「失礼しました」
「はーい、暁君も七海ちゃんも、また気軽に遊びに来ていいからね」
「はい、式部先輩」
二杯目を飲み終えた暁君と在原さんは、にこにこと笑いながら手を振る茉優に挨拶をしてから、そっと研究室を後にして行った。なかなか後輩との交友関係を築くことが出来なかった茉優はホクホク顔だ。
さて、あれから在原さんの検査も終えた私たちは、結局思った以上に時間が余ったということで、再び雑談に興じることとなった。アストラル認証のキーやリンクのメカニズムなどに興味を示した二人の質問に、茉優が得意気に答えるという場面が多かったが、とにかくあんなに活き活きとしていた茉優を見たのは久しぶりなような気がする。
まぁ、茉優は結構教えたがりな気質だ。得意気に自分の知識を披露する彼女の姿は、何処か風蘭の子供たちを思わせるようだった。いや、実際に風蘭の子供たちの一人であることに違いはないのだが。
「いい子たちだったね」
「うん、そうだね」
そして、いつものように二人だけになった研究室で、茉優は感嘆の息を込めてそう零す。そこに込められた意思は、敢えて詮索しなかった。
「さて、それじゃあ今日やることはこれで終わりかな?」
「データの入力がまだ残ってるけど、今は……」
始業式で授業も無く、朝の内に研究の方も進めるだけ進めた今、この後は特にやることもない。折角午前中で学校を終えた今日──私たちは検査を引き受けた影響で午後も残っていたが──は、能力使用の申請も出ていないはずだ。夏休みに心と身体が引き摺られて、きっと皆寮の自室で怠惰に過ごしているか、街の方まで繰り出して楽しんでいるかのどちらかだろう。
ざっと頭に流すようにそう思考してから、私は茉優に一応の確認の言葉をかける。すると彼女は微妙にそれを否定しながらも、ゆっくりと隣の私に近づいてきた。そして、切れる言葉尻と共に、茉優の頭が私の膝の上にぽすんと落ちる。俗に言う膝枕というやつだ。
「はふぅ……疲れた……」
「はいはい、お疲れ様」
「ん……」
溜息を零す茉優の白緑の髪を梳くように、私は労いの意志を込めて頭を撫でる。甘えるようにもぞもぞと位置調整をする茉優も、それを受けて気持ち良さげな声を漏らした。
「暁君、久しぶりに見たけど、元気にしてて良かった」
「うん、見違えたけど……本当に安心した」
「それに、今日は二人も友達が増えたよ」
「うんうん、良かったねぇ」
子供が親に今日あったことを報告するように、茉優は撫でる私に話しかけ続ける。それは、暁君と在原さんがいた時には被っていたお姉さんの仮面は剥ぎ捨てて、茉優本来の気質を露呈させたもの。甘えん坊の茉優の姿は、私と彼女しか知らないものだ。
「このまま……この調子で……こ、と…………」
「……寝ちゃったか」
やがて、溢れた感情を口から零すように話し続けていた茉優は、穏やかな寝息を立て始めた。一定のリズムで撫でているとすぐに寝入ってしまうのは相変わらずのようだ。安らかな寝顔の茉優を見下ろして、私は声には出さずに内心でそう独り言ちる。
「さて、それじゃあデータ入力は私がやっておくか」
それから一分程。茉優が完全に入眠するまで待ってから、私は彼女を起こさぬよう徐に立ち上がった。向かう先はデスクの上にある付けっぱなしの茉優のパソコンだ。どうせ彼女が起きるまで待たなければならないのだから、私が済ませておこう。
「在原暁と在原七海……」
椅子に腰に下ろすと、すぐさま管理者権限──自分の研究室にアクセスできる端末は無いが、権限自体は私も持っている──でAIMSにアクセスする。自分にしか聞こえない声量で名前を呟きながら二人のデータを探すと、名前と生年月日、それと編入するクラス以外が未入力のそれはすぐに見つかった。名字が同じだと探しやすくて楽である。
「"身体能力強化"と"治癒"……」
今回の検査内容は能力を判明させるものだけだったので、二人の能力の項目にそれだけ打ち込んでいく。在原さんの方は基本的な治癒能力者との違いも今のところ見られなかったので、備考欄に書くことも特には無いだろう。強いて書くならば、
「脳の粒子に干渉……か」
