「ここまで、言わせるつもりはなかったのよ」
四股に分かれた端末の先端、イヤホンの一つを耳からはずすと、神室は自分の部屋の壁にぐったりもたれて両手で顔を覆った。
今までのやり取りをすべて聞かされたオレは何も言えず、耳につけていたイヤホンのもう一つをはずして、3個目の端子で録音していたレコーダを取り出しへし折る。
「……」
無言でオレの行動を注視する神室の前で、最後の端子に繋がれた手の平大の黒い装置を取り出す
「例えどれだけ優れたソフトウェアでもハード(携帯電話)の性能以上の事はできない」と声に出し、神室の目の前でへし折る。
息を飲む気配。有線の必要があるとはいえ、携帯端末では盗聴されていると捉え切れない効果を生み出した装置。素人目にも並大抵な物でないと分かるそれを躊躇わず破壊したオレに、驚嘆しているようだ。
「……いいの?」
「何をだ。オレはお前の部屋で世間話をして帰るだけだ。自分の部屋にな」
普段の坂柳ならば、盗聴されていないと確定しても、あそこまで心を曝け出さなかっただろう。
そこまで神室を信頼していて、心を曝け出して構わないと思うほどにほどオレを想っているのだ。
そんな坂柳を結果的に裏切ってしまった神室は悔恨の念で押しつぶされそうになっている。
ならば、製造困難な装置であっても壊すことに躊躇いはない。
音波接合が出来ないから同じ大きさは無理でも、同じ性能ならば製作(製造ではない)は困難ではあっても不可能ではないしな。
「……そう」
「ココア旨かった。ご馳走さま」
「……ええ」
片手で顔を隠しながら、もう片方の手で壊れたレコーダーと装置を受け取り「確かに一本筋は通っているわね」と呻く神室から踵を返し神室の部屋を出るために歩み始める。
実父と何らかの関係を持つ
だが、此処までのひたむきな想いを口に出されては考えを変えるしかない。認めよう。坂柳に対して情が湧いたと。
今までの自分では浮かぶことさえなかった情を噛みしめながら、一歩踏み出す。
自分の部屋で待つ少女の想いに応えるために。
……健康な一人の男として、神室が坂柳に発破をかけるために言っていた『全裸で縛られて貼り紙を貼られた坂柳』を見てみたかったという残念混じりの想いを押し殺して。
「じゃあ……」
邪念を押し殺しながら片手をあげて通り過ぎようとすると、神室の手が信じられないほど素早く延びてあげた腕を掴んだ。
その動きは、武道の「ぶ」の字さえ無いのにオレの虚をつかんでのけた。
「……分かってるだろうけど、避妊だけは気を付けなさいよ」
邪念がバレたかと内心驚愕していると、腕をつかみながらうつむいたまま言ってくる。
邪念がバレていないのは助かったが、正直なところ避妊云々を突かれるのならば邪念がバレた方がましだった。
論理武装して誤魔化すことは出来る。だが、ここで誤魔化すことが出来ても坂柳経由でバレるだろう。今の坂柳が初体験の報告相談を神室にしないとは思えない。
激昂されることを前提として、仕方なく神室に本当のことを言う。
「ああ、勿論だ。避妊薬を用意している」
「避妊薬? あんた……まさか」
神室は目をあげた。懸念通り、こいつ何言ってんだという、凄まじい気迫の籠った血走った眼で睨みつけてくる。
「……生でするつもりなんじゃないでしょうね?」
「ああ、生です──」
「なに考えてんのよっ!?」
言葉を遮り咆哮。
視線に殺気がこもる。
「あの子、先天的心疾患なのよ! 杖をつかないと歩けないくらいの先天的心疾患なのよっ!? ……もし、もし、もし……」
『もし』の後を想像して眩暈さえ覚えたらしく一度大きく深呼吸した神室は、意を決して人を殺せそうな目付きで睨んだ──オレを。
「もし、に、妊娠っ……に、妊娠なんかさせたらっ……堕ろさないと母子ともども──ってことになりかねないのよっ!!?? あんた、それ、分かってんの!?」
「ああ、分かっている。ゴムをつけないのはその上でのことだ。ゴムをつけないのには訳が有るんだ。聞いてくれないか」
怒鳴り付けながら胸ぐらを掴んで頭を揺さぶる神室が、冷静さを取り戻してくれるように誠意を込めて答える。
この誠意に裏は無い。
神室の手に引っ掛かって揺れる防犯ブザーと、ベッドの脇に立て掛けられた金属バッドは、人を誠意にさせる。神室の部屋──女生徒の部屋に居れば猶更。
「訳、訳ですって……ふっざけんじゃないわよ!? 避妊に気を付けてる奴が、ああ……る……何て生返事で済ませるわけないでしょうが!」
そして、そんな誠意など、坂柳の体と心を心配する神室には何の効果もなかった。
「分かってんでしょうね!! ゴムと避妊薬両用しないと避妊って呼ばないのよ!? 出すもの出せば済む男と違ってね、女は出された後があんのよ! 出された後のこと、色々なこと気をつけないとならないのよ!?
