※性描写はありません。
――神は死んだ。
堕天使コカビエルはそう言った。
「貴様らの神は死んでいる。かつての大戦争で、旧き四大魔王共々な」
立ち向かう人影は皆が皆少なからず負傷を抱えており、息も荒い。
揃いも揃った駒王町内の全戦力。純血の悪魔と聖剣使いに神滅具持ちを敵に回してさえ、堕天使幹部はなお強かった。
勝負は既についている。全ての手札を出し尽くし、駒王側が勝てる要素は何処にも無い。
ゆえに、飽きの入った、あるいは満足したコカビエルが、戦いを終わらせるために言ったのだ。
未だ立ち続ける教会側の聖剣使いに、貴様等の戦う意義など始めから存在しないのだ、と。
その言葉に如何なる影響を受けたのか。かつての信徒、一人の聖剣使い、今は何の肩書きも持たない彼、少年ジョン・オーリッシュの心を正しく理解出来た者など居ないだろう。
彼の魂、その深き奥底から湧き上がったのは、――歓喜だ。
□
廃教会が、その礼拝堂部分を爆心地としてジョンとゼノヴィアのうっかりで吹き飛び、もはや全損と呼んで差し支えない状態になった、後。
三度立ち上がった堕天使幹部コカビエルと、駒王側勢力の全面対決が遂に開始した。
その結果など、言うまでもない。
まずは戦闘開始以前に、グレモリー眷属側からは聖剣使いの因子によって【魔剣創造】を禁手化させた木場祐斗が離脱。傷が癒えたとはいえ先の爆発による消耗から復帰する事も叶わぬまま、後方へと撤退。
更に教会側からは紫藤イリナが、当然の如く離脱していた。
聖剣の暴走爆発に関しては、コカビエルの存在が偶然とはいえ盾になった事で巻き込まれる事無く、しかしそれ以前の戦闘による負傷が原因で戦闘不能。瓦礫に押し潰されていたバルパーのついでとしてコカビエルが拾い上げた彼女だが、本人に参戦の意思があろうと友人二人が許してくれず、巻き込まれぬよう結界外部へと搬送されていく。
この時点で二人が離脱。しかし、それ自体は問題ではない。
対するコカビエル陣営はバルパー・ガリレイが重傷、虫の息だがそれでもしぶとく生きている。
フリード・セルゼンは姿が見えない。実は今現在瓦礫の下で、聖剣使って必死に脱出しようと頑張っていた。バルパーとは違いコカビエルの手で回収されなかったのは、単に位置関係上、教会崩壊後に彼の居る位置が分からなかったからだ。元々居ても居なくても関係無い人員なので、見捨てたコカビエルは既に彼の存在を忘れかけていた。
そして最後に、堂々たる堕天使幹部。五対十枚の黒翼を翻すコカビエル。
彼だけで、この戦場の全戦力が無意味と化した。
ただ単純に強過ぎる。【赤龍帝の篭手】の倍加を最大までリアスに譲渡したとして、それでも彼の堕天使と対等などとは到底言えない。力だけなら最上級悪魔の領域に至れるが、コカビエルとて堕天使側で戦い生き残り続けた数少ない武闘派幹部。仮に互いの格が並んだと嘯こうとも、性能だけで勝てるほど容易い相手の筈が無い。更に悪い事に、その強化後の性能さえもが明確に劣っていたのだが、もはやその程度の事では問題にさえならなかった。
滅びの魔力が打ち払われる。
迸る雷撃が黒い翼に防がれた。
聖剣の刃を光の刃で受け止めて。
グレモリーの『戦車』と『兵士』は致死域の光力ゆえに近付く事さえ叶わなかった。
攻撃が、全く通らないわけではない。
現にリアスの魔力は迎撃されて、朱乃の雷も防御を誘う。聖剣も、特にデュランダルは現存する中では最上の切断力を持っており、当たりさえすれば間違い無く敵の身体を斬り裂ける。
――そう。当たれば、だ。
当たるわけがない。
