一万三千文字。読む際は御注意下さい。
「ゼノヴィア、ごはん……」
もそもそと動く布団の塊。
その内側から、寝惚けたような少女の声音がのっそり響く。
が、それに応える者は誰も居ない。室内は静かなまま、彼女以外の誰も居ない。
「ぜのびあー?」
びあーびあーと小さな子供のように間延びした声が、幾度も飛んでは返答も無しに虚しく響く。
望みの相手が声の届く位置に居ないと理解すると、ぐちゃぐちゃに丸まった布団の中から栗毛の少女が顔を出した。
何時ものツインテールは ほどかれて、寝癖だらけの酷い有り様、寝起きで充血したその両目。ぼけっとした表情で室内を見渡し、寝室のサイドテーブルに置かれたビニール袋に気付くと寝惚けた動きで手を伸ばす。
袋の中身はゼノヴィアが買って来たコンビニのおにぎり等、その他食べ物色々だ。全て残らず既製品、ゴリラは料理などしない。
寝台の上に座り込んだまま、もそもそと三角形の米を食う。
おいしい。
何故コンビニのおにぎりはこんなにも美味なのか、イリナはとっても不思議であった。
ビニール袋から取り出した500mlペットボトルで喉を潤す。雑な飲み方が祟ったのか、少量の緑茶がシーツの上へと零れ落ちる。が、気にしない。季節が夏に差し掛かった今、室温は高く、ずっと布団に包まっていたイリナの汗で、シーツは元々汚れていたから。今更染みの一つや二つが増えた所で、栗毛の引き篭もりは気にしない。
不意に鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。ちょっと臭うかな、と思ったが御風呂に入るのも億劫だった。
「はあ……」
溜息を吐いて、食べかけのおにぎりを片手に持ったままで俯いた。
片思いの少年を強姦して以降、紫藤イリナはずっと自室に引き篭もっている。
色々な事があって。色々な事があり過ぎて。引き篭もり生活当初の彼女は本当に気持ちが参っていたのだ。
離れ離れになった相手ともう一度手を取り合えた、かと思えば突き放される。ジョン・オーリッシュが教会を出奔して以降、彼とイリナの関係はそんな事の連続だった。
此処駒王の町で別離と再会を繰り返し、ようやく自覚した恋へと邁進する事を誓えば、凄く生々しい経緯で己の
あの風の吹かない日の夜に、二つ隣の部屋から漏れ聞こえてきた情事の声が、忘れられない。あれが無ければ、彼を泣かせる事も無かったのに。と犯った自分が悪いのに思ってしまう。
そっと丸出しの下着に指を伸ばす。思い出すのは、痛みと歓喜で一杯になった初めてのセックス。今もじわじわと残滓が燻り、咥え込んだモノの形を鮮明に思い出せた。
前日から履きっ放しの、蒸れた下着の表面を擦る。
最初は臍下、やがて股間へ。非処女の割れ目を指一本で すりすり撫でた。頭の中には好いた少年の顔と、屹立する男根の雄々しい形。
ふつふつと荒れ始めた呼吸を聞きながら、あの日の情事を思い出しては女陰を擦る。
宙に浮いた片手から、おにぎりが落ちた。だけど熱中する彼女は気付かない。
半端に開いた脚の間に右手を差し込み、何度も何度も刺激を与える。触った部分はじわりと熱を持って気持ち良く、けれど奥の方、数日前に少年の男性器を受け入れた場所だけは、未だに火で炙られるような違和感があった。
だけど、それが良い。
例えそれがイリナの錯覚で、もはや与えられた痛みも変化も彼女の身体からは消えており、全てが単なる妄想だとしても。あの日の痕跡が残っていると思った方が、彼女は嬉しい。気持ちが昂ぶる。きもちいい。
右手と股間に意識が集中し、徐々に脱力していく他の部分が、項垂れる形で丸まっていく。
身体の半ばを覆い隠すように、乱れに乱れた長い栗毛が動きに従い流れて落ちた。
「じょんっ、そこ、そこ! ぁ、ああっ!」
寝台の上で座り込み、その身を縮めて一心不乱に自慰の快楽に没頭する。
頭の中では少年のモノで膣肉を穿られ、出し入れされる度に内側の肉が熱くなる。
妄想である以上それら全ては錯覚であるが、身体は素直に反応していた。
