ふく。
ただふく。
何時しか無言となってただふく。
「っ~~~」
何事か言葉に出そうとしても出せずに、唸るに似た吐息を漏らすだけになってしまう。
拭く度に蠢く柔らかさと強靭さを感じる隆々と締まった筋骨の裸身は、生娘には眩しすぎた。
あまりに安っぽい挑発に(負けてなるものか!)と思っていても、目のやり場に困っていき手を動かす範囲が狭くなっていく。
自分は何をしているのか。
こんな風にするつもりではなかったのに。
自分が寝てしまったせいか。いや、どう考えても綾小路くんが悪いだろうこれは。
なんで好きな異性とベッドの上にいて、やることが背中をハンカチで拭うことなんだ。
キスくらいしてくれれば。
私の体臭を嗅いで。
この状況からどうやってひっくり返せばいいのか。
前宣言した通り負けるわけにはいかないのに。
もう無理じゃないか。
いい香りがするって褒めてくれて。
様々な情念が渦巻いて、色々な意味で灼熱に火照る頭が働いてくれない。
不味い。綾小路君くんのペースに囚えられてしまっている。
「背筋が好きなのか?」
「そうですね。前々から、自分には無い体つきがどのようになっているのか興味があったので、目を奪われています」
声を掛けられ、綾小路の背中の一部分、背筋の辺りを赤くなるまで擦っていたことに気付かされる。
初めての異性の肌、それも綾小路の肌を、今自分が必死に擦っているのだということに、坂柳という少女を構成している理性とかの部分がゴリゴリ削られていき、羞恥とかの部分がガンガン膨れ上がっていく。
(何をやっているのですか、私は)
可哀そうなくらいに顔を真っ赤に染めた坂柳はそれでも懸命に拭う。SEXする前に好きな男性の裸を拭う。そんな背徳さを持つシチュエーションにえも言えぬ思いを抱いて
(いいえ、抱いてません)
ゆっくりと動いているのに、早鐘のように打つ鼓動、汗ばんでいる肌、初めて味わうジクジクとした下腹部の疼きから目を逸らそうと視線をあちこちに向ける。
下手をすればこんなことで立ち眩みを起こしてしまう自分の身体に少し寂しさを抱きながら
「ふぅ」
それにしても、何て体。鍛えられない自分が思わず羨望してしまうほどの、合理的な理論を基にした綾小路清隆という少年に合った鍛練の結晶。
それがホワイトルームを出て一年以上経つのに、維持どころか体格が成長した分だけ進化しているように──綾小路本人にして見れば衰えた──思える。
この場で言うべきでは無いと分かっていても疑問が口についてしまう。
「綾小路くん一つ聞いても良いでしょうか?」
「何だ?」
「ホワイトルームから出て一年以上経ちますが、どのようにして体を維持しているのですか? ここには設備も教官も居ません。何よりあなたが外で自主的に運動をしていると耳にしたことも無いのですが?」
「ああ、室内トレーニングを──」
「だけ、では無理ですよね」
「室内トレーニングにもよるだろう」
「……天井」
不躾な質問に何でも無いように答えた綾小路くんの指が空を指す。
それに従い天井を見つめても意味が分からず、目を細めた。
いや、天井によく見れば何か跡がある。
何度も跡をつけて濃くなったような跡が。
……まさか?
