彼は転生者だ。
頭のおかしなことを言っていると思われるだろうが、彼自身それ以外に現状を納得させる理由が他になかった。
「朱璃。よく頑張った。男の子だぞ」
「ええ、あなた………………」
視界に入るのは父親である強面の男性と朱璃と呼ばれた黒髪の綺麗な女性。
中学生だった筈の彼が赤ん坊になっている現状に転生以外でどう納得しろというのだ。
彼は物心ついた頃から両親から虐待されながら育った。何かあれば殴られ、何もなくても蹴られる。愛情の一欠けらもなく育ち、終には学校の屋上から飛び降りて自殺した。
そして気が付いたら赤ん坊になっていた。
どういうわけかはわからない。だけど、一つだけ確かなものがある。
この二人なら自分を愛してくれる。
二人の幸せそうな顔を見て、そう思った彼は眠りについた。
それから五年後。
彼は
「火月! 遊ぼ!」
「うん、姉さま」
家の庭で姉と弟で仲良く遊ぶ二人の子供達の姿を朱璃は微笑ましくも見守る。
「今、帰った」
「「父さま!」」
父親であるバラキエルの帰宅に姉と共に駆け寄る火月は今の生活が幸せでいっぱいだった。
前世とは違う。両親はきちんと愛情を与えてくれる。姉である朱乃も弟思いのいい人だった。
火月は思った。
きっと神様がこの二人の子供にしてくれた。もし、そうなら火月は心から神様に感謝する。そしてできればこの生活がずっと続いて欲しいと火月は心から願った。
しかし、その願いは届かなかった。
火月が九歳の頃、父親の帰りを母と姉で待っている時に家に術者らしき者達が押し寄せてきた。
部屋の中を荒らされ、姉と共に母親の背に隠された火月。
何がどうなっているのか、理解も追いつかないなかで、術者の一人がこう口にした。
「その子らを渡してもらおう。忌々しき邪悪な黒き天使の子らなのだ」
その言葉の意味は理解できた。
自分は純粋な人間ではない。堕天使と呼ばれる堕ちた天使と人間との間に産まれた子供。
この世界は前世とは違って、天使、堕天使、悪魔といった存在が実在している世界だということは知っている。
そして父親であるバラキエルは術者が言う黒き天使、堕天使だ。
「この子達は渡しません! この子達は大切な私の子供です! そして、あの人の大切で大事な子達! 絶対に! 絶対に渡しません!」
朱璃は叫んだ。
我が子を守らんと二人を庇うように。
―――やめて。
―――やっと、やっと手に入れた本当の家族なんだ。
―――前世とは違う。こんな自分にも優しくしてくれる大切な家族なんだ。
縋るように彼は願った。
これ以上壊さないで、と。
これ以上手を出さないで、と。
母親を殺さないで、と。
――――だが。
「……………貴様も黒き天使に心を穢されてしまったようだ。致し方あるまい」
術者が刀を抜き放ち、斬りかかった。
「母さまぁぁぁぁぁぁっ!」
朱乃は叫んだ。
火月は啞然とした。
ゆっくりと横たわる母親、泣き叫ぶ姉、母親の血が部屋に飛び散る。
――――どうして?
――――どうして母さまが殺されないといけない?
――――ただ、普通に生活したかっただけなのに。
――――ただ、今の生活が続いて欲しかっただけなのに。
――――いったい、僕達が何をした?
――――堕天使の血が流れていることがそんなにも許されないのか?
―――そんな事の為に俺達から母さまを奪ったのか?
「………………………………ぃ」
泣け叫ぶ朱乃を置いて火月は立ち上がる。
「許さない!!」
その双眸から涙を流しながら彼は背中から黒き翼を展開させて怒りを露にする。
刹那、彼の両足に膝上まで覆った砂色のメタルブーツが装着された。
「
術者の誰かがそう言った。
半分人間の血を引いている為にその力が火月に宿っていた。
『やっとお目覚めか』
火月は自分の中から誰かが声をかけている事に気付いた。
―――誰?