手持ち無沙汰な左手が、シーツを掴んで握り込んだ。皺くちゃに歪んだ白布が、その上に乗せたおにぎりを転ばせ床へと落とした。
自分の身体の、最も柔らかく繊細な部分を片手で弄る。激し過ぎて僅かな痛みが走るほど。
潜り込んだ指先が入り口の周辺を強く揉み込み、第二関節辺りまで深く突き入れては、指を引き抜く動きで擦る
――頭の中で、組み敷いた彼の身体を押し潰す。
貫かせたまま腰を振って、呼びかけてくる仮想の声に軽く喘いだ。
膣内の襞が蠢いている。居もしない雄を求めて搾り取るための動きが生じた。
吐息が熱い。
「っぅ、ん、――ふぁっ」
絶頂する。
繋がった時よりずっと容易く、気持ち良く。未だ一度きりの性交よりも、自慰の方がずっと慣れていて気持ちが良い。ぷしぷしと汁を飛ばして力を抜いた。下着はすっかり湿ってしまい、シーツに染み出し汚れを増やす。
凄く、気持ちが良い。きっと人生で一番の快楽だった。
なのに、目蓋を開けばすぐさま冷める。
弾けるようにイリナの中へと飛び込んでくる大量の白濁は、所詮偽りの夢に過ぎない。
彼女の内側を満たすものは掻き混ぜられた愛液のみで、肉棒も子種も全部嘘。
ああ、と泣きそうな声で呟いた。
「……あやまらないと」
弾む呼吸の合間に、言葉に出して自分自身に言い聞かせる。
泣かせた事。傷付けた事。既に相手が居るのに、セックスした事。浮気させた事。全部、ちゃんとジョンに対して謝らなければ。
謝って、そして。
そして。
……。
「ううん、謝らないと。謝って、あやっ、あや、まって。うん、うん、……それだけ」
謝って。そしてその後、どうするべきか。どうなるのだろうか。
あの魔女に譲って、己の気持ちを諦めるのか。それともこのまま完全に嫌われて、彼とは他人になってしまうのか。
欲を満たして冷静になったイリナの中には、楽観的な思考が生まれてこない。ただただ当たり前に、常識的で悲観的な結果ばかりが思い浮かんだ。
何時もの妄想の、良くない流れだ。だけど自分では止められない。己を責める言葉が胸中を蝕み降り積もる。
――悪い事をしたのだから、報いはきっとあるのだろう、と。
気持ちを浮上させては、落ち込んで。それが引き篭もり始めて以降の、紫藤イリナの日常だ。
今日のこの日は、駒王学園で三大勢力合同の会談が行われる、らしい。
先日彼女等の住居を訪れた、熾天使ミカエルの言である。コカビエルの一件に関わった面々には出来れば同席して貰いたい、と勧誘に添えて告げられていた。
ならば、ジョンも其処には来るのだろう。擦れ違う事など有り得ない、顔を合わせるにはまたと無い機会だ。
恋人を裏切らせて彼自身を傷付けたイリナに対し、あの少年から何を言われるのか。想像するだけで怖くて怖くて堪らなかったが、これ以上逃げる事も出来はしない。此処で進まなければ、ずっと蹲って震えるだけだ。
先への不安で痛いくらいに脈打つ心臓を上から押さえて、紫藤イリナは身繕いの為に立ち上がる。所詮脇役とはいえ、不相応過ぎる舞台に踏み入るのだ。今の身なりでは恥ずかしい。
どうなるにせよ、好きな男の子の前に、見っとも無い姿を晒したくなかった。
シャツを脱いで、下着も放って、御風呂場に向かって裸のままで歩き出す。
会談の場に自身の想い人が現れない、なんて想像だにすらしないまま。
□
「ほーん。例の聖剣使いも、当代のデュランダル使いも居ない、か。顔ぐらいは繋いでおきたかったんだがな」
椅子の肘掛けに凭れかかりながら、堕天使総督アザゼルが、消えぬ笑みのままそう言った。
人の消えた深夜の学園。
この日この時のために誂えられた一室で、三大勢力のトップ陣四人が円卓を囲み、顔を突き合わせて語り合っていた。
悪魔側からは魔王が二人、当代のルシファーとレヴィアタン。
堕天使側からは『神の子を見張る者』総督、堕天使アザゼル。
天界は、実質的なトップである熾天使ミカエルただ一人。
その周囲には、名目上の護衛役である白龍皇や悪魔の面々。
現状無所属であり此処での身の置き所に困った紫藤イリナは、輝く熾天使から僅かに距離を取った位置に立ち、同じく立場が明確ではないアーシア・アルジェントは今、駒王学園旧校舎にて、友人の小猫やグレモリー眷属の『僧侶』であるギャスパー・ヴラディと共に寛いでいる。
