「んぐっ、電話だ」
皆で鷲逗サイドモールでわいわいやった翌朝。食堂で朝食を摂っている最中に、私のスマホから電子音が鳴り響く。手に取って画面を見てみると、そこに表示された名前は“伊勢篤紀”。珍しい相手からの電話に驚きつつも、私は食事を中断してから相席していた皆に断ってロビーへと出るのであった。
「はい、紀です」
『私だ。朝早くにすまない』
「いえ、構いませんよ」
五回ほどコール音が鳴った後電話に出ると、電話越しに理事長の低い声が耳朶を打つ。理事長の言う通り、確かに時刻は未だ七時過ぎ。しかも日曜日だ。こんな時間に何かあったのだろうか。
『君に急ぎ伝えたいことがある。理事長室に来てくれないだろうか』
「分かりました。すぐにそちらに参ります」
そんな思考の最中、理事長は私にそう言いきった。その強い意思をも感じられる言霊に自然と私の背筋もピンと伸びる。何やら大切な話があるらしい。
それから、短い挨拶を交わして理事長との電話を終えるが、私の中には確信めいた予感が渦巻いていた。
「おかえり天都君。誰からだったの?」
「あぁ、理事長からだったよ。何か話があるから来てくれってさ」
席まで戻ると、椅子を引いてくれた茉優が私に疑問を投げてくる。特に隠すことでもないので私が理事長からの連絡だと教えると、それを聞く面々は一様に驚いた表情を見せてくれた。
まぁ、確かに学院のトップから電話がかかってくるとは思うまい。一応、篤紀さんとはプライベートでも話す仲なので、お互いの連絡先は知っているのだ。
「話っていうのは?」
「いや、そこまではまだ何も。急を要するみたいではあったけど」
そして、そこに食いつく暁君に私はそれだけ口にする。実際に話したのはそれだけであったし、仮に呼び出しがあの件に関することならおいそれと人に話す訳にもいかない。
「ご馳走様でした。それじゃあ私はちょっと行ってくるよ」
「あ、うん、行ってらっしゃい」
それから、会話もそこそこに手早く食事を終えて、私は一足先にその場を後にする。あまり理事長を待たせるのも申し訳ない。
あ、その前に一応制服に着替えてから行こう。校則は結構緩い我が校だが、流石に私服で校舎に入るのは良くない。
「入りたまえ」
「失礼します」
着替えてから真っ直ぐ理事長室へと向かい、私は校舎内にある他のそれよりも厳かな扉をノックした。すると、すぐに理事長の声が返ってきたので、私はそれに従って入室を果たす。室内には机で何やら書類を整理している理事長の姿があった。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、気にする必要は無い」
彼の目の前まで移動してから、社交辞令を交わし合う。初めは緊張していたこの遣り取りも、今ではすっかり慣れたものだ。
「それより、例の件に関して進展があった」
そう言いながら理事長は高級そうな黒椅子から立ち上がり、ソファの方へと歩き始める。どうやら、少し時間のかかる話らしい。彼の促しに従って私も黒塗りのソファに腰を掛けた。
「それで、進展というのは?」
「紀君が言っていたアストラルをコピーする物質。それについて私なりに調べてみたのだが」
逸る気持ちを抑えて私は理事長に続きを促す。姿勢が前のめりになりそうなのを堪えていると、やはり今回はその話が関連していたようだった。つまり、理事長は何かしらの情報を得たらしい。一旦切られた言葉の続きが待ち遠しい。
「数年前までそれに類する研究を進めていた企業があったということが分かった」
「進めて
そして、理事長の口からそんな言葉が飛び出した。しかし、その中に潜む不審なワードに私が問い返すと、彼はそれを肯定するように一度首を縦に振る。ということは、今は何かしらの問題が生じて研究が中止になったのだろうか。
「直接の関係者から話を聞けたわけではないので、詳しいことは分からないが……外からの圧力を受けて研究は中止に追い込まれたとのことだ」
