――紫藤イリナは人間である。
数年来の友人二人がリアス・グレモリー配下の眷属悪魔に転生し、更に其処に、他人の幼馴染を寝取った憎き魔女までもが加わったりもしたのだが、イリナだけは、未だ人間のまま変われない。
グレモリー眷属に一つでも空席があったのならば話は別だが、現実は彼女に厳しかった。
一応、転生するに至った経緯も聞いた。少々過剰な警戒にも思えたのだが、彼の少年が割と普段から仕出かす人だと知っているから、まあ、納得出来る。実際、最強の神滅具持ちのテロストがジョンに対して謎の執着を見せていた、などという妙な話を聞かされれば、警戒するのも確かに分かる。イリナが彼の立場なら、混乱しきって何も出来なくなっていただろう。
ともあれ。友人二人が悪魔になって、自分一人が取り残されて、疎外感が半端じゃない。
事は命の危機にも関わるのだから不謹慎な考えだという自覚はあったが、それが飾らぬイリナの本音だ。
人と悪魔は、大いに違う。
種族も形状も基礎性能も異なるが、何よりも、寿命の桁が三つは違う。
一万年とは一体何年だっただろうか、と改めて悪魔に関して調べたイリナは思わず惚けて、若干言い回しの狂った疑問に暫し頭を悩ませたものだ。
悪魔の寿命は一万年超。翻って人間のそれは言うまでも無い。生きている時間が、全く違う。
五年も経たない内に紫藤イリナは大人になるが、ジョンとゼノヴィアは必ずしもそうではない。悪魔である彼等は意思と魔力さえ十全であれば、イリナが死ぬまでずっと変わらず、死んだ後まで生きるのだ。イリナの事を忘れてしまうくらいの、長い時間を。
今のまま、ずっと三人一緒だった教会時代と変わらぬ姿で。人間である自分一人が老いさらばえて死んでいく。それは、なんと恐ろしい事だろう。
未来を想って、イリナは怯えた。
自分が、自分だけが、置いて行かれる。独りぼっちで消えていく。何時かのように、これからも。
それにはきっと、耐えられない。ほんの数ヶ月ジョンと離れていただけでも、心が折れそうな想いをしたのだ。ならば一生の問題を前にして、自分がまともで居られるとは思えなかった。
ただの予測と妄想が、少女の心を締め上げる。
時が過ぎれば現実化するだろう悪夢を抱いて、一日ごとに追い詰められていた。
傍に居たい。一緒に居たい。同じ時間で、同じものを見て生きていきたい。
悩む時間はあっと言う間に過ぎていき、結局、彼女は決断した。
「それでは面談を始めましょうか。――紫藤イリナさん」
眼鏡の奥で、赤紫の瞳が輝いた。
その傍らには彼女の『女王』、真羅椿姫が控えている。
駒王学園生徒会室。
上級悪魔ソーナ・シトリーの目の前に、栗毛の少女が決意を抱いて立っていた。
――その日、シトリー眷属に一人の『騎士』が加わった。
□
「ポチっ、とじゃなくてズムッ! っと突くんだ!!」
冥界の豪華温泉、その一角で。
無駄に良い声をした堕天使総督が、当代の若き赤龍帝に、全身全霊で如何わしい性知識を吹き込んでいた。
感動して涙さえ流す茶髪の少年。そんな彼の未熟を受け入れるように温かく微笑む中年、もとい年齢不詳。堕天使アザゼルが何故天界から堕天したのか、一目で分かる光景だった。
おっぱい談義で盛り上がる男二人を遠巻きに見つつ、一誠を除いたグレモリー眷属の男三人は、湯船に浸かって のんびりしていた。
「……実際どうなんだい?」
並ぶ三人の真ん中で、ぼそりと木場が囁いた。
口元をお湯に沈めてポコポコ泡を作って遊んでいたジョンが、隣のイケメンに目を向ける。
木場の右手の握り拳。そこから人差し指が一本、立った。
金髪碧眼、駒王学園の王子様の透き通った視線は、助平な男二人を真っ直ぐ捉え、その手は何かをつつくような形で固まっている。いわゆる、ズムッ、と付きそうな形で。
なるほど、とジョンは小さく頷いた。
「ムッツリかな?」
「違うよ」
違わない。
