高山流水さん、いつも誤字訂正ありがとうございます
坂柳さんって理性的過ぎて、本能だけではあんまり動けないイメージなんですよね。
綾小路くんに手を握って人肌の意味を教えるのもかなり頑張ったような気がします。
南雲達が店から去って一時間後、閉店した店の近くのベンチに腰掛けた少女に一人の少女が話しかけた。
「駄目ね。店員、口が固くて客が居たくらいしか分からなかった」
「そうですか……真澄さんがそれだけで切り上げたとは思えませんね。他には?」
「あんたマジ可愛げないわね……向かいの店員から聞き出したわよ。綾小路の奴、外見に特徴らしい特徴ないから確定じゃないけど、背格好が綾小路と一致した奴が女二人背負って店に入ったかもってさ」
「それだけ目立つ状態で、かも(強調)ですか?」
「一瞬目に入ったらしいわよ。で、自分が見たもの信じられなくて、もう一度見たときは見えなかったらしいわ」
まるで忍者ね。と呻く神室。
「……なら、綾小路くんの可能性も僅かとはいえ否定できませんね」
「あんたさぁ……そんな化物みたいな身体能力もってんのは、高円寺か綾小路くらいでしょ。あんたが綾小路みたいにほとんど知られてない奴、他に知ってるなら違うけどさ」
溜息のあと呻き「居るのか?」と視線で問う神室に、視線をあさっての方向に向けて坂柳がつぶやく。
「……成程、相変わらずですね。高円寺君は。複数の女性と浮名を流すのもいい加減にして欲しいものです。ここまで酷くては、一人の乙女として憤りを覚えてしまいますね。
このようなデマを夜分に流してきた南雲先輩と合わせて、何か特別な贈り物の一つでも差し上げなければなりません」
「現実逃避するんじゃないわよ。高円寺の特徴的な外見なら、向かいの店員が見間違えるわけないでしょ」
目を合わせようとしない坂柳に、神室は畳み掛ける。
「特徴的な外見じゃなくて化物じみた身体能力の持ち主、十中八九綾小路ね。夜中に、人目避けて女二人背負ってランジェリーショップに連れてくるか。
マトモな感性してたら試着した下着姿見た後で、女と綾小路が気に入った下着をプレゼントくらいするわね。あの綾小路の行動とは思えないけど、よっぽど大切にしてるのね」
言葉を切り、顔を背けた坂柳に言い放つ。
「股かけてるみたいだけど、本気みたいね……御愁傷様」
「……」
嘲る台詞に、俯き沈黙で答える坂柳。余りにも似合わない珍しい弱弱しい姿に興が乗った神室が攻撃する。
夜中にいきなり電話一つで駆け回されたのだから当然だろう。と言い聞かせながら
「何、ショック受けてんの? あんたが、いつもすかしてたあんたが、手遅れになったことにようやく気付いてショック受けてんの?」
「……」
「大体あんたさあ。綾小路と一緒に遊んでいただけでしょ。気の利いた小学生のほうが進んでるくらい健全にね。
それで、最近誘っても袖にされ続けたのに疑いもしなかったとか、どれだけ色ボケてたのよ。その間、当の綾小路は他の女と股かけてよろしくやってたとかさ。
──ざまあないわ」
「………」
「まあ、当然の結末ね。言ったでしょ。綾小路みたいな警戒アンテナ常に立てる理性的な奴には、捨て身で裸になって抱きつく位のことしないと反応しないってさ。
どこの誰かは分からないけど、あの無表情冷徹非道男に裸で抱きついた奴は大したものね」
「…………」
「それに比べてあんたと来たら綾小路が告白してくれるか抱いてくれるのを、穢れを知らない初心な乙女みたいに待ってばかり。処女っぽいっていうか、そのままの考えでずっと過ごしてたわよね」
「……………」
「ああ、あんたが言ってたこと思い出した。あの時、私が後ろから押した時。いい加減、処女臭い考え捨てろって言った時よ。
