「駒王町、か。……懐かしいな」
ふと口を衝いて出たような、独り言。
遥か海の向こう側から数年ぶりに駒王の土を踏んだ男が、日本の雑踏に目を向ける。
過去の出来事も相俟って、非常に複雑な感情が彼の胸中を渦巻いていたが、それでも、今最も優先すべきは自身の娘であるイリナの事だ。
無論、仕事の方も疎かにする気は無いが。かつて父である己に続くように信徒の道を歩み始めた一人娘が、教会における最上位機密に触れた事で破門寸前の身となっては、もはやその内心を誤魔化す事など出来なかった。
「大丈夫だよイリナちゃあん! 今っ、パパが行くからねぇ――!!」
彼の脳内ではかつて幼かった頃のイリナが、泣きながら「パパ、パパっ」と叫んで こちらにその小さな御手々を伸ばしていた。応えるように、彼もまた両腕を己の前方へと大きく広げる。
妄想の中の愛娘を、その懐へ抱き締めるように。
気炎を揚げて天に向かって吼え猛る、牧師服姿の栗毛の中年。
駒王町の駅前を行き交う多数の一般人は、そんな彼に対して当たり前のように見ない振りをして足を早めた。
――紫藤トウジ、駒王町に到着。
□
「フハハ、働け愚民共」
「……やめませんか、そういう事言うの」
プールサイドで踏ん反り返りながら口走るジョンの横顔に、小猫の向けた散水用ホースから飛び出る大量の冷水が襲い掛かった。
が、それを当然のように聖なる結界で防ぎきり、少年は空を仰いで視線を眇める。
此処は駒王学園敷地内にある運動施設の一角。
生徒会から頼まれた大掃除ついでにプールで遊ぼう、と誘われてやって来た、ジョンとアーシア。しかし服を着替えた時点で面倒臭くなった非学生の少年は、適当に掃除してる振りさえ見せずに、凄く堂々とした態度でサボっていた。
先の独り言も暇潰しを兼ねた単なる冗談。あからさまな無表情無感情なので水をかけようとした小猫だって分かっていたが、それはそれとしてサボり自体は見過ごせず、ジト目で睨んで文句をつける。効果は全く無いようだったが。
「もうっ、駄目ですよジョンさん。ちゃんと皆さんと一緒にやりましょう?」
デッキブラシを両手で抱えて、健気なアーシアが彼に言う。
水の満たされていないプール内から、プールサイドのジョンを見上げて上目遣い。翠の視線がキラキラ光る。むむむ、と無表情な聖剣使いの眉が寄り、好いた相手からの叱責に抵抗力が削られていく。
跳ねた水で湿った、白の運動着。透ける下着の色も白。太腿眩しい黒のブルマー。陽光の下で煌く彼女の金髪も、此処は水気が多いからだろうか、常より美々しく輝いて見えた。
僅か数秒でジョンの側が根負けし、仕方が無い、と溜息を吐いて下へと降りる。
素直にプール掃除を始めたジョンの姿にアーシアとしては嬉しげだったが、彼の視線の行く先をしっかり見ていた小猫の視線は冷え冷えだった。小さな彼女の脳内において、ジョン・オーリッシュの位置付けが微妙に下がり始めた瞬間である。
「ところで二人とも、そろそろ私の眷属になる気にはなったかしら」
「ないです」
掃除の傍ら、相変わらずの雑勧誘を行うリアスに、ジョンが即座に断った。
そう……、と若干何時もより落ち込んだ様子で拒絶の言葉を受け入れたオカ部の部長だが、その姿に何か思うところがあったのか、順調にこの場に居る女性陣との友情を深めつつあるアーシアが、首を傾げてリアスに問うた。
何かあったんですか、と。
「ええと、そうね。少し、思うところが、あ、って……、ねっ?」
問われた方は、凄く微妙に言葉を濁した。別に言っても構わないのだが、生来の高いプライドが邪魔をして、口の動きがどうにも鈍る。
――実は、来たる学園の夏休み期間中に、純血の若手悪魔を集めた会合が、冥界にて行われる予定があった。
一般観衆に御披露目するという意味での公式の場ではないが、参加する者達は皆が皆、この時期新たにレーティングゲーム公式戦にてデビューする、いわゆる同期という間柄だ。
初心表明、顔合わせ、新人同士の交流会。
リアスとて貴族だ。観られる、という事には慣れているが、此処に一つだけ問題があった。
彼女は眷属が、少ない。
リアス率いるグレモリーチームの構成は、『王』『女王』『戦車』『騎士』『兵士』、そして封印中の『僧侶』。
各属性ごとに一人ずつ、の計六人。チェスを模した悪魔の駒に合わせてチームを組むため、最大人数は十六人。となれば、今のリアスは最大値の半分以下しか眷属を集められていない事になる。
勿論、数が全て、などとは言わない。兵士の駒8つ全てを費やした兵藤一誠という例外もある、多ければ良いというわけではなく、同時に、リアス個人としては愛する眷族達を、己の身を飾る装飾品扱いなんてしたくもなかった。
が、それはそれ、これはこれ!
