夢を見ているようで、現実感がない。だが、足はしっかりと地面を踏みしめ、自分の隣を歩くファルもヒールの音を鳴らしていて、確かにそこにいる。
(こうなるとは思わなかった……いや、全く考えなかったわけじゃないが)
ちらりと視線を向ける。店を出たファルはバーテン服から私服に着替えていた。
バッグを肩にかけたニットにジーンズというごく気楽な格好で、下ろした髪を一つにまとめて肩に流している。ラフな格好は、再会してから初めて見るので、それがまた胸にとどろくものがあった。
(まいったな。……緊張する)
先ほどの勢いはどうした、しっかりしろと鼓舞するも、一度流れが途切れてしまうと我に返ってしまうのだから情けない。
――別れの挨拶が、思いがけず熱のこもったものになった後。
つい愚直にこの先を求めていいのか尋ねたら、首に手を巻き付けてきたファルが、恍惚とした目で良いと応えてくれたから、思わずその場で押し倒しそうになった。
だが、体がスツールに当たってがたん、と大きな音が響き渡った途端、お互いハッとした。
『っ、こ、ここは……いくらなんでも、駄目だな』
彼女がこの店を大事にしているのは理解しているから、それを汚したくはない。それに、できればこんなところで忙しなく抱き合うのではなく、二人だけの落ち着ける場所で向き合いたい気持ちもある。
そして、そう思ったのは自分だけではないのか、
『……じゃあ……アラガキ、うちに、くる……?』
恥じらいに頬を染めながらファルが囁いたので――正直、渡りに船としかいいようがなかった。
聞けばファルの家は店から歩いて十分ほどの場所だと言う。
アラガキの住まいは退役軍人会の寮で、支障があるし距離も遠い。
ゆえに否応もなく、こうして二人で帰路を辿る今がある。
(さっきは、驚いた)
緊張から意識をそらそうと思い返したが、かえって顔が熱くなってしまう。
別れ際のキスがあいさつ代わりになってから数日。
それだけで十分すぎるほど嬉しかったのに、今日はファルの方が積極的にしてきたから、思わず我を忘れてしまった。唇を奥深くまで重ねる生々しい感触を思い返すだけで顔が火照るし、
『あんな控えめそうな子が、自分は欲求不満ですなんて言えるか』
しかも南部の台詞まで思い出して、うっと息を飲んでしまった。
(……そう、なんだろうか。ファルも、……考えていたんだろうか)
自分が彼女を思って悶々としていたのと同じように、ファルも不満を感じていたのかと思うと、どうにも落ち着かない気持ちになる。いま、何を話せば分からなくて黙り込んでいるのは同じなのか、さっきから一言も話さない。
(俺は、本当に情けないな)
もっと早く行動に移せるような、こういう時気の利いた事を言える男であれば、ファルも不満を持つことなく、リラックスできるだろうに。自分の不器用さにあらためて失望していたら、
「……アラガキ、あそこ。わたしの、うち」
不意にファルが口を開いて、指さした。その先にあるのは、五階建てのマンションだった。
(安全なところに住んでるんだな)
未認可地区の中でも、認可地区に近いエリアはかなり治安がいい。
あの店も繁華街の端、住宅街のそばにあるので危険な目に遭う事はあまりないだろうと思っていたが、住まいも大丈夫そうだ。
その事に少なからずほっとして、案内されるままついていく。
マンションは新しくもなく古くもなく、深夜なので静まり返って、明かりがついている部屋もほとんどない。
エレベーターもあるようだが、ファルは靴音を気にしながら階段を上った。
部屋は二階、飾り気のない白いドアの鍵を開けて、
「散らかってるけど……どうぞ」
恥ずかしそうに肩をすくめながら、招き入れてくれた。
女性の部屋に入るなんて、記憶にないくらい久しぶりだ。お邪魔します、と妙にかしこまって、アラガキは敷居をまたいだ。
* * *
部屋に入ってまず最初に驚いたのは、本の量だった。
まずカウンターキッチンのある居間へ通された。手前にはダイニングテーブル、奥の一角には書き物デスクと本棚がある。
