「暁君、ちょっと……」
柔和な笑顔を浮かべた先輩の目の前から、怪訝な顔をした七海に腕を引かれて引き剥がされる。理由は分かっているので、俺はその力に逆らわずに先輩たちから少し距離を取った。
「大丈夫なの? とっくに正体バレてたりとかしないよね?」
「……潜入中にステルス以外の能力は見られていないんだ。そこは大丈夫だろう」
そうして七海に聞かれるのは、天都先輩のお願いを聞いてもよかったのかという疑問だ。読んでいた問いに対して、俺は少し間を置いて自身の所感を述べていく。学院の責任者である理事長と個人のスマホで連絡を取り合うような人が、俺たちの正体に気付きつつ報告をしていないとは考えにくい。アレだけあの夜のことに怒りを抱いたのであれば尚更のことだろう。その日の翌日の食堂での出来事を思い返して、俺はそう思考する。
抱いた罪悪感が、胸の奥をチクリと刺した気がした。
「それに、情報を引き出すならこの形が一番都合が良い」
「確かに、それはそうだけど……」
重ねて、三司さんの護衛ともう一つの任務もある。それを果たすために天都先輩への接触が不可欠な以上、寧ろ今回の提案は願ったり叶ったりではあった。人の善意に付け込むような形なのはモヤモヤとしたものを感じるが、立場上そうこう言ってもいられない。少しでも罪悪感を減らすために言い訳を連ねた自分が酷く惨めに思えてくる。
いつものように黙って心に蓋をすればいいのに、気付けば任務でも天都先輩にだけはそれをしたくないなんて考えている自分がいた。既に恩を仇で返すような真似をしているのに。
「暁君?」
「いや……とにかく、このまま色々と探ってみることにする」
「……分かった、無理はしないでね」
黙り込んだ俺に七海は再度声をかける。浮かぶ雑念を振り払って、俺はそれにそう返した。心配の色を滲ませた七海の頭を、自分を誤魔化すようにガシガシと撫で付ける。迷惑そうな声を出しつつも、七海はそれを受け入れた。
「ふふ、仲がいいんだね」
「そりゃあ、兄妹だしな」
それを見ていた茉優先輩が微笑ましそうな顔をしながら声をかけてくる。彼女の施設にいた頃とは違う、手のかかる弟に接するような態度は少しむず痒い。……家事も七海に任せっきりで勉強も成績が良いとは言えないので、手がかかるのは自分でも否定できない気はするが。
「それで、この後は何をすれば?」
「うん? あぁそっか、まだ教えてなかったっけ」
柄にもないことを言った手前の気恥ずかしさやら何やらを頭の隅に押し流してから、俺はこちらに来ていた茉優先輩にそう尋ねる。事実、検査の後に何をするのかは聞かされていなかったので、どの道それを聞かなければどうにもならない。珍しく興味が湧きそうな分野なのだから、有限な時間を無為にするのは忍びないだろう。
「とは言っても、この後はプールで自由にしてもらって構わないよ」
「自由に、ですか?」
アストラル使いだけを集めて何かするのであれば、細々とした決まり事や何やらがあると踏んでいたのだが、茉優先輩はそれだけ言って説明を終える。俺と同じように疑問に思ってか、七海も不思議顔で先輩へと問いを投げかけた。
「当然、自由だからと言って何でもしていいわけじゃないからね?」
「わ、分かってるよ流石に」
そんな俺たちに釘を刺すように、にっこりと笑う天都先輩の言葉が飛んでくる。視線は何故か真っ直ぐ俺に向いていた。いや、うん、そんな視線をもらう理由は何となく分かっている。小さい頃とはいえ、時には能力まで使って触れるもの全部を傷つけるように振る舞っていたのは他ならぬ俺だ。
「体育とは銘打っているけど、基本的に此処を使う時はこんな風に生徒一人一人が思うままに"遊んで"もらってるんだ」
「遊んで?」
本人としても軽い冗談だったようで、話題は逸れ始めた進路から元に戻っていった。天都先輩は実際にプールで遊ぶ人たちを指し示しながら、妙に言葉の一部分を強調しながらそう言う。その授業とは似つかわしくないワードに俺はまたもや疑問符を浮かべた。