他の新人達、彼女と同年代で似通った貴族的立場にある『王』は皆、きっとそれぞれ十分な数と、相応の質を持つ眷族達を連れてくるのだろう。
質ならばリアスも自信があるが、数だけはパッと見た目で容易く分かる。――少ないな、と。
もしも同期の誰かに「アイツあれっぽっちしか眷属作れなかったんだってwwwぼっち乙www」みたいな事を言われてしまえば、リアスは羞恥で引き篭もる。あるいはパーティー会場を滅びの魔力で消し飛ばす可能性さえ充分あった。
要するに、彼女は見栄を張りたかった。
輝くほどのドヤ顔で、「うちの眷属は凄いでしょう! フフーン!」と、自慢したかったのだ。
装飾品扱いしたくないっ、などと言いつつ、本心としては他人に褒められたいし格好も付けたい、同期にだって胸を張りたい。実に負けず嫌いな女である。そういうところも面倒臭、ゴホンゴホン可愛らしいでしょう、と朱乃が言った。
――以上、無駄にプライドの高い主に代わって勝手に説明役を買って出た『女王』の言だ。
「朱乃ぉお!!」
「あらあらうふふ。いけませんわリアス、一誠君が見てますわよ」
「あぁ朱乃ぉおーっ!!! 貴女分かってて言ってるでしょおー!?」
デッキブラシでじゃれあい始めた友人同士の喧嘩を尻目に、他の面々は置いてきぼりだ。
取っ組み合って色々な部分が乱れている『王』と『女王』のキャットファイトに、一誠一人が鼻の下を伸ばして喜んでいた。
転生悪魔。レーティングゲーム。リアス・グレモリーの、眷属になる道。
誘われた側であるジョンとしては、悪魔への転生というのは有り得ない。
――だって聖剣使いだし。聖なるオーラで自家中毒とか怖いじゃないか。
それに関しては有り余る聖剣使いの因子が有効に働き、我が身を傷付けるという事態を避けられる、かもしれない。が、彼の用いる結界等、教会由来の術式は悪魔の体質と相性が悪い。
本来は敵である悪魔に転生するという事は、そういった秘術との相性が悪化するという結果にも繋がる。その場合最も容易く有効なのは、害ある手段の選択放棄。つまりはソレらを使わず弱体化、己の不利益を呼び込む行為だ。
積極的に戦うつもりは毛頭無いが、手札が減るのは嫌だった。この辺りは、もはや拭いきれない職業病の類かもしれない。いざという時の備えを怠る、というのはジョンにとっては苦痛ですらあった。
悪魔自体に偏見は無い。ゆえに悪魔になるのも嫌っていない。
教会の戦士として、唾棄すべき魔性を多数見てきた身ではあるが、内訳としては人間だって大差は無かった。良い奴は良い、悪い奴は悪い。好きと嫌いは個人で違う。生まれだけで判断するほど、少年は種族という大きな括りに期待しない。
「ファッキューセラフ」
「そのフレーズ気に入ってるんですか。あと掃除して下さい」
天使だって人を傷付ける御時勢なのだ、悪魔だからといって無条件には忌避しない。
それが今現在のジョン・オーリッシュの価値観だ。優先順位の上位三人はアーシアを筆頭に、イリナとゼノヴィアが同位にあった。最下位はミカエル。
聖剣使いで、回復系神器持ちで、戦闘経験豊富で、頭だって中々回る。
加えて幾つかの問題に直面した際、彼とグレモリー眷属は共に戦って乗り越えてきた。コカビエルの件で、瀕死の重傷を負った木場を助けた大恩もある。何気ない茶飲み話でしばしば席を共にする程度には、友好的に過ごしてこれた。
そういうわけでリアスとしては、ジョンを眷属として勧誘するのは至極当然の事だった。
