楽しそうに笑う藤色の髪の少女は仲間を見つけたという笑顔を浮かべて、白緑の髪の少女と銀髪の少年に声をかけた。ふいに話しかけられた少女は、その目を見開いてから少年の陰に隠れるように縋りつく。
「ううん、アストラル使いなのはこっちの娘だけだよ。ほら、茉優ちゃんも隠れないの」
「あ、天都君……」
一方、少年の方は明るく笑い返してから、藤髪の少女に言葉を返した。白緑髪の少女も少年の言葉に促されて、おずおずとした様子で陰から出てくる。
「ふふふ、二人は仲良しなんだねぇ」
そんな二人の様子を見て、藤髪の少女は自分のことのように嬉し気に笑った。能力者と非能力者が仲良くしている光景が堪らなく嬉しいとばかりに。
「僕たちは幼馴染だからね」
「そっかそっか」
正直に関係を明かす少年とコクコクと首を縦に振って肯定する少女を見て、藤髪の少女は一層笑みを深くした。自分が目指す理想を体現していることが、嬉しくて、眩しくて。
「あ、自己紹介してなかったね。私は伊勢琴里。風を操るアストラル使い。二人のことも、教えて?」
それから、藤髪の少女は仲良しの二人に一歩踏み込んだ。それはまるで、私も仲間に入れてと言っているようで────
「…………朝か」
けたたましく鳴る目覚まし時計に意識を無理矢理浮上させられて、私はのそりと起き上がる。何か懐かしい夢を見ていた気もするが、アラームを止めている間に忘れてしまったようだ。胸に残る温かい残滓だけが、どういう夢だったのかを私自身に証明する。
「よし、さっさと準備してしまおう」
現在の時刻は午前六時。未だ深い眠りに就いている寮生がほとんどであろうが、私はいつもこの時間に一日を始めている。それでもあまり自分の動きを気にしなくていいのは、本当に学生寮様々といったところか。防音の如何は住居選びにおける基本事項だろう。
尤も、全寮制である我が学院においては、選択の余地というものは無いのであるが。それはそれで楽ではあるけれども。
「うむ、良き日和だ」
まだ薄暗い外に出て、雲が疎らな空を眺めてから私は一つ言葉を零す。走るには絶好の天気と言えよう。そういうわけで今日の鍛錬も開始だ。そんな風に心で想い起こしてから、私は音のない学院内を走り始めた。
「ん……? あぁ、暁君か」
三十分ほど走って、クールダウンも終えてから全身を解していると、ふと視界の端に何かが映る。何ぞやと思いつつ頭だけをそちらに向けてみると、どうやらそれはランニング中の暁君だったみたいだ。こちらに気付いた彼もランニングを終えたのか、私の方へと向かってきた。
「おはようございます、天都先輩」
「おはよう、暁君」
お互いにうっすらと汗をかきながら、私たちは挨拶を交わす。彼の方はそれなりのペースで走っていたのか、少し息が上がっているようであった。
「暁君も運動かい? 健康的だねぇ」
「俺の場合は能力の都合上地力も必要ですから」
静寂を嫌う私が、辺りを歩き回ってゆっくり身体を落ち着けていく暁君に話しかけると、そんな言葉が返ってきた。なるほど、確かに身体能力を強化できるアストラルなら、自分自身の素の能力が高ければ高いほどより高い結果を生み出せる。そういう意味では、彼の考え方は非常に理に適っていた。
更に聞けば、暁君は日常的に身体を鍛えることも欠かしていないらしい。如何に効率的に能力を"使う"かという点では、暁君は既に学院内でも指折りかもしれない。
「それで、暁君はいつになったらそのかたーい態度を止めてくれるんだい?」
「うぐ……」
それから、鍛錬を終えた私たちは、雑談しながら寮へと戻っていく。その最中の私の言葉に、暁君は若干気まずそうな表情を覗かせた。
