二万文字超え。凄く長いので、読む際には御注意下さい。
※性描写はありません。
真っ直ぐ突き込まれた聖槍の一撃に、聖剣の腹を当てて軌道を逸らす。
反撃を、と考えて左手の『天閃』に力を篭めれば、その時には既に曹操もまた槍を引き、一呼吸の間さえ挟まず、次の攻撃が繰り出されてきた。それを、もう一度剣で受け流す。
青白い、その槍刃の輝きに歯噛みする。
――なんて尊い光だろうか。今すぐ跪きたくなるくらいに、それはとても美しい。
だがそれは出来ない。一秒以下でも、止まれば当たる、当たれば終わる。
口中で幾度も主への祈りを呟いて、脳味噌を掻き混ぜるような激痛、種族由来の拒絶反応に頼る事で正気を維持する。あまりの痛みに脂汗さえ滴るが、拭っているような暇は無い。
聖具の拳銃に『擬態』した、中距離射撃を見舞う。が、曹操は両手で操る槍の長柄を細かく動かし、その悉くを弾き落とした。
身を屈め、下方から突き上げられる神滅具の一撃。
拳銃を篭手に変え防御に用い、更に『夢幻』で自身の幻影を幾重も重ねる。それによって守備位置を誤魔化し、敵の攻撃に迷いを誘った。しかし、――曹操は槍ではなく、その有り余る聖遺物のオーラを用いた砲撃に切り替え、無駄になった幻影ごと、ジョンの身体が吹き飛ばされた。
「ジョンさんっ!!」
二人の戦闘から僅かに離れた位置、拘束されたアーシアが叫ぶ。
応える余裕は、無い。
地を跳ねながら、篭手を溶かして剣へと戻す。多少は防いだが、悪魔の弱点、その中でも最悪の相性である【黄昏の聖槍】の光が身体を焼いて、塵へ還るように幾らかの皮膚が剥げ落ちた。
神器を用いて治療するが、それだって完全なものではない。
ジョンの持つ【聖母の微笑】は回復系の神器であるが、その能力は傷の修復と呼ぶべきものだ。
減った体力は戻せないし、滅んだ皮膚等、部位の欠損も再生しない。
傷は癒えても、上辺だけ。このままでは幾ら回復し続けていても、いずれ削り殺される未来が見えていた。
「君の属性は『戦車』だったな。聖剣の護りに加えてその頑丈さ。良い駒を与えられたようだ」
淡々と告げる曹操の顔に、油断は一切見られない。
こちらが不利だと分かっていたが、やはり聖槍が厄介過ぎる。
防御用、大振りの右篭手。
聖剣の発する聖なるオーラ。
そして『戦車』の特性、一際秀でた防御力。
――三つも重ねて、それでも
彼の聖槍は、それほどの相手だ。無防備に喰らえば、既にジョンは死んでいる。
だが、まだ負けていない。ダメージだって許容範囲内だ。
『祝福』で強化した左の『天閃』で、更に速度を強化する。
周囲一面が『夢幻』で濁り、頭上で渦巻く【絶霧】を真似た同色の幻霧を撒いて、視界の不良を引き起こさせた。
更に『透明』化し、真っ直ぐに駆け出す。
「器用なものだ」
からかいには応えない。
対する曹操は、長柄を伸ばした聖槍でもって足元の地面を薙ぎ払い、礫を巻き上げ、牽制する。それ自体は、姿が見えずともジョンまで届き、ゆえに回避するため宙へと跳ねた。――その反応は、当然ながら曹操だって予測している。予測されている事を、ジョンの方だって理解していた。
「君と俺は似た者同士だ」
――冗談はやめろ。
思わず口を衝いて出そうになった言葉を飲み込み、相手の挙動に対応する。
姿を消したままのジョンを巻き込むように、広範囲が光の波動で吹き飛ばされた。が、見えぬ間に全身鎧へ『擬態』し、更にそこへ『戦車』の特性を合わせる事で、集束の甘い範囲攻撃を防御。鎧を維持したまま、左手の『天閃』を振るって、光力の斬撃を曹操へ飛ばす。
「見ていて分かり易いほどのテクニックタイプ。それに加えて聖なる武器の使い手だ」
『夢幻』によって見えてはいないが、槍と剣の違いはあれど、慣れ親しんだ聖なるオーラ、それを感じる事なら出来る。
察知する材料は、音、風、そしてオーラ。飛来する斬撃にも冷静に対応してみせた曹操は、槍の柄を構えて一撃を凌ぎ、衝撃を受け流す動きをそのままに、身を翻して回転する。
一瞬のみだが、曹操がコチラに背を向ける。
次の一手は背を向けた体勢からの強力な薙ぎ払いか、あるいは先程のようにオーラの砲撃か。他の手札も有り得るが、聖槍以上のものは無い、と予測する。
このまま距離を詰めての攻撃も、僅かに遠く、敵より早くは届かない。
僅かに迷った。守るか、退くか、更に攻めるか。
次の瞬間――。
その背に輝くナニカを背負って、曹操が笑った。
「
――禁手化だ。
悟る以前に鎧を解除。両脚に具足を『擬態』して、聖剣の光力を下方へ向かって全力で放出、地を蹴って己自身を射出するように上空へと脱出する。
その、脱出した、先に。
既に転位している曹操が立っていた。
背には先の輪後光、そして周囲に6つの球体。足元には、7つ目が足場として浮遊している。
「見えはしないが、大よその位置は分かるぞ」
曹操の周囲に、光る人型が幾つも生じる。
ジョンよりもなお上空の位置取り。球体の上に立つ曹操自身とは異なって、飛行能力を持たない分身達は、重力に従って真っ直ぐ落ちていく。――姿の見えないジョンの居る、大よその座標を目掛けるように。
そのまま攻撃をするのも、取り付いて動きを阻害するのも敵の自由だ。ジョンは咄嗟に回避を選択、『透明』なままで両翼を伸ばし、未だ慣れていない悪魔の翼の飛行能力で、分身達の落下予測地点を大雑把な動きで回避する。
其処に、球体がまた一つ、転位して来た。
「……くそっ」
思わず毒づく。
転移魔法にしても、無茶苦茶過ぎる性能だった。
設置された魔法陣同士を繋ぐものではなく、拠点に帰還する専用の転移術式でもない。予備動作なんて全く無いし、近・中距離を自由自在に瞬間移動出来るなんて卑怯過ぎる――!
