リモコンのスイッチを入れると年季の入ったクーラーがガラガラと音を立てながら夏の暑さに蝕まれる宿直室を徐々に冷やして行く。
玄関口で靴を脱ぎ、テストの答案や宿題のプリント、日直の日誌をドサリと机の上に置く。膨大な量とまではいかないが、丸つけや宿題のチェックをこれからすると考えると溜息を吐かざるを得なかった。
外は太陽をこれでもかとギラつき、蝉がけたましく自身の存在を主張している。いつも児童で溢れかえる校庭は人1人もおらず、伽藍とした光景だ。
(まぁ、テスト終わって明日から夏休みだもんなぁ…)
遊びたい盛りの小学生だ、テストが終われば皆『○○ん家で遊ぶぞ!』なんて言って帰りの挨拶と同時に教室から飛び出して行った。
それを羨ましそうに思い返している俺こと松田龍司はこの小学校の新米教師である。勤務歴は今年で三年目となり、教える科目は保健体育、体育、国語でメインは体育科目だ。
総人数15名の小学6年生のクラスを受け持っていて、自分で言うのもなんだが生徒に慕われ、他のクラスからもいいなぁと声が聞こえるほど人気がある。これはとても名誉な事であるし、これからも生徒の力になれる頼れる先生としてありたい。
しかし、キラキラと青春の真っ只中の小学生を見ると、ふと暗い気持ちを抱いてしまう時があった。それが今だ。
もし自分が小学生に戻れたら、たくさん友達作って、たくさん勉強して、死ぬほど遊んで、クラスの頼れる存在になって…女の子にモテモテになって……
大人の知識を持って子供に戻れたらと夢想する。何回も夢見たが最後は現実に戻り、悲しいだけだ。
「…はぁ、なんか虚しくなってきた…。さて仕事仕事…」
“もしも”の話なんてするだけ無駄だと毎回分かってはいるんだけどなぁ。どうしようもないことに意識を割いても仕方がない。生徒のために働くんだ。
手付かずの答案に手を伸ばし、赤ペンを手に持った瞬間ーー
“コンコン”とリズム良く、宿直室の戸が叩かれた。
「はい、今開けますー」
誰だろうか?この部屋に用があるのは。夏休みの間は俺が殆ど宿直室に泊まり込みだから用のある教員などいないはずだが…
出来れば玲子先生(教員の中で最も若く美しい女性教員)だったらなぁと
そう思いながらも扉を開けるとそこには誰も居なかった。
「あれ?」
「先生、下だよ下!」
鈴のような声が下から聞こえて視線を下にやるとそこにはランドセルを背負った黒髪の美少女がいた。
俺がここにきてからずっと受け持っている生徒であり、相当懐かれているという自覚はある。事あるごとに俺にニコニコしながら近寄ってくる可愛らしく思い入れのある生徒の1人だ。
そんな彼女だが、周りに比べて背が低い事を気にしているため、可憐な表情にプンスコと怒りがみえる。
「え?おぉ、すまんすまん。他の先生かと思っててな…」
「沙耶香の事バカにしてるでしょ」
「してないって、気分を悪くしたならこの通り!許してくれよ」
手を合わせて頭を下げる。大の大人が情けないと思うだろうか?いや、ここは小学校の教員として、真摯に向き合う上で俺は全く恥ずべき事ではないと思う。
生徒の信頼を得られない教員は何処かしらでミスをする。
俺の先輩教師の言葉だ。これまさに然りと、俺はこの言葉を信じて教師をやってきた。その成果は確実に出ていると思う。俺はこの学校内で人気の先生、去年一昨年の卒アルのランキングでは一位に輝く実績がある。今年も頑張るぞ…!
とまぁ、それはさて置きだ。下げた頭をチラリと女児に向ける。
「ふっ、先生がそこまで言うなら許してあげる。他の先生なら許さないけど。」
許しを得られたので頭を上げて改めて沙耶香と向き合う。その際少し屈んで視線を合わせる。
「おいおい、それは他の先生が可哀想だろう」
沙耶香は『禿山とか豚丸とか生理的に無理だわ〜』とあっけらかんに喋る。山田先生と金丸先生には流石に同情した。
「いーの、先生は“特別”だから…」
“特別”を強調するように囁く沙耶香にドキリとする。小学生の沙耶香が酷く大人びて見える。いや、大人びてではない。客引きする娼婦のような妖艶な笑みだ。
こんな笑みを浮かべる少女だったか…?
(何考えてるんだ俺…相手は小学生だぞ…。なんで男って特別とかって言葉に弱いんだ…)
俺はロリコンじゃない。子供が好きで小学校の教員を目指したが、性的対象に捉えたことはない。頭を軽く振って沙耶香に視線を戻すと普段の可憐な笑顔の少女がそこにいた。さっきのは幻覚だろう。
「ふぅ…ともかく、何の用だ?テストの点数ならまだ丸つけしてないから分からんぞ」
「私テストには自信あるもん。別にそんな事が知りたくて来たんじゃないよ!先生帰りの会で言ってたじゃん。」
帰りの会で…はて、帰りの会で言ったこと?課外講習のことか?
「あーもしかして課外講習か?あれは成績が悪い奴のために開いたんだが…」
帰りの会で課外講習について話をしている時、聞いてるのは真面目な女子くらいで特に課外講習を受けて欲しかった成績不振の男子や女子は何して遊ぶかとソワソワして話を聞いていなかった。
沙耶香はジッと俺を見つめていたので話を聞いていたのは知っていたが…沙耶香は学校が誇る成績優秀者だ。今更ながら課外講習は必要ないと思った。
「先生知ってるでしょ?私が中学校受験するの!それに向けて受けてみようかなって思ったんだけど…」
「それは知ってるが…それだったら塾とか行けば良いんじゃないのか?」
「えー、塾はお母さんに相談しないといけないし…なによりも!私は先生に教えてもらいたいんだけどなぁ…
まただ…また沙耶香が妖艶に嗤った。心臓がドクドクと激しく脈打つ。まさか俺は昂奮してるのか…?いや、違う…意味深なこと言われてすこしドキドキしてるだけだ…。そうに決まってる。
「あ、あぁ…分かった。どうせ誰もいないと諦めていたけど沙耶香のために課外講習を開くよ」
俺は何かが危険だと感じつつも目の前の少女、
「やったぁ!ありがとう、龍司センセ♡」
これが俺の過ちの夏、人としての転落の始まりだった。
先生は大人なんだぞ!?メスガキに欲情するわけないだろ!いい加減にしろ!