あんた『真澄さんだって処女じゃないですか。綾小路くんをどうすれば良いのかは私がよく知っています。今は、ひと時の逢瀬を楽しみながら互いに感受性を育む時です。真澄さんの助言は必要ありません』……自信満々の台詞吐いてくれたわね」
「………………」
「その結果が、これよ。これ。夜中に南雲先輩の電話一つで私を呼び出して駆け回させた挙句、ショックで項垂れてるだけのあんたよ」
「…………………」
ピクリとも動かない坂柳の姿に、神室がヒートアップしていく。
「無駄だったわ。今までのあんたのお花畑話を聞いてた時間考えなくても、今日だけでも無駄だった。
風呂入ってるときにいきなり焦った声で呼び出されて、生乾きの髪のままあんたの部屋に着いた時に大きな音がしたから慌てて入って、寝間着姿でスッ転んでじたばたしてたあんたを立たせて、寝間着で出ていこうとするあんた宥めて、着替えさせて、身嗜み整えて、靴履かせて、杖持たせて、連れ出したことが!」
「……………………」
「呼び出した理由聞いて、何も聞かずに付いてこいとか偉そうに言って寮出たすぐ後よ後。あんたが、体悪いあんたが、急ぎ足で進んだせいで立ち眩みして倒れかけたの受け止めて介抱したのは。
水飲ませて落ち着いたと思ったら、急がないととか言い出して無理して起き上がって転びそうになったのを支えたわね。
それでも歩こうとするあんた見てっ、体悪いのに無理するあんた見て、見かねちゃったからっ、あんたを背負ってゼイゼイ言いながらここに来たのも!」
「………………………」
「足、棒にしてようやく着いたと思ったら、万一でも綾小路がランジェリーショップで女連れてる姿見たくないって、ビビって店入ろうとしないあんたとグダグダしたわ!
仕方ないから飲み物持たせたあんたをここに置いて、休憩なしで調べに行って、顔色土気色の私にまず冷えたお茶飲まさせて休ませてくれた店員の優しさに泣きたくなったのも!」
「…………………………」
「そんな店員に、個人情報聞きだそうとしつこく聞いた。私なら、苛立って追い出すくらいにしつこくね。それでも嫌な顔されずに相手してもらえたわ。で、諦めて謝罪して引き返そうとした時よ!
割引券受け取りながら『今度は、外でこっちを見てるお友達と一緒に来てね』って言われた時! 振り向いたら何を見たと思う!?」
堪えきれないものを吐き出す前に一呼吸。
「あんたよ! あんた!
体悪いから座って待っとくように言っておいたのに、細い柱の裏でこそこそ隠れてこっち見てるあんたよ!!
へったくそな子供のかくれんぼみたいに、柱が細すぎて体を隠せてないあんたと目があって逸らされた時、頭の中ぐちゃぐちゃになって何年かぶりに涙が流れたのも!!」
「……………………………」
「全部、全部無駄だった!!!」
たー……たぁー……たぁぁー……。
何時しか肩で息をしながら湿った声で絶叫していた神室の叫びが、人気のないケヤキモールに木霊して。
荒い呼吸音だけが響く、地獄のような沈黙が訪れた。
荒い息を収めた神室真澄は、体をめぐるアドレナリンを必死に片付けながら思う。
私は、こんな絶叫するようなやつじゃないでしょ。私ってさもっと無口無感動なのよ。何で人気のないモールで叫んでるのよ。
こんな醜態さらすなんて、よっぽどストレスたまっていたんだなと自己分析する。
それよりも、改めて振り返ると私は何をしているんだ。
坂柳は好きな相手ではない。はっきりと嫌いなタイプだ。人の弱みに付け込んで扱き使うだけ扱き使う。能力優秀なドS。
いや、確かに最近気を配るようになったからマシな奴になったけどそんなのは何も関係ない。