即座に否定した木場であったが、内心では実際ムッツリだった。
だが、それも仕方の無い話なのかもしれない。
かつて隣の少年を泊めていた和室の押入れ、その事後の惨状と濃厚な性臭は、木場の記憶にも新しい。結果として和室ごと改修する破目に陥ったのは、良かったのか悪かったのか。家主が手ずから事後の掃除をせずに済んだ事だけは、きっと良かった事なのだろう。
――臭いは強烈、昼夜問わずに音と嬌声が自室に届く。
その時の影響が無い、わけがない。だってなんだかんだ言って思春期だから。
知り合い同士がセックスすれば、男の子として気になってしまうのは当然だった。だから、つい、青い好奇心からそういう話題を振ってしまってもおかしくはないのだ。おかしくない筈なんだ、と木場は言ってしまってから胸中のみで自己弁護をした。口に出す勇気は流石に無い。
学園での女子人気の高さゆえ、逆に男子の友達が全然居ない孤独な王子様は、性経験豊富なジョン・オーリッシュに問い掛けた。
おっぱい、って、柔らかいのかな、と。実体験込みの感想を求めて。
「ムッツリかな?」
ムッツリである。
再度問われた木場は、流石に恥ずかしくなって湯船の中へと逃げ込んだ。
慣れない猥談を興味本位で試みた、純情少年の末路であった。
隣のギャスパーが彼を心配して声を掛けたが、お湯の向こうで耳元を赤くして震える青少年には届かない。浮上には暫く時間がかかるだろう。
階層別に分けられた一段上の、女性用の温泉で、そんな男性陣を見下ろして聞き耳を立てていたリアスが ころころ笑う。
「祐斗ったら遅蒔きの思春期かしら?」
日頃最も思春期らしい振る舞いをしているのはリアスの方だが、自分の事なのに自覚は無い。彼女以外に先の会話を耳にした者が居ないのは、恐らく木場にとっては幸運だろう。聞かれた時点で充分不幸ではあるのだが。
最近は一誠との仲もそれなりに進展しており、紅髪の少女は御機嫌だった。
豊かな、豊満過ぎるほどの大きな乳房が、湯船に浮いてぷかぷか揺れる。
その傍らにはそれ以上のものを抱えた朱乃。そして順位的には三番手になる、大き目の胸を隠す事無く全身を伸ばして、温泉を楽しむゼノヴィア。と、比較対象が悪いせいで小さめに思えてしまう胸元を両手で押さえて、軽く揉んでは刺激を与え、大きくなぁれと呟くアーシア。傍からは自慰の真っ最中にも見えてしまう。
そして最後に、圧倒的な戦力格差。幼児体型相応の小さな胸を湯船で隠し、ちらちらとアーシアやゼノヴィアの様子を窺う小さな小猫。
その頭の中は先日の乱交現場で一杯だ。
温泉の効果だけでなく自前の熱で頬が上気し、無意識に出しっ放しになった耳と尻尾を動かしながら、もじもじと太腿を擦り合わせて息を吐く。熱い吐息が湯気に紛れた。
「にゃあ……」
ところどころで微妙な空気になりながら、グレモリー眷属御一行様の冥界初日は、こうして更けていくのであった。
□
「お前さん『戦車』向いてねーな」
――などとチョイ悪オヤジに言われたジョンは、言われなくても分かってるんだゾ、と言い訳しながら木場製の聖剣を振っては壊す。ただの気晴らし、八つ当たりである。
数打ちの聖剣から無理矢理 力を引きずり出して、自壊するほどの威力と共に、薙ぎ払っては破壊を齎す。下級中級の悪魔程度なら、使い捨て用の聖剣一つあれば即殺出来るだろう威力であった。
天性の才能。類稀な、因子の濃度。
聖剣使いとしての格を問うなら、彼は間違いなく当代最高だ。――あくまでも、適正だけを問うのなら。
数値に直せば確定トップだが、聖剣デュランダルが彼ではなくゼノヴィアに託されたように、何事にも相性というものはある。
ジョン・オーリッシュに最も合っているのはエクスカリバーだった。
全部で7種、同時使用も可能な多種の特性。
7分の1でさえ強い光力を秘めている、聖剣としての優れた性能。
仮に先程のように壊しても、核さえあれば再生出来る、道具としての使い易さ。