「いや、それはほら、俺もあの時は欠片も無かった礼儀を身につけたと言いますか」
「あ、自覚はあったんだね」
しどろもどろの暁君の言い訳に、私は思わずそう口にする。流石にあの頃のトゲトゲした感じまでは戻らなくてもいいが、あんまり敬語を使われると距離とか壁を感じてしまうというか何と言うか。幼い頃はアレだけぶつかり合った──暁君が一方的に反発していたとも言う──のだから、敬語を使うことの方が今更感は否めないと思うが。
「じゃあさ、試しでいいから、ね?」
そんな思いを込めて私が一つ暁君にお願いしてみると、彼は悩む素振りを見せたものの一度コクリと頷いてくれた。私はそんな暁君を見て嬉しさを表情に溢れさせる。
「こうで……こうか?」
「ふふっ」
しかし、彼の口から出てきたのは、敬語を使う無意識に引っ張られた色々と中途半端な言葉だった。そのチグハグさに私は思わず吹き出してしまう。
「まあ、ゆっくり慣れていこうか。私もその方が嬉しいし」
「分かっ……た」
それでも、私の嬉しいという言葉に反応したのか、暁君は敬語を止める努力を続けてくれるらしい。さっきよりは幾分か滑らかになったそれを聞いて、私は何となくあの頃のような近しさに戻る刻が近い予感を覚えた。
「天都君、おはよう」
「おはよう、茉優」
あれから、私はすぐに若干ぎこちない口調の暁君と寮まで戻ることとなる。その間に食堂で点呼の準備を始める二条院さんと出くわしたり、暁君も鍛錬をする習慣があることを知って彼を朝の鍛錬に誘う彼女の姿を見たりしたが、一先ずは汗ばんだスポーツウェアの着替えが最優先だ。そういうわけで、私と暁君はそれぞれ自室へと戻っていった。今は、着替え終えて一階に下りたところで、ちょうどロビーにいた茉優と鉢合わせたところである。
まだ下りてきていない暁君には悪いが、登校時間も迫る以上一足先に朝餉にありつかせてもらう。多分彼は恭平君や在原さんと食べるだろうし、ぼっち飯にはならないだろう。
「今日の予定は?」
点呼を終えて配膳を受け取り席に着いてから、茉優はすぐに会話のために口を開いた。お互いの予定を確認しながらの食事は、私たちにとっての日常だ。
「今日は……今のところ特に予定は無いかな。体育が始まるのは来週からだし、能力使用の申請もまだ来てないよ」
少し行儀は悪いが、ポケットから出したスマホを流し見て、まだ私が出張る用事は入ってないことを茉優へと伝える。授業に出ない午前中はもちろん、恐らく午後も放課後も今日はフリーなはずだ。
「それじゃあ、アタシの研究手伝ってもらっても大丈夫?」
「それはいいけど、何するの?」
私同様、授業に出なくて良い茉優は今日という日を自身の研究に費やすらしい。私の"体質"の解析も進むかもしれない提案に、私は内容も聞かずに了承の意を伝えた。
「アストラル固定装置の改良案を見て欲しくて」
「あぁ、アレだね。分かった、じゃあ直接茉優の研究室に行けばいい?」
「うん、それでお願い」
長い付き合いの茉優は、その安請け合いに動揺することも無く話を進めていく。今回は変化粒子の形状を能力者の制御に頼らずに維持するアレを改良したいらしい。確か、前回の改良で
「それじゃ、アタシたちも行こっか」
「ん」
そして、打ち合わせと食事をほぼ同時に終えて、私たちは食堂を後にした。向かう場所は、徒歩三分の校舎棟だ。
「変化粒子の揺らぎも前回より抑えられてる…………うん、成功……かな?」
装置を手にして能力を行使する茉優を、私は少し離れた位置から眼鏡をかけながらじっくりと見てみる。明瞭に粒子を捉える視界には、普段なら明滅を繰り返す変化粒子が淡い光を維持したまま、まるでその場で固められてしまったかのように動かなくなる光景が映し出されていた。