この戦巧者を相手にしては、相打ち覚悟でも無ければ攻撃の一つとて届かなかった。
「っくう、届かない……っ!!」
「ぬるいぞ、当代。ソレは貴様には過ぎた代物だったか?」
ゼノヴィアは優秀だ。
聖剣使いとして生まれながらの才があり、今の時代においては最強とされる聖剣デュランダルの使い手に選ばれたのも伊達ではない。
だがそれ以上に先代の使い手が優れ過ぎていた。内心で比較するコカビエルの落胆も当然だ。
彼女は未だ、未完の大器。このような必死の任務に従事する事こそが間違っている。
光力で作り出した剣で受け止め、青の聖剣だけが遥か上空へと大きく舞った。
愛剣を手放すなど剣士として、何より聖剣使いとして有り得ない。しかし今回ばかりは相手が相手だ。残り少ない生き残った堕天使幹部達の中で、生粋の武闘派は極僅か。あるいは堕天使限定ならば最強の位置に立つかもしれないコカビエルを敵に回して、純粋な膂力の差から、ゼノヴィアの両手が痺れてほどけた。
手元に、デュランダルが無い。胴体は、がら空きだ。
堕天使の光が少女の命に狙いを定めた。
牽制、あるいは制止の意図をもってリアスの魔力が放たれる。それより速い朱乃の雷撃もまた、コカビエルの全身を包む形で、ゼノヴィアの回避を手助けしていた。
更にもう一人の聖剣使いが前へと駆ける。
堕天使の一撃を無防備に受ける寸前の友人を、『天閃』の速度でカバーした。
が、しかし。
「貴様が一番つまらんな、――雑魚め」
滅びの魔力に半身を包まれ、雷撃が頭上から降り注ぐ。
だというのに当たり前のように前へと進む、コカビエルの赤い両眼がジョン・オーリッシュを見下ろしていた。
見下ろされた側は、息が荒い。汗は吹き出し全身が震えて、目も血走っていた。
限界だ。
至極単純に、肉体が目に見えて不調を訴えるほどの大きな疲労が、彼の全身を蝕んでいる。戦い始めてから あっと言う間にジョンのスタミナは底を突き、下級悪魔の最底辺に位置する兵藤一誠よりもなお先に、最も早く、肉体的な意味で戦える状態ではなくなっていく。
『天閃』で速度を増しても、肉体性能は据え置きだ。体力その他は強化されない。
加えて町中でのフリードとの戦闘、続いて廃教会、今の状況、と三連続で戦い続けてジョンの身体は限界だった。
この場に居るのは、天界の加護を受けた上でデュランダルの放つ莫大な聖なるオーラにその身を護られているゼノヴィアを除いて、全て残らず、人間以上のモノばかり。
普通の人間はジョンだけだ。力が無いのは、生物として明確に劣るのは彼一人。
この戦場における最低最弱の性能が、当たり前のように表れている。この、大切な友人を助けようとした譲れない局面で。
けれど。
見下す視線に、それでも退かずに聖剣二刀を突きつけた。何も出来ないわけではないのだ。
言葉ほどには、コカビエルは彼の事を侮ってはいない。
よく戦場が視えている。動きも細かく注意深い。聖剣の使い方も、当代のデュランダル使いより余程上。だが。だが、だ。――それら全てをろくに生かせぬ、貧弱な肉体が気に障る。
コカビエルにとってその少年は、戦士ではあるが、敵ではない。敵にはなれない。
弱い。ぬるい。脆過ぎる。なんだその体たらくは。ふざけているのか人間如きが。
貴様程度の劣等が、せっかくの前祝いに顔を出すな。興醒めするぞ。
「戦士を気取るなら凌いで見せろよ、小僧」
不快げに吐き捨てるコカビエル。
人間一人よりもずっと大きな、光の槍が虚空に生じる。一段、二段、と規模が膨れ上がって力が増した。
喉を引っかくような呼吸を繰り返し、眩く照らされたジョンの表情が薄く歪んだ。
