対魔忍RPGより -愛と復讐を籠めて- 作:対魔忍Receive
災禍に人としてダメにされながら、俺はこの先の未来がどうなるかを悩んでいた。
なんで災禍にダメにされたかというとそれはもう簡単なことだった。
朝起きれば着替えを手伝ってくれる
朝食は食べさせてくれるし、昼食も、夕食もそれは変わらない。
昼時に眠気を感じ眼を擦れば、気づけば敷かれている布団。
更には希望すれば災禍に膝枕もしてもらえるのである。
極めつけには入浴の際に、災禍に背中を流してもらえるというまさに至れり尽くせりの現状。
最後は、着替えを手伝ってもらって就寝。
こんな日が数ヶ月続いたのである。
これはダメにされて当たり前である。
ここまでされてダメにされない男がいないわけがない。
災禍に膝枕されながら耳かきされたり、膝の上に座りながらの入浴は最高でした。
何故入浴の時に膝の上に座るか。
その理由は簡単である。
皆が想像している以上に俺のこの身体は、年齢は幼いのだ。
そのため、この屋敷の湯船に俺が浸かった場合次のようなことが起きる。
顔を出すために、俺は終始立つ。
冗談でもなんでもなく、立たねばならなくなるのだ。
しかも湯舟にそのまま入れば立っても水面から顔が出ないため、湯舟の浅瀬になんとか立って入ることができる程度だった。
この身体で暮らし始めてから終ぞ幼いと思っていたこの身体。
10歳以下かも、5歳以下かもなどと気になっていたが、最近判明した事実がある。
世話人たちの話を盗み聞きしたが、どうやらあのふうま小太郎と俺の年齢は然程変わらないらしい。
思い出してみてほしい。
対魔忍RPGのメインストーリーにて、ふうまの反乱の場面が過去の回想として語られたことがある。
あのときの時子は俺たちが知っていた姿よりも、かなり幼い姿ではなかっただろうか。
さらにはふうま小太郎はそれ以上に幼く、骸佐に至っては舌っ足らずの幼子である。
そして、ストーリーでは時子、小太郎の当時の年齢も語られていた。
ここではその年齢をあえて語らないが、まだふうまの反乱は起きていない。
つまり……この身体は俺の年齢は三歳以下である可能性が高い。
そんな幼子が湯舟に浸かったら何が起きるなんて最早明白だ。
湯船に立ってようやく顔が出て呼吸ができるレベルだ。
下手したら何かの拍子に転んで気づけば溺死、なんて笑えないことも起きる。
屋敷の風呂が思ったよりもかなり広く、そして深いのも相まった結果。
俺は日々の入浴の際に、毎度災禍の膝の上に座らなければ、満足に入浴すらできないでいた。
俺も日本人である以上、風呂にのんびりと使って心行くまで楽しみたい。
楽しみたいが、常に一歩踏み外せばあの世逝きという死が隣り合わせの状況。
そんな状況で楽しめるわけがない。
俺が入浴するのに合わせて災禍も入浴するため興奮するのも事実。
勃たないが。
入浴している間はあの災禍の柔らかな身体に背中を預け、豊満な胸に頭を挟まれるのである。
健全な男として興奮しないわけがない。
勃たないが。
災禍に腰に手を回され抱きしめられながら、時折パシャパシャと湯をかけ流してもらいながら。
そんな普通では考えられないような贅沢なひと時を湯舟で過ごすのだ。
勃たないが。
哀しいかな。
俺の身体は精通もしていない幼子。
いくら興奮しようとも、発散することすらできない生殺しの状態。
というか精通どころの話ではなく、本当に災禍の介助無しでは俺は一人でお風呂に入ることすらできないでいた。
災禍がいない状態で風呂に入れるか脳内シミュレーションを何度かしたが、8割近くが三途の川を渡っていた。
せめて目が見えればいくらか六文銭の貯金も減ろうというもの。
さて、話を戻そう。
先日ふうま弾正がふうま八将に対して行った俺のお披露目によって、俺の正体が判明した。
そこで判明したのは、俺はふうま弾正の実子であるということだ。
正確にはこの身体の本来の持ち主は、だが。
つまり俺はふうまの跡取りなのだ。
さらには主人公であるふうま小太郎も生まれていることもわかった。
原作通り、ふうま小太郎には未来のふうまを任せるという宣言も行われた。
ここで今問題になってくるのは、この先ほぼ確実に起こるであろうふうまの反乱だ。
対魔忍アサギ決戦アリーナでは、ふうまの反乱は、長いのでこれからは略して決戦アリーナと言うことにする。
もっと略したものもあるがあれはわかりにくい人もいるだろうからこの程度だ。
決戦アリーナでのふうまの反乱は、失敗に終わっている。
この失敗が元でふうま小太郎の父親である当主ふうま弾正は米連へと落ち延び、その後米連を隠れ蓑に暗躍することになる。
対魔忍RPGでのふうまの反乱も、失敗に終わるのは同様だ。
しかし、決定的に違うところがある。
それは対魔忍RPGではふうま弾正が反乱の際に討ち死にしたことだ。
ふうま弾正が討ち死にしたことで統率を欠いたふうま忍軍は、ふうまの屋敷にまで追手を許してしまう。
その追手により、ふうま小太郎はその命を狙われることになる。
結果としてはふうま時子が率いるふうま忍軍は、その僅かな戦力をすり減らしながらもなんとか追手を跳ね除ることに成功する。