視界内に突如現れた球体が、真っ直ぐに飛び出し空気の壁を突破した。
破裂音が、遅れて届く。
――曹操の禁手、【極夜なる天輪聖王の輝廻槍】。その、七種の四。
転位する『馬宝』。
飛行する『象宝』
分身の『居士宝』。
そして、圧倒的な破壊力を有する『将軍宝』。
これこそが曹操の禁手、そこに宿る七宝という名の能力だ。
とはいえ――。
「流石にあれで当たるわけも無いか」
最後の不意打ちを、ジョンは辛うじて回避した。
オーラの位置を読んで見当をつけても、彼は変わらず『透明』なまま。
当たれば殺せる一撃だろうと、曹操が目測で狙いを付けている以上、透明人間を相手に、面では無く点の攻撃を直撃させるなど、流石に幸運頼りが過ぎる。
空間を捩じ切るかと思うほどの力、当たれば悪魔でなくとも戦闘不能に持ち込めるだろう。曹操の禁手、七宝の『将軍玉』は恐ろしく強い。
だが、それは所詮攻撃特化だからこそ。特化しているがゆえに、強さの反面、追尾能力も広範囲攻撃も備えていない、ただ強いだけの球体である。回避する事は十分可能だ。
それでも、『夢幻』の霧が、空間ごと力尽くで剥ぎ取られる程度には強かったが。
空中にて曹操を見上げるジョンの視線が、鋭く歪む。『夢幻』と並んで『透明』も、強過ぎる一撃と、それに伴う聖なるオーラで既に能力が解除されていた。
絵に描いたような力尽く、強引過ぎる能力の無効化。彼我の武器の差は明白だった。
炙るような聖なる光で肌が引き攣り、更に負傷が増えていく。
能力が消えて、視線が絡む。汗が滲んで頬を滑った。
攻撃全てが一つ残らず、防御無しには致命の一撃。躱してはいるが精神的な疲労が酷い。ジョンはまだ戦える。今は、まだ。だが、それが後どれほどの時間可能なのか、自分自身でも分からない。
勝算はある。
当たれば倒せる。弱点を常に突かれ続けているジョンがそうであるように、肉体があくまで脆弱な人間に過ぎない曹操だって、人外の攻撃は全て残らず致死性の威力だ。
先に直撃を当てた方が、そのままの勢いで押し潰す。この戦いに勝利する。
逃走は不可能だ。アーシアが拘束され、ジョン自身が常に曹操から狙われている状況下では、敵を全て倒す以外に道は無い。
細く息を吐き、聖剣の柄を握り締める。
勝てば良い。倒せば良い。かつてそうであったように、今回も。敵を殺せばそれで終わりだ。
冷静に思考を回しながら、曹操の周囲の球体七つ、残った手札を予測する。
「……あの日の裏切りを憶えているか、ジョン」
静かに呟く曹操とても、見た目ほどの余裕があるわけではない。心の揺らぎを表すように、口数だって、戦闘開始時から無駄に多かった。
人と人外では基礎性能に大差があるのだ。速度も膂力もあらゆる全てが、曹操はジョンに負けている。このまま続ければ、先に曹操の体力が尽きるだろう。そうなれば必然、追い詰められて殺される。
「代わりに『天閃』あげたからノーカンで」
飄々として返す悪魔に対し、小さく笑って槍を構える。酷く皮肉気な笑みだった。
思えば、戦い自体に無駄ばかり。
目の前に居るのは下級悪魔の聖剣使い。決して、英雄派の首魁が敵に回すような者ではない。
エクスカリバーは高名だが、所詮はかつて砕けたものの
聖剣使いの才能を除けば、何処にでも居る下級の悪魔、雑魚同然だ。
英雄派の幹部勢から見ても、周りに居るグレモリーの次期当主や赤龍帝、聖魔剣等の方が余程脅威で、彼個人には誰一人として見向きもしない。
こだわっているのは、曹操だけだ。
此処に居るのは、ジョン・オーリッシュの過去に確かな英雄の影を見た、彼一人しか居なかった。
「……俺は英雄だ。英雄であらねばならない」
少なくとも、曹操自身は己に対してそう決めている。
英雄で、なければいけない。
だから、己が
ジョン・オーリッシュが英雄であると、曹操だけは考えている。
英雄である為に、英雄を倒して、乗り越える。
理屈ではない。意地の問題だ。
その決意の中に、騙された怒りや裏切られた悲しみとて当然混じってはいるのだが、それら全てを一纏めにした結論として、――曹操はただ単純に、目の前の少年と競い合って勝ちたかった。
わざわざ『天閃の聖剣』を返却して。
こんな御誂え向きの状況に招いて。
ディオドラという要らぬ懸念を排除させて。
真っ向から正々堂々闘えるように場を整えたのも、全て、胸の内の激情に衝き動かされた果てのもの。
夢を裏切られた。騙されて、虚仮にされた。憧れたのに、嫉妬したのに、相手は己の事などどうでも良いと言わんばかりに、人間である事さえあっさりとやめて、悪魔になった。人間にこだわっている曹操を嘲笑っているのだと、そんな被害妄想さえ抱いたものだ。
一つ一つを胸中で確認する度にハラワタが煮えくり返り、全身に力が漲ってくる。
激情が、言葉となって飛び出した。
「舐めやがって……!」
「根に持ち過ぎ。ワロス」
別に、決して、絶対に、ただの逆恨みだけで立ち向かっているわけではない。違うのだ、と祖先の名と、己が聖槍に誓って言い切れるが。
それはそれとして、この場では怒りが最も強くて都合が良い。怒りこそが、戦いの場では一番大きな力を持つのだ。それに流される事なく乗りこなす程度の冷静さは、常に頭の片隅に居残っている。だから。
槍を構えた曹操が、足場である『象宝』を動かし突撃してくる。
対するジョンの側にとって、相手の主義主張などどうでも良い。
霧に招かれ、間男を排除し、此処で目の前の男を倒せばそれで済む。
あとはアーシアと一緒に帰還して、平々凡々とした下級悪魔の一生を送れば良いだけだ。
そのために、切り捨てるべきものを選別する。
敵は強い。手札も多い。エクスカリバーという便利な武器を持っていてさえ、明らかに相手の方が上手であった。
多少の犠牲は仕方ない。現時点でさえ、転位、飛行、分身、攻撃の四つがあるのだ。目に見えるものだけで判断してさえ、あと三つ。更に加えて、元々あった聖槍の力もかなり酷い。
時間稼ぎなんて、思考の内にも入らない。
一度の失敗で、悪魔のこの身は滅ぼされ得るのだ。早ければ早いほど良く、遅ければ遅いほど死の危険性が増していく。助けが来るまでずっと、命懸けのギャンブルに興じられるほど、ジョンは己を信じていないし期待しない。
死ねば滅ぶのだ、終わるのだ。それは流石に受け入れられない。
だから捨て身だ。それしかない。傷を負ってでも確実に、殺す。覚悟があれば、如何に光毒の激痛といえど、数秒程度は耐えられよう。
――つまるところは相打ち狙いだ、それで良い。