「天井に手の平か足の裏を押し付けて懸垂運動、を……?」
「自分で調整出来る全身運動だからな。足の時は重りを持つが」
「……何故、特殊部隊の鍛錬をしているのですか」
「知っているのか」
「話に聞いただけですが」
「そうか、まあ。その通り特殊部隊員の鍛錬方法の一つを実践しているだけだ、本物の特殊部隊員ほどではないがな。本物は海上で揺れる船の中で同じことをやってのける」
「……実物を見たことが?」
「ああ、船上を模した部屋の中でな。見た当時のオレには出来なかったが。揺れない陸の上とはいえど、体が出来上がるとできるようになるものだな」
「そう、ですか?」
窪みもない天井に手の平か足の裏だけでぶら下がることに信じられず、声が震えているのを自覚する。
そういった特殊な訓練が実在すると読んだことが無ければ信じられなかっただろう。
突っ込みたかったのは、高校生が特殊部隊の鍛錬をしていることなのだが、綾小路が日常だと受け止めているなら何も言うまい。ホワイトルームにはある種の呆れを感じるが。
「あっ」
「どうかしたのか?」
「……いえ、何でもありません」
肉体を観察してさ迷う視線が、つい先程寝ていた時に残した自らの手形にいき思わず声が出てしまった。
無意識下のそれは、一目で分かるほどに綾小路の体を自分に擦り付けさせようと求めて食い込ませた痕を残していたから。
「~~~」
抱き枕を使わなければ気持ちよく寝れない自分の子供っぽさと、寝ながら綾小路を求めた自らのフシダラな想いを、刻み込まれた痕が突き付けてくる肉体から思わず目をそらしてしまう。
「有栖、見ないで大丈夫なのか」
「い、今なん──」
そんな自分の想いを貫く突然の奇襲に面を上げると、首筋。眠りながらでも綾小路を欲した証である手形の後が色濃く残る首の裏が視界に映り、全身が紅潮するのを自覚する。
「こういう事をしているのに何時までも苗字呼びは他人行儀過ぎるだろう」
違うか、とごく自然に語りかけてくる綾小路。
綾小路くんに名前を呼ばれた。
綾小路くんに名前を呼ばれた。
有栖。有栖。ありす。ありす。頭の中でエコーが響き渡る。
……未だ冷静な頭の一部は綾小路くんの策だと絶叫するが、それ以外の部分は策で良い、このまま体を委ねたいとさえ願う。
なんて愚かしい願いだろう。それでは愚かな女ではないか。
何とか切り返さなければ。
そうしようとしても言葉が出なかった。
「あ……っ──」
返答しようとする自分が、どれだけ紅潮してふにゃりと蕩けた顔をしているかが見なくても分かる。
こんな顔見せられない、建て直さなければ。と頭によぎると同時に一瞬の浮遊感を感じ視界の変化に目を白黒させる。
ぺたりと尻に感じる温かく筋張った綾小路の足を感じる。
「あ……」
ベッドの上でくるりと回って自分をその腿の上に置いた綾小路くんの手が自らの豊かな両頬に添えられ視線の先を固定された。
目元だけでなく顔中を真っ赤にして愛おしげに蕩けきった表情を浮かべる、自分のものとは思えない顔が映る綾小路君の瞳に固定された。
「有栖」
「……はい」
「表情が華やかになったな」
名前を呼ばれた瞬間、綾小路くんが言う通り表情が華やかになり、 知性の欠片もない声が、さらに紅潮した口先から漏れる。
見られた。こんな顔を綾小路くんに、目を愉しげに細める綾小路くんに。
「なるほどな。お前を表するときに使うのは、美しいより可愛いだな」
さわさわと綾小路くんの瞳に映る私の頬が撫でられる。
綾小路くんの膝の上で、乱れた着衣ですがり付く私の頬が撫でられて、顔がもっと熱くなって蕩けていく。私の腿に鍛え上げられた綾小路くんの足が食い込むようになって熱を伝えてくる。
「……そんな、言葉を、いったい何人に囁いているのでしょうね」
その熱が恥ずかしくて愛おしい。
「何人目だと思う」
「女の口からそんなことを言わせるなんて悪い人ですね」
だから、恥ずかしいのに綾小路くんの瞳から目が離せない。
「まぁ、過去の詮索をしても面白いものではありませんし、──「お前だけだ」っ」
「少なくともこの瞬間、お前だけを可愛いと思っている」
自分の観察力をもってしても臆面もなく可愛いと言っている。その事に裏がないと分かってしまったから
一瞬の自失。自分ではそのつもりだった。
だが、違った。
火照った素肌に風を感じ、胸元を見る。
制服の上着が脱がされシャツブラウス一枚になってしまっていた。
「ゃ……」
上着がいつの間に腕から抜き取られたのかさえ分からない。あまりのことに上半身を隠すように腕を巻き付ける。
持ったままのハンカチの冷たさがシャツ越しに火照った体を冷やし、自失から意識がハッキリしたものにする。
「こんなに可愛らしい表情を浮かべていると、やっぱり可愛いとしか言えないな」
「~~~~っ」
意識がはっきりした瞬間止めを刺され、真っ赤になってうつむいてしまう。チラチラと薄着になった坂柳は上目遣いで綾小路を見つめ、このまま引き込まれるように
(ダメです)
ふにゃりと蕩けていた表情を引き締め理性を取り戻す。
今までのは奇襲に次ぐ奇襲だったのだ。試されている私は。
意識してハンカチを握る手に力を入れて、意識に活を。
「薬だ、飲んでくれ」
意識の隙間を縫うように、綾小路の右手が自分の肩に当たるように乗せられたことに気づいた。ほっそりした肩が大きな手につかまれる。
そのまま綾小路の顔が近づいてくる。
それが何を意味しているのか分からないわけではない。だが、直前に発せられた言葉が坂柳の脳裏に空白の隙間を生んだ。
え? 薬? 抱き寄せずに? 顔近づけて?