『俺か? 俺は地殻龍アルドエイク。アルドでいいぜ? お前さんに宿るドラゴンだ。と、今は話している余裕はねぇな』
アルドエイクと名乗るドラゴンの言葉に火月は再び意識を前に向けると、術者たちが刀を抜いて警戒している。
――――ああ、そうだな。アルド、母さまの仇を取る為に力を貸してくれ
『いいぜ。それがお前さんの望みなら存分に俺の力を使え!』
頭の中に流れ込んでくるアルドの力と共に火月は跳ぶ。
バラキエルは急いで妻と子供達がいる家に向かっていた。
仕事を終わらせて自宅に異変を感じ取ったバラキエルは妻と子供達の無事を祈りながら全速力で翼を羽ばたかせる。
そして見えてきた見慣れた自分の家。あと少し、と思った矢先に家の中から扉を壊して飛び出してきた。
地面へ着陸と同時にバラキエルはそれを見て目を見開いた。
それは姫島家の者の術者。だが、それはもう死んでいた。
何が起きた、とバラキエルは家の中に駆け寄る。するとそこは朱色に染められていた。
床も、壁も、天井も全てが朱。
部屋の奥には血塗れで横たわっている自分の妻と妻にしがみついている娘である朱乃。
そしてその中央には全身を血で塗れた息子の姿。
「火月………………………」
戦慄する。
まだ九歳となったばかりの子供が姫島家の術者を全て殺していた。
その足には
妻の遺体と状況を見て火月の中で眠っていた
なんて声をかければいいのか、そう悩むなか。火月が口を開いた。
「………………………………なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでどうして!! どうして俺は…………………ッ! 俺は………………………ッ!!」
悔やむように、憎むように、恨むように、火月は床を殴る。
血で汚れた床に透明の液体が落ちる。
「母さま…………………ごめんなさい、ごめんなさい………………………」
命をかけて自分と姉を守ってくれた母親に向けて謝罪を口にする。
優しく、温かく、愛情を与えてくれた母親を守れなかった。
最後の最後まで自分達を愛してくれた人を守れなかった。
仇を取ることしか、謝ることしかできない彼を朱乃が抱きしめた。
「…………………火月、ありがとう。母さまの仇を取ってくれて、私を守ってくれて………………………」
朱乃は自分の手を汚してまで母の仇を取り、姉である自分の命を守ってくれた大事な大事な弟に感謝の言葉を口にする。
「う、うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
大声を上げながら姉の胸の中で泣き叫ぶ弟の頭を朱乃は何度も何度も撫でながら自分も涙を流す。
「………………………………」
バラキエルはそんな二人をただ見守ることしかできなかった。
火月は後に自分達がどういう存在なのかを知った。
五大宗家の一つ、『姫島』は火之迦具土神と、その系統に属する神々を信仰している。その為、一族の者は大抵火に関する異能を発現している。
だが、姫島家は火の加護を得ない者に対して、追放を強いるケースが非常に多い。
特に朱乃と火月は出自が異質であり、姫島の上役たちにとっては汚点に等しい。
だから二人を殺そうし、朱璃は死んだ。
「………………………………父さま」
「どうした?」
朱乃が泣きつかれて寝入っている時に火月は父親に頭を下げた。
「姉さまと一緒にこの家を出ます」
「………………………………そうか」
バラキエルはそれ以上は何も言わなかった。
理解しているからだ。自分がこれ以上二人にしてやれることはないということを。
朱乃は今回の一件で堕天使を、父親を嫌悪している。
だからバラキエルは一緒にはいられない。
「これから、どうするつもりだ?」
火月は朱乃以上に賢い子だ。何も考えずにそんなことを口走ったとは思えない。
「姉さまと一緒に逃げて、どこか自分達を保護してくれる人を探します」
それは難しいことだろう。朱乃と火月を狙う者は姫島家だけではない。教会や悪魔にだって狙われる可能性が高い。
「………………………………そうか」
それでも、無理、と口に出す資格はないバラキエルはただそう返答するしかなかった。
火月は手早く旅支度を整えて朱乃を背負い、もう一度父親に頭を下げる。
「父さま、またどこかで」
「……………………ああ」
父親に背を向けて歩き始める息子と娘を見据えながらバラキエルはポツリ、と。
「すまん、火月。朱乃を頼む………………………」
息子に謝罪と娘を任せた。
朱乃のように恨み言を言ってもいいのに火月は最後まで自分のことを父親として見てくれた。
それが嬉しくもあり、同時に悲しくもあった。