能力良し、好感度良し、人格だって、彼女主観では確かに良し。と実に優良物件である。
これにアーシアが付いて来てくれれば、恋人同士で悪魔になって、眷属内にも回復役二人に兼業として、優秀な騎士が一人追加だ。適する駒がどれになるかは現時点では分からないが、場合によっては『戦車』を与えて純粋な攻防力を強化するのも全然有りだと考えている。
――と、いうのは取らぬ狸の皮算用。リアスの勝手な期待であった。そうなったら良いな、と考えて悪魔の駒を弄り回す姿が部室で何度か見受けられる、そういう類の内心のわくわく。
勧誘されたジョンの側にその意思が無い以上、強引に迫るなど、御嬢様らしくプライドが高いくせに人の良いリアスには決して出来ない。だからこそ、彼も相手の心象を考えもせずに気安く断っていられるのだが。
ちなみに、ソーナ・シトリーもこっそり彼の眷族化を狙っていた。
冥界に専門の学校を作って純血の下級・中級悪魔の環境向上を目論む彼女だが、その眷属は一人残らず他種族からの転生悪魔だ。
若く、熱意があり、一見平和ではあるが全体としては停滞気味な悪魔社会に、新しい風を吹き込むための、外からの人材。現四大魔王が推進する『転生悪魔』という大方針に沿いながら、且つ自分の夢を応援してくれる人選。
そういった者こそが、ソーナの求める眷族候補だ。
年若く、熱意は不明だが、新しい風という意味では純人間で教会出身その他諸々を備えたジョンは確かに適任。神器も知識も経験も、生まれ育った環境の違いも、眷属間の齟齬さえ埋められれば疑いようなく有用だ。
だからこそ欲しいと思った。だが、実際のところは勧誘自体が出来ていない。
彼は、リアス・グレモリーが一悪魔として契約を交わした人間なのだ。
契約内容が眷属化と直接関係無い事くらいは知っているが、この場合は契約者であるという事実そのものが障害となる。ジョンとリアスは俗に言う、唾を付けた、あるいはコネがある、というような関係なのだ。外から他人が気安く手を出せるものではない。
個人の情も家同士の関係も、手出しを控える理由だけなら幾つかあった。ゆえにソーナと彼にはほとんど関わりと言えるものが無い。精々がコカビエルの一件では直接的な面識を得られた、という程度。
リアスを通して一度機会を設けて貰おうか、とも考えたが、彼女の先の婚約騒動で一切手助け出来なかった不甲斐無い幼馴染であるところのソーナ・シトリーが、厚かましくも頼み込むなど友誼に反する。
彼と最初に出会い、契約を結んだ悪魔がソーナであれば何も問題は無かったのだが。
こういった、巡り合わせの良さだけはリアスに到底敵わない。生徒会室で仕事をするソーナがこっそり溜息を吐いていた事を、副会長である真羅椿姫以外の誰も知らない。
「……いい加減、皆さん真面目に掃除しましょうよ」
仲良く喧嘩するリアスと朱乃、麗しい女性同士の争いに下心から視線を奪われている一誠、自分ではどうしようもないので苦笑いして誤魔化す木場、これ幸いと掃除をサボるジョンと、サボる少年に引き摺られて何処ぞに連れ出されて行くアーシア。
まったくもって役立たずな彼等一同を見渡して、塔城小猫が疲れたようにツッコんだ。
□
捲り上げた運動着の裾から、プール掃除に用いた水が滴り落ちた。
「んっ、はぁ、」
晒されたアーシアの腹部に、幾筋もの水滴が縦に流れて線を引く。雑に揃えた指の腹で横一線にそれらを拭うと、少女の体温で温められた温水がぱたぱたと音を立てて、足元の床に溜まりを作った。