なのに何で母親かと問い詰めたくなるような事やってるんだろう。
「はぁ」
溜息を吐いて坂柳を見る。相変わらず石像のように動かない。あれだけ挑発して激情叩きつけても反応なしか。
……これからどうしよう。
こいつ置いて一人で帰る……無理だ。こいつを連れてここまで来たのは見られているだろうし、理事長の一人娘で体の悪いクラスのリーダーを放置とか、私の将来がない。
何よりも、こんな容姿の優れた傷心の女の子を置き去りとかない。危険すぎる。
本当にさ、こいつは女の子なのよね。超然とした冷徹な奴で、人より頭脳明晰で、考えが高所にあって、少し先が見えたとしても、生まれて初めての恋をする皆と一緒の女の子。心の奥底に傷心で脱け殻になるくらい綾小路のことを想う一面がある女の子。
好きな人の事ここまで想える女の子。
はぁ、恨むわよ綾小路。警戒するの分かるけど、性欲に負けて襲ってくれてもいいじゃない。外面だけじゃなく内面もお勧めできるんだからさあ。この子任せられるの綾小路くらいなんだしさあ。
「坂柳。聞こえてる坂柳」
分かってたけど反応はない。連れて帰るしかないか。連れて帰った後どうしようか。
何年越しの初恋に破れた女の子を慰めるとか、恋をした事がない私には荷が重い。
なら、恋愛経験のあるクラスの女の子を呼び出すか。
──駄目だ。恋愛してるクラスの子、どいつもこいつも坂柳を嫌っているか嫉妬している。
恋に破れたこの子を嘲笑う奴はいても慰める奴は居ない。
クラスを掌握するときの手腕は問題じゃない、坂柳の容姿が良すぎるのが原因だ。彼氏が「あの子可愛い」と褒めるような奴を好きになれるはずがない。それで別れた奴も居るから尚更だ。
そんな連中に、いつもの存在感を失って妖精じみた儚さしかないこの子を預けられるはずがない。
餓えた獣にエサを与えてしまえば、酷いことになる。
だから、私が連れ帰って慰めるしかない。
「どうやってよ」
結局のところ、そこに行き着く。連れ帰る方法は、もう仕方ない背負おう。筋肉痛で数日動けないだろうが覚悟を決めた。
坂柳、慰める、失恋。ぐるぐると頭の中で単語が回る。
めぐる思考は坂柳との出会いに行き着いた。
飲ませるか、酒を。賞味期限切れてるけどまだあったはずのビールを。
ちらりと坂柳を見る。酒飲んで気分転換とか、学年の担任教師の喪女たちを連想してしまうが仕方ない。
茶柱はともかく星之宮の「嫌なことは飲んで寝て忘れれば良いの♡」発言を思い出すと呆れる。朝一の授業で言い放ったのだからもっと呆れる。あいつら多分十年たっても独身だろう。
……ああはなるまいと、決意していた喪女たちと同じことをするのはプライドが傷つくけど背に腹は変えられない。今こそ、飲んで寝て嫌なことを忘れる時だ。
「仕方ない。切り替えるか」
よし、飲ませて飲もう。確か棚の奥に置いてあったはず。先天的心疾患の坂柳の体の様子を見ながら少しずつ飲ませて酔わせて寝る。これしかない。
背負うために、あちこち痛む筋を伸ばしながら坂柳の方を振り向く。
「それじゃ、帰るわよ。坂柳……ひっ」
心身の過度の疲労のあまり頭が回らず。先天的心疾患の相手に酒を飲ませようとした神室の暴挙は、振り返り思わず出た悲鳴とともに止まった。
「切り替える……そう、その通りですね。流石です。真澄さん」
無様な姿を見せてしまった友人に謝罪の意思を込めて賞賛する。
「さ、坂柳……あんた、顔っ」
他者に求められないゆえに沈着冷静であり続けられる友人が、見てはならないものを見たように表情を引き攣らせています。どうしたのでしょうか? 私の顔が何か?