あっさりとそう、決断を下した。
二刀の聖剣を両手に携え、曹操の強襲に応えて前へ出る。
翼を翻し、ただ真っ直ぐに飛ぶ事だけを考えた。空中戦は不得手だが、地に降りるだけの暇は無い。勢いを殺さず前進できれば、ただそれだけで十分だった。
「俺はッ! 君となら、
槍を用いた上段への突き、と思わせて空を抉り、一瞬のフェイントと共に縦一閃に槍刃が襲う。
それを右の聖剣で絡め取り、『擬態』した刀身で槍を捕らえようとするが、転位。消えた曹操を追うより早く、もう一度形状を変えた聖剣が、球体状の壁を、ジョンの前方以外の全周囲に展開させて、視界外への盾とする。
そのまま、『天閃』の速度で前方へと飛んだ。
「何故だ! 何故俺の誘いを断った!」
泥舟だからだよ、と言い返しもせずに、穴の空いた球形の壁から外へと脱出。
それと同時に、背後上方、転位した曹操が槍を構えて、七宝『輪宝』を用いた突きを放つ。
甲高い破壊音が戦場に響く。
7分の5を融合させた、聖剣エクスカリバーの壁が砕けた。
「……マジか」
音を耳にして、飛びながら視線だけで背後を振り返る。砕けた壁、槍で突かれた箇所から崩れ落ちていく無数の破片、そして上方から真っ直ぐに打ち込まれる、槍状に変じた七宝の一つ。
壁を壊しても勢いが全く止まらない、宙を引き裂くような光力の余波が、周囲一帯に撒き散らされた。
「悪魔に堕ちて! 何を得られるッ!?」
余波を受けて、ジョンの身体が姿勢を崩す、空中において振り回された。
曹操は自身で追わず、槍を構えて聖なるオーラを集束している。遠距離の砲撃、先の攻撃の余波を受けて一時的に行動の自由を失っているジョンを目掛けた、光力の刺突だ。
「俺はっ、俺がっ、人間にこだわっているのに! 愚かだと思うか、俺をっ!!」
「興味無い、し……!」
片手を伸ばし、エクスカリバーの破片へ伸ばす。
――来い、と呼びかけ、己の因子を強く意識して活性化させた。
破片の全てが宙を翔け、一つところに纏まりながら、『擬態』の力で剣の形を構築していく。
だが、それよりも曹操の方がずっと速い。
「俺は、君を超える!! 手に入れられないのなら! 勝って己の糧にするんだ――!!」
腹の底から湧き出る想いをそのまま、何も考えずに曹操が叫んだ。
自分自身でも、何を言っているのか分かっていない。勢いだけで、言葉も、攻撃も、全身全霊でぶつけて来ている。言葉以外の意識の全ては、今ある殺し合いの中にのみ注がれていた。
「拘り過ぎだろ、ホモかよ」
ジョンが毒づき、左手の『天閃』に、意識の大半を集中させた。
聖剣が強く、輝く。輝く。輝く。輝く。そこから更に輝きを増して、剣と言うより光の塊と呼べるほどまでに強く激しく、聖剣の力を引き出していた。
「あばよ、ダチ公――!」
使い捨ての、聖剣爆弾。
7つあるエクスカリバーの一振りが、無理矢理にその力の全てを引き摺り出され、自壊するほどの大威力と共に、聖槍の光力砲撃を迎え撃った。
力一杯叩き付け、辛うじて軌道上から身体を逃がす。
振り切った『天閃の聖剣』が砕け散り、核だけを残して聖槍の光に飲まれて消えた。最強の神器の一撃を完全完璧に凌ぎ切り、強力過ぎる一撃の反動の全ては、『戦車』本来の攻防力が受け止める。
「まだだっ!!」
左手を外側へと振り切った体勢のジョンの、眼前。
再度転位してきた曹操が、空中で槍を構えて突き出した。
だけどどうにか間に合った。集まりきったエクスカリバーが、巨大な槍となって真正面から受けて立つ。
一瞬の、拮抗。
僅か一瞬の後の、更なる追撃。武器破壊の七宝『輪宝』が、槍の形で聖槍とは別角度からエクスカリバーを刺し貫く。穿たれた箇所に皹が入るが、砕けるまでには至らない。
ただの壁だった時とは違う。堅牢に『擬態』した大槍は、容易く撃ち破れるほど柔くない。
しかし曹操の背には、未だ七宝の残り五つが輝いていた。
現れたのは、光り輝く人型の分身。
未だ空中にあるジョンの周囲を、複数の光体が取り囲んで殺到する。
――終わりだ、と曹操の視線が言っている。
勝利への歓喜に染まった青の瞳が、傍らに浮遊する最強の七宝『将軍宝』を向かわせた。
破壊力特化の一撃。致死の球体。ソレに向かって、悪魔の翼が羽ばたいた。
周囲を取り囲む分身達は、見ない。
聖槍も、槍となった武器破壊の球体も、致死の一撃も、見ない。知らない。完全に無視した。
ジョンが、大槍を掴んだまま『擬態』させて形を変える。それによって、拮抗していた聖槍は狙いを外され僅かに泳ぎ、槍状の『輪宝』も、エクスカリバーの表面、幾分かを削り砕きながら、前に進む少年よりも後ろへと逸れる。
分身達が追い縋りながら、身体に取り付く。が、『戦車』の膂力で逆に引き摺り、止められない。
エクスカリバーから光が奔った。
刹那にも満たない、視界を塗り潰す力の波動。この至近距離、視覚以外で敵を感知出来る曹操に対し、目晦ましにもなりはしないが。――問題無い。
掲げられた右の聖剣を、真横から一閃。曹操目掛けて振り切る、が。
当たる直前に、『将軍玉』が少年の上半身を消し飛ばした。
「――
とった。
大口を開けて宣言する曹操。下方から、叫ぶアーシアの悲鳴が聞こえる。
鮮やかな色の赤が飛び散った。
弾け飛んだ肉が、見事砕かれた聖剣が、ジョン・オーリッシュの右腕と右翼が、宙空で微塵と化して光に焼かれながら消滅していく。
「右、腕? つばさ?」
先ほど奔ったエクスカリバーの光が、完全に霧散していく。
砕かれた事で『夢幻の聖剣』の効果が消失し、曹操の目の前に残された悪魔の下半身が、掻き消えた。――幻だ。
殺したと思った。勝ったと思った。
衝突と拮抗、そして相手を上回った勝利の予感、超越の喜び。近接の戦闘距離での、僅か一秒以下の攻防の成果。
それが。目の前から消えていく。
「
先の曹操の勝利宣言を奪い取り、多数の人型に取り付かれたままの少年が、残った左拳を振り抜いた。
「――っガ、」
人と人外の性能格差。
人は弱く、脆い。悪魔は強く、頑丈だ。
当たりさえすれば、聖剣なんて必要無い。武器は最初から全部、敵を誘うための見せ札だった。
距離が近過ぎたために回避しきれず、腕も翼も半分が欠けて、痛みが全身を貪り尽くす。だが、この程度の激痛、日々の祈りで味わい慣れていた。
敵に一撃を見舞うだけの短時間、歯を食い縛って拳を振り切る程度、問題無い。
だって最初から相打ち覚悟だ。