相応しい、と言えば流石に高慢が過ぎるだろうが、テクニックタイプに分類されるジョンにとっては、とても魅力的な武器だった。
魔女の追放に巻き込まれるような事さえ無ければ、ゆくゆくは教会から『天閃』含めて複数のエクスカリバーを預けられる、という未来も有り得ただろう。
「……無いな」
溜息を吐いて、首を振る。下らぬ妄想を放り捨てて拳を握った。
所詮は無いものねだりに過ぎない。物欲にかまけて、要らぬ妄想に思考を囚われてしまったようだ。
結局は、今あるもので行くしかない。そう結論付けて身体を動かす。
彼は確かに弱くなったが、それは単に転生直後で慣れていないから、というのが大きい。
十数年間弛まず続けた、戦士の訓練。教会の悪魔祓い任務に従事する事で得た戦闘経験。学んだ知識。多数の聖具の種類と用法。
最後の一つは悪魔である以上捨てるしかないが、他は変わらず残されている。積み上げたものは彼の身の内から消えてはいない。
だから、まずは『戦車』の特性を使いこなす。
技術は既に身に付いているのだから、急激に上昇した身体能力さえ掌握出来れば、ただそれだけで弱体化中の彼の実力は跳ね上がる。
伊達に幼少の頃から教会で学び育ったわけではないのだ。そもそもの年季が違う。努力に費やした年月だけなら、グレモリー眷属の中でも一番長い。比較出来るのはゼノヴィアくらいだ。それこそ一生を費やしてきた、とさえ言えるのだから。
とりあえず動け。暴れろ。当たり前に自分の身体を扱えるようになるまでは、剣なんてむしろ邪魔なだけだ。――というのが、オカルト研究部の顧問兼アドバイザーであるアザゼルの言だ。
自由に身体を動かして、時折気晴らしに聖剣を使い、只管にそればかりを繰り返す。
日本に来てから憶えたラジオ体操を、音楽も無しに第一第二と順番に。続いて教会時代の基礎訓練を。飽きる事無く何度も何度も、無心となって伸びをして、雨粒のように汗が滴っても休む事無く、身を捩っては飛び跳ねること数時間。
「――此処に居たのか、ジョン」
ガサリと草むらを掻き分けて、見慣れた野性が飛び出した。
ゼノ助、と呼びかける筈の声が、掠れて喉から出てこない。仕方なく片手をふらりと上げて、視線と合わせて返事を返す。
宙を掻いた力無い指先から、ぱたりと汗が飛び散った。
それを見たゼノヴィアの眉根が僅かに歪む。
「丁度良いな。休憩するぞ」
言葉と一緒に、着ている運動着の裾を持ち上げ、白い布地で少年の汗をぐいぐい拭った。
捲り上げられた衣服の下から、臍と腹部がちらりと覗く。もう少しで下乳の辺りが晒されそうなくらいのギリギリの位置、見えそうで見えない光景が実にもどかしい。
腕を引かれて地面に座る。
倒れるような勢いで、胡坐をかいた股の辺りにジョンの頭が丁度良い形で収まった。
見上げれば、そこにはゼノヴィアの豊かな双丘と、自身を見下ろす金の視線が注がれている。
未だ荒れた呼吸で胸が苦しい。額から新たに流れ落ちる汗で、視界が滲んでよく見えなかった。
それを、呆れたような声音が責める。
「ジョンの阿呆め。本当にしょうがない奴だな、キミは」
伸ばされた両の手の平で、拭いたばかりの頬をぐにぐに揉まれる。
その度に新たな汗が吹き出しゼノヴィアの両手を汚していくが、そんな事を気にする繊細さなんて彼女には無い。好き放題に弄り回して、見下ろしてくるその表情が綻んだ。
相変わらず休むという事を知らない。そう言って笑う少女の顔が、徐々に彼の方へと下りてくる。
休みくらいは知っている。不服そうな顔で少年が、唇を受け入れ目蓋を閉じた。
少しだけ塩辛い、汗の味。
傍からどのように見えているのかは知らないが、彼は彼なりに効率を考えて動いただけだ。
怠けられるなら怠けていたい。楽してズルして利益があるなら、そっちの方が絶対に良い。
必要だからやっているだけなのに、ゼノヴィアの物言いは理不尽だ。そう考えて、口内に侵入してきた少女の舌先を甘噛みする。