「おや」
いけませんね。普段意識せずに微笑みを形作る私の唇が、食い破りそうなほど引き締まっています。笑顔笑顔。
「お待たせしてすいません」
「いや、その、あの」
何故でしょう。普段どおりの笑顔を浮かべているはずの私と、真澄さんが顔を合わせようとしてくれません。精一杯揉み解したのですが。
今、自分がどんな顔をしているのかなど、思考の片隅に上らせる必要もないどうでもいいことなのに。真澄さんにとってはそうではないようです。
そのことが少し残念ではありますが、冷静さを取り戻した今ならば認められなかったことを認められますね。
「南雲先輩の情報は正しかった。綾小路くんは、間違いなくそこの店で女性とともに居ました」
「そ、そうね。そういうことね」
「ええ、南雲先輩が名前を教えられないと言っていた事は気に入りませんが仕方ありません」
「問い詰めないわけ?」
ようやく私と視線を合わせてくれた真澄さんに嬉しくなり、笑顔を向けるとなぜか真澄さんはまた視線を逸らしてしまいました。
まあいいでしょう。そこは気にするべきことではありませんから。
「南雲先輩の現状では後輩に構っていられないでしょう。以前と同じく芯が入ったようですが、だからこそ南雲先輩は朝比奈先輩を優先します。教えられないという発言は最大の譲歩でしょう」
「……綾小路の相手の名前をあんたにばらした事が綾小路の相手に知られたら、朝比奈先輩に危害を与えられることができるだけの能力の持ち主ってことか」
「綾小路くん本人が危害を加える可能性もありますが、おそらくそうでしょう」
フフ、大丈夫ですよ真澄さん。気を遣って頂かなくとも、今の私は綾小路くんがお相手の泥棒猫を守るという可能性を受け入れています。
だから、目を合わせていただきたいんですが。
「い、一応前者ってことにしとけば、だいぶ絞られるわね」
「その通りですね。堀北さん、櫛田さん、一之瀬さん、椎名さん。第一候補としてはこの辺りでしょうか」
泥棒猫候補その一の名前を挙げていく度に、真澄さんの顔色が悪くなっていきますね。流石真澄さんです。敵の危険度を理解している、こんな味方がいることに幸福さえ覚えてしまいます。
「……厄介な連中ね」
「ひょっとしたら第二候補もこの中に居るかもしれません。いえ、居るでしょう。女の勘ですが」
「…………その可能性は高い、か」
フフフフ、真澄さんは心配性ですね。私が綾小路くんが二股かけてることを認められないほど狭量だと思っていたのでしょうか。
それはそうと、私のお誘いを断り始めたときから逆算すると、どう考えても半月足らずで二人をモノにしたことになりますね。
「不思議ですね」
気付かず声に出ていました。聞こえているはずなのに、真澄さんは私に一切目を向けようとしません。
本当に不思議です。真澄さんではなく、綾小路くんが。
どうすれば、半月足らずで二人の貞操観念がしっかりしている女性をモノに出来るのでしょうか。月城元理事長代理が居なくなり、お父様が復帰されたとはいえ、リスクを負わないことを第一に考える綾小路くんらしくありません。
「同時に何人もの女性に粉をかけていなければ不可能です」
第一候補四人とも、真澄さんの仰るように全裸で抱きつくようなふしだらなタイプとは程遠いのに、二人。
これだけでも、泥棒猫が綾小路くんにどれだけ好意を抱いていたか、伺えます。
無論、私ほどでは無いでしょう。
数年越しで彼を想い続け、あの帰り道で恋をしていたのだと自覚した私ほどでは。
「それと、綾小路君の行動も妙です」
下着専門店に何らかの理由で歩けない少女二人を背負って下着を買いにくる。
何故、体の不自由な私にそうしてくれなかったのは重要ではありませんね。
「胸か、胸ですか? それとも、腰まわり? お尻から太もものラインは自信があります。なら、いえ、貧相な体つきそのもの?」
カツカツカツ。
おや、いつの間にか杖でアスファルトを叩き続けていましたね。この杖は大切なもの、傷つけるわけにはいきません。
「真澄さん。杖を持って頂きたいの──」
「ほら、貸しなさい」
友人に一時預かって貰おうと言葉に出している途中で、真澄さんが杖を預かってくれました。まるで殺人犯から凶器を奪い取るように慌てていましたが、どうしたのでしょう。