その本棚自体、高い天井に届くほどで結構な大きさなのだが、中にはびっしり隙間なく詰め込まれているし、そこに収めきれなかったらしい本が山となって周囲に積み上がっている。
アラガキからすればそれでも綺麗に整えられていると思うが、ファルが散らかっている、といったのはこれを指しての事だろうか。
「えっと……てきとうに、すわってね。……なにか、のむ? おちゃと……コーヒー、あるよ」
「あ、ああ。じゃあ、茶を頼む」
戸惑いながら、テーブルの椅子を引いて座る。
あまりじろじろ見るのも失礼かと思ったが、好奇心はおさまらない。
そもそも自分はファルのプライベートを何も知らないのだと今更実感して、知りたい気持ちが疼いてしまう。
ふと視線を落とすと、テーブルの上には新聞が積み重なっていて、数日分かと思いきや、どうやら今日の分だけで何紙もあるようだ。
「どうぞ、アラガキ」
ことん、と小さな音を立てて湯呑が目の前に置かれ、前の席にファルが腰を下ろした。
ありがとう、と一口飲むと、気づかない内に冷えていたらしい体に温もりが宿るようで、自然とこわばりが緩む。
「……本をずいぶん読むんだな、ファル」
同じように茶を飲んで、ほ、と息を漏らしたファルに問いを投げると、彼女は本棚へ視線を向け、
「うん。おみせはじめる前に、たくさんべんきょうしなきゃ、商売はできないって、おじいちゃんに言われて」
「おじいちゃん……っていうのは、店のオーナーか」
話には聞いていたが、親密な呼びかけを耳にするのは初めてだ。うん、とファルはうなずく。
「べんきょうするなら、本はいくらでもって、たくさんくれたの。だからいまも読んでるし、自分でも買ってるよ。本はすき。新聞も、いっぱい読んでる」
「その人は、良い人なんだな」
「うん。おじいちゃん、すごくやさしいの。ちょっと怒りっぽいけど。
でも怒るのは、わたしがちゃんと出来てないときだけで、うまく出来るとすごくよろこんでくれるよ」
ふ、と青い瞳が柔らかく和んだ。
「……わたし、かぞくがいた事ないけど、本当のおじいちゃんみたいなの。
わたしをたすけてくれて、そとのせかいを教えてくれて、あのお店をまかせてくれて。
だから、すごくかんしゃしてる。おじいちゃんがいなかったら、わたし、……死んじゃってたかもしれない」
「…………」
ぐ、と湯呑を握りしめ――力を抜く。
そうか、とアラガキは自嘲気味に笑った。その気配を敏感に察して、ファルが目を上げて首を傾げる。
「アラガキ?」
「あぁ、いや……お前がその人に出会えてよかったと思う。
こうしてお前が今、自分で生きていけるようになったきっかけを与えた人なら、俺も感謝したいくらいだ。そう、思うんだが――」
情けない事だ。これから親密になろうという時にする話でもない。
そう思いながら、抱えてきた気持ちをこれ以上隠す事も出来ず、つい本音を口にしてしまう。
「……昔お前と出会った時、俺は自分の事に精一杯だった。
お前が苦しい状況にいる事は十分分かっていたのに、何もしてやれなかった」
「アラガキ」
「お前が姿を消してから、それをずっと後悔していた。
もしまた出会えたなら、次はきっと力になりたい、助けたいと思っていた。必ずそうすると考えていたんだが……それも遅きに失しているから、俺はどうもかっこつかないと思ってな」
「…………」
少しの間を置いた後、ふ、と手に温もりを感じてぴくっとした。
見ればファルの手が、自分の甲に触れている。視線を上げるといつものように、海のような空のような、柔らかい青をたたえた瞳が自分を見つめていた。
「そんなこと、ないよ。さいしょにあった時から、アラガキはずっと、わたしをたすけてくれた」
「俺は何も――」
「わたしずっと、アラガキの事かんがえてたよ。つらいこと、いやなことあっても、アラガキをおもいだしたら、耐えられた。
アラガキがわたしのこと、まもってくれたから。だからわたし、今日までいきてこられたの」
どきり、と心臓が跳ねる。
微かに触れるだけの温もりを妙に意識してしまって、また体が強張る。
息を飲む自分に気づいているのかどうか、ファルは微笑みを浮かべたまま続けた。