「単純な中止ではなく、外圧による強制で……」
続く理事長の言葉はこの話に更なるキナ臭さを漂わせ始めた。聞く限りでは、予算不足や結果が伴わなかったわけでもないのに、不自然に強制終了させられたようにも思えてしまう。しかも、研究は中止させられたというのに────
「でも、研究成果自体は、存在している」
「君が見たものが真実であれば、そういうことになる」
ゆっくり、自分の考えを噛みしめながらそれを口にすると、理事長もそこを不審に思っていたようで私の考えを肯定する。漠然とした謎の裏に何か大きな影の存在を見たような気がした。
「……理事長。その企業が研究を中止する前に仕入れていた物品を調べることはできますか?」
しかし、だからといって止まる訳にはいかない。この先に光が見えている以上、私はこの道を突き進む以外にもう何も考えられなかった。
脳裏にちらつく痩せ細った琴里の姿が、焦りに近い感情を私に齎しているのは否定出来ない。
「流石に
「それは重々承知の上です」
その言葉から、私が件の研究に手を出すつもりであると察した理事長はその立場から私を諭す。それは当然であろう。私も彼と同じ立場であれば、同じことをしたはずだ。
学院を統括する立場の理事長が、ただでさえスポンサー企業の柵もある中で新たな厄介事を看過するはずがない。噂話程度の情報で一旦調査を中断したのも、この一件の重さを考えてのことだろうし。そう考えると、私に今それを教えたのも私がそちらに動こうとするのを未然に防ぐためのような気がしてきた。
「なので、最少人数で秘密裏に事は進めるつもりです」
然れど、そう理事長の意志を推測した上で、なおも私は意見を押し通す。理事長は私を見て僅かに渋面を浮かべるが、まだ話を聞くつもりではあるようで黙って続きを促してきた。
「そもそも、理事長はその何かが研究を中止させた理由は何だとお考えですか?」
「…………研究を進めていたのはアストラルの研究も行っている民間の企業だ。当然、開発されたものは何かしらの形で世間に出回ることになる」
それは君も知っているだろう、という理事長の問いに、私はしっかりと首肯を返す。私も企業の研究に何度も立ち会ってきた立場なので、それはよく理解していた。インフラへの組み込みが急務で行われているのが今日の我が国でのアストラル技術である以上、そのアストラルをコピーする物質──仮称“コピー繊維”の開発がその企業で進められていたならば、同様に日の目を見ることになっていただろう。
「単純に考えるとすれば、そこに圧力をかけたということは、それが世間一般の目に触れることを何者かが嫌ったということになる」
そこで一度、理事長は不自然に言葉を切った。向けられる視線には、私を試すような色が輝いている。
「……恐らくですが、アストラル犯罪への悪用を危惧してのことかと思います」
思案のための一瞬の後、私はそう結論を言い切った。無言の催促はまだ続く。
「仮にあらゆる能力がコピー可能ということであれば、そういった目的に利用しやすい能力を、能力者に金を払うなり脅すなりしてコピーしてしまえば、誰でも高度な犯罪を行えるようになってしまいます。警察側が全面的にアストラルの使用を禁じられている以上、対抗も難しいでしょうし、それに……世間のアストラル使いに対する印象も悪化するでしょう」
それに従って、私は自分の考えを補足するようにはっきりと口にした。理事長もそう考えていたようで、ほんの少し満足気な色を表情に宿して私の言葉を肯定する。アストラル使いの未来のために、日々努力している私や理事長にとって悲しいことではあるが、コピー繊維が出回った場合、まず考えられることはそれだろう。