学園に在籍する若き悪魔達は『戦車』と『僧侶』を除いたグレモリー眷属と、『王』と『女王』のみのシトリー眷属が、先の聖剣騒動の詳細を説明するためだけに部屋の隅にて待機していた。
「――アザゼル。彼等は教会から籍を剥奪されたとはいえ我等が主の信徒です。貴方の興味本位で手を出すというのなら、止めさせてもらいますよ」
「それならば私も。妹のリアスが彼とは仲良くしているそうだし、ここは口出しをさせて貰おうかな?」
気軽に言ってのけたアザゼルに対し、天使と悪魔が掣肘する。
とはいえ、これは本題の前の前哨戦だ。話題自体に重みは無い。
事実として、アザゼルの物言いはミカエルが言う通り、興味本位ゆえのもの。
無所属の聖剣使いへの勧誘意欲くらいはあるが、優先順位は比較的低い。なにしろ此処には当代の二天龍、己の側には白龍皇が、視界の内には赤龍帝が居る。
注目度を語るなら、才ある人間と神滅具持ちでは比較にならない。これは他の二勢力に向けたほんの少しのからかいと、目に付いた人材に対する各々の評価を探るための冗談だ。
信徒を愛する熾天使ミカエルは、アザゼルの戯言に真っ向から反対した。
生来の善性ゆえに一勢力の長としては著しく適正が低いが、善性ゆえに情も深い。
何ものにも縛られる事無く生まれて初めての自由を謳歌している若者達を、権力者の個人的興味で振り回すなど以ての外だ。大真面目に言葉面を捉えて、悪友染みた縁のある堕天使総督に噛み付いた。そこに裏は一切無い。
悪魔側、魔王サーゼクス・ルシファーは婚約の一件以来微妙に距離を感じる愛妹に、少しでも機嫌を直して欲しくて媚を売る事が目的だった。
割と馬鹿みたいな理由だったが、本人的には真剣だ。
常に新しい人材を欲する貪欲的な種族方針ゆえに、勧誘出来るのならばしておきたいが、妹の機嫌を損ねてまで、個人で接触する価値は無い。そもそも当人達にその気が無いなら、誘ったところで役にも立たない。
ゆえに、天界側の言に乗って堕天使総督を牽制する程度が、彼の得られた此処での成果。
ただしリアスの機嫌はちょっぴり上向く。実にチョロい。
この場に居ない彼等の事が、ちょっとした話題の一つとして口端に上り、すぐさま流され次へと移る。その程度の軽い扱いでイリナを除いた聖剣使い二人の話は終わってしまい、会談は次の段階へ。
――そして、暴走する停止の力が学園の全てを呑み込んだ。
□
三大勢力の会談が襲撃を受けているのと、ほぼ同時刻。
ジョン・オーリッシュは、木場祐斗の自宅の和室、その押入れの中でセックスしていた。
暑くて臭くて粘着いている、暗闇での熱心な交合。その相手は当然、ゼノヴィアだ。
青髪の少女は、引き篭もるイリナの下へ欠かさず三食、コンビニ食品を補給して、更にジョンの下へも同じく持ち込む。そのまま、食事を終える度にセックス三昧。食事、セックス、休憩、補給、のサイクルを丸二日ほど、ずっと繰り返してはセックスしていた。というかすっかりハマっていた。これではまるで猿である。
締め切った押入れ。狭苦しい閉所での男女のプロレス。
季節は初夏だ。すごく暑い。吹き出す大量の汗で互いの全身は濡れそぼり、体調維持のための水分を適宜大量に補給しながら、二人分の体液に塗れて腰を振る。唇を擦り合わせる。裸の胸を押し付けあって、手も足も絡めて溶け合っていた。
生まれて始めて男に抱かれた少女の身体が、たった二日ほどで開発されて、今では徐々に快楽さえもを覚え始めて、異性の肉欲に反応している。
擦り合う肌が気持ち良い。初めてのキス以降幾度も貪られた唇も、純潔を捨てたばかりの処女膣だって、彼の専用へとかつての形を変えられていく。
「ジョン、暑いぞ……!」
暑いと言いつつ腰を振る。何度も何度も、文句を言う割には動きが全く止まらない。
少女の意見に同意しながら、少年もまた、腰を押し付け抱き締める。座り込んだ姿勢で向かい合い、胸板でゼノヴィアの大きな胸をわざと強く押し潰しながら、彼女の中で陰茎を扱いた。