生き延びた小太郎と時子は五車学園にいた井河アサギに保護されることで哀しい逃走を終えたのだった。
これが、ゲーム中にふうまの見ていた夢として語られた回想の中身である。
ふうまの反乱の際に起きたふうま小太郎と時子の哀しい逃走劇。
己の命を賭して小太郎と時子の逃げる道を、未来を作り出さんとする名も無き対魔忍たちの物語でもあったその回想。
その回想を見たとき、争いとは無縁の社会に生きている俺も胸が熱くなったものである。
まさか俺の未来に起こる物語になるとは思ってもみなかったが。
そう、俺が悩んでいたこと。
それは、この先ほぼ確実に起こりうるであろうふうまの反乱である。
ふうま弾正やふうま八将が話していた内容からして俺やふうま小太郎はまだ三歳未満である可能性が高い。
だが、俺がこうして話の内容を理解できるくらいには育っていること。
そして、俺が不気味だと思われていた原因の一つである深夜徘徊ができるくらいには、俺の体つきはしっかりしているのだ。
つまり、これだけ身体が育っている以上、自分の誕生日がわからないにしても三歳などすぐくることはわかるのである。
三歳になってからどれだけの時間を経て、ふうまの反乱が起きるのかはわからない。
しかし、そう遠くない未来に、俺の運命を決めるであろう反乱は起きるのだ。
その時、俺は小太郎や時子と同じように、反乱を生き延びることができるのだろうか。
「若様の執事を務めさせていただきます。 ふうま天音でございます。 これより先、天音は常に若様と共にあります」
三歳の誕生日はすぐ訪れる。
そう思っていた俺がいました。
そんな俺がいたのは昨日でした。
今日は俺の誕生日。
そう災禍から祝われた俺の目の前に現れたのは、まさかのふうま天音であった。
ふうま 天音
その名は決戦アリーナをプレイしたことのあるお館様には、苦い記憶として残っているだろう。
幼き頃より開眼した邪眼「動転輪」。
物理的なエネルギーを吸収したり、吸収したエネルギーを放出したりすることができる強力な邪眼である。
単純に投擲されるクナイや銃弾のみならず、過去には軍用艦クラスの動力部の爆発に巻き込まれても無傷で生還できるほどの力を持っている。
天音はこの邪眼の存在によってその運命を振り回されることとなった少女である。
幼い天音が常に身を置くこととなったのは平和な日常ではなく、血と汗と、銃弾、砲弾が飛び交う戦場であった。
多感な子供の頃、遊びたい盛りの子供が身を置くにはあまりにも辛すぎる環境である。
目の前で儚く散る命。
蝋燭に灯る火が人の息に吹き消されるように、あっさりと人の命が消える環境で、天音は幼い少女時代を過ごした。
普通であれば、あまりの辛さから現実から目を背けるだろう。
普通であれば、幼いながらに多感な心を閉ざしてしまってもおかしくはないだろう。
普通であれば。
だが、ふうま天音にとっては、この戦場に身を置き、主のために戦果を上げることこそが何よりの喜びであった。
実の父親であるふうま権正に恐れ疎んじられていた天音の強さに惚れ込んだ者。
その者こそが彼女の運命を大きく変えることとなった原因である。
彼女が主と仰ぐ唯一の者。
その者の名はふうま弾正。
ふうま権正から彼女を引き取った弾正は歪んだ愛情によって天音を忠実な戦闘マシーンとして育て上げる。
これに対し、実の父親に疎まれていた反動からか、自分を認めてくれた弾正に心酔した天音はその愛情を一身に受けて育ち、依存とも言える忠誠を捧げた。
ふうま弾正が反乱を起こした際、反乱に失敗し米連側へ渡った際にも弾正の側を片時も離れることなく、その後を追った。
さらにはふうま弾正がふうま小太郎により討たれた後は、ふうまを激しく恨み、必ず仇を討つと付け狙う。
同じくふうま弾正に仕えていた秘書ふうま災禍とは異なり、決戦アリーナではこれといった決着がつなかいまま本作が終了しているため、その後がどうなったのかは不明である。
ふうま天音は幼いながらも幾多の戦場に投入された歴戦の猛者である。
幾多の戦場から生還してなお綺麗な身体が、彼女の実力を物語る。
知略に優れ、難しい組織運用を難なくこなし、さらには様々な戦場を駆け抜けて積み重ねた経験と勘。
持って生まれた高い身体能力によって対魔忍世界において上位に位置する戦闘能力の持ち主である。
忠誠心の高さは類を見ないほどで、ふうま弾正の実の息子。
ふうまに対し「たとえご子息であろうと弾正様の障害となれば虫ケラ、芥の類となんら変わりません。」と断言する程。
この台詞は多くのお館様に衝撃を与えた。
見方を変えればとてもできた臣下だろう。
さて、ここまでで目の前にいるであろうふうま天音の紹介を終えよう。
姿は見えないながらも、はっきりとそこにいると主張するほどの存在感を放つ少女。
ふうま天音が、俺の前にいた。
なお、天音のこの説明はあくまで決戦アリーナでの話である。
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
今年もふうま君の皆様、共に良いふうま君ライフを過ごしましょう。
健康は第一!