切り捨てるべきものは決めていた。腕なんて要らない。翼もまた、必要無い。アーシアと一緒に二人で帰る。命以外の己が全てを、そのためだけに、いとも容易く切り捨てた。
楽観しない。期待しない。勝利のためなら、迷いも無い。
――それが彼の、戦士としての生き方だった。
右脇腹から突き刺さった『戦車』の拳が、曹操の胴体部に真っ直ぐ潜って大穴を開ける。
「アアアあああああああ゛あ゛――ッッ!!!!!」
残った七宝の内一つが輝く。
胴体を千切り取られる前に、転位の『馬宝』が曹操自身を其処から逃がし。残されたのは隻腕片翼となったジョンと分身、あとは置き去りにされた幾つかの七宝だけだ。
千切れた分の腕と翼は完全に滅び、砕けた聖剣は残らず下へと落下した。
翼を片方失くして、飛行状態を維持出来なくなったジョンが落ちていく。
残った左腕で『居士宝』の人型を幾らか掴んで、落下時の衝撃吸収のために下に敷く。攻撃されるが、腕を失くすよりは全然痛くないので半ば無視。
あとは『戦車』の防御に期待するだけ。魔法は使えず聖剣も無いので、補助も無いまま運任せ。
神器を使って傷を塞いで出血を止めると、彼はそのまま、真っ直ぐに地へと落下した。
□
――
聖槍を宿した幸運と不運。実家を飛び出してからの戦いの連続と、血臭漂う研鑽の日々。欲望によって身を滅ぼした己の両親。1800年ほど昔の、もはや他人としか言いようの無い、酷く遠い過去の英雄の血統――。
それらの要素を恨んだ事が無いかと言えば、答えはひとつだ。
恨んだに決まっている。
生まれ持ったものの殆ど全てが、彼から奪うばかりで与えてはくれない。
なのに、天涯孤独の身の上となった彼に残ったものは、血筋と、聖槍と、戦うための力だけ。ならば残ったそれらに縋るのもまた、当然だった。だって他には、何も無い。だから、これに限るなら仕方の無い話ではあった。
何も持たない自分が、己自身を肯定し、受け入れるためには、何よりも大きな夢が必要だ。
痛みと不幸を誤魔化す為に、何よりも彼自身がこれから先も生きる為に、だ。
それが英雄。神器と血統に大きく依存していたがゆえに定められた目標だったが、口に出してみれば、成程、中々どうして悪くないものにも思えた。
眩く、強く、天下万民が憧れを抱くもの。憧憬の対象。輝かしい、男の夢だ。
目指す切っ掛けは完全なる逃避だが、それを成し遂げるだけの素質が彼にはあった。
あった、筈だった。
だから夢を見ていた。幸福な夢を。ただ美しいだけの憧れの先の、果てを。
「っぐ、ぅ、ううううう!!」
胴体に開いた大穴を両手で押さえても、流れ出す血の量は変わらない。
懐を探って不死鳥の涙を求めたが、先の一撃で空の何処かに落としたようだ。何処にも無い。
血に這い蹲って、痛みに喘ぐ。激痛から涙が零れ、曹操の整った容姿を血と泥と共に更に汚す。
負けた。
負けた。負けた。ああ負けた。完全に、敗北した。
「は、はははっ、ははははははは……っ」
己の身の危険を顧みず、片腕を完全に喪失しながら、頼りの聖剣を失ってまで、それでも、微塵の躊躇も無く勝利のために身を投げ出した。
最後の幻影を用いた突撃だって、ただの賭け。命を賭して、運に恵まれただけとも言える。
だが結果として、彼は成した。真っ向勝負で曹操に勝った。
――英雄だ。
少なくとも、曹操は英雄だと思った。己の成りたかったものが彼なのだと、そう思った。
己の私見と、かつての執着に結果が伴い、ジョン・オーリッシュは英雄であるという認識が、彼の中では確かなものとなっていく。
最強の神器持ちに正面から勝ったのだから、きっと他の者達も認めるだろう。
死に向き合いながら、なおも諦めずに前へと進む、眩いばかりの勇ましさ。
ああいう風になれれば、きっと、彼は己の全てを肯定出来た。
だが。
「負けた。ああっ、負゛けたなぁ……!」
血泡で声を濁らせながら、清々しくも呟いた。
全身全霊、一回限りの全力戦闘。その結果が、今あるコレだ。
【絶霧】によって場を整えてくれたゲオルクには、曹操から連絡するまでは、と他所事の面倒を頼んである。邪魔をされたくなかったのだ。
という事はつまり、助けは無い。
助けが無ければこのまま死ぬ。曹操は、英雄と戦い、敗北して死んでいくのだ。
生まれ持ったもの、磨き抜いてきたもの達全てを振り絞り、その果てに死ぬ。そこには全て出し尽くしたという感動さえあった。ああ、なんて素晴らしい終わり方だろうか。
それが単なる自己満足で、実際には負け犬同然の有り様だろうと、今の彼には関係無い。
他者の評価なんて、今だけはどうでも良いと心底思えた。
だから、もう、いい。
何処とも知れぬ場所を目指して這いずっていた身体を、地に伏せるように横たえた。
笑いが止まらない。痛みと興奮で、脳味噌のどこかがおかしくなったかのようだ。
けれど決して、悪い気分だとは思わなかった。
このまま死ねたのなら、曹操は満足だ。幸福だ、と敢えて言おう。
幸福、――だった。
「だっ、大丈夫ですかっ!?」
愚かな魔女が、かつてディオドラに掛けたものと、同じ言葉を投げ掛けた。
大量失血によって意識が朦朧とした状態で、耳の遠くなった曹操の視線が、声の発生源へとゆっくり向かう。
そして、彼の身体を温かな光が包み込んだ。
「すぐに治しますから! 少しだけ、我慢して下さいねっ!!」
「――ぁ、あ?」
拘束されたままの少女、アーシア・アルジェントが、神器の光を、数メートル先で倒れ伏す曹操の身体に纏わせていた。
神器による遠距離治療。ここ二十日ほどの、過去の研鑽の賜物だ。
身体を動かせない状態で、遠く離れた者の負傷を癒す、アーシアの力。
優しい【聖母の微笑】の明かりが、曹操の自己満足から成る終わりを否定した。
――奪われた。
やっと手にした大きな安堵、彼自身の幸福を。
一人の魔女が、慈悲の心で奪い去っていく。力尽くで、拒否権も無く。
「やめ、ろ」
先程までの熱が、何処かに消えた。血を失い過ぎた身体ばかりでなく、心の中まで冷えていく。
真っ直ぐな翠の視線が、温かな神器の光が、とても恐ろしいものに思えた。
「やめろ、やめろっ、やめてくれ――!」
声が届かない。優しい魔女は、弱っちい人間の言葉なんて聞きもしない。
癒えていく。内臓が、骨格が、神経が、皮膜が、脂肪が、筋肉が、血管が、皮膚が、ゆっくりとだが確実に、癒されていく。彼から幸福を遠ざけていく。終わらず生きろと、そう言っていた。
耐えられない。それだけは、もう、耐えられない。
英雄に殺された自分自身に、これより先へ進めと言うのか。