「"遊ぶ"ことで色んな意味で柵から解き放って、"楽しい"だとか"面白い"だとか思ってもらうことで、能力開発へのモチベーションにしてるってことさ」
「自由に動くことが何より自由な発想を生み出す。端的に言ってしまえばこういうことだね」
「なるほど……」
そんな風に補足する二人に納得の意を示して、ふと俺は視線をプールの方へと戻す。そこには確かに、笑顔を浮かべながら楽しそうに能力を使って"遊ぶ"クラスメイトの姿を見ることができた。活き活きとした様子で自分にできることを模索している姿は、彼らの言う通り嫌々やらされている堅苦しさは無い。
「……結構危なくないですか? アレ」
「うん、お互いに熱くなっちゃってるみたいだ。茉優」
「はーい、いってらっしゃい」
自由に楽しんではいるようだが、どうやらプールの中で能力を使った水の掛け合いをしていた二人が、次第にヒートアップしていっているようだ。飛び散る水飛沫もだんだんと規模が大きくなっていて、周りに及ぶ水量も増している。言ったそばから起きるアクシデントに、七海は俺の隣で不安でな声を漏らした。すると、それに反応した天都先輩は茉優先輩に一声かけてから早足で現場に急行していく。呼ばれた茉優先輩は訳知りのようで、簡素な言葉を返すのみだ。
「えっと……」
「あー、まぁ、うん。大丈夫だから見てて。アレも天都君の仕事だから」
事情が分からず、俺と七海は揃って茉優先輩の方へと顔を向ける。それに返す言葉は少し歯切れが悪い。とりあえず言われた通りに視線を戻すが、そこで俺たちはその言葉の意味を理解した。
「お二方」
「げっ、風紀委員!?」
「ご、ごめんなさいお母さん!」
ゆらりと件の二人に近付いてから一言。突然能力が発動しなくなってから呼ばれる声に、その二人は二様の反応を示す。……何かおかしな文言が聞こえたような気がするが、きっと気のせいだろう。あんな筋肉質な男の先輩が母親呼ばわりされているはずがない。
「ほらね?」
「計測に関わってこないなとは思ってたけど、そういうことだったんだな」
戻る視線に返ってくるのは少し誇らしげな顔。茉優先輩の言った"仕事"とは、つまりそういうことだろう。遊んでいる最中にああいう喧嘩やら事故やらが起きた場合、能力を止めれる天都先輩が仲裁に行く。それだけの話だった。
「な、何か今カッコイイ言葉が聞こえたような気がしますけど」
「ん? あぁ、天都君の渾名のことかな」
確かに監督役としては申し分ないなと一人納得していると、七海はどうやら別方向に興味が流れた様子。そんな七海が赤い瞳を妙に輝かせながら茉優先輩に問い掛けると、そんな答えが返ってきた。
「風紀委員って学院にあったか?」
「うん、ないよ」
俺も聞いたことのない情報に疑問を重ねるが、相変わらず茉優先輩から返ってくるのは簡素な言葉だ。この学院にないからこそ委員名が渾名として機能しているのだろうか。さっぱり分からない。
「ああいう風に事が大きくなる前に仲裁したり、揉め事に飛び込んでいくからそう呼ばれてるって天都君は言ってたよ?」
「なるほど」
そう言われれば確かに、天都先輩は学院の風紀を正すために動いているようにも見える。恐らく、何度となくああいうことをしてきているのだろう。何となくこの学院での彼の信頼やら評価が窺えるような気がした。
「あとは名字の"紀"とかかってるとか」
上手い名付けもあったものだ。少し遠くに見える先輩を眺めながら、俺は内心でそう独り言ちる。あと、彼の様子を見ている内に、聞き間違いであって欲しかった渾名の方の理由も分かってしまった。あの宥めるような口調で滾々と注意を重ねる光景。ただ怒鳴るよりもよっぽど心に来るアレを思い出して、俺は思わず身震いする。優しさが前面に出ている上に理詰めで怒られるから、普通に怒られるより何倍も