手の平で撫でた丸い尻、黒いブルマの布地にしたって湿りきって ぐしょぐしょだ。絞ればきっと、小さいながらも滝が出来よう。それは奥の下着も、言わずもがな。
身体を触れ合わせる度に濡れた衣服が音を出し、滴った水の音が鳴る。
正面から抱き付いたまま、ブルマの腰部分から手を突っ込んで、生の臀部を揉み上げる。
しっとりと濡れて、実に良い。柔らかい上に滑らかで、尻の谷間から垂れ落ちる水も、排泄器官に近いというのに嫌悪以上の興奮を煽った。
放水で冷えた少女の素肌が、行為への期待と興奮から徐々に体温を上げていく。
今日この日、掃除が終わったら次は娯楽だ、というのが当初の予定。
皆で泳ぐために更衣室で水着に着替える移動時間。その際目にした、濡れそぼったアーシアの姿に少年の欲望が膨れ上がった。
ならば後はもう、決まりきった事をするだけだ。
抱き合いながら、キスをする。
口内から溢れ出す唾液と、掃除中不意に口へと入ったのだろう、水の味。それを汚いとは思わない。彼女の中から出たものならば、何故だか美味しく感じてしまう。
口付けを交わしながら、彼は下半身を覆うジャージと、その下の短パンや下着を脱いだ。
跳ねるように姿を現す勃起状態の陰茎が、濡れたブルマの下腹部辺りに押し付けられる。
固い肉棒に押さえつけられた黒い布地から、ほんの少しだけ水が滲んだ。
少年が、ブルマの下側、裾部分を無理に引っ張り己のモノを侵入させる。
そこは見た目以上に きつくて狭い。ブルマの内側に隠れた彼女の股間に触れさせて、僅かずつ熱くなっていく女の肌に、燃えるような男の熱を擦り込んだ。
「ふ、っん」
少女の口から声が漏れる。不自由な隙間で前後に動かし秘裂に触れて、その度に愛液か水かも分からない音が申し訳程度に耳へと届く。
少年が腰を動かし性器を擦れば、少女もまた自分から押し付けるように尻を振る。
少女の上半身、濡れ透けた運動着と、薄っすら見える胸部の下着。キスをしながら胸を揉み、腰を振りながら水音を響かせる。何度も何度も、誰も居ない授業プール用の用具室で、二人の男女が睦み合う。
上下双方から込み上げる快感で思考を塗り潰されながら、ひたすらに腰を振って、直接繋がる事の無い男女の交わりへと没頭していく。
「ジョンの奴何処行ったんだ――?」
不意に、用具室の外から声が聞こえた。
此処最近で割と聞き慣れた一誠の声。びくりと二人で揃って震え、腰の動きが同時に止まる。
呼吸と、小さな水の音だけが暗い室内に響いて聞こえた。
「そうだね。一誠君と一緒に、彼にも騎士としての誓いを捧げたかったんだけど……」
「お、おう。……まさかアイツ、それが嫌で逃げたんじゃないだろうな」
何処となく ねっとりした木場の呟きと、腰の引けたような一誠の声。
用具室の外を歩く彼等の会話が耳へと届くが、此処に二人が居る事がバレたわけではないようだ。
それを理解すると、少年が少しずつ腰を動かし、先の行為を再開する。
「じょんっ、さん。外。そとに」
密やかな文句は口を塞いで封じ込んだ。恥ずかしそうに眉根を寄せた少女の顔が、やがて舌を絡ませるディープキスに意識を囚われ、外への興味を失っていく。
吐息の音が、幾度も重なる。
「そういうの、普通可愛い女の子に言うもんじゃないかなあ、って思うんだ、俺は」
「うん? ちゃんとグレモリー眷属の皆にも言うさ」
「だからあっ、なんでそれを一番最初に男の俺に言うんですかねえ……」
何故か涙声になっていく一誠の言葉も、もはや二人の耳には届いていない。