「ゼノヴィア」
その、片手に握った『天閃の聖剣』が、彼の背後へと放られる。
其処に伸ばされる少女の手。
受け取ったのは、当然ゼノヴィア。未だ空から落ちて来ないデュランダルを見上げたまま、速度を強化した彼女がジョンの肩を蹴って、空へと跳んだ。
そのまま上空にあるデュランダルを両手で掴むと、瞬く間に用済みとなった『天閃』を下方に残った友人へと落とす。
仲間頼りか、と平坦な感情で、コカビエルが一連の動作を観察し、光の槍を振り下ろした。
ジョンの持つ『祝福の聖剣』からオーラが生じ、上方でゼノヴィアが構えるデュランダルへと強化を施す。
そしてそのまま、一閃。するよりも前に。
『――今です。兵藤君から姫島さんへ、譲渡を』
「
『Transfer !!』
ソーナ・シトリーの指示に従い、聖剣使い二人の後方から強大な魔力が立ち昇る。
リアスではない。その『女王』姫島朱乃の強化が為され、最上級悪魔の領域に辛うじて迫る雷撃が、文字通り雷の速度で、光槍の一撃よりもずっと早くコカビエルの肉体を打ち据えた。
これには流石に動きが止まる。隙が生じる。一人の少年の、只の人間の肉体が、堕天使の攻撃によって消滅するまでの更なる猶予を、力技で勝ち取った。
「喰らえ、コカビエルッッ!!!」
ゼノヴィアの振り下ろした聖剣が真っ直ぐに、コカビエルの肩口から潜り込む。
一センチ、二センチ、三センチ。
引き伸ばされた意識の中で、確かな手応えを感じ取る。僧帽筋から堕天使の身体を縦に斬り裂くデュランダルの斬撃が、鍛え上げられた男の胸部に到達する、その瞬間。
ゼノヴィアの両手首が斬り離された。
「ちょっと待て」
場違いなほど冷静なツッコミが、少女の口から零れ落ちる。
暴力的なまでの光に照らされる最中で、その脇腹を躊躇無く蹴り飛ばす少年の右脚。
真っ直ぐ真横へと飛んでいく、戦闘服の黒い影。まともに蹴りを喰らったゼノヴィアは空中で身を捻り、両脚で勢い良く地を叩きながら着地した。――それと同時に。
彼女が先程まで居た位置を、相打ち狙いの堕天使の光槍が、轟音を伴い盛大に消し飛ばした。
肉を切らせて骨を断つ。が、コカビエルの一撃は見事に外れて誰の身体も傷付けられず。
「ジョン。キミ、絶対に責任を取れよ、私の両手。両手だからな、両手。『あーん』だぞ」
失った手首から先を上に向けて脇を締め、僅かでも出血量を抑えようと試みるゼノヴィア。
両手両手と繰り返しながら、大穴の開けられた路上と土煙の、更にその奥に居るジョンへと向かって言い募る。
「緊急避難だし」
宙空に無数の十字架をばら撒きながら、ジョンが言い返した。
その意図は防御と、目晦まし。しかし相手も然る者、意味は無い。
彼の『祝福』を受けた防御の結界が十字架の数だけ設置され、しかし腕の一振りで砕かれる。
一瞬、結界を砕いたコカビエルの視線と、返却済みの『天閃』で強化された速度で背後に飛び退くジョンの視線が重なった。
そこで更に、朱乃が放った二度目の電撃が、二人の中間を翔け抜ける。
最大倍加の雷撃。聖剣デュランダルの斬撃。そしてそれ以前から積み重なった数々の負傷。
全身傷だらけで左肩から血を垂れ流すコカビエルが、その身にデュランダルを喰い込ませたまま、朱乃の未強化電撃を己が光力で打ち払い、ジョンの後を追う為の動きを止めた。
「フゥ――……」
血に濡れた堕天使が大きく息を吐き出した。
その表情は悪くない。この戦場は、中々に楽しめた。
