「よし、そろそろ行くかな」
すっかり体調も良くなって迎えた土曜日。今朝は一悶着あったものの、私は街へ繰り出すべく一人駐輪場へと向かっていく。格好はまだ夏の暑さも猛威を奮っているというのに長丈で厚めの生地の服を着ているが、これからすることを考えると仕方ない。暑いことは暑いが。
「とりあえず、お土産買ってから風蘭に行って……」
「天都君」
そうして、予定を確かめながら、自身ともう二年の付き合いになる愛車の前に立った瞬間、私の背後から声をかける影が一人。振り向かずとも茉優と分かるが、その声に釣られて私は身体ごと振り返った。
「茉優、どうしたの?」
「えっと……今日はアタシも着いて行っていい?」
確認を取る言葉ではあるが、私が見るに、既に茉優の中では着いて行くことが確定しているらしい。着ている服はいつものようにスカートではなく、少しタイトなスラックスを履いていて、私があげたヘルメットも持ってきていたからだ。
「いいよ、後ろに乗って」
「うん」
私としても断る理由はないので、私はタンデムシートを軽く叩いて、茉優に乗車を促す。妙に嬉しげに笑う彼女は、それを受けてぱたぱたとこちらに小走りで近付いてきた。
「しっかり捕まっててね」
「分かってるっ」
二人ヘルメットを被り、バイクに跨る。それから、何度となく繰り返した言葉を茉優にかけた。彼女も何度となく返した言葉を口にして、私の身体に回す腕の力を強くしていく。そして、鳥のさえずりが聞こえるような学院に唸るような重低音が響き渡った。
もはや顔パスになった──そもそも、通常は交通の利便性が高い此処で、バイクを使っているような人間は私しかいない──守衛室の前を通り過ぎて、私たちは風になっていく。目的地は風蘭児童学園だ。
「あら、いらっしゃい天都君。茉優ちゃんは久しぶりねぇ」
「こんにちは、学園長」
「ご無沙汰してます」
途中、子供たちが大好きなお菓子──今日はシュークリーム──を買ってから風蘭に辿り着くと、ちょうど外で掃除をしていた園長と鉢合わせた。私たちを見つけた彼女は嬉しそうに笑い、私も茉優もそれに釣られて笑顔を浮かべる。
「皆待ってるわ。早く行ってあげて?」
挨拶もそこそこに、園長は私たちを学園の中へと促してきた。私はそれに頷き、二週間ぶりの風蘭へと足を踏み入れる。
「ねぇ、皆の様子はどんな感じ?」
「ん? ん~……そうだなぁ、相変わらず皆元気だよ。ほら」
道すがら、茉優は久しぶりに訪れた此処の様子を尋ねてきた。私はその問いに数瞬考えてから、率直な感想を述べる。現に、遠くからでも元気に遊ぶ子供たちの声が聞こえてきた。木霊する笑い声を聞いて茉優は納得顔だ。
「あっ、天都お兄ちゃんだ!」
「こんにちは」
声を頼りに皆の所に行くと早速見つかってしまった。私が挨拶をすると幾重にも重なる元気な挨拶が空気を震わせる。
「茉優お姉ちゃんもこんにちは」
「ふふ、こんにちは」
後ろにいた茉優にも気が付いた子供たちは、もう一度大きな声を響かせた。うむ、今日も皆元気で優しい良い子たちだ。
「はい、これお土産。皆の分あるから喧嘩しないで食べてね」
「わ、ありがとうっ」
茉優の方にも子供が向かうのを見て、一先ずこの場で一番年長の子にシュークリームの箱を渡すと、その子はぱぁっと顔を輝かせてから走っていく。恐らく、冷蔵庫に入れに行ったのだろう。この時間に間食はお昼が入らなくなるだろうし。
「さて、じゃあ皆何して遊ぼうか」
そして、うずうずとした様子の子供たちに向けて私が口にすると、子供たちは湧き立つように一斉に声を上げた。もうすっかり見慣れた光景に、私は自然と笑みを零す。
「暁君が?」
「はい、先日橘花に編入してきまして」
十分に子供たちと遊んでから茉優と共に帰る時、ふと思い出したことを見送りに来た園長に伝えた。すると、彼女は予想通りの反応を返してくれる。その意外そうな表情は、私も数日前に浮かべた記憶があるものだ。
