女も寝入りかけていたのか、呆けた眼差しをこちらへ向けてくる。
「一日時間があるんだ。その……家に閉じこもったままだと、勿体ないだろう」
「……わたしは、いいけど」
「ぐっ。……やめてくれ、本当にこのまま、ベッドからも出られなくなる……」
思わず素直に弱音を吐いたら、鈴を振るような笑い声をファルが漏らした。長いまつ毛が伏せられ、
「それでも、いいよ。わたし、アラガキと一緒にいられたら、どこでも……あ」
不意に思いついたように目が瞬いた。
「ファル?」
「うん。あのね、アラガキ。わたし――」
* * *
今日は少し、風が冷たい。アラガキは上着を、ファルはコートを羽織って街へ出た。
向かった先は、認可地区の中央にある公園だ。
都市計画の一環で整備されたそこは街の三ブロックにもわたる区画を有していて、遊歩道や広い池、テニスコートやプールといったスポーツ施設も内包している。
平日の日中、子連れや老人、主婦たち、スポーツを楽しむ人々がのんびりと過ごす合間をすり抜け、たどりついたのは、真っすぐに伸びる銀杏の並木道だ。
まだ季節が早いのか、緑色に染まった銀杏が左右等間隔に並ぶその道を、ファルと並んで歩く。
それ自体はいい。
寒さを感じはするが、天気がいいから、気分転換にはもってこいだ。しかし、
「……ファル、本当にここを歩くだけでいいのか? もっと他に行きたいところはないのか」
隣のファルに歩調を合わせて歩きながら問いかけるが、彼女は屈託なくうなずいた。
「わたし、いきたい所って、そんなにないよ。あそぶ所も、あんまり知らないし」
「そうなのか。まあ、俺も詳しくはないが……公園を歩くだけってのは、つまらなくないか。
もっとこう……なんだ、例えば買い物に付き合ってもいいんだぞ。確かあっちにでかいモールがあるだろう」
女は買い物が好きだからと、漠然とショッピング街の方を示したが、ファルは首を振った。
「ほしい物、とくにないから。それにね、わたし――アラガキとここに来られたらいいなって、ずっと思ってたの」
「?」
見渡しても、そこは何の変哲もない、ただの並木道だ。どうしてこんなところにと目で尋ねたら、
「あのね。むかしよんだ小説で、ここが舞台になってるのがあって。そのおはなしがわたし、とってもすきなの」
ファルはへへ、と照れたように笑う。
「そのお話はね、かたおもいしてた人と恋人になって、とってもしあわせになるんだけど。あいての男の人、軍人さんで、せんそうにいっちゃうの」
「!」
「それで、ずっとずっとその人をまってて、でも帰ってこなくて。
せんそうがおわっても、どうなったのか全然わからないまま、何十年もあとになって、かたみの手紙がとどくの。
それでやっと、ああ亡くなったんだなってうけいれて、おわり」
「……悲しい話なんだな」
そういう顛末は自分も良く目にした。
自分が属していたのは国連の平和維持軍で、基本は防衛や民間人の保護を優先するため、戦闘が日常茶飯事というわけではない。
とはいえ交戦が発生し、結果死者が出る事も、珍しくはなかった。死にかけの兵から、自分を待っている人へ届けてほしいと形見を受け取った事は、アラガキにも経験があった。
故にその話は真実味を伴って響いたのだが、ファルは表情を和ませる。
「かなしいお話、かもしれないけど。わたしは、すてきなお話だなっておもったよ」
「ん?」
「さいごに亡くなったんだなっておもったあと、あの人とこんな事した、あんな事したって、思い出をたくさんあげていくのね。
さいしょに出会ったとき、デートにさそわれたとき、こくはくされたとき、はじめてキスしたとき……そういうのをひとつひとつ、たいせつなものを抱きしめるみたいに、うれしそうに、なつかしそうに、主人公がおもいだしていくの。
その中でね、ふたりで手をつないで、並木道をあるいたっていうのがあってね。
おかねがなくて、どこかいくあてもなくて、でも二人で一緒にいたくて。
だから、ただ散歩するだけのデートだったんだけど、とってもたのしかったなって、思い返してるのが……すてきだなって、思ったの」
「……ファル」
青い目が少し、潤んでいる気がする。
そう感じたのは、アラガキと別れた後に読んだその本に、わが身を重ねて少し泣いたりもしたのだろうか、と想像してしまったからだ。
(俺とはもう会えないかもしれない、と思ったんだろうか)
かつての自分とファルに、デートの思い出はない。
ぽつぽつと語りながら食事をし、部屋にこもり、黙然と時を過ごしただけだ。
互いに傷を負っていたから、静寂が満ち足りたあの時間も確かに必要なものではあった。
だが今思えば、もっと多く言葉を交わし、もっと早く互いを知り合えばよかった、と思う。
老人へ挨拶した時も思ったが、今こうして再会し、共に過ごせるのは、ほとんど奇跡だ。
何か一つでもボタンを掛け違えていれば、こんな時間はなかったかもしれない。
そう思えば、ただ散歩をするだけのデートにも心躍るのは、当然だろう。
「!」
ファルの心境を思って考え込んでいたら、するっと手中に柔らかい感触が滑り込んできた。驚いて見下ろせば、ファルの小さな手が自分の手を握っている。
「……アラガキの手、おっきいね。あたたかくて、すき」
見下ろした先では、ファルが頬を紅潮させ、これ以上の幸せはないというように顔を綻ばせている。
道を歩いているだけ、手をつないでいるだけ。たったそれだけの事に、何て嬉しそうな表情をするのだろう、この娘は。
(……ああ。たまらないな)
ぎゅう、と心臓が締め付けられて、アラガキは目を閉じ、また開いた。壊さないように、小さな手をそっと握り締め、自分のポケットに滑り込ませる。
「アラガキ?」
引き寄せられて、とん、と体が腕にぶつかる。きょとんと目を瞬かせるファルへ、
「今日は、寒いからな。こっちの方が暖かいだろう」
そう笑いかける。
「……うん。あったかいね」
するとファルはいっそう嬉し気に笑い、アラガキに寄り添った。
細く頼りない、小さな、それでいて確かに感じられる柔らかい存在感が嬉しくて、アラガキはポケットの中で指を絡めてしっかり握りしめた。
「……また、ここに来よう。ここだけじゃなく、もっと色んなものを見よう。俺はお前と、思い出をたくさん作りたい」
「うん。……うん、そうだね」
言葉に出して、互いの気持ちを確認し、笑いあって、並木道を寄り添って歩いていく。
風はまだ少し冷たいが、今は胸中にともる優しい思いに、芯からあたためられているようで、とても心地が良かった。