未熟者ばかりの半端な遊びだが、手加減した上での結果とはいえ、こうして見事な戦傷を抱える破目に陥ったのだ。正直に言えば、この有り様でさえ大戦時の記憶に拘る彼にとっては軽傷止まり。だが、まあ、悪くはない。実に実に悪くない。
――まさか、自分を護るために剣を振るった女の両手を、コカビエルからの反撃を確実に回避させるためとはいえ、躊躇無く斬り落とすとは。可笑しくなって、笑ってしまう。死ぬよりは良くとも、度が過ぎている。今の平和な時代より、むしろ戦時の価値観であろう。
全力で握り締めた聖剣を、全力で振り下ろしていたゼノヴィアの体勢。確かに、敵の身体に深く喰い込むデュランダルから一瞬で手を離させるには、切り離すのが一番早い。だがだからといって、それをやる奴は居ないだろう。居たけど。
自分の神器で くっ付けられるとはいえ無茶苦茶だった。一歩間違えれば大惨事で、間違わなくたって今も普通に惨事と呼べる。特に、両手を失くした少女の見た目が。
コカビエルが、己の左肩からデュランダルを引き抜いた。先程までとは比べ物にならない量の血が噴き出すのを気にもせず、使い手の両手を柄に飾ったままの青の聖剣を、足元に落として転がしておく。ソレはそのまま、ジョンの下へと跳ねていった。
堕天使が笑う。
まあまあ、楽しかった。これ以上はもはや無粋。
だからもう、終わらせよう。
此処で残らず殺す気だったが、もしも見逃してやったならば、今後起こる大戦争で面白い事になるだろう。先々が楽しみになる才の持ち主が実に多々居り、久しくなかった機嫌の良さで、コカビエルは口を開いた。
先ずは戦争狂である彼の御眼鏡に適った最弱の人間とデュランダル使い。
彼等二人を生き残らせる意図をもって、戦意を挫いて離脱させるために。後方の悪魔達は一旦置いて、己の目の前に居る聖剣使いへと。演技半分で嘲りながら。
神は死んだ、と。
堕天使コカビエルがそう言った。
□
――其れは千年前の昔話。
神は死んだ。魔王も死んだ。三大勢力は戦争に参加したその大半が命を落とし、天使も悪魔も大わらわ。翼の生えた数多の人外は、下等生物と見下す種族、人間如きに依存しなければ生きてはいけない寄生虫へとその身を落とした。
聖書の神の残したシステムを熾天使ミカエルがどうにか動かし、神の代行を勤めている、と。
堕天使コカビエルが高らかに語る。
それら昔語りのほとんどが、ジョンの耳には入らない。聞いてはいても、脳には届かぬ。
「は、」
ただ、笑った。
「ははは」
抑えきれない。我慢しない。
だって。
「はははははは」
だって。
――ずっと昔に死んでいるなら、裏切るも捨てるも無いじゃないか。
「ははははははははははは!!!!!!!」
魔女の追放に巻き込まれ、彼女を憎んで組み敷いた。
教会は己を異端と断じ、神は祈っても応えてくれない。
――祈っても、声が聞こえないのは当然だ。だって最初から神など居ない。彼が生まれる以前から死んでいる。幾度も捧げた祈りの声は、届く先も無く虚しく消えて行ったのだろう。全て残らず、最初から。
孤児である彼は教会で学び、教会で育った。
周囲に言われるがままに働き尽くす、無私である事こそが尊い在り方。そう考えてはいたのだが、追放という憂き目に遭って、彼は己の本質を理解した。
結局のところ、報われなければ嫌なのだ。報酬無くして奉仕は出来ぬ。彼は当たり前の欲を持つ人間だった。皆が望むような綺麗な存在では在れなかったのだ。環境によってそう成る事さえ叶わなかった。