昔ほど風当たりが強くはないとはいえ、やはり、未だにアストラル使いへの差別意識というものは世間に根付いている。ニュースではアストラル犯罪はアストラル犯罪として取り上げられ、それをニュースキャスターやコメンテーターが悪し様に批判するという光景はそう珍しくはない。また、そういったニュースや記事の影響を受けた人に酷い扱いを受けた能力者は、決して少ないとは言えないだろう。
そして、そういった能力者は──勿論、例外もいるが──多かれ少なかれ、自身を貶めた社会に対して反発心を抱いているものだ。橘花に編入
そんな状況である今、仮にコピー繊維が世間に登場したとしよう。個人的に信じたくない気持ちは強いが、しかし、現実はそう甘いはずもなく、犯罪利用が可能な能力が複製され、今以上にアストラル犯罪の発生件数が増加することは想像に難くない。何故なら、それは能力的に不向きであった能力者にも、アストラル犯罪を実行可能にする力を秘めているからだ。そうなれば、世間はアストラル使いを“何をするか分からない危険な存在”として扱い始め、能力者と非能力者の間に絶望的な溝が産まれてしまうだろう。それは今以上にアストラル使いへの差別意識を強め、結果として、迫害を受けて犯罪者へと身を堕とす能力者が増えてしまう、更なる悪循環の形成を意味することに他ならない。
また、事実上どの能力も行使可能ということになれば、非能力者に対して“能力者を管理している”とアピールする側面も持っているAIMSの存在意義もほとんどなくなってしまう。コピー繊維は多大な可能性を感じさせる代物ではあるが、同時に社会を揺るがす危険性をも孕んでいるのだ。
「君も考えている通り、これは非常に大きな危険性を孕んだものだ。それを分かっていながら、何故……」
「……暴走者を、琴里を救う未来が、この先に見えているからです」
暫し訪れた沈黙の間に湧き上がる嫌な想像を振り払うのと同時に、理事長はそんな言葉を口にする。彼の顔に浮かんでいたのは、そこまで理解が及んでいながら頑なに研究を始めようとする私を本気で理解できないという表情だった。
故に、私はここでトドメの一手を打つことを決める。これで研究を認めてもらえなければ、後は何を言っても暖簾に腕押しだろう。
「どういう、ことだ? 紀君」
それは当然、元々アストラル使いが、琴里が生きやすい世の中を作るために学院を創立した娘想いな理事長にとって無視できる言葉ではない。明らかに動揺の色を滲ませた顔付きのまま、彼は私にその言葉の真意を問い質し始めた。
「暴走とは端的に言えば、脳に起きた異常が原因で自身の限界を超えてアストラルとリンクし続けてしまう現象です」
まず、能力者の暴走という事象を知る者にとっての常識を、改めて理事長と確認し合う。それを知らないはずがない理事長は、無言で私に続きを促した。
「そして今現在、ヒトがアストラルとリンクする機能は脳に備わっているというのが主流です。私の“目”で見える事象からも、これは間違いないと考えていいでしょう」
閃くアストラルの光を思い返しながら私は長い前置きを続けていく。私の言葉通り、リンクが脳機能の一部と考えられているからこそ、薬で脳に干渉して暴走を止めるというのが現在進行している暴走抑制案なのだ。
しかし、その進捗は残念ながら芳しいものとは言えない。脳という生物の活動総てに関わるデリケートな器官を対象とする以上、そこへの干渉は非常に慎重に行わなければならないからだ。加えて、アストラルへ干渉する機能はヒトにしか備わっておらず、肝心な部分の検証を行うための治験を、ヒトを対象にすることでしか行えないことも、歩みが遅々としている原因の一つと言える。マウスの実験でできるのは精々安全性の確認ぐらいだろう。
二年という短い期間では、まだ十分に研究が進められていないアストラルという分野で、なおかつ危険を恐れた手探りの状態のまま最適解へと辿り着くことが、相当に無理な話であることも分かるはずだ。
「つまり、脳を操作することができるアストラル能力があれば、その能力をコピーして暴走者に使わせることで、暴走者の干渉力を強制的に制御圏内に抑えることが可能なのではないでしょうか」