「元気にしてた?」
「えぇ、カッコイイ男の子に育ってましたよ」
重なる質問に、私はしばらく会っていなかった弟が知らぬ間に成長していたのを喜ぶ声でそれを伝える。別れる前は私の方が高かったのに、今ではすっかり抜かされてしまったなぁ。
「それに、良い出会いもあったみたいです」
「……そう、それは良かった」
それから、一番伝えるべきことを園長に伝えると、彼女は心の底から安心したような笑みを浮かべた。私がそうであったように、彼女もまた暁君のことを心配していたのだ。新しい家族とは上手くいっているのか。それはこういう場所では何度も思うことだろう。
「それでは、私たちはこれで」
「今日もありがとうね。茉優ちゃんもいつでもおいで」
「はい、次も天都君と一緒に」
暁君のことと、世間話を少ししてから、私たちは風蘭を後にする。まぁ、また二週間後には来ることになるのだが。
「久しぶりに来たけど、パワフルだったね……」
「あはは、いつもそうだったじゃないか」
気持ち猫背になった茉優が疲れた声でそう零す。その表情からは明らかな疲労の色が見て取れた。
茉優と二人であの人数を相手したわけだし、そりゃ疲れもするか。茉優の方は久しぶりだったからというのもあるだろうが。尤も、普段は私一人で来るので、その疲労は倍である。私にとってはそれさえも癒しだけども。
「そういえば、今日は何で着いてきたの?」
「へ?」
珍しいなとは思いつつも聞きそびれていたことを、バイクの前に辿り着いたタイミングで、私は茉優に問う。まさか今のタイミングで聞かれるとは思ってなかったのか、茉優は間の抜けた声を駐輪場に響かせた。
「…………その、天都君が側にいないと不安で……」
気まずそうに一瞬顔を伏し、こちらに控えめな視線を向けながら、茉優は消え入りそうな声を零す。小さくて、然れどはっきりと聞こえたそれごと私は茉優を抱きしめた。彼女の不安気な表情は、先の一件が原因で私がさせたものだから。
「ん……っ」
突如無言で行われるそれに、茉優は安堵の息を私の腕の中で漏らす。やがて、甘えるように彼女は腕を私の背中に回すと、安心を深めるために深呼吸を繰り返した。
「安心した?」
「うん、ありがと……」
五分ほど茉優の頭を撫でながら過ごして、どちらからともなく離れていく。再び映った茉優の顔は、あやす前よりは幾分かスッキリしたように見えた。
「久しぶりに二人で何処か行こうか。ちょうどそろそろお昼だし」
「あ、それならサイドモールに行きたいかな」
にこりと微笑んでから、私はいつもの調子に戻った茉優にそう提案する。それに乗っかった茉優は、ここから近い場所の名前を挙げた。鷲逗サイドモール。あそこなら大抵の物が揃っているし、ちょうどいいか。
「よし、じゃあ乗って」
「はぁい」
行く先が決まったなら止まっている理由もない。すぐにまた来た時と同じように茉優とバイクに二人乗りすると、私たちは風蘭から出発するのであった。
「天都君天都君、あれ……」
「ん? ……あぁ、暁君たちか」
時間をかけることなく目的地まで到着して、フードコートまで向かう途中、私たちは見覚えのある一団を発見する。そういえば、暁君たちは来週の体育に備えて水着を買いに行くと言っていたような。楽し気な雰囲気で彼らが会話の華を咲かせる様子を見て、私は昨夜恭平君から聞いた話をぼんやり思い返していた。
「あっ、紀先輩、式部先輩!」
「え? あ、本当だ」
そして、こちらが何かアクションをかけるよりも早く、壬生さんと恭平君が気付いて声を上げる。それを呼び水に皆も気付いたようで、様々な視線が一斉に向けられた。ここで挨拶だけというのも味気ないので、私たちは彼らに合流するように歩を進める。……茉優は在原さんから向けられるそれに怯えながら。
そういえば、注意しようと決意した夜にあんなことがあったので、すっかりその話を忘れてしまっていたな。