挿入だけはしないまま、特殊な環境、特殊な衣装での行為に対して熱中していく。
少年の両手が胸から離れて、少女の尻を鷲掴む。
ぐすりとブルマの生地が鳴り、両の手の平で搾り取られた水が噴き出す。形が崩れた黒い布地の奥の方から、上と御揃いの白い下着が僅かに覗いた。しかし揉みしだく側はそれの存在に気付く事も無く、直接触れば痕が残るくらいに強く、激しく、ただただ両手で臀部の柔らかさだけを味わっている。
歪むブルマから はみ出た尻の肉が、伸びた指先で頻りに歪む。
重なり合い擦り合わせる唇の端から吐息が漏れた。零れる唾液に頓着するだけの余裕も無い。
乱れに乱れた運動着から、少女の肌色が半端に覗いて僅かな明かりに照らされていた。
出る、と声にならない言葉でもって少年が言えば、対する少女も爪先立ちになってびくびくと総身を振るわせた。それは動きで相手の性器を刺激しているのか、あるいは彼女自身が絶頂しているのか、見た目だけでは分からない。
「っんん、――ん」
体内から吐き出されたばかりの精液は酷く温かく、アーシアの女陰がそれに塗れて溺れ出す。
どくどくと下着の内側に注ぎ込まれた白濁が、すぐに溢れてブルマの裾から垂れ落ちた。
滴って、落ちて。染み出して、流れる。黒色に白が塗り重なって、やがて表面を伝い少女の太腿にまで到達。ゆっくりと線を引くようにして下へ下へと流れていった。
こんなに気持ち良い思いが出来るなら、プール掃除も悪くない。
誘いがあれば、次も絶対手伝おう。
そんな見当違いな事を考えながら、少年は満足そうに少女の身体を抱き締めていた。
□
「ごめんねパパ。私、ヴァチカンには帰らない。――パパ達の居るイギリスにも」
そう言い切った紫藤イリナの表情は、強い決意に満ち満ちている。
彼女の父である紫藤トウジは、娘の事を心配していた。だからこそ、深く眉根を寄せながらも、心の大半では安堵していた。
聖書の神の死を、トウジとて既に知っている。立場相応の教会機密に触れる機会は今に至るまで幾らでもあり、神の不在を知った上で、それでも信仰に生きる事を決めた人間の一人が、彼だった。
だからこそ、千年前の真実が如何ほどの衝撃を信徒に与えるかも知っている。
彼は乗り越えた。他にも、未だ教会の上層部に席を持つ者達は皆、前提条件として信仰対象の死を知った上で、祈りの姿勢を維持し続けているのだ。
あるいは、単に今在る平穏を継続するための、争いへの恐怖や儘ならぬ現実に対する惰性とて、少しばかりはあるかもしれないが。それに関して、今は悩むべき時ではない。
幼いイリナが信仰の道を志した原因は、間違いなく、同じ信徒という立場にある父トウジの影響だろう。そこに、別宗派の教会施設で引き合わせた同い年の少年の存在も、まあ、無関係ではなかっただろうが。
学び、鍛え、努力を重ね、人工的な聖剣使いの祝福を受ける立場にまで選ばれた一人娘。
誇らしかった。それと同時に、心配でもあった。教会の戦士である以上、何時かは危険と対峙し、あるいは乗り越えられない時も来る。近しい例としては、先のエクスカリバー騒動がそれに当たる。
あの時は、胃が捩じ切れそうになる程の多大なストレスが紫藤トウジの心を襲い、事後にイリナからの連絡があった際は、安堵からの涙さえ零れた。
そして今もまた、己の手の届く位置から飛び立とうと、その若い翼を広げている。
「……そう、か。それで良いんだね、イリナ」
「うん。ごめんなさい。パパが心配してくれてるのは分かるけど、私は此処に居ようと思うの」
