「ん、どうしたの? 暁君」
空が茜に染まる中、黒髪の少年と銀髪の少年が道を並んで歩く。銀髪の少年が不満気な黒髪の少年の手を繋いで歩く姿は、見た目は似ていないのに何処か兄弟のように見えた。
「天都はさ、何で俺に構ってくれるんだ?」
そんな黒髪の少年が紡ぐのは、自身に優しくしてくれる少年への疑問。その表情は周りに当たり散らしてばかりの自分に、何故こうも根気よく付き合ってくれるのかが、純粋に分からないという色をしていた。
「そりゃあ、暁君も家族だからだよ」
その問いに、銀髪の少年は屈託のない笑顔を浮かべて答える。心の底からそう思っていると表情でも伝えるそれに、黒髪の少年はつい毒気を抜かれて間の抜けた顔を晒した。
二人の間に、暫し静寂が訪れる。
「暁君の痛みは、僕には分からない」
「……天都はアストラル使いじゃないもんな」
変な力は持ってるけど、と不貞腐れる黒髪の少年は繋がれた手はそのままに、無言で銀髪の少年の言葉の続きを促した。こういう物言いをする時は絶対に何かあると知っていたから。
「でもさ、分からなくても、和らげることぐらいはできるんじゃないかなって」
殴るのも僕にすれば誰も傷つかないし、と締め括る銀髪の少年を、黒髪の少年は見上げる。その表情は夕暮れの逆光で誰にも見ることはできなかった。
「…………変だな、それ」
「ふふ、変かもね」
やがて、二人は帰るべき場所へと歩み出す。先程まで歪んでいた黒髪の少年の感情も、そこへ着く頃には────
「ぅ、ぐ……っ?」
また夢を見ていたような気がする。そんな思考も腕に残る鈍い痛みでかき消されてしまった。けたたましいアラームの代わりに耳の中に住み着く心を逆立たせるような甲高い耳鳴りと、いつもは明瞭に映っていたものがぼんやりとしか映らない視界。その常とは違う感覚で更に不快感は増していく。
「そっ、か……結局戻ってきたん、だっけ……?」
そして、水分が足りずに掠れる声で発した言葉により、昨日の顛末を完全に思い出した。結局、賊を捕り逃してしまった後は気絶してしまったのだ。後一歩まで追い詰めていただけに倍増した悔しさが胸を染めていき、自然と拳を握りしめていく。腕に残る嫌な感触が、負の感情を増幅させていく気がした。
「でも、何も得られなかった、わけじゃない……」
そう、最善は侵入者を捕らえることではあったが、決して何も収穫がなかったわけではない。他者の能力を再現する服。恐らく、極一点からしかアストラルの光は観測できなかったことから、編み込まれた繊維か何かだろう。とりあえず、そういうものがあるということを知れた。あれをこの手で再現することができればきっと、まだ道筋は定まっていないが、琴里の解放には近づけるはずだ。
暗闇に差した光明を見て、重い身体に活力が戻っていく気がした。
「…………よしっ、とりあえず朝ご飯朝ご飯」
浴びるように水を飲んで喉を潤し、私はやおら立ち上がる。ちらっと見た時計は既に七時を示していたはずだ。今から着替えて下りれば、ちょうど朝食が始まる時間である。
道標が見えた以上迷っている暇はない。今はとりあえず真っ直ぐ進むだけだ。
「っと、茉優?」
「あ……おはよう天都君」
「うん、おはよう」
のそのそと準備を終えて廊下に出ると、そこにはちょうどこちらにやってくる茉優の姿があった。完全に食堂で合流するつもりだった私は思わぬ存在に驚きつつも、一旦彼女を室内へと引き込む。
「どうしたの? わざわざ部屋まで来て」
「どうしたのって……電話も、メールもしたのに、返信全然来なかったから……。大事はないって聞かされてはいたけど、本当に大丈夫かなって、心配で……」
何か用事でもあったのかと尋ねてみるが、返ってきたのは茉優からの純粋な心配の声。その不安を押し殺すような声色に、私は自分の失態を悟った。恐らく、私がふらついた身体で寮まで送り届けられたのを見ていた二条院さんあたりが、私のことを茉優に教えたのだろう。そこまで茉優を心配させてしまった事実に、申し訳ない気持ちが胸を満たしていく。
「やだよぉ……琴里だけじゃなくて、天都君までいなくなっちゃうの、やだぁ……っ」
「茉優……」
やがて、抑えきれなくなった不安が茉優の口から溢れ出た。震えた声で紡がれるそれを聞いて、私は強く茉優を抱きしめる。
「大丈夫、絶対いなくなったりしないから」
「ぐす……うん……」
失うことを怯える茉優は、縋りつくように私の背中に腕を回した。徐々に強まり、やがて苦しいほどの力が込められたそれも、私は静かに受け入れる。不安にさせたのは私の責任だ。それを償うように、私は茉優のすすり泣く声を聞きながら彼女の頭を撫で続けた。