暁君にも言ったが、脳は人間の活動総てに関わる器官である。自身のものだけとはいえ、脳に干渉できる能力であるならば、できることは身体能力の強化だけではないはずだ。思いつく限りでも、疑似的な治癒能力の再現や五感の強化も可能だろう。
尤も、時間がかかることは目に見えていたので、より詳しい検査や練習はここではやらず、まだ詳細は分かっていないのだが。
「それに、アストラルは脳機能の一部……」
考えを整理するように、私はそう短く独り言ちた。現在の主流な理論から、そして実際に視ることができる私の考えからしてもそれは正しいと思う。つまり、暁君の能力は──現段階では不可能と言われている──自然状態からの
「ふぅ……」
目まぐるしい思考から解放されるように、私は強く椅子に身体を預けながら溜息を零す。総てはまだ机上の空論だ。喜ぶにはまだ早い。
何をどうするにせよ、まずは暁君の協力を得て、彼の能力を解析させてもらうことが優先だ。成果は一歩一歩確実に進んで出さなければならない。
「焦りは禁物……」
心に刻み込むように何度もそう唱えて、私は逸る気持ちを落ち着けていく。絶対に、必ず、確実にあの娘を助けるために。
「琴里……」
でも、私たちの止まったままの時間が動き出すのは、案外早いかもしれない。今は眠ったままのあの娘の名前を小さく口にすると、そんな直感めいた予感が頭を過ぎる。
────閉め切った部屋の中で、優しいそよ風が頬を撫でた。
「むにゃ……」
独り感傷に浸る中、気の抜けた可愛らしい声が研究室に響く。結局備考欄には何も書かなかった暁君のデータから目を外して声の発生源に目を向けると、そこには案の定眠りから目を覚ました茉優の姿があった。
「おはよう……」
「ん、おはよう」
目を擦りながらむくりと半身を起こして、茉優は抑揚のない声で挨拶を零す。思考を打ち切った私は、それににこやかに言葉を返した。
「あ……ごめんね、アタシがしなくちゃいけないのに」
「いいよ、これぐらい。疲れは取れた?」
「ん……」
それから、意識がゆっくりと覚醒し始めた茉優は、私がデータ入力をしていることに気が付いたようだ。彼女は申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。まぁ、どうせ大した量でもなかったのだから気にする必要は無い。いや、人のパソコンを勝手に扱ったことは気にするべきなのかもしれないが。
「さて、これで正真正銘今日の仕事は終わりだ。帰ろうか、茉優」
「うん」
編集したデータをしっかり保存したことを確認してから、私はパソコンの電源を落とす。そして、何時の間にか椅子の背もたれに手を乗せて、暗くなっていく画面を覗き込んでいた茉優に声をかけた。それに彼女は短く返事をする。気分が落ち着いた今、もう残りの時間は寮でゆっくりと過ごしたいところだ。
「手、繋いでいい?」
「ふふ、校舎を出るまでならね」
忘れ物が無いことを確認してから、私と茉優は研究室を後にする。そして、オートロックの音が鳴るか鳴らないかというタイミングで、茉優は不安気な顔で私に右手を伸ばしてきた。魘されている様子は無かったが、もしかすると嫌な夢でも見ていたのかもしれない。
「ん、ありがと、天都君」
「どういたしまして」
控え目に差し出されるそれを握ると、茉優は小さくお礼の言葉を口にする。その所作がやはり私に風蘭の子供たちを思い起こさせて、私は自然と微笑みが顔に表れた。身体はすっかり
それから、校舎を出る頃にはすっかり目も覚めたようで、茉優は昇降口が見えてきたのと同時に、私の左手から緩い拘束を自ら解いた。少し恥ずかしくなったのか、交わす言葉は無い。
そんな彼女の顔を横目で覗いてみると、いつものお姉さん然とした態度も少しは戻ってきたようだ。結局どんなものだったのか分からなかったが、不安も解消されたようで何よりである。
「帰ったら何しようか?」
「んー、どうしよっか?」
まだ高い位置に太陽がある空の下に出てから、私と茉優はそんな他愛もない会話を重ねていった。心が日常に溶けていくような心地を、私は愛している。
天都君は"体質"で何となく発生しているエネルギーの量を視ているので、リンク値ではなく干渉力って言い方をよくします。