只でさえ反対なのよ! 何人も股かけて粉かけて平然としてる人間のクズなんて選ばなくていいじゃないっ!? そんな人間のクズよりも良い奴がふさわしい奴が居るって、何度言って聞かせてもあの子があんたがいいって望むからしょうがないって頷いたのにっ!?」
否、逆効果だった。完璧に、火に油を注いでしまった。ヒートアップしてますます昂る神室。その姿に普段の冷静さなど欠片もない。
「──やっぱり、私が間違ってたわ、頷くんじゃなかった! ……出なさいよ。どうしたのよ、坂柳……くっ」
手元の端末を操作して坂柳に連絡しようとしたようだが、電話に出なかったようだ。坂柳の身に何かあったのかと慌てて自分で行こうとしている。
……好都合だ。このまま神室の焦りを加速させ、体力の限界を迎えさせよう。
「……何のつもりよ」
「話を聞いてくれ」
神室の進路をふさぐと同時に、ブラブラと目の前で揺れていた防犯ブザーを奪い取って後ろに放りながら話しかける。
「………………まさか、あんた」
部屋の出口に立ち神室が出るのを邪魔するオレを、殺意混じりの悔恨の表情で睨みつけてくる。狙い通り、オレが何か仕込んでいて坂柳がそれに引っ掛かり電話に出れないのだと受け取ったようだ。
「……何てこと……何てことしたのよ」
神室の脳裏で坂柳がどうなっているのか。先ほどの『全裸で縛られて貼り紙を貼られた坂柳』より酷い目に合わせているのだと神室の目が言っている。
切羽詰まった表情で『どきなさいよ。どけっ、どいてよっ』と言いながらさらに強く激しく揺さぶりながら怒鳴ってくる。
頭を揺り動かされるのは慣れていても、鼓膜が痛くなってきた。
神室の全力でも微動だにしないオレに、嘆きと絶望と怒りで顔を般若にした神室が言い放つ。
「あの子に、あんな健気な一途な娘に何かあったら、あんたを許さないわ! 膜破ってあんたにレイプされたって訴えて言いふらしてやるっ!」
神室は本気だ。坂柳に居場所を与えられただけの時とは違う。今の神室は、坂柳に何かあれば自らを犠牲にすることを辞さないし、オレと神室自身を許さないだろう。
これほどの絆を築き上げるとはな。二人の間に何があったのか興味はあるが知る必要はない。だが、神室が今の坂柳との関係に満たされていて、坂柳を裏切ることは無いことは刻み込んでおく。
それはそうと、神室が坂柳を心配する気持ちは非常によく理解できるが、世の中には出来る事と出来ない事があり、これは後者なのだ。
そして、それを今の神室が冷静に受けてくれる可能性は非常に低い。
やはり、想定通り息を切れさせてから話すか。
坂柳の危機的な状況(状況証拠)と手元から消えた防犯ブザーによって精神が追い詰められた神室ならばもう直ぐだ。
「坂柳は無事だろう。どうして連絡が出来ないのかはオレにも分からない」
「ぬけぬけとっ!?」
「それと」
「なによ!?」
「すまない。ゴムを使うのは無理なんだ」
「何が無理なのよっ!! まさかあんたっ! この期に及んでコンドーム買いに行くと目立つとかいうんじゃないでしょうねっ!? あんたっ、何処までクズなの……ぁっ……ひゅっ……あっ……げほっげほっ」
オレが挑発するたびに全力で暴れながら叫んだせいで、体力の限界を迎えぜえぜえと息を吐くようになった。ならば、これ以上の挑発は必要ない。まだ叫ぼうとする神室を刺激しないようにできる限り静かに言う。
「神室、落ち着いて聞いてくれ」
正直、この事実を隠しておく必要はない。わりと不名誉なあだ名をつけられたことが憂鬱なだけで、今の神室相手には隠す必要なんてない。
神室が受け入れて聞いてくれるだけの手間が此処まで掛かるのが面倒だっただけだ。
「だ、だから、何がっ、げほっ、よっ!? 先天的心疾患抱えた妹みたいな子が、男の部屋に閉じ込められていてっ……ごほっ……今からろくな避妊もされずに犯されるって言われてっ……げほっ……んなこと言うクズ野郎が目の前に居て……はっ……助けようとしても助けられなくて……ひゅ……落ち着ける奴がいたらお目にかかりたいっ!? ……げほっがはっ」