「おじいちゃんにたすけてもらったのは、そうだけど。
わたしね、アラガキがメガロボクスでがんばってるのも、ずっと見てたよ」
「! そうなのか」
メガロボクスに復帰したのは自分のため、だが南部やファルに気づいてもらいたいという気持ちがあったのも確かだ。リングに上がるたびにその想いは、諦めと共に段々色あせていったが……まさか、見ていてくれていたとは。
「気づいていたなら、会いに来てくれればよかったのに。俺は……ずっと、お前を探していた」
思わず熱を込めて身を乗り出せば、ファルは目を伏せた。ごめんなさい、と小さく囁く。
「アラガキがいっしょうけんめい、たたかってるの、じゃましたくなかった。あと……こわかった」
「怖かった?」
「うん。……わたし、だまっていなくなったから。
アラガキ、怒ってないかなっておもったり。わすれられてて、会いにいっても、だれだろうって顔されたらいやだなって。
そうおもったら、こわかったの」
「…………そんな事は、ない」
あるはずがない。こんなに忘れがたい女性と出会ったのは、生まれて初めてなのに。
だがアラガキは、自分の気持ちを言葉にして伝えはしなかった。
娼婦という身の上で背負った不幸はファルを臆病に、慎重にさせている。アラガキをメガロボクスのリングで見出したとしても、そう簡単に会いに来れなかった気持ちは、理解できるような気がした。
(……言葉を、惜しむべきじゃない)
ファルと一緒にいると、居心地がよすぎて、気持ちが全て通じ合っているような気がしてしまう。
だがそれは錯覚だ。
自分も彼女も、自身の中に言葉をため込みすぎて、思い切って前に踏み出せない。思いが通じ合った今、このままでいいはずがなかった。
「ファル」
ほっそりとした手をそっと包み込むと、ファルが少し震えた。
再びこちらを見つめる瞳は不安げに、だがどこか、期待に揺れているようにも見える。
それが自分の身勝手な願望かもしれない、と思わなくもなかったが――もういい。
勘違いでも、いいだろう。駄目だとしたら、彼女はきちんと拒めるようになっているから。
「俺はずっと、お前を探していた。あの時お前は、どん底にいた俺を救ってくれた。好きだと言ってくれた事が、嬉しかった」
これはもう告げた言葉だ。
彼女は自分の気持ちを理解してくれているだろう。
それでも、何度でも伝えたくて、言い募る。
「お前を助けたかった。守りたかった。そばにいて、一緒に歩いていきたかった。
……俺は、自分に自信がない。
お前の気持ちに応えられないんじゃないか、自分の気持ちを押し付けていないかといつも不安になる。
だが、もう――我慢するのは、やめる」
ぎゅ、と手を握りしめる。頭がのぼせそうなほど熱を感じ、羞恥に舌がもつれそうになるが、懸命に語る。
「俺はお前が好きだ。いられるものならずっとそばに居たい。お前の笑顔を見ていたい。声を聞いていたい。お互いの知ってることも、知らない事も、たくさん話をしたい」
「アラガキ」
きゅ、と細い指がこちらの手を握り返す。そのか弱い強さに後押しされたように思えて、アラガキはファルの目を真っすぐに見返し、
「――お前に触れたい。キスをしたい。抱きしめたい。お前が、欲しい」
はっきりと、欲望を伝えた。途端、ファルの白い頬にぱっと赤が散った。戸惑うように長いまつ毛が伏せられるのを見て、たじろいでしまうが、一度言ってしまえばもうどうにでもなれだ。
「お前がもし嫌なら、一生しなくてもいい。だが、いいのなら、俺はお前を抱きたい。お前は聞かなくていいと言ってくれたが、逆に聞かせてくれ。……お前は、どうなんだ。ファル」
「…………ア、ラガキ。しょうじき、すぎると、おもう」
沈黙を挟んだ後、ファルがつっかえつっかえ、呟いた。耳まで赤く染めたファルは肩をすくめて、
「ちゃんとわたしのきもち聞いてくれるの、うれしい、けど。……そういうこと、言うの、はずかしい」
「う……い、いや、そうだろうが」
確かに女に聞くことではないと思う。だが、むかし春を売る仕事をしていた時、ファルはセックスを嫌がっていたから、今も抵抗があるのではと恐れてしまうのだ。