けれど、多分私は同じことがあればまた飛び出していくだろう。先の言葉の通りいなくなるつもりは毛頭ないが、私が身体を張ることで助けられる誰かがいるのであれば、きっと────
「あ……天都、先輩」
「ん、おはよう暁君、在原さん」
「お、おはようございます……」
あれから十分ほど費やしてから茉優を宥めた後、私たちは食堂へと下りた。それから、席を確保しておくために、まだ朝ご飯を受け取っている茉優とは一旦別れてテーブルの方へと向かう。するとそこには在原兄妹の姿があった。既に半分ほど食べ進めている彼らに挨拶すると、両者共にぎこちない言葉が返ってくる。暁君もまだ昔の言葉遣いに慣れていないらしい。
「ここ、茉優と一緒にいい?」
「大丈夫、です」
「あはは、まだ固いねぇ」
昨日の言葉を意識しすぎてか、暁君の態度が少し固い。あれだけ言うのは少ししつこかっただろうか。それならもうどちらに落ち着くにせよ、暁君のそれを受け入れることにしよう。
「あの……怪我したって聞いたんですけど、大丈夫なんですか?」
そんな風ににこにこと笑う私を見て、在原さんは不安そうな表情でそう尋ねてきた。どうやら、既に私が侵入者に負けてしまったことは広まってしまっているらしい。
「ん? あぁ、大丈夫だよ。こうして学校にも行こうとしてるんだし、平気──」
「視力、聴力の低下。それに三半規管もまだ正常に戻っていない状態の何処が平気なのか、アタシに教えて欲しいな天都君」
朝から暗い顔をさせるの申し訳ないので、私は空元気で二人を安心させようとしたのだが、それよりも早く茉優の若干棘を含んだ声が遮った。少々乱暴に私の隣に座る茉優の表情はピントが合わず上手く見えない。
「茉優」
「だって天都君、周りの皆にちゃんと言っておかないとまた無理するでしょ」
私の諫める声にも今日の茉優は少し反抗的だ。そこには先程も見た私のことを心配する色が多分に含まれている。嫌がらせをするためにやっているわけではないので、私はそれに強く出れなかった。
「わ、わたしの能力で治せたら良かったんですけど……」
そして、正確に容態を知られてしまったということは、二人の顔色も更に暗くなるということ。治癒のアストラル使いである在原さんなんかは、感じる必要のない責任まで感じてしまっている始末だ。
「気にしなくていいよ。それは在原さんじゃなくて私が悪いんだから」
もっと言うならば、二人いると知っていたにもかかわらず、完全に逃げたと決めつけていた私が悪い。今も身体に残る鈍い痛みは、その戒めを私に与える傷そのものだ。
「次は絶対に……」
次第に、強い想いは自然と口から溢れ、途中でそれに気付いた私は言葉を切る。何も皆の前で言うことじゃない。それに、今ここでそれを口にしてしまったら────
「アタシは、天都君を酷い目に合わせた人たちを許せない」
こうなる。私の決意に触発された茉優が、昨日の正体不明の侵入者たちに怒りを露にしてしまった。その強い感情に中てられたせいか、下級生二人はすっかり委縮してしまっているようだ。
「食べ終わったので、俺たちはそろそろ……」
「あぁ、うん、朝からこんな空気にしちゃってごめんね」
やがて、気まずい表情のまま暁君と在原さんは朝ご飯が空になったお盆を持って、返却口まで立ち去っていく。彼らには本当に申し訳ないことをしてしまった。後で何か甘い物でもお詫びに渡すとしよう。
「もう、茉優」
「う……ご、ごめんなさい……」
二人になった席で、私は茉優にジトっと視線を飛ばす。流石に自覚はあるようで、茉優はバツの悪そうな顔をして謝罪の言葉を口にした。
「後でもう一回、二人に謝りに行こうね」
一緒に着いて行くからとすっかり落ち込んでしまった茉優に言うと、茉優は小さく首を縦に振る。こういうところはまだ彼女も子供なのかもしれない。ぐりぐりと頭を撫でながら、私はそう思った。
「さて、私たちも行こうか」
「本当に休まなくて平気? 看病もするよ?」
それから、登校時間までに食べ終えて私は徐に立ち上がる。幾分か起きた時よりもすっきりした顔の私を眺める茉優は未だに不安顔だ。
「まあ、私が行くのはまず柿本先生のところだけどね」
「う、うん、そうだね。一度ちゃんと見てもらってきた方が良いね」
登校するとは言っても現状私たちはほとんど授業に出ることはない。だから、その時間を使ってまずは教師であるのと同時に医者でもある柿本先生のところでちゃんと診察をしてもらうつもりである。さっきあれだけ茉優に心配されたのだから、きちんとした形で問題が無いことを証明しておかねば。