「水着は買えたかい?」
「あ、あぁ、一応男の……俺の分のは買い終わったよ」
そんなわけで、意識を暁君の方に移して話しかけると、彼はぎこちないながらも、堅苦しい言葉を取っ払ってそう答えてくれた。風蘭からの帰りなのもあって、何だか余計に昔の彼を思い出してしまうようだ。
「そういう先輩たちはどうしてここに? 二人きりってことは、もしかしてデートですか?」
あらかじめ予定を立てていた彼らとは違い、私たちのそれは完全に突発的な行動だ。故に、事情を知らない壬生さんが私と茉優の横合いからそんな言葉を投げかけてくる。その瞳は気持ち輝いて見えるような気がした。
「デ……っ!? そ、そんなに色気のあるものじゃないよ壬生さんっ」
「うん、今日はちょっと私の用事を手伝ってもらってたんだ。ここはその帰りに昼食を食べるために寄っただけだよ」
その期待が込められた問いに対して、私たちは一緒になってそれを否定する。花の女子高生が大いに興味を抱きそうな話題ではあるが、残念ながら私たちではその期待に応えられそうにはない。
「用事ですか?」
「今日は風蘭、あー……私が入所してた児童施設まで顔出しに行っててね」
ここの近くにあるんだ、と疑問を呈する三司さんの声に私は答える。私たちが児童施設育ちなのは別に隠していることでもない──橘花にはアストラル使いが多い都合上、そういった環境の子も多い──ので、皆も少々違いはあれど概ね納得顔だ。
「それより、買い物は続けなくていいのかい?」
「あぁっ、そうでした。まだワタシたちの水着を買っていませんでした」
まぁ、それはそれとして、立ち話なら今でなくともできる。今は、まだ終えていないという女性陣の買い物を済ませてしまうべきだろう。そう思って私が声をかけると、二条院さんが忘れていたと言わんばかりに声を上げてからぞろぞろと売り場を移っていく。
話の流れで完全に着いて行く感じになってしまったが、特に昼食以外に用もないので問題はないか。そんな風に内心で思いつつ、私は茉優と視線を交わしてから皆の後を着いて行った。
「ふふ、賑やかだねぇ」
ああでもないこうでもないと、ファッション議論を交わす四人の下級生を眺めて、茉優は一人笑いながらそう零す。
あれから、女性用水着売り場まで移動した私たちは各々で行動を開始することとなった。まず、水着を新調する三司さん、二条院さん、在原さんが売り場で水着を探し始め、壬生さんが彼女たちのサポートをするべく奔走している。そんな四人を遠巻きに観察して、世間話に花を咲かせているのは私と茉優と暁君の風蘭トリオだ。恭平君は空腹に限界が訪れたようで、何か軽食を食べに行って今はこの場にはいない。
「しき……茉優先輩は水着は買わないのか?」
「えー……アタシはいいよ。あそこのピチピチギャルたちに混ざる勇気もないし……」
そんな中、こちらに一人残る女性である茉優が気になるのか、暁君はそんなことを口走る。案の定、周りとの年齢差を気にする茉優はどんよりと落ち込んでいった。死語を使っている辺り完全に自殺点を決めているような気もするが。そもそも、私たち世代の言葉でもない。
それにしても、暁君は茉優には普通にその感じでいけるんだね。ここまで歩いて移動している途中、彼が私に昔の感じで話しているのを見て茉優も自分に対してはそうでいいと半ば強要していたようだが、何だか私に対するそれより遠慮が無いように見えた。まぁ、二人が仲良くしているならそれでいいか。
「そこまで言うなら……ちょっと行ってくる」
「いってらっしゃーい」
思案している間に話は進んでいたようで、暁君は茉優に送り出されて売り場の方へと歩いていった。ふりふりと控えめに手を振る茉優の表情は実に楽し気だ。
「暁君に何言ったのさ」
「うん? ちょーっとお姉さんらしくアドバイスをね」