それに、いつも控えめなファルの口から、自分への気持ちの形を確認したい。そんな欲も、きっとある。
(俺は聞きたいんだ、ファル)
声に出さずに呼びかけると、空いた手で紅潮した頬を押さえたファルは、躊躇いの間をたっぷり置いた。そして、そろり、とこちらへ視線を戻すと、
「……わ、たしも」
か細い声で、とても恥ずかしそうに、
「わたしも、アラガキと、……し、たいよ」
それでも迷いなく、そう応えてくれたのだった。
* * *
は、は、と短い息が漏れ出る。
明かりを落とした部屋の中、二人分の体重を受けてシングルベッドのきしむ音が、それに重なった。
「は、ファル……っ」
もう何度目かも分からない口づけを交わした後、酸素が足りなくなってくらくらする頭をもたげる。荒い呼吸を繰り返しながら見下ろした先に映るのは――
「アラ、ガキ……」
同じく息を乱し、一糸まとわない姿をベッドに横たえた、ファルの姿だ。白い肌は、アラガキ自身もいつの間にと思うほどいくつもの口づけの跡を残して、うっすら色づき汗をにじませている。
(きれいだ)
服を取り去った時から何度となく感じた思いを再度、噛みしめる。
抱きしめた時、あまりの華奢さに心配したほど細い体は、素肌を晒していっそう儚げに見える。それでいてアラガキが触れるたび、息をもらすたびに緩やかにしなり、艶めかしく揺れて目を奪った。
普段は露出もなく、態度も控えめだからこそよけいに、本人も無意識のうちに見せる媚態に幻惑させられて、仄かに甘く香る肌にもっと触れたいと願ってしまう。
(欲しい。もっと、欲しい)
奥底からこみ上げる願いのままに、手を伸ばしてファルの頬を覆う。こちらを見つめる陶然とした眼差しが、魅了の魔法でも使っているのではと思うほど美しくて、ため息を漏らしながら手を滑らせる。
頬、顎、喉、鎖骨。体の中心、円やかな線を描く胸の間をなぞり、吐息で上下する腹をたどり、閉じた足を太ももから膝にかけて撫で上げる。
「っ……」
息を飲む音がする。膝がしらを掌で包んで軽く押すと抵抗があった。
ファル、と呼びかけたが、彼女は手で顔を隠して小さくかぶりを振る。ほどいた髪がシーツや枕の上に散って、汗に濡れた肩に張り付くのが目に入った。
(嫌なのか)
明確な反応に一瞬怯みかけるも、ここまで来てはもう止めようがない。羞恥の抵抗なら、押し切るべきだろう。そう思い切って、アラガキはぐい、と半ば強引に足を開いた。
「やっ……!」
短い悲鳴と共に、ファルがアラガキの手を掴んで止めようとしたが、遅い。視線は自然と足の付け根に落ちて、
「すごいな……まだ何もしてないのに」
思わず感想を呟いてしまった。
体中に口づけをしても、まだそこには触れていない。
ファルの細さからいって、事前に十分ほぐす必要があると思っていたのだが、そんな必要もないのではと一見して思うほど、そこは濡れている。
心臓が早鐘を打つのを聞きながら指を滑らせれば、ぬるりと絡みついて、あっという間に飲みこまれそうだ。
「……とろとろだ」
女を知らない訳じゃないが、こんなになるものなのか、と半ば感心してひとりごちたら、ファルがひくっと足を震わせ、
「や、だっ……ア、ラガ、キ、そういう事言わないで……い、やらしいっ……」
「ぐっ」
息も絶え絶えに非難してきたので、赤面してしまった。
確かにいやらしい言い方だ、ポルノでもあるまいし。慌ててすまん、と謝ったのだが、ファルはまた首を振って、
「そ、じゃ、なくて……わ、わたしが、いやらしくて、いや、なの……み、ないで……」
青い目を涙に潤ませ、恥じ入るように体を縮こまらせたので、アラガキは言葉を無くした。
(……やはり、抵抗が……あるのか)
今更その事に気づく。望むと望まないと限らず、男と肌を合わせる仕事を余儀なくされていたファルにとって、快楽はなじみ深く、また反応しやすいものなのだろう。
直接刺激を与えたわけではないのに、これほど過敏に反応してしまう体を、卑しいものと思っているのか。
その姿を自分の前に晒すことに、抵抗を覚えているのか。
「……ファル」