もう、何度射精したかも分からない。
慣れるまで。飽きるほど。異性との行為が怖くなくなるくらいに、ずっとずっと交わっていた。
効果は確かにあったのだろう。未だかつて無いほど濃密に、少年はゼノヴィアだけを見、ずっと彼女を貪っている。忌避感なんて、もはやどこにも見えはしない。腰を振る機械と化していた。
まるで動物だ。荒療治の成果はあったが、ヤり過ぎたせいで頭の中が互いに馬鹿になっている。
もはやイリナへの恐怖も罪悪感も、アーシアに向けた彼個人の蟠りも、性欲と一緒に吐き出されており形が無い。悩みは消えたが、同時に人として大事なものも投げ出している気がする。それを取り戻すには、しばしの猶予が必要だった。
「……暑い」
「だから、さっきから私が何度もそう言っているだろう」
思わず少年が呟けば、少女も同意して言い返す。繋がったまま、腰を振りながら、互いに相手を抱き締め合って。
――喉が渇いた、水分が欲しい。
少年が手を伸ばして傍らの500mlを掴み取るが、手応えは酷く軽かった。重みで分かるが空っぽだ。すぐさま転がし、別のものを手探りで求める。
が、無い。
「ゼノ助、飲み物」
「む? よく見ろ、ちゃんと買って、かって……、もう無いな」
額から流れ落ちる汗で、髪が顔に張り付いている。その不快感に腕で拭って髪を払うと、相変わらずの暗がりの中で互いの視線がぶつかった。
唇を合わせて唾液を啜る。が、全然足りない。非常にぬるくて不満も募る。
喉が渇く。他には無いのかと少年の首を少女が舐めて、塩辛い汗の味に眉根を寄せた。舌の感触に ぞくりと震えて、舐められた側が舐め返す。が、やはり気持ち良さ以外に何も無い。
暑くて苦しい。頭が回らない。ゼノヴィアの胎内に精液を流し込み、一息吐いて考える。
性欲と熱気に湯だった頭で、ジョンがぽつぽつ呟いた。
「のみもの、みず、れいぞーこ……。そうだ、冷蔵庫だゼノ助」
「っああ、そうか。木場の奴が何か置いている筈だ、貰おう」
暗がりに光明を見い出した男女がふわふわした笑顔を浮かべる。明らかに平静ではない。
当然のように木場の貯蔵品を貰い受ける事を決定し、二人は繋がったまま襖を開いた。
開けた視界。押入れに向かって吹き込んでくる、新鮮な空気。久しぶりに目にした気のする、和室の風景。そして人工の明かり。――付けてさえいない筈の、明かり。
「ねえ曹操、此処、何か変な臭いがしない???」
「おかしいな、確かに此処に――ん?」
聞いた事の無い声が聞こえた。
其処には、学生服の上に漢服を羽織った、黒髪の男が立っていた。その傍らには、和室にそぐわぬ西洋鎧の金髪の女。
四人の目が、合った。
黒髪の男は、下半身で繋がったまま姿を現す、押入れの中の男女を目にして固まった。
どうやら彼の理解の範疇外の光景だったらしい。ジョンとしてもそれは同じだ。なんで木場の部屋に見知らぬ男女が土足で突っ立っているのか、彼にはさっぱり分からない。友達は選べよ、と脳内の木場に向けて忠告さえした。勘違いだが。
金髪の女は、目を見開いて口元を押さえ、頬を少しだけ高潮させながら まじまじと二人を観察している。どことなく助平そうな顔をしていた、というのは言い掛かりだろうか。
覗き魔かな? とかジョンが考える一瞬の内に、――亜空間から引き抜かれた聖剣デュランダルが光を放った。
「ちょっ、」
「ええっ!?」
「待ってくれ、わざとじゃないんだ。少しで良い、落ち着いて俺の話をぉ――」
正体不明の不審者男女が慌てた様子で声を上げた。
が、止まらない。
ゼノヴィアは乙女である。
内面が割とゴリラだったり、価値観がかなり世間一般とズレていたりする脳筋だったが、それでも、間違いよう無く女の子なのだ。
赤の他人に情事真っ最中の裸を見られて、何も感じないほど鈍感な生き物などではない。
異性の友人に「セックスしよう」とド直球で言い放って二日ほどセックス三昧に耽ったり、教会時代に男女三人で風呂に入ったりもしていたが、それは相手がゼノヴィアにとっての特別な相手、ジョンとイリナであるからだ。彼等は特別枠なのだ。