まあ、些事です。今は綾小路くんのことに集中しましょう。
「しかし、同時に二人の女性に下着をプレゼントですか。片方を褒めすぎてもいけませんし、絶妙なバランスが要求されますね。その為には、試着した姿を評価しなければならないでしょう……どのように評価したのか気になりますね。相手の良いところを強調したのでしょうか。それとも、悪いところ、私の貧相な体のような欠点をフォローするようにしたのでしょうか。
どちらにしろ、女性の半裸の姿を店で見て似合うと褒めた後に購入して手渡しで渡す……なるほど」
その光景がありありと目に浮かびますね。綾小路くんのことを思うと全身が心地良い熱さに包まれるのは何時ものことですが、今日は特に焼けるような熱さです。
「フフッ、フフフフッ」
女性に、下着をプレゼントと考え付くなんて。綾小路くんの行動から今まで無かったものを感じます。
ただの優しさではなく女性に配慮した優しさ。他者の、女性の暖かさを知った者の優しさと呼ぶべきでしょうか。
「ずるいですね」
それは、私が引き出してそうしてもらうものだったのに、どこの泥棒猫なんでしょうか。
「あ、あのさ」
「なんでしょう」
身を焦がすような熱さを心地良く感じる私に、真澄さんが遠慮がちに声を掛けてきました。
何故か私との距離がさらに開いていますが、些事です。ええ、この身を焼き尽くすような熱に比べてしまえば些事でしかありません。
「これからなんだけどさ。結局あんたどうするつもりなのよ?」
ああ、何てことでしょうか。私としたことが、味方に自分の意図の説明さえしていなかったとは。
「すいません。思考を切り替えたことを説明していませんでしたね」
「切り、替えた」
何故か私に起死回生の一言をくれた真澄さんが顔色を悪くしています。
「はい。まず、綾小路くんは今二股をかけています」
「……そう、よね」
まるで私が何か見逃しているけど、指摘できずに飲み込み気分が悪くなった。
そんな気配を出しながら、ますます顔色が悪くなっていく真澄さん。
「そして、真澄さんのおっしゃるとおりでした。私はあまりにも受身でありすぎました」
「うん。正直、呆れてた。好きな人部屋に呼んでやる事がゲームと料理だけで、寄り添って座ったことさえないとかさ。小学生の方がマシでしょ」
「…………おほん」
…………切り替えましょう。
綾小路くんと最も劇的に結ばれるタイミングを測り、ここぞという時で結ばれる。そんな考えを私はしていました。
何て愚かで甘い考えでしょうか、自分に対する誤魔化し以外の何物でもない。
私の知らない面を次々に魅せてくれる綾小路くんと過ごす時間が幸福すぎて、その時間を壊すことを恐れた私は踏み込んでいなかっただけです。
いえ、これも違いますね。何てことでしょう、心の中でさえ自分を誤魔化すなんて初めての醜態です。
綾小路くんは本当に悪い方ですね。こんなにも私を変えてしまうなんて。
「いい加減、自分の奥底を見据えましょうか」
……なるほど。
心の奥底を見据え理解しました。少し、いいえ、かなり特徴的な自分の体に自信がなくて、もし、を考えるだけで尻込みしていたのですね私は。
駄目ですね私は。側に居て隣に座ってほしい。こんな簡単な言葉さえ口に出せませんでした。
人肌のぬくもりを手を繋いで伝える。ずっと胸の奥に、大切にしまいこんでいたことをすることで、満ち足りると同時にかすかな不安を抱いて踏み込んでいなかった。
私は臆病でした。その間に泥棒猫が入り込まれるまで気付かないほどに、ならば。
「というわけで、私も行動しなければなりません。真澄さんも協力お願いしますね」
まず、私も同じラインに立たなければ。全てはそこから始めていきましょう。
あの、一切揺れずに淡々と何もかも処理していく色のない瞳が、私の好きな瞳が、情欲の色に染まるのか染まらないのか。
想像するだけで、夢心地に体が火照り熱くなります。
「何がというわけなのか、中身が全く分からないんだけど。それに、なんで私が協力──」
「お願いします」
頭を下げて頼む私に真澄さんが息を飲んだ。
「──分かった。協力するわ」
最初からそうしろとため息混じりにぼやく神室真澄。
すばやく周囲を確認する。坂柳が何かを殴り殺すように振っていた杖は回収している。