光の明滅が人の制御下にある粒子とのリンク状態の揺らぎを意味する以上、一定量の輝きを維持したまま変化がないこの状態は、正しくアストラルが固定されたことを意味することになる。それも、以前の実験よりも粒子の
だが、それでも自信なさげに伝えたのは、実際に最後まで効力が表れるかを検証せねば分からないからである。試行回数を重ねて何度も検証することは、実験において何よりも重要なことだ。
「一先ず、おめでとう」
「ここまで本当に長かったからね……」
しかし、それはまた後に回すことにした。今は茉優を労うことを優先したい。
“外的要因によるリンク値の
「これで、琴里の方に……」
「うん、しばらくは専念しよう」
力強い茉優の言葉に、私も頷きながら肯定する。
アストラル固定の研究の方は、これでゆっくりと検証を重ねて実証結果を増やす──といっても、これは能力行使の場に立ち会う際に試させてもらえば済む話──だけの段階に入ったので、ようやく本命の方に本腰を入れることができる。何時だって、成果が出ない研究には冷たい目が向けられるのだ。悲しいことではあるが。
「早く、助けてあげないとね」
「……うんっ」
抑制圏内に覆われるほどに茉優に近付いて、私は揺らぐ瞳の茉優と向かい合う。私の白衣を握る茉優の力は少しだけ強かった。固まっていた粒子が解れて、ゆっくりと無色になっていくのを横目で見ながら、私はその柔らかい手に手を重ねる。
一つ一つ、キーファクターは揃い始めているのだ。だからこそ、焦らず、確実に。
「あぁー……さっぱりした……」
あれから、一人寄り道をしてから帰寮した私はいつも通りの時を過ごした。日常は不変であるから尊いものなのだ、などと適当なことを思いつつ、ほんの少し濡れ髪のままベッドに倒れ込む。
「んぁ、誰だろう?」
そんな折、寄り道での疲れで枕に顔を埋めていた私は、突如響くノック音で枕から顔を上げた。こんな時間にお客さんとは珍しい。
「はーい……って、茉優か。どうかした?」
緩慢な動作で起き上がり扉の方へと向かう。そして、覗き穴で外の様子を伺うことなく扉を開けると、そこには茉優が立っていた。お風呂には入ったようで、彼女も少し濡れ髪だ。
「茉優?」
「あまとくぅぅん……っ」
しかし、何故か俯いたままの茉優と無言の対面が続き、訝しむ私は彼女に声をかける。すると、茉優は震えた声のまま私の胸に飛び込んできた。どうやら、理由は分からないが既に甘えん坊モードらしい。
「よしよし、何があったの?」
「ぐす……っ」
幸い、廊下には誰もいなかったようだが、私は他の視線を遮るように茉優を抱きしめたまま部屋に引き込んだ。そして、ガチャリとオートロックが作動するのを聞きながら、茉優をあやすように頭を撫でる。
「もうお嫁にいけない……」
若い子と比べては落ち込み、その度に私に慰められに来るのが私の知る茉優である。今回もお風呂で何かあったのだろうと踏んでいたのだが、その楽観的な予想は悪い意味で覆された。どうやら、事態は思っていたよりもずっと深刻らしい。
「とりあえずこれ飲んで、少し落ち着こう」
「ん……」
一先ず座布団に座らせてから、私は茉優の前に紅茶を置く。これで少しでも落ち着いてくれれば良いが……。
「それで、一体何があったの?」
一口、二口と紅い液体を喉に流し、細く、深く息を吐いた茉優に私は話を切り出した。ここに来たということはそういうことなので、早く話させて楽にさせるためだ。
「その、ね? さっき、七海ちゃんにお風呂誘われたんだけど……」
「うんうん」