目先の満足感だけで死を受け入れていた曹操は、だからこそ救われる事が恐ろしかった。
だから。
「やァめェろォォオ――ッッ!!!!!!」
だから。
聖槍が、魔女を穿った。
悪魔の肉体を真っ直ぐに貫き、その心臓を消し飛ばした。
□
祈りを捧げていた。
神器を使い、治療を施し、脳髄を貫く激痛に耐えて、それでも一心に神へと祈る。
叶わない願いを、届かない祈りを、天の空座へと何度も何度も捧げ続けた。
泣きながら。
「主よ、主よ、その憐れみによりて――」
彼の目の前には一つの遺体。よくよく見知った形の肉塊。
胸と腹部に穴を空け、背後が覗けるほどの重態で、アーシア・アルジェントが死んでいた。
傷口から徐々に灰と化し、塵と消え、宙に溶けるように消滅していく。やがて肉体はその全てが消えて無くなり、肉の器から完全に解き放たれた魂さえも、虚無の果てへと還るだろう。
聖なるものによって滅ぼされた悪魔に、死後は無い。
あるのは無だけ。聖槍に殺された魔女の末路は、完全なる消滅だ。
崩れていく。
彼の目の前で、宙空に拘束されたままの少女の身体が、淡雪のように消えていく。
「あー、しあ……ッ」
意味も無いのに呼びかける。
自分自身とて身体の端から、先の捨て身の戦いの結果として、滅ぶ最中であるというのに。
傷だけは癒したが、彼の身体には未だ光毒が浸食しており、整ったのは形だけ。今も、癒した筈の肉や骨がボロボロと崩れて、右半身から塵に還って溶けていく。
なのに。
ジョンの視界にはアーシアの死しか見えていない。
穴が開いている、傷がある、だから、治療をしなければならない。
死体に向けて、錯乱する思考に促されるまま、神器を用いて無意味な治療を施して、成果も無いのにそれを続ける。
彼女は既に死んでいた。
肉体そのものは絶命している。
もう、何も出来ないというのに。それを理解したくないと拒否する子供が、必死になって天へと願いを投げ掛けていた。
其処から僅かに離れた位置で、地に座り込んだ曹操が、即座の死亡を免れたギリギリの状態のまま、魂が抜けたような顔をして呆けていた。
その手には、アーシアを貫いた聖槍がある。
――実に馬鹿みたいな話だった。
敗者である曹操が生きながらえて、勝者であるジョンの求めるものが失われた。
それを行ったのが自分であると、彼は未だに認められない。ただ呆然と、泣き叫ぶ勝者の背中を見つめるだけだ。
其処に居るのは、曹操の焦がれた英雄ではない。ただ悲しくて泣きじゃくるだけの、何処にでも居る一人の少年。まるで、小さな子供のようだった。
彼にそうさせたのは自分である。分かっているのに、動けない。泣き喚きながら神器を使うジョンだって、曹操なんかに一瞥もくれない。無視する以前に、視界の中にも入っていない。
「いやだ、いやだっ! アーシア!!」
悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
至極単純な現実の否定。ただただ純粋なだけの、幼子の如き否定と悲哀。
そして真っ直ぐな、好意だ。
果たしてそれらが導くものは、――空間を揺るがすような、神器の脈動。
曹操はそれを知っている。
自身の従える英雄派内部でも幾度か目にした、進化の予兆。彼が見知ったものの殆どは人工的な、無理矢理に其処まで引き摺りあげた果てのものだが、目の前のコレはそれらとは比較にもならない大きな力を感じさせた。
「だが、……無駄だ」
吐息に紛れるほどに小さく、かすれた声音で、呟くように曹操が言った。
ジョンの神器は【聖母の微笑】。希少で価値ある神器であるが、所詮は数打ち、通常神器。彼の所有するものが生命を司る神滅具【幽世の聖杯】であれば話は別だが、そうではない。
だから結果は見えている。――禁手に至ったとしても、届かない。
あの神器では、条理を覆すには到底足りない。道具としての拡張性が不足している。
彼の想いも、力も才能も、暴走するだけ暴走し、膨れ上がるだけ膨れ上がって、結局は何の実を結ぶ事も無く弾けて終わる。
それが、神亡き世界の現実だった。
この世にもはや奇跡などない。あるように見えたのならばそれは、設定された機能の一つか、システムによる誤作動か、あるいは酷く常識外で、理不尽なまでの
泣こうが叫ぼうが神器を禁手化させようが、決して神の奇跡に届かない。その果ての悲劇を作り出したのは曹操自身だが、そんな当然の事実を直視したとしても、目の前の現実は変わらなかった。
片手でアーシアの遺骸に縋り、少年が無意味な祈りを捧げる。
何も出来ない弱者が、無慈悲な現実に向き合った時、最後に出来るのは祈る事。そんな悲観的な言葉を聞いた事がある。まさにそれが今、目の前で行われていた。
聞き届ける神は居ないと、この場の誰もが分かっているのに。
焦がれた筈の英雄の哀れな姿に、見ていられなくなった曹操が視線を逸らす。
ただ祈るだけで死人が生き返る事は無い。だって、奇跡を起こしてくれる神様なんて――。
「神様、なんて」
手元の槍を、もう一度握る。
今ある世界で、最も尊い力の結晶。至上にして最強の、真なる神滅具。
聖書の神の、『遺志』を宿した聖遺物。
「……馬鹿な」
ふと浮かんだ考えを否定する。
だって、――それが本当に叶うなら、それこそ本当に英雄だ。絵物語の、主人公だろう。
あの、ただ一心に神頼みをする事しか出来なくなった、情け無い子供に、奇跡を手にする資格があるなどと、まさかそんな事があるのだろうか。
「槍よ、神を射貫く真なる聖槍よ」
口を衝いて出た詠唱に、曹操自身が驚いた。驚いて、けれど止める事は無い。
どちらにしろ、今の自分に出来る事など他に無いのだ。
敗北して、嫌だと言うのに救い上げられ、子供の癇癪のように命を奪って後悔している。――それは、なんて情けない有り様だろうか。とても英雄の姿ではないし、真っ当な人間のそれでもない。
では翻って、
数々の苦難を乗り越え、強敵に打ち勝ち、悲劇の淵から己が幸福を取り戻す。そんな御都合主義的な展開があるのなら、それはまさしく――。
ああ、と息を継ぐ。縺れる舌で、噛まないように気を付けながら、呪文の続きを口にした。
「我が内に眠る、……覇王、の理想をっ、吸い上げ! 祝福と滅びの間を抉れ!!」
覇王と理想。その言葉を口にする時僅かに躊躇い、それでも無理矢理吐き出した。誤魔化すように力が入り、叫びを上げながら詠唱を続ける。
思考を捨てる。自分の事は、考えない。想うべきは、仄かな期待、だけだった。
「汝よ、遺志を語りて――」