隠すもの無き体液どろどろな真っ裸、心許した相手と繋がる姿を。
赤の他人、それも恐らく状況からして不法侵入者である謎の男女二人組に晒しているのだ。彼女にとっては決して、平気の平左で流せる事態、などではない。
内心では「キャーとか言った方がそれらしいのだろうか」などとジョンに対する乙女アピールを考えているが、それはそれとして、ゼノヴィアの感情はしっかり激しく荒れ狂っている。
なので、斬った。
思いっきり、衝動のままに聖剣を振るった。
それで相手がどうなるかなど、セックスし過ぎて脳味噌が馬鹿になった上 怒りと羞恥心が全力で渦巻く今のゼノヴィアに、考えられるわけがない。
木場祐斗の住居の一角、和室の中で、聖なるオーラが解き放たれる。
だが。
それに対応する者が居た。
「――聖槍よ」
厳かな宣言と共に、聖なる槍が虚空から生じるように姿を現わす。
其れは地上で最も美しきもの。名実共に最強至上の神滅具。
白夜の如く尊く輝く神殺しの聖槍が、現時点におけるデュランダルの全力を打ち払った。
「う、あ」
ジョンの視界に光が見えた。
自分自身の呻き声が、どこか遠くから聞こえてくる。
青白く輝く、とても美しい明かりが在った。それはとても綺麗な、槍の形をしているようだ。
呑み込まれる。忘我する。魂全てが其処に溶けて行くかのような、圧倒的な多幸感。
手を伸ばして、触れたくなった。あの聖槍の輝きに。
ああ、なんて美しい。なんてなんて尊いのだろう。
あれは。あれは。あれは――。
「――おっと」
光が消えた。
其処に在るのはただ美しいだけの金の槍。
ふと気が付けば、其処は無残に破壊された何時もの和室だ。
一時我を失っていたジョンは押入れの中から、身を乗り出すように男の手にした槍に向かって、己の片手を伸ばしていた。
傍らのゼノヴィアも、若干不快そうな顔をしながら、デュランダルを持たない方の手で己の口元を押さえている。何かを耐えるかのように。
「信者を忘我の境地に至らせる、か。そういえばそんな効果もあったな」
軽く苦笑しながら漢服の男がそう言った。
片手で槍を持ち、もう片方の手の平を長柄の部分で何度も叩く。他者に魅せるための演技染みた、実に様になる仕草であった。
「さて。とりあえず、――服を、着てくれないかな、君達」
それとなくゼノヴィアの裸から視線を逸らして、聖槍を宿す男が言った。
□
破壊痕に加えて異臭も漂う和室を後にし、別の部屋にて向かい合う。
名も知らぬ男女は揃って楽しそうな表情で、どことなく嫌な印象を受けてしまう。
見下されているような、あるいは値踏みされているような。理由の見えない友好的な空気も感じる。何にせよ、謎の男女は謎の自信に満ちていた。先のデュランダル砲を容易く打ち払った事を鑑みれば、その認識も然程的外れではないのだが。
「改めて名乗ろう。俺の名は曹操、禍の団英雄派においてリーダーの役を務めている」
「私はジャンヌ・ダルクよ。宜しくね」
不可解な名乗りに、隣のゼノヴィアと視線を交わす。
ある意味特殊な箱入り育ちである二人は、曹操という名を寡聞にして知らないが、ジャンヌ・ダルクなら知っている。1400年代前半に活躍し、今の時代ではカトリック側の聖人に列せられている過去の偉人だ。
神の声を聞いたという、フランスの聖女。
実際のところ聖書の神は千年前に死んでいるので、当のジャンヌが神の声を聞いたというのは真っ赤な嘘だとはっきり言える。いや、神ではなくミカエルの声だっただろうか? だとすれば彼の聖女が処刑されるまでの一連の事態、全ての黒幕は熾天使ミカエル……。
「ファッキューセラフ」
「!?」
ジョンがぼそりと呟いた。それを聞き取ったのだろう自称ジャンヌが驚いていたが、それに関してはどうでも良い。金髪の女は偶然耳にした脈絡の無い罵倒に耳を疑っているが、ジョンは一切気にしなかった。
深く、椅子に腰掛け力を抜いた。完全に脱力した、戦闘の意思の見えない態度だ。
此処はグレモリー家名義のマンションの一室。駒王町への度重なる堕天使の侵入から信頼性は割と低いが、領主であり魔王の妹でもあるリアスの眷属、『騎士』木場祐斗の部屋なのだ、相応以上の備えがある。