「え……んむ」
隙間を抜くように唇に押し付けられた綾小路の唇。意外に柔らかな感触が唇に重なる。肩に置かれた綾小路の右手が自分を逃がさないように.後頭部に回された
口づけされている。初めて、
そこまでされて今自分が初めて異性とキスをしていることに気づく。
味わうように唇をなぞる生暖かいモノは舌か? 真っ白になった頭。いやではない抵抗もない。自然と開いてしまう唇は綾小路を迎え入れてしまう。
「んった…………あむっ」
ぬるりとした生暖かいものが舌だとわかる。差し込まれる舌が滑らかに自分の舌を絡み取る。
ただ唇と唇を重ね合わせるのではない、キス。知識としては知っていたそれは、何とも言い難くて、ただ力が抜けて、全身にしびれるような喜びを与えてくれた。
「んっ……んんっ!?」
のどに何かが押し込まれる感触に、坂柳の脳裏は灼熱して目を白黒させてしまう
抵抗さえ出来ずに嚥下する。
「ぷはっな、なにを……」
「避妊薬だ」
「っ……」
端的な言葉に自分が何を飲んだのか理解し、これから性交するのだとより強く痛感させられる。
意識に活を入れるどころか、緊張や恐怖ではない何かの感情に小刻みに体が震える。
何をするべきか全く浮かばない意識の空白。
それでも、自分がキスされたということだけは認識する。薬を飲ませるためなど、キスとカウントしたくない口付けをされたのだと。離れた綾小路の唇と自分の唇をつなぐ唾液の橋を見ながら理解する。
混乱したままの思考回路。何らかの感情に阻まれ、冷静になろうとしてもなれない衝動は怒りへと結びついた。
「本当にかわいいな」
そして、あまりのことに鋭くなった視線を受け止めた綾小路が前後関係もないつぶやきをするだけで、怒りが霧散してしまった。
そのまま今度は抱き寄せられながら顔が近づいてくる。引き締まった広く熱い胸板。背中と首の裏に回された綾小路の両手。目を閉じずまっすぐに見つけてくる綾小路のまなざし。自分を可愛いと本心から思ってくれている眼差し。
(ずるい。これでは、怒れないではないですか)
脳裏が熱くなる。鍛え上げられた肉体に抱擁され、全身が女の本能に染まり、ただ男の肉体に包まれることを望む。もとからそんな距離がなかったのに、互いの吐息がかかる距離だと認識するだけで熱にとろけてしまう。
「ちゃんと」
「ん?」
「今から、ちゃんと、キスしてください……」
だから、冷静になろうとしても唇が勝手に動いて、こんな愚かしく衝動的なことを発してしまう。
キスをして何か違うと思ったから別れたと言っていたクラスメイトの話など参考にならない。
だって、こんなにもキスがしたくてたまらない。綾小路くんの温もりを感じたい。
欲していたものが埋まったようだ。それが恥ずかしくてうれしくてたまらない。が、それは自分の奥底から湧き上がる何かの感情ではない。
羞恥と闘いながらどいこか陶然とした坂柳が魅力的な唇を震わせると、綾小路はゆっくりと──
「言い忘れていた」
「何ですか」
「実は、前覆いかぶさった時にそのままことに及ぶかを迷っていたんだ。あの時、十秒で離したのはそれ以上長くお前を捕まえていたら我慢できなかっただけだ」
ああ、本当に綾小路君はずるくて意地悪だ。寝起きで覆いかぶさるわ。背中を拭かせるわ。口付けしながら避妊薬を飲ませるわ。想定通りのことを何もしてくれないのに。
「……私も」
「ん?」
「私も、そのままことに及ばれてもいいと思っていました」
そんなことを言われては、こう答えて抱き縋るしかないではないか。理性も冷静もなく衝動しかない愚かな女になるしかないじゃないか。でも、悪くありません。
「そうか」
「ええ」
「さっきの特別授業は取り消す。だから──」
何かの感情を、自分の愚かさを受け入れた笑みを浮かべて、そっと、綾小路くんの言葉を指で止める。
「はい、勝ち負けとかそういうのは無しでしましょう、清隆くん……あっ」
──初めて自分の名を読んだ少女と唇を重ねた