果たして、奇跡は起きるのか。
神は、彼を救うのだろうか。彼は、本当に曹操が思い描くような存在だったのか。
もしもそれが叶うなら。かつて夢見たような眩さが、本当に其処に生まれるのならば。
見てみたい、と。
抜け殻のような男がそう願った。
□
試合場に侵入してきた無数の悪魔、魔法使い、テロリストの大集団。
それら全てを、一つ余さず熾天使の大槍が消し飛ばす。一つ、二つ、十、二十、百、二百、と瞬く間に数を減らして、それでも殲滅速度が落ちる事は無く、ただただ加速するばかり。
「あれ、は」
ふと、その視線が、霧の向こう側から漏れる明かりに奪われた。
レーティングゲーム用の、異空間を構成する結界ではない。システムの管理に携わるミカエルには見間違えようの無い、神滅具【絶霧】の境界線。単純な力では貫けない筈の霧の向こう側から、酷く懐かしい光がすり抜けてきた。
「まさか、そんなっ、そんな馬鹿な……ッ!!」
禍の団に【絶霧】が渡っていた、などという当然の理解は脇に置く。
目にしたソレが何であるのか、ミカエルは間違いなく知っていた。
千年前に失われた筈の尊い光。否、それよりはずっとずっと弱々しい、しかし間違い無く同質ではあるのだろう、白夜の如き優しく広大な薄明かりが、【絶霧】を通して彼の下まで確かに届く。
黄金の翼が照らされて、熾天使の輝きに負ける事無く染め上げる。
熾天使の両目から涙が零れた。
そんな筈は無い、と分かっているのに、それでも懐かしくて嬉しかった。
何が起こっているのか、正確な事は分からない。分からないが、きっと、其処には己にとって尊い何かが存在するのだ。それだけはきっと、間違いが無い。
その確信だけを支えに、ミカエルは再び戦場の制圧に力を注いだ。
□
――かくして
淡く、優しい明かりが灯る。
事切れたアーシアの遺骸から、周囲一面、【絶霧】の結界さえ容易く越えて、何処までも広がっていく光があった。
穴は塞がり傷は消え、生命活動を停止していた筈の少女の、目蓋が開く。
「――ぁ。っじょん、さ、」
音が生じて、祈り続けていた少年が顔を上げる。伸ばされた手が、確かに彼女の頬へと触れた。
その先を、曹操は目にする事も無く背を向けた。
「ゲオルク、撤収だ。――いや、その前に後始末があったか」
□
奇跡の起こる中心地よりもずっと遠く、レーティングゲームの会場の端。
誰も居ない廊下の壁に凭れかかって、ディオドラ・アスタロトが死人のような顔で這いずっていた。
「馬鹿な、こんな、こんなぁ、クソ、くそ、くそぅ……! ごの僕がっ、ぷざげるな゛あ!」
右腕と両脚を失って、左腕一本で地を掻き毟る。
口から零れるのは怨嗟の声だ。あってはならない現実だ、と血と反吐とそれ以外の何かを垂れ流しながら、ディオドラは死ぬ寸前で踏みとどまっていた。
それは彼自身の生命力の賜物ではない。体内に取り込まれている無限の龍神の『蛇』、莫大な力の塊を、全て生命維持のために費やしているからこその、現状だ。
『蛇』が無ければ死んでいる。『蛇』があってもじきに死ぬ。そんな当たり前の現実を理解しないまま、彼は彼の中の粘着いた妄想と偽りの栄光に縋りながら、自身にとって都合の悪い全てを否定していた。
その背に、地を這う悪魔の背中に、一振りの西洋剣が突き立った。
「ァ゛え――ッ!?」
刃の先には黒い戦闘服に身を包んだ、年若い少女。
栗毛の髪を二房揺らす一匹の悪魔が、無様なディオドラを見下ろしていた。
「な゛、なば、あんなあななな゛っ! な゛に゛、お゛前っ、げ……!」
背中の剣が引き抜かれ、また別のところへ突き刺さる。
その度にディオドラは苦鳴をあげるが、剣を刺す悪魔は動じない。無言のままで、何度も何度も、左腕以外の四肢を失くした、虫けらのような青年の身体を傷付けていく。
「な゛ん、で」
「は? ――
虚ろに見下ろす紫の視線が、濁った金色を見下ろしていた。
中身の無い、苦し紛れの問い掛けに、少女は不愉快そうに、ディオドラの言葉を繰り返す。
けれどその手は止まる事無く。
結局、答えを返す前にディオドラの命は尽き果てた。
声を出さなくなった身体に向けて、それでも幾度か突き刺して、ようやく死亡の確認を終えた少女が息を吐く。
そこに男の声が小さく届いた。
「一応トドメを刺しに来たんだが……、必要無かったようだな」
はっ、として少女が視線を向けた。
其処には血と泥に塗れた聖槍使い。青白い顔で槍を支えに彼女を見据える曹操が、霧に包まれて立っていた。
「貴方は……っ」
「争う気は無い。この状態でも君には負けないが、……いや、もう既に、他で負けてしまった後なんでね」
そう言って笑う彼の顔は、疲れ果てた老人のようだった。
本当に、争う気など無いのだろう。すぐに背を向け、霧の向こうへと歩き出す。その足元に、ディオドラの死骸から抜け出した『蛇』が這い寄り、霧に飲まれて姿を消した。
男の背に、栗毛の少女、紫藤イリナが言葉を投げる。
「貴方、ジョンに負けたの?」
なんとなく、そう思った。そうであれば良い、という願望も込みの問い掛けだ。
出くわしたのは完全なる偶然だったが、足元に転がっているディオドラが、今日の試合会場襲撃を企てたらしいという話を聞いている。其処に合わせて、以前ジョンから聞いた通りの容姿と、何より聖なる力を発する槍の存在。テロリスト集団の派閥リーダーが血塗れでこの場に居るとなれば、渦中に居る筈のジョンと戦った可能性だって無くはない。
勝てたのならば、無事である筈。そういう期待も篭めた問いだった。
「……ああ。負けたよ、大負けだ」
曹操が小さく笑う。自棄になったような笑みだった。
――己は結局何がしたかったのか。
英雄を目指して。英雄にこだわり。目にした多数の人間達の中で、己にとって最もそれらしい相手と戦い。敗北した挙句に、戦いそのものとは無関係な少女を殺して、助ける為に奇跡を望む。
本当に、支離滅裂で、無軌道で、空っぽな自分らしい行いだった。
もう何も分からない。心だって疲れ果て、考えるだけの力が無い。
逃げるように霧の中へと歩を進め、そのまま彼は姿を消した。
残されたイリナは、暫く立ち尽くした後に足元の死体を見下ろして、小さく囁く。
ぶつぶつと呪うように呟くと、最後に、言った。
「だって。――ジョンが教会から居なくなったの、貴方のせいじゃない」
死に際の、意味の無い問いかけ。「なんで」というただ一言。それに対する答えなんて、彼女の中には一つしかなかった。