「その後は、まあ研究室で大人しくしてるよ」
「それなら……うん、分かった」
続く私の言葉に茉優は一瞬黙り込んだものの、首を縦に振ってくれた。理事長に昨日のことで呼ばれているが、そう時間はかからないはずなのでこれは言わずとも大丈夫だろう。とにかく、今日という日を始めていこう。
「──というのが昨夜の出来事です」
「そうか……」
あれから検診も終え、そのまま理事長室へと向かった私は彼へ昨日の顛末を報告していた。侵入者を取り逃がしてしまったせいか、彼の表情は険しい。いや、それは割といつものことであったか。
「一先ず、君に大事が無くて何よりだ」
しかし、その素で威圧感を感じる表情の裏は、多大な優しさで溢れていることを私は知っている。今もこうして、私の無事を聞いて眉間の皺を解れさせたのが何よりの証拠だ。
「その侵入者たちは何か言っていなかっただろうか」
「一応会話は試みたのですが……結局声を発したのは追い詰めた時の呻き声だけでしたね」
少しの沈黙を添えてから、再び話し合いが始まる。しかし、理事長の問いに返せる答えは驚くほど少ない。
「仮面でくぐもって聞き取り辛かったですが、声は若かったと思います」
とりあえず答えられることを順々に答えていった。気絶させられた直前のことは少し曖昧だが、話している内に少しずつ芋蔓式に記憶が掘り起こされていく。男の声もそうであったし、女の方は少女のそれと言っても差し支えは無かった。
「そういえば、男の方は女に"レヴィ6"と呼ばれていました」
「ふむ」
声のことを考えると気を失う直前に聞いた女の言葉を思い出して、私はそれを理事長へと伝える。恐らくコードネームか何かだろうが、様々な界隈にパイプを繋げている理事長なら、そこから侵入者の正体に行き着けるだろうか。思考する理事長の表情から察するに、思い当たる何かは無かったようであるが。
「それと、詳しい原理はまだ分かりませんが、他者のアストラル能力を複製して、それを自由に使用できるようになる装備を支給されているようでした」
「何? それは確かか紀君」
「はい」
正体については声や名前からはもう探れないと判断して、私は自分が見たもう一つの伝えるべきことを話し始める。二人の服に埋め込まれた何かが同一のアストラルパターン──指紋や声紋のように、これは同一のものは存在しない──を発していたことを説明していくと、理事長の眉間に再び皺が深く刻まれていった。
時間を置いて改めて考えてみたが、研究都市内で色んな研究に──手伝いとはいえ──携わってきた私も、現在進行形で学院の研究棟の統括をしている理事長も、そんなアストラル技術が発明されたとは聞いたことがない。つまり、それは表には出回っていない代物というわけで────
「紀君」
背筋に嫌な予感を共有した理事長と、私は真っ直ぐに向き合う。彼の鋭い瞳の奥に見えるのは、この上なく真剣な色一色だ。
「護衛……とまではいかないが、どうか三司君のことを気にかけてやって欲しい」
「分かりました」
あの場に倒れていた二人が陽動だったのであれば、三司さんが襲われたのは偶然で片付けられたのかもしれない。しかし、少なくともあの透明な侵入者二人は私の"体質"について知っていた。つまりそれは私の情報を知られているということで、騒ぎを起こすこと──即ち私が外に出てきてアストラルの光を探知される可能性を増やすこととはどうしても真っ直ぐに線が繋がらない。通常なら隠密行動を手助けするそれも、今回に限ってはどう考えても悪手にしかならないからだ。気絶した私に何もしなかったということは、私を誘き出すことが目的というわけでもなかったようであるし。
以上の推測から、私には昨日の一件で事が済むとはどうしても思えなかった。その考えが一致したからだろう。私は理事長の言葉に一も二も無く頷く。
「色々と負担はかけるが、よろしく頼む」
尊敬する人からの真摯な頼みに、私は身体の奥底から活力が漲るように感じた。やることは、やるべきことはとても多い。
日常が崩れ波乱に満ちていく気配が、漠然と私の胸を支配する。
ぼんやり考えてたんですけど、天都君の名前が天都君な理由を思いつきました。多分コラムでも話す機会は来ないけど、ヒントは本作が実質神戯外典ってこと。
【Column-VI-】裏話その2
天都君はたまに理事長とお茶している。露骨に琴里さんの普段の様子を聞く理事長の姿が以前は見られたらしい。