「そういえば、料理も得意だったっけ……」
「ん? 何の話?」
「いや、何でもない」
思い出から掘り返されていく天都先輩の母親的エピソード。よくお菓子を作っていたことだったり、やたら面倒見が良かったことを思い出して、彼は良い意味で変わっていないんだなと少しだけ頬が緩んだ。零れた言葉に七海が反応するが、それを口にするのは気恥ずかしかったので誤魔化しておく。
「ふぅ、ただいま」
「おかえり」
そうこうしているうちに説教も終わったようで、彼は身体を濡らしてこちらへと戻ってきた。水を吸ったことで妖しく光る黒で、さっきよりも強調される引き締まった筋肉。男の俺から見ても思わず感嘆の意が溢れてしまいそうなそれに、その場の視線が集中したような気がした。というより、周りの視線も時折そこ──主に綺麗に割れた腹筋──へと向けられているような気がする。
「さて、それじゃあ二人はこれから何をする?」
俺が若干自分の筋肉に自信を無くしていると、天都先輩はこちらを見てそう口にした。つい話で盛り上がってしまったが、今はまだ授業中だ。流石に俺もそろそろ"遊んで"みなくては。今までそういう意識で能力を使ったことはないので、実は結構楽しみにしていたりする。
「俺はとりあえず色々試してくる」
「わ、わたしはもっと色んな話を聴かせてもらえませんか?
この前天都先輩が言っていたように俺の能力はやれることが多い。一先ず、俺は新しい方向性を模索することに決めた。しかし、七海の方は今回この機会を見送るらしい。まぁ、確かに七海の能力を使うような事態が起きるとは思えないので仕方ないか。怪我人が出る前に止める人がそこにいるし。
「お、それならお姉さんが七海ちゃんに付いてあげよう」
「はい、よろしくお願いします。式部先輩」
そんな七海に対して、茉優先輩が名乗りを上げて教師役を買って出る。編入してから何かと関わりがある先輩だが、やはり結構教えたがりな性格をしているらしい。
「あ、でも二人きりだからって襲わないでね……?」
「おそ……っ!? だ、だからアレはそういうことじゃなくてっ!」
と思えば、今度は茉優先輩が怯えた表情のまま一歩下がって、隣にいた天都先輩の身体を盾にして隠れた。それを見る七海は珍しく大きな声を上げて、例の事故によって生まれてしまった大きな誤解を解こうとする。その元凶である俺は内心申し訳なく思いつつも静観を決め込むことにした。俺が入ると話が拗れてしまいそうなので。
「そうだ在原さん。そのことでちょっと話があるんだけど」
「は、はひっ、何でしょうか!?」
解けない大いなる誤解に苦悩する七海に掛かる声。話しかけたのは二人を隔てる壁となっていた天都先輩だ。さっきまでと雰囲気が変わった先輩による突然の声掛けに、七海はビクリと肩を跳ねさせて返事をした。
「合意も無しにああいうことをするのは、その、流石に控えた方が良いと思うよ?」
「だ、だからホントに違うんですってばぁ!!」
茉優先輩から事情を聞いていたのだろう。天都先輩は困った表情をしながら七海にやんわりと
「もうっ、お兄ちゃんのバカっ! アホぉ!」
「本当にすまない……」
そして、羞恥やら何やらで限界を迎えた七海は元凶である俺に罵倒の限りを尽くす。俺はその飛び火してきた怒りに静かな謝罪を返すことしかできない。
居た堪れなくなって見上げた天井が少し眩しかった。
人が曇る様を書くのは愉しいですね(邪龍)。多分今後もたくさん曇ってもらうことになる。
【ColumnXIII】-天都君の設定その8-
学院に入ってからはそこまで作る機会に恵まれているわけではないが、結構な料理好き。元々は児童施設時代に園長の手伝いで始めたが、そこからだんだんハマっていったらしい。自身の甘党や年少の子たちへの甘やかしも相まって、得意料理はお菓子系統のもの。
ちなみに自分より美味しい物を作ることに対して、茉優が結構な危機感を覚えているらしい。