例えディオドラ本人がそれを意図していたわけではなくて、本当に、ジョンはただの、巻き込まれた端役に過ぎなくとも。それでも、イリナが想い人を一時的にでも失ったのは、魔女に奪われてしまったのは、今足元に転がっている悪魔のせいなのだ。魔女を生み出した、ディオドラの。
嫌う理由も、憎む理由も、攻撃する理由だって、当然ある。
それを絶対にしてはいけない理由があって、今はもう無い、それだけだ。だから殺した。
薄く開いた虚ろな瞳で遺体を見下ろし、たった一度、軽く蹴り飛ばして視線を振り切る。
主であるソーナに、事態を報告しなければ。そんな事を考えながら。
□
霧の内側、【絶霧】の結界内を歩く曹操の、足が止まった。
『曹操?』
霧越しの通信、ゲオルクの声が耳に届いた。
けれど、答えるだけの気力が湧かない。彼は今、酷く疲れてしまっているのだ。
膝を突いて、俯いた。泣きそうな顔で、己の影を見つめたままで蹲る。
「なあ、ゲオルク。英雄ってのは、何だろうな」
――英雄になる。自分達は、英雄だ。世界に対して覇を唱え、英雄として生きていく。
かつて並べ立てた言葉の全てが、今となっては薄っぺらい。
個人的な感情で挑んだ上で、敗北し、要らぬ犠牲を出した上で、焦がれた相手の見たくない弱さを直視させられ。最後の最後に、無様に生き延びて此処に居る。
薄明かりの中で起きた奇跡を、思い返す。
死者の蘇生などという馬鹿げた行いを、神の御業を、悪魔が成した。
笑ってしまう。
あれに比べれば、ただの生まれの偶然で英雄の血や神滅具を手にした自身の、何とつまらない事だろう。
「俺は結局、この槍しか持っていない」
それだって、偉大なる聖書の神の遺した物なのだ。今までも他の誰かが使って来た物で、自分が死ねば次の誰かに渡っていく、ただの一時的な預かり物。何時かの時代、何時の時代にも一人くらいは存在していた。数居る人間の一人に過ぎない。
それが今の時代では、彼だった。それだけの事。
ちっぽけだ。酷く、凄く、ちいさなものだ。それが曹操を名乗る彼の真実。英雄などとは程遠い。
『立て、曹操』
「すまない、俺は」
『――立て!!!』
立ち込める【絶霧】の向こう側から、ゲオルクの声が強く届いた。
槍を支えにしなければ今にも くずおれてしまいそうな曹操が、僅かに目を見開いて、宙を、そこにある霧の向こうに居る筈のゲオルクを見上げる。
『お前が始めたんだろう、曹操。お前が、俺達を集めて、俺達を率いてッ、だから!』
だから、なんだと言うのだろうか。
怒鳴られている側の曹操は、顔を歪めて苦しそうに俯くだけだ。
今までの行いを並べ立てられると、ただひたすらに辛かった。己の愚行を突きつけられて、自分の至らなさ、くだらない子供染みた英雄ゴッコを自覚させられる。
もうやめてくれ、と情けなく言い返す曹操に、ゲオルクの声は止まらない。
『お前は、俺達のリーダーだろうがッ!!!!』
責任を取れ、と彼が言う。顔も見えないのに、どんな顔で怒鳴っているのか容易く思い描けてしまう、それほどに強い、声だった。
霧の内側に、重苦しい沈黙が横たわる。
辛い。苦しい。逃げ出したい。それが今の曹操の本音だった。
だが、それを聞いた長年の仲間は、否定する。もはや彼に、英雄を自称するだけの気概は無いのに。最初からそんなもの持っていなかったと、自覚してしまったばかりなのに。
手元の槍を見下ろした。
あの少年の祈りに応えた、聖書の神の遺志が宿る槍。
もしも今、曹操が『覇輝』を用いれば、果たして結果はどうなるだろう。あるいは今の彼が求める何かを、神は与えてくれるのだろうか。
そう考えて、首を振る。もはや遺志を呼び起こすだけの気力も無いのだ、きっと発動さえ叶わないだろう。
自分は英雄ではない。
それでも。
「ああ……、帰るよ。転送してくれ、ゲオルク」
ようやく、何の覇気も宿らぬ死人の声で、曹操がそれだけを呟いた。
間違いなくその有り様に不満を抱いているだろうゲオルクも、何も言わずに神器を操作する。
そうして、霧の中から姿を消した。
残されたのは、僅かに刻んだ足跡のみ。
彼等の行く先なんて、この世界の誰もが知らない。
□
「そこで俺が部長のおっぱいをつついて禁手化! 驚いたディオドラ眷属が――」
「――お前は何を言っているんだ」
「え、分かり辛かったか? だから、こう、指で、部長のおっぱいの先端をだな?」
「違う、そうじゃない」
『もっと言ってやれ、聖剣使いの小僧。今回の相棒はどうしてこうなった……』
おっぱいをつついたら神器が禁手に至った、などと。聞く側からすれば正気を疑う、精神異常者一歩手前! みたいな事を言い始めた一誠に対し、本気で理解出来ないという顔で、ジョンが首を捻りながら話を聞いていた。
バカばっかり、とそれを見ていた小猫が呟き、手元の御菓子をさくさく齧る。
傍らの木場は苦笑して、しかし一誠の話を肯定するでもなく、紅茶に口をつけて微笑んだ。
一誠の説明は本当の事なのだが、実際に目にした者でなければ理解も納得も出来ないだろう。どうにかして慕う先輩を弁護しようとギャスパーが悩むが、知り合って日も浅く、全然仲良く出来ていないジョンを相手に、彼では何を言えば良いのかも分からない上に、顔を合わせるのだって未だに怖い。結局、段ボールの中から、彼等二人の延々と続くおっぱい問答を拝聴するに留まっていた。
ゼノヴィアはジョンの右隣で、ジョンの分まで御菓子を食べている。たまにジョンの口まで運んでいるが、それがいわゆる「あーん」なので、目撃した一誠が面倒臭い反応をするのが少しばかり問題だった。
アスタロト眷属とのレーティングゲームから早数日。
ようやく全員があの日の怪我の治療を終えて、今日は久々に一同揃っての御茶会である。
満足そうに部室を見渡すリアスの視線が、ジョンの下で、一旦止まった。
其処にあるのは、右腕の無い、少年の姿。ゼノヴィアに介護されているジョンが居た。
禍の団に他の皆とは別に攫われ、その先で戦って得た負傷。
護って、あげられなかった。そもそも、その時傍に居て一緒に戦う事だって叶わなかった。主のリアスは可愛い眷属の痛ましい姿に、己の無力を悔いるばかりだ。
今は仕舞ってあるので見えないが、悪魔の翼とて右側のものが欠けていて、今後、それで空を飛ぶ事も出来ないという。
当人は全く気にもしていない事が、逆にリアスの心を締め付ける。何も出来ない自身の無力が恨めしい。
そんな悩める御主人様の姿を目にした朱乃が、せめて少しでも気を紛らわせてあげようと、新しく淹れた紅茶を置いた。小さく礼を言うリアスは、明らかな強がりで笑ってくれる。