其処に、容易く侵入して来た一組の男女。
ずっと押入れで行為に没頭していたから自信は無いが、物音なんて聞こえなかった。破壊的な音も生じず、己の記憶を当てにするなら、侵入に用いたのは暴力的な手段ではないのだろうし、そもそも、侵入している自分達の存在を何時悪魔に察知されてもおかしくない状況で、何ら慌てる事無く椅子に腰掛けジョンとゼノヴィアを観察するその余裕。自分達の力や手札に、余程の自信があるのだろう。
先の攻防、圧倒的な槍の輝きを思い返せば、油断や慢心とは言い切れない。
目蓋に焼き付いた尊い光に思考が鈍り、足を抓って意識を戻す。
こいつらは、危険だ。
実力は不明。しかし目で見ていてさえ、軸がぶれない、身体の各所も衣服越しでさえ引き締まっている。
ジャンヌはともかく、曹操の側は徹底的に鍛えているのが見て取れた。
先程の槍だって気味が悪い。……いや、おぼろげながら、アレが何かは分かっているのだ。教会育ちで見知った気配、あの目に見えるほど濃厚な聖なるオーラは間違いなく聖具の一種。
冠された名を探る余裕など今は無い。ただ、もう一度目にして、その上で真っ当な戦闘を行えるだけの自信が、ジョンには無かった。目にすれば再度正気を失うだろうと、諦め半分で考える。
だから、結論としては戦わない。危険は避ける。勝てる勝負しかしたくない。
深く腰掛け、対話の姿勢を露わにし、相手の酔狂に付き合ってみせる。少なくともこうして向き合っている以上、相手側は本気で話をするつもりなのだから、乗るしかなかった。
「うーむ、スポーツ飲料しか無いぞ。木場の奴め、アイツは本当に気が利かないな」
傍らのゼノヴィアも地頭だけは良いのに、こういった場では基本ジョンに任せきりだ。彼が席に着いて話を始めれば黙っているし、何か動きがあれば即座に応える。信頼している。だから何を指示する事も無く、隣でジュースを飲んでいる彼女は放っておいた。
そして、漢服の男が口を開く。
「まずは、こちらの事情から説明しようか」
にこやかに笑う青い瞳の男、曹操は過激派集団『禍の団』の一派閥におけるリーダー格だ。
悪魔や魔法使いが集う他の派閥とは異なり、彼の麾下には神器持ちの人間ばかりが所属している。――停滞した今のこの世界において、覇を唱える事を目的として。
ジョンとゼノヴィア。二人の情報の出所は、先頃仲間になった当代白龍皇ヴァーリの世間話だ。
聖剣を強奪し、駒王町を襲撃した堕天使コカビエル。あの戦争狂を捕縛して連れ帰るために『神の子を見張る者』から出向いたヴァーリは、あの時この町で行われた、ほぼ全ての戦闘行動を観察していた。
見ていた理由は単なる興味。一度でも触れれば容易く敵を無力化出来る【白龍皇の光翼】を有するヴァーリにとっては、コカビエルの捕縛なぞ子供のお使いと変わらない。自分自身の興味本位とアザゼルに向けた土産話、当時はそういった目的で一連の事態を見守っていた。
赤龍帝。多数の悪魔。教会の戦士。そして当時既に無所属だった乱入者、聖剣使いジョン。
――端的に言えば、今日のこの時、この場に曹操が現れたのは勧誘のためだ。
会談中の駒王学園を他派閥が襲撃する、この瞬間、それ以外への警戒は、笑えるほどに疎かになっている。
そうでない時でも無理なく侵入出来ただろうが、今は敢えて危険を冒すような時期でもない。
タイミングが良かった。暇があった。興味も当然。手勢を増やす好機でもあった。
三大勢力に潜ませている間者から仕入れた情報で、ジョン・オーリッシュの事も調べてある。
天然ものの強力な聖剣使い。実に優秀な教会の戦士。
教会から追放されて、堕天使の下部組織をヴァチカンからの脱出に利用し、すぐさま離脱。
魔王の妹である上級悪魔と契約し、果ては堕天使幹部との一騎打ち。
調べ上げた情報の全てに目を通して、曹操は笑った。
――だって、これではまるで英雄だ。
これから先、必ず芽吹く。やがては裏の歴史にその名を刻む、未だ年若き英雄の始まり。――資料を読み終えたばかりの当時、曹操は彼の来歴をそう捉えた。