寝転んだ彼の頭頂部辺りに、運動着越しの彼女の乳房が当たっていた。実に幸せな感触だ。
片手を伸ばして軽く触れば、手の平に滲んだ汗と湿気が、少女の衣服をじっとり濡らす。
乳房に触れている片手が掴まれ、手の甲の上から、より強く揉むようにと指先の動きで指示された。それに応えて、弾力のある丸い果実を揉み潰す。乳の張りの良さが手の平に返って、少年の股間に僅かながらに熱が灯った。
探り当てた、乳首を弄る。
「ふぁ、っんん」
ぴくりと少女の身体が震えて、重なった唇からも声が漏れる。
少年の濡れた運動着、その裾を掴むと捲り上げ、晒された胸板をゼノヴィアが両手で撫で回す。
脇腹の辺りを指の腹で順に撫でられれば、くすぐったいのに気持ち良い。ぞくぞくとしたものが背筋を走った。
疲労した身体が軽く疼いて昂ぶっていく。
キスの途中で強く吸い、弾くように唇を離して身を捩った。が、起き上がろうとする彼の身体が押さえ込まれ、姿勢を変えた彼女の身体が、彼の正面から覆い被さる。
「疲れているだろう。私がやるよ」
仰向け状態の、腰に跨ってゼノヴィアが言う。
中腰となった少女の下半身で、下着ごとブルマが引き下ろされた。
ほぼ騎乗位の体勢で。少年の視界には、開かれた脚の間が良く見える。
そこは既に濡れていて、一筋糸を引いていた。
「っん、あまり勃ってないな」
続いて少年のものを脱がされて、半端に膨らんだ彼の陰茎が外気に触れる。
汗に濡れた手の平で、棒状の肉がやわやわと揉まれる。股間を寄せて、湿り気を帯びた女陰から、男根の表面に粘着いた愛液が塗された。続いてゼノヴィアの秘めるべき部分で陰茎を扱かれ、柔らかな刺激が股間の勃起を強くしていく。徐々に膨らみ、勃ち上がった。
頃合と見た少女が、互いの性器をゆっくり繋げる。
熱く うねる女の肉に、あっさりと肉棒が呑み込まれた。
内側で揉み解されていくような感触が、蕩けるほどに気持ちが良い。気付けば少年は腰を揺すって、膣内をより深く味わおうと、疲弊した身体に鞭打ってまで中の媚肉を掘り返す。
青の頭髪が振り乱されて、熱い呼吸が耳に届いた。
手を伸ばす。乳房を揉む。震える腰を強く叩き付ければ、小さく喘いた少女の顔が小さく歪む。
そのままずっと抽挿を続け、ゼノヴィアの顔を見ながら射精した。
苦痛に喘ぐように顰められた顔。赤く染まる頬。一度閉じられ、薄く開いた金の瞳。
下半身の快楽も良いが、目の前で善がる彼女の姿の方が、彼の悦びを掻き立てる。
ふと、じっと見られている事に気付いたゼノヴィアが、片手を伸ばして少年の視界を覆い隠した。
「……みるな」
一丁前に照れているのか、そのままの姿勢でゆっくりと呼吸を整える。
やがて陰茎が引き抜かれ、垂れて零れ落ちる精液と愛液が、少年の股間をべっとり濡らした。
粘着くソレは気持ち悪いが、文句を言うだけの気力も残っていない。自分で拭くのも億劫だった。
ジョンは元々疲労していた。数時間ぶっ通しの運動の後で、ほぼ流されるままに行為に耽って、今は股間丸出しで空を仰いで倒れたままだ。
彼女だって汚れているだろうに、拭う様子も全く無しに、ゼノヴィアが下着とブルマを強く引き上げ己の格好を整える。黒い布地の股間から、ぷくりと染み出すものが確かに見えた。下着とブルマの二枚だけでは抑えきれなかった、二人分の体液だ。滲み出し、そこに溜まり、やがて自重で糸を引きながら垂れ落ちる。
平然とした表情の少女の下から、情事の残滓が垂れていた。
それを見ていると込み上げるものが確かにあるのに、疲れきった身体は応えてくれない。
はあ、と体内に居残った熱を吐き出すように空を仰いで、指先だけで下着を履いた。
そういえば、結局コイツは何をしに来たのだろうか。
今は個々の訓練メニューをこなす時間だ。わざわざ会いに来たのなら、それなりの理由が、……あるのだろうか? ゼノ助のくせに???