アラガキは、ぎっとベッドをきしませて、ファルの両脇に手をついた。快楽と羞恥と嫌悪に揺れる青い目を覗きこみ、ファル、ともう一度名を呼んで、
「…………俺も、こうなってる」
囁きながら、自身をそこに重ね合わせた。熱を帯びたそれがもっとも敏感な個所に触れた途端、びくっと裸身が震える。
彼女の目に驚きと戸惑いの色が浮かぶのを見て取り、アラガキは額をこつんと当てて囁いた。
「お前がいやらしいなら、俺もそうだ。俺は、お前を思って無我夢中でこうなった。
お前もそうだろう? 俺を思ってくれたから、だろう?」
「……う、ん」
躊躇いつつ、ファルが頷く。細く乱れるその吐息を間近に感じながら、アラガキは笑いかけた。
「それなら俺は嬉しいよ。お前がそんなに俺を感じてくれている事が、嬉しい。幸せだ」
「……ほ、んとう? いやらしいって、けいべつ……しない?」
「しない。むしろもっと……お前を、気持ちよくさせたい」
「んっ……!」
わずかに腰を動かすと、互いが滑らかにこすれ合って、電気ショックのような瞬間の快感がかけ上る。アラガキ、と名を呼ぶファルの声が引き金になったようだ。
「はっ……ん、くっ……」
ファルのひざ裏に腕を回し、前後に揺れて互いの芯を刺激する。それだけでぞくぞくと腰から背中に震えが走って、卑猥な水音に興奮を煽られてしまう。
「あっ、あんっ……は、あ、アラ、ふぁっ、あっ」
動くたびにファルもまた声が溢れ、次第に高く細くなる。
始めはまだ抵抗を残していたのに、足の力が徐々に抜けていき、そこが蕩けてますます潤っていく。
汲めど尽きせぬ、と何かで聞いた表現だが、こういう事かと思って少し笑った時、
「うっ」
「ひぁっ」
勢い余って先がのめり込んで、同時に息を飲んでしまった。びりっと走った衝撃に思わず動きを止め、荒く息をつきながら呻く。
(熱い)
自分もだが、ファルも熱い。まだ少し入っただけなのに、熱すぎる。
夏の太陽に晒されるアイスキャンディーを一瞬連想してしまうほど、あっという間に溶けていきそうな錯覚を覚える。
(ま、ずい。入れただけで……いきそうだ)
我慢できそうにない。いや、いくらなんでもそれは男として恰好がつかない。気持ちよくしたいと言った矢先に、自分だけ先になってどうする。ぐ、と歯を食いしばって気合を入れなおし、
「ファ、ル……いい、か」
つい確認すると、小さく身を震わせて衝撃に耐えていたらしいファルが焦点の定まらない目を泳がせた後、
「……いい、よ……きて」
促すようにアラガキの手に自分の腕を巻き付けてきたので、遠慮はいらないと理解した。アラガキは大きな吐息を漏らし、
「っ……ふ……ぅっ……!」
一際深く、腰を沈めた。
「あっ……はっ……」
ファルの背中がのけぞり、細い喉がさらけ出される。白かった肌はもうほとんど紅色を散らし、それ自体が息づいているかのように揺らめき震えた。その美しさに魅せられ、同時に、
「ぐ……、うっ…………!!」
深く重なり合った衝撃にアラガキはうめき声を上げてしまった。
(これ、は……、耐えられ、ない)
早々に白旗を上げてしまったのは、端的に言って、ファルの中があまりにも気持ち良いからだ。
あらかじめほぐしたわけではなかったのに、彼女はぬめりながらアラガキを受け入れ、奥へと導き、重なり合ったが最後逃すまいとするように絡みついて、絶え間なく愛撫してくる。
目の前がちかちかしてくるほどの濃密な肉の感触に、限界まで高められた自身が耐えきれそうにない。
(前も、こうだったか)
あまりの事に意識が飛びそうになるのをこらえようと、必死で埒もない事を考える。
前はどうだった。彼女と一度だけ寝た時は。ああそうだった、あの時もこの柔らかさと締め付けとに驚いて、すぐにいってしまったような。
(あの時は、訳も分からなかったから)
突然始まった閨事に頭がついていかず、体だけが反応して、訳も分からないまま達してしまった気がする。そもそも当時は自分で動く事も出来なかったから、ファルに任せきりで、なすがままだった。
(あれがあったから、俺は……多分ずっと、ファルを求めていた)