少し遠慮がちに話し始めた茉優に、私は相槌を打ちながら続きを促す。テーブルに置いた私の手に茉優の手が重ねられた。
「それで、一緒に入ることになって……その、その時に……な、七海ちゃんに身体をまさぐられて……」
そうして綴られるデクレッシェンド気味の茉優の言葉に、私は何とも言えない表情を顔に映し出す。女の子同士の戯れに過剰な反応をしたとみるべきか、そうではないのか非常に反応に困るが……。
「そ、それだけじゃなくて、お、おっぱいとか、お……し、下の方も……えっちな感じで触られて……」
そんな私に気が付いたのか、茉優は捲し立てるように言葉を重ねた。普段は使わない少し卑猥な表現を使っているせいか、最後の方はもう音になっておらず、ぱくぱくと小さく口が動いているだけだ。
部屋が急激に温度を上げたかのように、私と茉優の顔が仄かに熱を帯びる。
「あー……まぁ、うん。とりあえず、おいで?」
「うぅぅぅ……!」
結局、最終的に私が出した結論は何も言わないということだった。経験上、こういう時はうやむやにしてしまうのが一番だという私の心に従うことにする。
お互いに赤い頬を誤魔化すように、私と茉優はいつもの遣り取りを重ねた。逸れてしまったものを、日常へと引き戻すように。
「今日は色々とありがとう」
「どういたしまして。それじゃ、お休み茉優」
「うん、お休み天都君」
それから三十分か一時間かは分からないが、宥めるように茉優を甘やかしてから落ち着かせることに成功した。今は、女子のフロアへと上がる階段の前で、夕食後にもした挨拶を交わしているところだ。
「はぁ……何か疲れちゃった」
ゆっくりと階段を登っていく茉優を見送ってから、私は一つ溜息を零す。とりあえず、明日は在原さんにやんわりと注意しておくことにしよう。そういうことは相手の合意を得てからやるべきであると。
「ッッ!!」
そして、何と言おうかと考えながら自室へと戻った瞬間、部屋中に──いや、学院中に甲高い機械音が響き渡った。今朝も聞いた目覚ましの音とは違う聞く者の心の不安を煽るそれに、私の意識のスイッチは一瞬で切り替わる。
「一先ず寮長の指示があるまで室内で待機! 皆にもそう知らせて!!」
「は、はいっ!」
一分とかけずに部屋着から動きやすい服に着替えて扉を蹴破る勢いで廊下へと飛び出すと、不安気な顔をした男の子と目が合った。私は彼に簡単な指示だけ出すと、彼の返事を聞くよりも早く廊下を駆ける。
「二条院さん!」
跳ぶ勢いのまま何度も階段を駆け下りて一階まで辿り着くと、そこにはロビーで何人かの寮生と共に固まっている寮長殿の姿があった。連絡が省けたとばかりに彼女に呼びかけてから、私はそのまま外へと駆け出して────
「紀先輩! まだ三司さんが戻ってきてません!」
「な……っ、分かった!」
行く直前、寮長殿は切羽詰まった声色で私に叫ぶ。恐らく、取材で遅くなる三司さんの帰りを彼女は律義に待っていたのだろう。そう考えてから、私は内心の警戒レベルを上げて短く返事をした。
ご武運を、という言葉を背に受けて、私は再び走り始める。あらゆるものが変わっていく予感を、どうしようもなく感じながら。
過去の話は今回みたいに夢で見るか、地の文で天都君が「こういうことがあったなぁ」って感じでサラッと思い返すかでしか出ないと思う。
【Column-III-】天都君の設定その2
研究職を賜っているのは作中で明らかにした通り。
それともう一つ、彼の性格と体質上、アストラル使いが喧嘩を始めた場合真っ先に止めに行くのだが、生身一つで飛び込む必要があるので、特殊対人制圧能力が高く、また、単純にフィジカルも強い。そのことから、何かしらの緊急時における対処も任されている。