正直に言えば、羨望を抱いた。
英雄への階段を一段ずつ上り詰めていくような彼の経歴が酷く羨ましくて、妬ましくもあった。
自分が彼の立場であれば、きっともっと上手くやれただろう。そんな事まで妄想したほど。
だからこそ、そんな彼を自分の麾下に加えられれば、どれほどの喜びを得るだろう。
資料から察せられる力量であれば、最低予測でも英雄派の幹部級。そこに回復系の神器まで付いてくる。これを求めないほど、曹操は無欲な若者ではない。
来歴からして教会や天界に対して隔意がある筈。先の熾天使を罵倒する独り事も、それを裏付ける証拠の一つ。
勧誘する以上、心象が良くて損は無い。最強の神滅具を手にするリーダー自らの勧誘と、かつて異端の罪で教会によって処刑された聖女の魂を受け継ぎ聖剣使いとしての適正も持つジャンヌを添えれば、似たような相手の立場からしてそうそう悪い流れにはならないだろう。
そう考えた上での初対面が先ほどのアレだったのだが、曹操は折れる事無く燃え上がっていた。
――絶対に、彼を俺の麾下に加えてみせる。
出自自体に特別なものの無い、ただ才能があるだけの少年。数奇な運命を辿り、各勢力下を転々とする流浪の戦士。それは実に男心を擽る境遇だった。
欲しい。絶対に、欲しい。約1800年の時を越えて蘇った、人材コレクターの血が騒ぐ。
半ばほどしか自覚は無いが、曹操は初対面であるジョンに対して並々ならぬ執着を持っていた。それこそ、隣に座るジャンヌや同派閥の幹部衆が、その熱意に引くほどに。
「どうだろうか、俺達と一緒に人の限界を極めてみないか!」
「OK牧場」
「そうか! だが大丈夫だ。俺の話を聞けばきっと君も――えっ、なんだって???」
果たして、曹操の勧誘に対するジョンの返答は即座の了承。作中時間的には未だ現役で通じる名台詞でもって、テロリストの申し出を受け入れた。
曹操が思わず突発性の難聴を疑うほどに、その返答には躊躇いが無い。
禍の団や英雄派の大まかな情報、そこから自慢の幹部勢や己の神器や血統自慢。実に気前良く内部事情を口にして、その実本当に重要な情報は一切相手に与えていない。
それでも曹操の熱意は本物だった。
そしてその結果が、ジョンの返した即答だった。
思わず曹操が訊き返し、隣のジャンヌも訝しむほど潔い。
あまりにも早過ぎる返答だ。疑われる事自体は、ジョンの側とて理解している。
だから、己の言葉を裏付けるだけの物証をこの場で示した。
「それは――」
亜空間から引き抜かれた『天閃の聖剣』が机に置かれた。
一目で分かる、聖剣の威光。名を聞けば、かの有名なエクスカリバーの一振りだと言う。
教会を出奔したジョンが、預けられたまま持ち去っていた聖剣の一つ。今の彼にある唯一の武器。本来ならば決して手放さないだろう、聖剣使いの切り札である。
鋭い視線で『天閃』を眺める男女に対し、ジョンが弛緩しきった姿勢を保って話を締める。
「英雄派への紹介、楽しみにしているよ、
「っ!! ああ! こちらこそ、――ジョン!」
男同士の固い握手が交わされる。
見守る女性陣は、思いがけず手に入った聖剣を手ずから確かめるジャンヌと、小腹が空いたので備え付けの冷蔵庫を再度漁り始めるゼノヴィア。絵面だけなら割と感動的な場面なのだが、彼女等は全く興味が無さそうだった。
数分後。
そちらへ行く前に準備があるから、と一時禍の団への合流を断ったジョンとゴリラをその場に残し、自称英雄派の二人は帰って行った。
霧の中へと消えていった未来のテロリスト達を見送って、ジョンの分のコップから飲み物を補給しているゼノヴィアが、隣の少年に向けて小さく問うた。
「――それで、実際どうするんだ」
話の内容は聞いていたが、彼女には彼がテロ集団に入りたがるとは思えなかった。
当然である。ジョンは色々と攻撃的な部分もあるが基本的には性根が善良で、人助けだって嫌いじゃない。追放された今になっても、教会の戦士として行った任務の数々を唾棄する事無く、あれはあれで人々の助けになれていたのだ、と肯定的な意見を持っている。