今もしている年頃の女の子がしてはならない表情。鬼気迫った凄絶な色を浮かべて口角を上げた表情は、顔立ちが整っているだけに怖すぎるがそれはもう仕方ないあきらめよう。
こんな顔しながら思考を切り替えたと言われた時には、血を見ることを覚悟したことに比べれば、見なければいいだけだ。あきらめられる。
「で、具体的にどうすんの?」
もしや坂柳は変わったのかと、僅かに期待を抱いて訊ねる。人間は成長して変わるものだ、ならばきっと。
「数日以内に綾小路くんの部屋に行き想いを遂げようと思います。その時に、誰も邪魔が入らないように仕組むために情報収集しましょう」
「……そう」
期待は裏切られた。人なんかそう簡単には変わらないと再確認。
『このへたれが。
何周遅れなのか数えるのもうんざりするくらい周回遅れしてるこの期に及んで、お行儀よく情報収集かよ。
今こそ本能に身を任せて、勝負下着着込んで綾小路の部屋に突撃するか、綾小路のベッドに全裸で潜り込むときでしょ。
その平均より遥かに上のルックスは何のためにあると思ってんのよ。情報収集とか意味のない賢しいことするから、あんたは処女なのよ』
と、まるで子供のように思ったことは言わない。神室は大人なのだ。
坂柳と出会い、色ボケした坂柳と交流すればするほど成熟していくのを神室は実感している。
たまに、坂柳と出会う前に戻りたくなるが。
「──を把握して置く必要があります。よろしいですね」
「ええ、そうね」
『坂柳の事だから勝負下着さえ持ってないわね。ドギツいのは無くても少しエロい透けたネグリジェくらいあるかな』
と貰ったばかりの割引券の使い途を決めていた神室の思考は、半ば聞き流していた能天気な話(神室視点)をしていた坂柳がこちらに水を向けたことで現実に戻された。
で、次の発言を聞いて戻りたくなかったと後悔した。
「成就の日は数日中に決めます。当日に、二人の邪魔が入らないように真澄さんもご協力お願いしますね」
「……分かったわ」
『今日、いやせめて明日決断せずに数日かけるとか。どうしてそこでへたれるのよ。
あんたって奴は恋愛にはとことん初心ね。
そんなだから、部屋に呼んで二人っきりで過ごすってゴール直前まで先行しといて、差し切られるのよ』
とは言わず、坂柳には今余裕がないのだと受け止めてあげるだけ神室は大人だった。
大人だから、恋敵を二人と断定してそれ以上居るとは想像しない、いや、出来ない坂柳には黙っておける。
向かいの店員が閉店準備中に見たと言う、店に入ろうとする特徴的な少女。ピンクに見える赤毛混じりの金髪──ストロベリーブロンドの長髪の少女のことを、今は黙っておく優しさが神室にはある。
話すのは、坂柳に受け入れる余裕が出来てからだ。罵られるくらいは甘んじて受け止めよう。
坂柳を見つめる彼女の表情は「自身より優秀で何でも出来るのに、恋愛に関しては頭が良すぎるために考えすぎて踏み込めずもじもじ尻込みする愛娘をみる母親」のソレだった。
──8割くらいは。
「まあ、あんたが、店に入るときみたいにビビってへたれない限りはね」
「あれは、恋をした乙女の愛らしい反応ではないですか。へたれたなどと言われるのは心外です。しかし、綾小路くんと、ですか……そう、ですか……」
残り2割、友人としての神室真澄は、目の前で白皙の肌を初心な小娘そのままに朱に染め指をいじくる少女がいざその時にへたれた場合「綾小路の部屋のベッドに全裸で縛り上げて放置する」と決意していた。
それくらいして綾小路に捕食させないと、もうこいつはどうしようもないと見限ったとも言える。
「ま、ここに居ても何だし帰るわよ」
「真澄さん、ひとつお願いが」
「……私の部屋に来る?」
「お願いします。色々話し合いましょう」
「……いいわよ」
何かを訴える坂柳の眼差しに屈し、今日はこいつ帰らないなと諦観して、何か作ろうかこいつ食細いから軽いもので大丈夫ね、枕の予備どこしまったかな、こいつ抱きついてくるから暑いのよね、とごく自然に思考が流れていく神室が後者の判断をするかは、坂柳次第。
さすがに、身体能力とアドバイザーの二つのハンデは覆られませんでした。
神室さんが朝比奈さんの半分でもスパルタなら間に合っていたんですが。
間に合わなかったので、こちらは平穏に終わっています。
次回はかなり期間が開きます。