――例え教会から破門されようと、自分の答えは変わらない。
友人である少年が失踪して以降の憔悴した姿からは想像も出来なかった、眩く輝く愛娘の、真っ直ぐな視線。信徒の立場としては止めるべき選択を躊躇い無く選ぶイリナの眼差しは、紫藤トウジの胸中に強い安堵を呼び起こした。
本当に、見違えるようだ。この町で、そして先の戦いで、きっと娘は得難いものを得たのだろう。
父として、それを奪うような事はしたくなかった。
止めねばならないのに。傍に置いて、護ってやった方が、きっとずっと安全なのに。
「そうか。そうか……。うん、イリナがそう言うのなら、私から言う事は何も無いよ」
言葉面だけなら、突き放したもののように思える。しかし、彼の表情は娘の決意を認めていた。
温かく微笑む、イリナが大好きな、イリナが尊敬する父親の顔だ。
「ただ、エクスカリバーは全て回収させて貰うよ。それが今回の私の仕事だからね」
その言葉に応えて、テーブルの上に二つの聖剣が並べられる。
コカビエルの一党に奪われた『夢幻』と『透明』、それにイリナの奪われた『擬態』を錬金術によって融合させた、バルパー謹製の7分の3カリバー。その隣に、ゼノヴィアがカトリック宗派から預けられていた『破壊』、の合わせて二つ。
一つ一つ丁寧に、しつこいくらいに調べ上げ、紫藤トウジがようやく頷く。
「うん、確かに。――これをもって此度の任務の達成を、私から君たちに認めよう」
対面のイリナと、その隣でじっと黙って話を聞いていたゼノヴィアが頷く。戦士の顔だ。
教会からは追い出されるが、任された仕事はしっかり果たした。途中色々と、首絞め殺人未遂したり、一人で攻めて返り討ちにあったり、悪魔や聖剣泥棒第一号と手を組んで戦ったりしたが、結果としては上々だ。これで聖書の神の死を暴露する一件が無ければ文句無しの満点評価だが、それに関しては彼女等が考えても仕方が無い。
「たまには手紙でも出してくれると嬉しいな。電話でも良いが、やはり形が残る物の方が、ね」
「うん、分かったわっ。必ず出すからね、パパ!」
「ああ。それと、ゼノヴィアくん。うちのイリナを、宜しく頼むよ」
親子の会話を邪魔しないように、と御行儀良く「待て」をしていたゼノヴィアが、名前を呼ばれて顔を向ける。
娘想いが行き過ぎて親バカとさえ呼べるイリナパパからの、深々と頭を下げてまでする頼み事だ。友人想いで根が素直な性格のゼノヴィアは、目の前の中年男性を安心させるために、自分なりの、精一杯の安心材料を提供した。満面の笑みで。
「問題ありません。私とジョンが責任を持ってイリナの面倒を見ますから!」
「そうか。そう、……ジョン? ジョン君と言ったかい、今?」
「はい! ……、……あっ、これは確か言ってはいけない奴だったな???」
あっ。
隣でイリナが驚愕の視線を友人に向けている。それを此処で言うのかこのゴリ、友人は、と。
目の前の紫藤トウジが、今現在失踪中である筈の教会からの行方不明者、兼、聖剣泥棒容疑者第一号の名前を聞いて、両目を見開き驚いていた。彼としては、全く予想もしない話だったのだ。
そしてやってしまったゼノヴィアは、謝ったら今の聞かなかった事にしてくれないかな、とかなんかそんな風な事を考えながら、笑顔で胸を張った姿勢のまま固まって、真っ青な顔で米神から一筋の汗を流すのだった。
少しゼノヴィアがうっかり過ぎる気もしますが、彼女には善意しかないのでセーフです(アウトでないとは言ってない)。
駒王会談までは暫く日常回が続きます。