デュランダルの一撃を完璧に打ち払った、槍と技量。傍に控える聖女の名を持つ仲間の女。理解度に関しては話半分だが随分自信を持っているらしい、曹操の語った仲間の話。
仲間になるにしても、異形に挑戦するという目的自体が言葉としては曖昧で、ジョンの興味を惹くとも思えない。
だからといって、『天閃の聖剣』まで信頼させる材料として差し出した以上、少年が相手側に相応以上の価値を認めている事も理解していた。
――つまり、どういう事だろうか。
分からなかったので、かしこいゼノヴィアさんは正直に訊ねた。
問われたジョンは、目頭を揉みながら溜息を吐く。ゼノヴィアに呆れたわけでない、事態が思った以上に深刻かもしれない、と内心ではかなり追い詰められて疲弊していたのだ。
今後、セックスはもう少し頻度を減らそう。
心身の疲労に肩を落としながら、中々上手く回ってくれない脳味噌の回転を必死に上げる。
禍の団とか、英雄だとか、神滅具持ちとか血統だとか、よくもベラベラと話してくれたものだと腹立ち紛れに臍を噛む。もう少し押入れの中に引き篭もっていれば、あんな面倒臭くて至極厄介な話の種なぞ、聞く事も無く終わっていたのに。今更ながら、先の出会いを後悔している。
三大勢力を敵に回す、と曹操は言った。
質はともかく数に関しては、たかだか人間の小集団如きが立ち向かえる相手ではないのに、あの男は自信満々に言ってのけたのだ。つまりそれだけの自信と、その裏付け、豊富で強力な手札があるのだろう。
槍に驕っただけ、ではない筈。三大勢力が、そのただ一角でさえ強力なのは、遥か過去よりも大幅に弱体化した今でさえ、裏側の事情を真っ当に知る者ならば誰であろうと理解している。だが、つまり、いやしかし。何度も何度も、曹操の考えを想像しては否定する。
ジョンは思った。――勝てるわけねーだろ、と。
奴の話に乗る、つもりは無い。
だからと言って、全てではなくとも無駄に胸襟を開いて情報を開示したのだ、曹操はジョンとゼノヴィアを無条件に放逐する気など無いだろう。その気があったら奴の頭がおかしいだけで済む。が、そんな楽観は絶対出来ない。曹操は本気だ、という前提で思考を進める。
戦えばどうなるか、と問えば、今のジョンは言葉に詰まる。
自分達二人の意識を捕らえた、彼の名高き【黄昏の聖槍】。
あれは不味い。あれはヤバイ。もう一度あれを見てしまえば、強弱を競う以前に勝負が決まる。
あれには勝てない。どうやっても相性が悪い。正直に言えばもう一回見たいくらいだ。
信徒の心を容易く捕らえる最上の聖遺物の放つ威光は、信仰心だけなら友人二人を確実に上回るジョン・オーリッシュにとって、天敵以上の難物だ。
戦う事も叶わない相手、だというのに乗れば泥舟、沈むだけだとジョンの中の理性が言う。
敵に回して、生き残れるか。『天閃』の尊い犠牲によって時間は稼げたが、この手は二度と使えない。誰をも納得させ得る貢物の残弾は、先程の聖剣で弾切れだ。
ならば。ならばどうする。
選択を間違えれば自分だけでなく、ゼノヴィアの身にも危険が及ぶ。自分の近くに居るアーシアも、あるいはイリナも、戦力値不明のテロリスト集団に狙われる可能性が、無いとは言えない。
ジョンは悩んだ。
悩んで、悩んで、悩み続けて。
――いっそ丸ごと投げ出してしまおう、とあっさり全てを切り捨てた。
□
翌日の事である。
凄く嬉しそうなリアス・グレモリーが、意気揚々と眷属全てに言葉を放った。
「みんな、紹介するわねっ! ――新しく眷族になった、ジョンとゼノヴィアよ!!」
この日、グレモリー眷属に愉快な仲間が二人ほど増えた。
一方、想いを裏切られた曹操は、拠点で一人発狂していた。
派閥の幹部勢は皆、そんなリーダーを遠巻きに、関わらないようにと視線を逸らして各々散った。
夢を描き、想い破れる。実に悲しい話であった。
オナニーマスターイリナと、波乱万丈なオリ主に夢を見る曹操くんの話。
(ちょっと病んだかもしれないけどホモでは)ないです。
ルート決定、オリ主が悪魔に転生しました。
悪魔をお嫌いな方はいらっしゃるでしょうが、この方向性で話が進みます。