何しに来たんだお前、とジョンが訊けば、答えはあっさりと返ってきた。
「ん? いや、身体を動かしていたら少しムラっと来てさ。それで、な」
ふふっ、と照れたように笑うメスゴリラ。照れるところが絶対おかしい。
「――いや、修行しろよ」
付き合ったジョンも同罪なのだが、とりあえず一言だけ文句を言って、休息を取るために目蓋を閉じた。
そんな調子で会合までの二十日間、時折ゼノヴィアとセックスしながら過ごすのだった。
□
能面のような顔をした少女二人が、若手悪魔の式典会場で向き合っていた。
「こんにちは、アーシアさん」
「はい。お久しぶりです、イリナさん」
互いが互いに無表情。さん付けしていても敬意や親しさは全く見えない。
おかしな空気に気付いたその場の面々が、二人の間で視線を巡らせ首を傾げる。
眷属化の際に大まかな事情を聞いているソーナは、下手に刺激しないよう距離を取り、彼女の『女王』もそれに続いた。一応は、やり過ぎれば止められる位置だ。
夏休み前の乱交を見ていた小猫が頬を染めて視線を逸らし、横に居た木場とギャスパーの袖を引いてその場を離れる。緊急避難だ。乱交以前の修羅場だって、彼女はしっかり見ていたのだから。
アーシアから恋愛相談を受けていたリアスと朱乃は、詳しい事情を知らないながらも、不穏な空気にどうにか気付く。が、恋愛経験値の低いリアスと、見た目ほど男女の機微に聡いわけでもない朱乃では、現状における最適な行動など思い付かない。結果、主を盾にして修羅場を見守る朱乃と二人で取り残される。
一誠は当然、状況が全く分からない。何が起こっているのかと二人を窺い、一先ず状況を見ようとのんびりしていた。実に危機感が足りていない。それを後悔するのは数秒後の事だ。
ゼノヴィアは「小腹が空いたな」と平常運転。
ジョンは無心になって立ち尽くしていた。自身の無力は以前の乱交で自覚している。何が起ころうと、彼は翻弄されるだけ。情けない奴と笑っても良い。
向き合う二人は淡々と、周囲の様子も目に入らぬまま会話を続ける。
「イリナさんも悪魔になったんですね」
「ええ。私が上級悪魔になったらジョンを眷属にするの」
さらりと爆弾発言が飛び出した。
まさかの引き抜き、青田買い。合法的に男を手に入れる野心の持ち主、紫藤イリナ。
ぎょっとしてジョンを見遣ったリアスだが、答える余裕がジョンには無い。そして彼とて初耳だ。
「本当は『女王』の駒をあげたいんだけど」
「――渡しません」
微笑む事も、睨む事も無く。硝子のような翠の瞳でアーシアがイリナを見つめている。
真っ向から迎え撃つ紫の瞳が、言葉を遮られても一切乱れず、僅かに見下ろし睨み付けた。
「ジョンさんは渡しません。ずっと、わたしと一緒にグレモリー眷属で仲良く過ごすんです」
「ふうん。……アーシアさんさ、そういうとこ、重いって言われない?」
台詞の応酬に、ようやく一誠が話の主題を理解する。が、二股だとかモテ野郎だとか罵れるような空気ではない。女の秘めたる情念が、彼の目の前で二つも揃って燃えている。
背筋が冷える。冷や汗が滲む。今すぐにでも他人面をして、この場を離れてしまいたくなる。
無関係な筈なのに、ちょっとだけだが御腹が痛い。生まれて初めての修羅場を前に、彼は何も出来ずに震えるばかり。
遠目に避難済みの木場とギャスパー、その傍らの小猫を見つけて、兵藤一誠の顔が歪んだ。――なんで俺をそっちに連れて行ってくれなかったんだ! と。単に位置関係が悪かっただけである。