そして、薬の部分は寧ろ理事長の管轄なので省きつつ、私は自分の考えの要の部分を理事長に叩きつけた。要は、強力すぎるリンクが能力者の脳に誤作動を起こしているのであれば、その増大してしまっているリンクの出力を強制的に絞ってやればいいということだ。脳を操作できるということは、一般的に増減することがない干渉力の強ささえも、理論上では自在に操ることができるはずだから。
「しかし、その肝心な“脳を操作する能力”がなければ、君の話も机上の空論だろう」
「それに関しては既に当てがあります」
それに尤もな意見で反論する理事長に重ねるように、私は言葉を紡ぐ。確かに、まだその能力者を見つけていないのであれば、理事長の言う通り机上の空論で終わっていただろうし、そもそもここまでコピー繊維に執着もしていない。
もう既にパズルのピースは揃いつつあるのだ。
「先日編入してきた在原暁君。彼は自身の能力を“身体能力の強化”と編入の書類に記していました。しかし、私が視たところ単純に強化を行うのではなく、脳に干渉するプロセスを経てから強化を施しているようでした」
「在原君が、か……」
それから、近いうちにAIMSで書き直す情報を──自身もアクセス権限を保持する──理事長に述べていく。予想外の方向から齎された吉報に、彼は深く椅子にその身を沈めて大きく息を零した。
「…………分かった。紀君には秘密裏にアストラルをコピーする物質の研究を行ってもらう」
「ありがとうございます!」
長く重たい沈黙が暫くの間場を支配したかと思うと、椅子に身体を預けていた理事長は、姿勢を正してから私にそう命じた。それを聞いて、私は普段大きな音が響かない部屋に声が反響するほど、勢いよくお礼の言葉を口にする。
琴里を救うために踏み出した一歩は、歩みへと変化したような気がした。
「君自らが言っていた以上分かっているとは思うが、絶対に情報が漏れることだけは防ぐように。協力者が必要な場合は、私に確実に知らせてくれ」
「その協力者に関してですが、私は式部茉優に協力を要請します」
重なる理事長の言葉に繋げて私は茉優の名を挙げる。私の言葉を聞いた理事長はそれを予測していたようで、しっかりと一つ頷いてみせた。
「やはり、式部君か。暴走を知る人間であり、成績も優秀な彼女なら人選としても申し分ないだろう」
「はい」
理事長が述べる所感に今度は私が頷いてみせる。個人的な事情を抜きにしても、茉優は学院内で一位二位を争うほどの成績優秀者だ。研究室を与えられているのは私の眼鏡と違って伊達ではない。
「暴走者への対策が急務である以上、私も出来ることは何でも協力するつもりだ。何かあればすぐに知らせてくれ」
入室した時よりも気力が漲った顔で、理事長はそう言い切った。見えてきた一つのゴール地点に、私も彼もやる気は十分のようだ。
「紀君」
「何でしょうか理事長」
それから、それぞれがするべきことのために立ち上がり、私は理事長室を発とうとしたが、そんな私に理事長は声をかける。扉に手をかけようとしたタイミングで呼び止められたためドアノブに伸びた手が空を切り、そのまま私は彼の方へと再び向き直る。
そして、そこには一人の父親の姿があった。
「どうか……琴里のことをよろしく頼む」
「はいっ」
今更言われるまでもない私たちが果たすべき約束に、私は力強く返事をしてから理事長室を後にする。最後に見えた、真摯に
さぁ、まずは茉優の所へと向かおう。今にも走り出しそうなほど軽い足取りで、私は寮へと帰っていく。
天都君、バチバチに焦っております。
【Column-IX-】裏話その3
天都君が研究中に嵌めていた眼鏡は伊達。何となく集中できるからという理由で数年前から愛用しているらしい。デザインは銀縁のブロウ型ハーフリム。
ちなみに、研究職に就いた祝いとして琴里さんから贈られた物。