幾ら祈っても答えはない。身命を捧げても、異端として追放された。人である以前に信徒で在り続けた彼に与えられた報いは とばっちりゆえの罰だけで、利益と呼べるものなど心の中にさえ何も無かった。例外はあっても、与えてくれたのは神ではなくて、それはイリナでありゼノヴィアだ。
だから教会を出た。聖剣を盗んだ。魔女に対して八つ当たりをして、傷付けた。
ファッキュー・ゴッド。神など虚像で、嘘っぱち。搾り取るばかりで何もくれないケチ野郎だ。くたばってしまえと、そう罵った。
だけど、そもそもの大前提が崩れると言うなら、話は別だ。
神は死んだ。かつて生きて、死んだのだ。
虚像ではなく、嘘でもなくて。祈りに答えないわけでもないし、彼は捨てられたわけでもなくて、信仰を裏切られたわけでもない。
死んで、答えられなくなって。死んで、裏切りもしなくなって。教会と天使だけが己を捨てた敵ならば。神に否定されたと絶望していた、その結論こそが間違っている。
かつて神に仕えたジョン・オーリッシュの信仰は、間違ってなどいなかったのだ。
神は死んだ。
祈りに答えが無い事も。信仰に報いが返らぬ事も。神器を理由に異端追放をされた事も。偶々、今現在神様が生きていないからこその不備であるなら、その責任は生きる者にこそ有る筈だ。
死者に鞭打つ趣味はない。
死んだ相手を、死んだ程度で嫌うなど、不毛の極みだ。死人に加護を求めるなんて可笑しな話。
死ぬまで頑張ったのなら、まあ、良い。それ以上を求めるのは傲慢だろう。
死に得る神が全知全能ではないと知っても、神の教えとその痕跡は間違いなくこの世界に残されている。かつて、人類に向けられる神の慈愛は確かにあったのだ。ならばそれに応えようと正しく生きた事もまた、間違っていない。――例えるならば其れは、墓標に花を捧げるように。
聖書に記されし堕天使コカビエルが、証明してくれた。
信徒として生きたかつての彼の人生は、教会と天使に利用されていた面はあっても、間違ってなどいなかったのだ。救えたものとて有ったのだから。
信仰と勤労の対価に関しては、支払ってくれる神が死んでいるので踏み倒されたと諦めよう。過去の事はもう、それで良い。
怒りを向けるべきは他にある。
「ファッキュー
大きな声で、中指を立てて夜空に向ける。酷く清々しい気分であった。
教会は絶許。天使も死ね。天界は滅べ。ただしイリナとゼノヴィアだけは別枠である。
突如吐き捨てられた罵倒の言葉に、一同の視線がジョンへと向かう。だが、彼は一切気にしない。もはや迷いも苦しみも消えていた、夜だというのに心の中は晴れ晴れとしている。
「わが神、わが王よ――」
天より主を。地より主を。
――わが霊は主をほめあげよ。
朗々と響き渡る其れは、再度の信仰の宣言だった。
一度捨てたものを拾い上げる、定型的な祈りの言葉。篭められた想いは、
定められた所作を簡易的になぞり上げ、教会の戦士が行う儀式の一つを、天ではなくて虚空へ捧げ。
天上の御座に向けて信徒が祈った。それに、奇跡を司る『システム』が機械的に反応を返す。
力が満ちる。
懐かしい感覚が蘇る。
かつてと同じ、かつて以上の、身体能力の向上を感じる。
天界の加護が一人の人間を包み込み、神の遺した心を有さぬ機構によって、人を人でなき者達と戦い得る位階にまで引き上げた。
ジョンは足元のデュランダルを拾い上げると、聖剣の『祝福』と、それによって高まった神器の明かりを宿らせて、膝を突いたゼノヴィアの元へと軽々放る。
咄嗟に手首から先の無い両腕を伸ばした少女が、聖剣に付属する己が両手首に宿った治癒の光に包まれると、瞬く間に切断面が接合された。