結局、再び二人きりになってしまって、私は茉優との会話を再開させる。得意気な顔をそのままに私の方を向く茉優は、私からすると、やはりちょっと背伸びをしてお姉さんぶりたい子供のそれにしか見えなかった。
「どうする? 茉優も折角だし水着買うかい?」
「いいってば。どうせ天都君みたいに着る機会も来ないだろうし」
本当に手持ち無沙汰なので、茉優に再度水着の購入を勧めてみるが、やはりその意思は固いらしい。確かに、体質故に体育などの時に監督を頼まれる私とは違って、茉優は自発的に着る機会でもなければ水着姿になることもないか。何か旗のようなものが立ったような気もしたが、多分気の所為だろう。
「天都君はいいよねぇ。人に見せても恥ずかしくない身体で」
そう言いながら、茉優は僻むような口調のまま、私の腹筋に衣服越しにぺたぺたと触れる。触られて嫌な気がするわけではないが、そう無遠慮に凹凸を撫でられるとくすぐったい。
まぁ、実のところ見せられない部分は多いのだが、折角褒めてくれているのだから今それに水を差すのは野暮である。
「それを言うなら、私も茉優は人に見せて恥ずかしい身体だとは思わないけど」
会話を繋ぎ、夢中で腹筋を撫で回す茉優に私はカウンターを浴びせた。あんまり事細かに言及するとセクハラは免れないので口には出さないが、私から見れば茉優は十分に魅力的な女性だと思う。ほど良い肉付きと、同世代でも随一のいっそ凶悪とも言える胸部装甲は、やはり男にとっては抗い難い何かを感じさせるだろう。よく彼女が口にする肌のハリに関することも──私がそういう方面で目が肥えているとは言えないが──本人が言うほど気にすることとは思えない。
「いいよ、天都君までお世辞は言わなくても」
「お世辞じゃないんだけどなぁ」
気持ちは嬉しいんだけどね、と苦笑する茉優を見て私はふーっと細く溜息を零す。これ以上はもう押し問答だ。
それにしても、茉優の自己評価の低さは相変わらずだが、思い返せば果たしていったいいつからこうだっただろうか。少なくとも、中学に上がるまでは褒められて素直な反応を示していた記憶があるが……。
「……何か失礼なことを考えられてる気がする」
「いやなに、茉優"ちゃん"はあんなに素直だったのになぁって」
「や、やめて、流石に二十歳にもなってちゃん付けは色々と痛すぎるから」
そんなことを考えていると、茉優は私の思考を見抜いてか、ジトっとした視線をこちらに飛ばしてきた。しかし、特に隠す必要も無かったので私が敢えて昔の呼び方をしつつそれを明かすと、茉優は何やら別方面でダメージを受けてしまったようだ。
中学時代に本人が呼び捨てにするよう頼んできたので今は"茉優"と呼んでいるが、個人的には割とずっと"茉優ちゃん"のつもりである。今の感じだとそれを言うと怒られそうなので、決して口にはしないが。
「やっぱり失礼なこと考えてるでしょ」
「気のせい気のせい」
傷を負ったまま向けられる冷たい視線を受け流して、私は適当に笑い声を上げる。それを受けて、茉優は不服そうな顔のまましょうがないとばかりに一度溜息を吐いた。
「おや、皆買う水着も決めたみたいだね」
そんな折、ちょうどレジへと向かう面々が遠目から視界に映り、私はそれを茉優に伝える。別の方向からは恭平君が戻って来ているのも見えているし、次は待ちに待った昼食の時間か。子供たちと遊んでお腹が減っているし、今日はいつもより多めに食べることにしようかな。
こうして、休日はゆるやかに過ぎていく。楽しそうな笑顔を皆を見ていると、代え難い何かを胸に感じるようであった。
【Column-VIII-】天都君の設定その5
“体質”のせいで乗れない乗り物が研究都市に多いのは以前話した通りだが、そのために自力で移動するためのバイクを持っている。
本作では学生寮の近くに駐輪場が設置されており、学院に許可書を提出することでバイクも置くことができるようになっている。自転車を置くのは許可を取る必要はない。