紅髪の悪魔の手元には、青白く透き通ったチェスの駒。
リアス自身の『僧侶』を表す悪魔の駒。――否、変異の駒と呼ばれるものだ。
「ただいま戻りました」
「お邪魔しまーす!」
「あら、おかえりなさいアーシア。それと、いらっしゃい、イリナ」
部室の扉を開けて、何時も通りに優しく微笑むアーシアが言えば、リアスも応えて微笑んだ。
金色の少女の背後には、彼女に誘われて来たイリナが居る。……若干、二人の向け合う視線の色が、不穏だが。
手の内で『僧侶』の駒を弄り回す。
リアスにはさっぱり分からないが、悪魔の駒の開発者が言う事には、死亡したアーシアが復活する際、蘇生の邪魔になった駒を無理矢理、彼女の中から排出したらしい。
排出したと言うが、それが誰の仕業かと訊けば、ニヤリと怪しげに笑って、答えてくれはしなかった。が、あの魔王たる超越者が見た目怪しいのは割と何時もの事なので、不都合が無いとの太鼓判だけを貰って話は終わった。
もっと詳しく訊いて欲しそうな顔をしていたが、リアスにとっては眷属の傍に居る方が余程大事だ。濃い話なら、彼の友人であるリアスの兄にあたって欲しい。
あの日、死んだアーシアが復活した。
死んだ、という時点でリアスは普通に錯乱したが、目の前に生きている彼女が居るので、すぐさま朱乃達に宥められ、その後詳しい話を聞いてはみたが、やっぱり理解が及ばない。
その場に居たジョンも、アーシアも、何故そうなったのかを未だに理解出来ていないのだ。
居合わせた曹操の『覇輝』にしても気付かぬままで、ただ単純に、生きてまたもう一度抱き締め合えただけで満足している。
「どうしましょうか、この駒」
「アーシアさんにあげませんの?」
「うーん。駒の機能に問題は無い、って言われたのだけどね……」
悪魔の駒が排出されて、なのに今、アーシアは当たり前に生きている。
今の彼女は悪魔のままだ。駒が無いのに、何故かそういう事になっていた。
死んで、生き返って、何があったのか。あの日から今日まで続いた怪我の治療、冥界での検査の数々は、治癒不可能なジョンの怪我ではなく、アーシア・アルジェントに異常が無いかを調べる意味合いが強かった。
結果として、問題無し。種族上は、転生悪魔のそれではなくて、純血のそれになったとか、なってないとか。まあいいか、とリアスは適当に投げ出した。問題が多過ぎて、もうおなかいっぱいなのだ。かしこい彼女とて許容量の限界はある。
大事な眷族が無事に笑って過ごしているなら、リアスにとってはそれが何よりの成果である。
だからいいか、と小さく笑って、手元の駒をまた弄り出す。
なんだか癖になってしまった。妙に手触りが良いな、と不思議に思いながら手の内で転がす。
「アーシアさん、そっち、もっと詰めてくれないかな。あ、退いてくれても良いわよ?」
「イリナさんはそちらに座ったらどうでしょう。沢山空いてますよ?」
「……私、そっちが良いんだけど」
「はい! 知ってます!」
「ふふっ、……ぶっころ」
「ぶっころ」
ジョンの左側に座ったアーシアが給仕を行い、それを羨んだイリナが邪魔する。これから徐々に日常化する、彼女等二人の修羅場の一幕。
げんなりしたジョンが溜息を吐く。反対側、腕の無い右隣に腰掛けるゼノヴィアの肩に凭れて、逃げるように目蓋を閉じた。
「む? どうした、もう眠いのか」
肩に頬を擦り付けて うにうにと首を振る。いっそ寝た振りをした方が巻き込まれずに済むのだが、いい加減、この修羅場をどうにかしなければな、という気持ちもあった。
彼女等の言い合いが自分への好意ゆえのもの、というのは最近理解出来たばかりだが、それはそれとして、勘弁して欲しいのも本音なのだ。
ふと、ゼノヴィアを見上げて問いかけた。
――お前は、こういうの無いな、と。
問われた少女は、バナナロールを一飲みしながら頷いた。何を当たり前の事を、と言いたげな顔で。
「争う事に意味は無いよ。私はずっと、キミと一緒さ。勿論、イリナやアーシアともね」
微笑んで言い切る姿が、ちょっと羨ましくて照れ臭い。他の二人もこうであればと、普段のゴリラな部分を忘れたように思ってしまう。
修羅場を全く気にしていない。好きなのだからそれで良い、と言い切る姿勢は、ジョンにも理解出来るものだ。
「結局、二人共キミが好きなだけさ。好意が根底にあるのなら、互いに譲る事は無いし、相争っても決着なんてつくわけがない。――何、悪魔の寿命は長いんだ。何時か私達四人で、収まるべき所に収まるだろう」
それは、随分と気の長い話である。
だが、まあ、ずっと一緒に、と言い切ってくれた事は凄く嬉しい。あの二人の納まるべき所というのがどの辺なのかは全く分からないが、ゼノ助の言う通り、気長に待つとするとしよう。
何せ己は悪魔であるのだ。十年でも、百年でも、千年だって構わない。
ずっとずっと、このまま皆で過ごせれば良い。ただそれだけで十分だ。
そう考えて、少年は目蓋を下ろして、隣の修羅場から逃避した。
――それはゼノヴィア・クァルタの初懐妊が発覚する、一ヶ月ほど前の事だった。
当SSはここまでで完結です。
R-18なのに最終回で性描写を入れる暇が無かったり、予定していた4Pが無かったりと反省点はありますが、元々ディオドラがラスボスだったのでここで終了します(なお実際)。
以下、設定メモ。
禁手亜種【-名称未定-】
オリ主の神器【聖母の微笑】の禁手。ザオリク、もしくはサマリカーム。
禁手化に際して、神への祈りと聖槍の『覇輝』を取り込んだ結果大化けした回復用禁手。
聖書の神の遺した奇跡の『システム』に干渉する、
実際に蘇生しているのは神器所有者のオリ主ではなく天界にあるシステムなので、生命の理に触れて発狂する事が無いデメリット皆無の禁手。
本編中では聖書の神の奇跡である『死者の復活』を再現してアーシアを蘇生。彼女が純粋な悪魔になったのは神器ではなく『覇輝』の方の奇跡が余ったから神の『遺志』が気を利かせただけ。
――という設定を本編で描写出来なかったので此処にメモ。
実は「殲滅して問題無いか」の裏付けが取れていないのでこっそり生き残っているレイナーレを始めとした『教会』勢や、バルパー共々ヴァーリに回収されたフリードのその後。小猫の発情期フラグ、木場&ギャー助相手の逆ハーフラグ、あるいはIF番外編用のオリ主フラグ等、裏設定が幾つかありますが、使いどころが無かったので設定メモを此処に追記。