痛みは無い。異常も無い。完全に復調した両手を見下ろし、青髪の少女は呆然とした表情で、笑う幼馴染の顔を見上げた。
神の死を知らされてなお笑みを浮かべる友の横顔を。迷い子のような揺れる瞳で見上げていた。
「さあコカビエル。――もう一度だ」
二つの聖剣を両手に掲げ、ジョン・オーリッシュが言い放つ。
笑うその顔はかつて無いほどの自信に満ちて、手にする聖剣もまた、今まで以上に輝いていた。
――そして当然の如く敗北した。
敢えて控え目に言うが、ボロ負けだった。
数分後、結界を破壊して現れた当代の白龍皇が、手ずから襤褸雑巾にしたコカビエルとついでに狂人二人を回収して行ったが、別口で襤褸雑巾にされたジョンは気絶していたので見ていない。
信仰はさて置き祈りの心を取り戻し、精神的には復調以上の絶好調で、加護を得た上で聖剣持っての二刀流。これで勝つる、と調子に乗ってしまうのも十代半ばの青少年としては当然だろうが、結果は一方的なものだった。
当然である。その程度で形勢逆転出来るほど、堕天使幹部は甘くない。全力を出したコカビエル相手に普通に負けて、普通に気絶。色んな体液を顔面から撒き散らしながら気絶したジョンは、ゼノヴィアの膝枕の上で朝日が昇るまで眠りこけ、目覚めた時には多くの物事が済んでいた。
朝日が眩しい。日付など、とっくのとうに変わっている。
つまり。
アーシアとの大事な約束を見事に すっぽかした負け犬が一人、此処に居た。
□
「た、ただいまー……」
不安に揺れる少年の声が、真っ暗な部屋に小さく響いた。
約束の一つもまともに守れない犬畜生が、色々と派手にやった挙句に朝になるまで別の女の膝枕で爆睡した上で、ようやく自宅へと帰還したのだ。
怒っているかもしれない。
心配させたかもしれない。
恐る恐る両足を踏み出し、玄関先から住み慣れた我が家へと身をくぐらせた少年が、胸元にぶつかってきた一人分の体重に驚き、その足を止めた。
明かりの付いていない部屋の中。カーテンも閉まっていて薄暗い廊下で、金色の長髪がふわりと揺れて被さってくる。それが誰のものかなんて、考えるまでも無い事だった。
ひくりひくりと揺れる肩。それに伴い金色も波打った。
アーシア、と声を掛ければ少女が伏せていた顔を彼へと向ける。
何か、謝罪の言葉を口にするつもりだった。
少年は昨夜の口約束を本気で守るつもりだったし、好きだと告白し合った少女の事だって大事に思っている。だから、約束を破るという悪い事をしたのだからと、まずは何より先に謝るつもりで此処に帰ってきていたのだが。
涙に濡れる彼女の顔を見て、そういった気持ちが吹き飛んでいた。
そっと顔を寄せ、唇を落とす。
応えるために目蓋を下ろす、少女のそれが重なった。
触れ合った箇所から、涙の味が伝わってくる。一晩をかけて積み重なった、彼女の想いの味だった。
両肩に添えた手の平には相変わらずの細い感触、頼りなさげな彼女の身体。伝わってくる相手の体温と柔らかさと、冷え切った衣服の冷たさに己を戒め、舌を噛む。
ゆっくり離した唇同士、ほぼ至近距離で離れる動きを取り止めて。
顔の全体さえ見えないくらいの近さで、翠色の視線だけで視界のほぼ全てを埋め尽くし、少年は少女に向かって口を開いた。
「ただいま」
おかえりなさい、とアーシア・アルジェントが笑って返した。
これにてエクスカリバー編は終了です。
神様を恨んでたけど死んじゃってるなら仕方ないよね! というオリ主の話。
――ただし教会と天使にヘイトが向かう。
今後、彼は亡き主への哀悼と加護欲しさに祈ります。それはそれ、これはこれ、みたいな。
次からは日常回。