狙い通り肩で息をするくらいに消耗した。これならばオレの言葉を聞く余裕がある。いや、オレの言葉を聞かないだけの余力が消え去った。そんな神室に、ごくごく静かに告げる。
「コンドームの合うサイズが売って無いんだ」
天沢に貰ったものを桔梗に言われて試したのだが、行為中に破れてしまった。天沢がオレのサイズを知らなかったことに「はっ、サイズも知らないでイキってたとか」と口角を上げる桔梗を見ながら、桔梗の柔らかな手の感触がわからないほどの痛みに耐えるのは辛かった。
「はぁはぁ……は?」
何を言われたのか理解できずに、ぽかんと口を開けた神室の記憶を呼び覚ますように話を続ける。
「一年の混合合宿の後で噂が立たなかったか? ……男子のアレのサイズのことで、女子にもそれなりに噂になったと聞いたが?」
「……あ、Tレックス」
「ああ、だからコンドームの合うサイズが売って無いんだ」
神室もやはり聞いていたか。性別どころか学年を越えて噂になってしまっていたことに、当時は軽い頭痛を覚えたが今はもう慣れた。
桔梗が舌を出しながらウインクしつつ「ごめんねー、私が広げたんだ。女の子の好きな話題だったし、清隆くんがどんな反応するか見たくてさ。あと、清隆くんの噂話がどこで膨れて誰が止めるか知りたくてね。噂話陰で広げない良識持った清隆君と仲良い奴が誰なのかを知りたくて」と言われ後者の情報を教えてもらったから、妥協したとも言うが。
桔梗曰く止めた一人である神室はキョトンとした表情で何度かその目をぱちくりさせると、オレの股間に一瞬目を向け──神室としては一瞬のつもりなのだろうが、見られたこちらとしてはガン見だった。異性の視線というものはこれほど敏感になるのだ、オレも女子へ向ける視線を気を付けよう──赤面して目を逸らす。
「……噂って、マジなの?」
「マジだ」
「………コンドームってサイズあるの?」
「ブラとか下着にサイズがあるのと同じ人体に対するものだ。あるぞ」
アルベルトから借りたXLすら使えず、発注するしかない現実に嘆きながら──どうやって発注すればいいんだ。薬局に行ってもそんなサイズ在庫が無いと言われてしまったのに。この学校のシステム上、ECサイトで発注など無理なのに──端的に答えると、神室が天を仰いだ。
かなりの時間、たっぷり一分近く思考して考えを纏めて視線をこちらに戻した後、口を開く。
「…………優しく出来るの? 何て言うかさ、物理的に」
「確実にとは到底言えないが、出来る限り努力する。坂柳をあれだけ想うお前に誓う」
なんかもう坂柳の母親か姉と話している気分になるほど、自分よりも坂柳を優先するほどに坂柳を想う神室に誓う。
「そっかぁぁぁぁ~~っ………………」
大きな大きな溜め息をついて俯いてたっぷり1分近く葛藤し
「……分かったわ。出来る限り優しくしてあげて」
オレに対する疑いを解きながら仕方ないとばかりに諦めて頷いた。
「出来る限り優しくする」
あの妖精のような肢体を好きにして良いことに好奇心と欲望を滾らせていることを、欠片も表に出さず誠意を持って誓う。誠意をもって誓うのはタダだ。
同時にタダより高い物もないが。
「ところでさあ」
「なんだ」
「本当に、坂柳に何かしてないの? 呼び出しは出来ても、繋がらないんだけど」
「本当に何もしていない。心配なら今から見に行くか?」
「そうね……いや、良いわ。何で繋がらないのか分かったし」
チラチラとベッド脇の金属バッドを見ながら迷っていた神室もようやく納得して──『本当にあの子はもう……男の部屋よ』と唇が動いた──頷き、最後の懸念を問うてきた。
「そう、ところで……」
「AEDならここにある。何度か使用して蘇生させた経験もある。今ここでは口頭でしか証明できないが」
掲げたAEDに神室は一度頷いた。
「それじゃ駄目よ。そこの座布団で試しなさい。今ここで直ぐに。少しでもトチったらこの部屋から出さないから」
「ああ──」
心配症な神室に、近くにあった座布団で手順を一通り見せ納得させると部屋を出た。
オレがエレベーターに行くまで扉を薄く開けて見続ける
坂柳さんとの通話内容を全て綾小路君に聞かせた神室さん。
瞬間的にとはいえ坂柳さんを掌の上で転がしてのけました。