肌を合わせたのは一つの救いだった。
単純な話だが、快楽に身を任せた後、頭にかかっていたもやが少し晴れ、足を失ってから先の生活について考えられるようになった。だから、ファルが身を挺してくれた事自体は感謝している。
だが一方で、引っ掛かりを覚えていたのも確かだ。
女性経験が豊富でないにしろ、ベッドで主導権を握られたことはなかった。ましてあれほど、優しくとも一方的な関係は。
(俺は足が無かったから。動くに、動けなかった)
思い返せば、それでも何かしらの方法はあったかもしれない。
だがあの時の自分は人生に絶望しきっていて、セックスを楽しむための努力など頭の片隅にもなく――結果、自分は
(だが、今は違う)
ぐ、と力を入れれば、足は彼の思う通りに動いてくれる。
金属の、動くと硬質な音を立てる、無粋な義足だが……これが今の彼の足だ。
自分の願うままの道を歩み、メガロボクスのリングで共に戦い、そして愛する女を抱くためにある、足だ。
(今度は俺が、ファルを抱く。全部、隅々まで……俺のものにする)
猛る獣の咆哮が耳の奥で鳴っている、そんな幻聴を聞いた気がする。
はぁ、と肺から空気の塊を吐き出したアラガキは、
「……はっ……は、はぁっ、ファル……ファル、ファルっ……!」
熱に浮かされたように名を呼びながら、動き始めた。
体の芯をなめるような快楽にくらくらと眩暈を起こしながら、ベッドと義足をきしませて、獣のごとく腰を振る。暴虐、蹂躙、そう言われてもおかしくない荒々しさで貫くたび、
「ふぁっ……、あっ、……ンぁっ、は、あっ、あっあっあっ、あぁっ、あらがっ、ひぁんっ……!!」
ファルが喘ぎ、悶えた。快楽に蕩けた青い瞳が涙に潤み、まなじりから涙がこぼれて頬を滑り落ちていく。暴力に耐えかねてかと一瞬怯みかけるも、違う、と彼女は否定する。
「ちが……、うれ、しい、ぁんっ、うれしい、のに、なんで、泣い、あっ、あぁんっ」
は、と息を吐きながら笑みがこぼれた。体を重ねるたびにしたたる欲望を感じながら、頬に顔を寄せ、涙の粒を吸って囁く。
「ああ、分かる。分かるっ……、嬉しくても、涙は、うっ、出る、んだっ……」
「んっ、あ、アラガキっ、あっ、やっ、も、わたし、だ、めっ……!」
ぎゅう、と中が螺旋のように蠢き、呻き声が漏れた。咄嗟にファルの体に手を回し、息が出来なくなりそうなほどきつく抱き合って、汗に濡れた肌を重ねる。そして逃すまいと言うようにきつく締めあげてくる肉から強引に身を引き、
「ファルっ……!」
「っあ……!!」
彼女の華奢な体が浮くほど奥まで突き上げた瞬間――全てが、真っ白になった。
――少しの間、二人とも気を失っていたらしい。
は、と我に返った時、アラガキはファルの肩に顔を埋めて、ベッドに沈み込んでいた。顔をあげると、彼女もちょうど目覚めたのか、夢うつつに瞬きをして、浅い呼吸を繰り返している。
「……大丈夫か? ファル」
無理をさせてしまったのでは、と急に心配になって声をかければ、彼女はぼんやりとしたままゆっくりと視線を巡らせ、アラガキに目を止め、
「…………すごい……いっぱい、きもちよかった……」
そんな事を口走ったので、思わずうっと詰まってしまった。かーっと顔がのぼせるのを自覚して、
「そ……そう、か。それは、よかった、な」
アラガキにはそれだけ応えるので精いっぱいだ。
何を言えばいいんだこれは、と目をうろつかせていたら、ほっそりとした手がすっとアラガキの顔を包み込み、正面を向かせた。まだ潤んだままの瞳がアラガキを映し出し、
「……アラガキは? きもち、よかった?」
ごく素直に、真正面から尋ねてくる。
「っ……」
羞恥がどっとこみ上げてくるのは同じだが、これに対する答えは迷いがない。
言葉を惜しむのはやめようと決めたのだから、躊躇う必要もないだろう。
ゆえにアラガキは、恥ずかしい気持ちを抱えながらも、ファルの手をそっと握って、
「……ああ。今まで生きてきた中で一番、気持ちよかった」
てらいのない感想を伝え、多分格好悪く見えるだろうなと思いながら、頬が緩んで顔が笑みを形作るのを感じたのだった。