「それ、今関係ないですよね。イリナさんの方こそ勝手な事ばかり言って……。そういうの、ジョンさんに御迷惑ですから止めた方が良いと思います」
「大丈夫よ、ジョンは私の御願いなら聞いてくれるもん。貴女の方こそ勝手にジョンの気持ち決め付けないでくれない? ねえ? ――勝手に正妻気取らないで」
イリナの物言いは傲慢ではあったが、事実として、ジョンは彼女とリアスならば、最終的には前者を取るだろう。そして最後の一言、正妻という言葉に平坦だった口調が崩れ、低い声音には怒気も含まれ凄みがあった。
大人しく聞いていたリアスが、両耳を押さえて震えだす。
うちの可愛いアーシアが何処かに行っちゃったの……、などと涙目で呟いているが、その背後に居る朱乃も、引き攣った笑みで視線を逸らす以外に何も出来ない。それほど空気が重かった。
一誠が、そっとジョンを見て囁いた。
「……お前、何したんだよ」
何もしてない、と言い返したが、全く信じて貰えなかった。実に冷たい先輩である。
周囲の方々とて、何時までもこの遣り取りに気付かぬ訳が無く、徐々に視線が集まり、中には囃し立てはしないまでも、面白そうに笑っている顔が幾つか見える。
何時だって他人の
「ジョン。私は御腹が空いてきたんだが」
というのは極一部の例外に属するゼノヴィアの言。
この状況でそんな事を言える鋼の精神にはいっそ敬服するほどだ。
放っておけば何時までも言い合い、あるいは以前のようにジョンを相手に乱交、は流石にこの場で行う筈も無いが、ともかくまずい。今回ばかりは公的な場なのだ、無駄に周囲の不興や関心を買う真似は勘弁願いたい。下級悪魔の当事者二人やジョンはともかく、上級悪魔であり本日の主役の一人であるリアス辺りには、良くない評価が付いてしまう。
しかし止めようにも主のリアスは役に立たず。イリナの『王』であるソーナにしても、困った顔で傍らの『女王』と相談するだけ。想定以上の修羅場を前に、出自を除けばあくまで十代の少女に過ぎない彼女達では、上手い宥め方など即座に出てくるわけがない。
少なくとも、今すぐ事態を解決する、というのは期待出来なかった。
――自分が、どうにかするしかない。
悲壮な決意でジョンが動いた。正直嫌な予感しかしないのだが、やらねばならぬ。
が、死んだ目をして足を踏み出す彼より早く、――新たな闖入者が不意の遭遇に声を上げた。
「アーシア・アルジェント……!」
歓喜に染まった声が響いた。
その場の空気を切り裂く新たな人物の呼びかけに、周囲の視線が一斉に向かう。
白いマントに、濃い緑の髪。仕立ての良い衣服に身を包んだ細身の美青年が、ただ真っ直ぐにアーシアの下へと近付いていく。
名を呼ばれ、近付かれた少女の顔は疑問符で一杯だ。突然の事態に先の無表情も既に消え、イリナ以外には人当たりの良い優しいアーシアが戻ってきていた。
その、美しい少女の右手を、先の美青年が手に取った。
「ああっ! ずっと会いたかったんだ、アーシア。君に、――この想いを、伝えたくて」
青年の唇が、アーシアの右手の甲にそっと音も無く落とされた。
まるで舞台上の演者のように、酷く優雅で、丁寧な所作で。止める間も無く行われた。
それを見て。
「――は?」
ジョン・オーリッシュの無表情に、恐ろしく大きな皹が入った。
□
二転三転、新たな波紋を生み出し続ける式典会場の人混みの中。
塔城小猫の足元で、一匹の黒猫がにゃあと鳴いた。
オリ主「なんだァ? てめェ……」
実は結構スケベらしい木場君が生まれて初めての猥談で自爆する話。
そしてディオドラ君登場。多分すぐ死にます(致命的なネタバレ)。