いやだ。
「それじゃ、ユウトたちのところに連れて帰るよ。抵抗するなら気絶させて連れ帰るからそのつもりで」
いやだ。
ユーフィーがどうなったのかわからない以上は帰りたくない。さすがに二百年以上も時間があったんだから多少はまともになって、俺を襲う心配もなくなったのだと信じたいんだけど。どうしてもあの時のユーフィーのちょっとばかり昏かった瞳を忘れられない。思い出しただけで震えてきた手を、目ざとく気づいたミューが握って微笑んでくれる。少しばかり落ち着いた。
「なあ、ローガスさん」
「ん? ローガスでいいよ、別に。それでなんだい?」
「ユーフィー……俺の双子の姉が今どういう状況なのか知ってるか……?」
「ああ、彼女かい? 彼女には今、君の父親であるユウトの出身世界が存在する時間樹、エト・カ・リファに行ってもらって、とある任務を遂行してもらっているよ。君が帰ってこないことを心配して、洗脳されたんじゃないか、とか色々と考えてロウ・エターナルへの殴り込みまで考えてたからね、あの娘。帰ったらちゃんと姿を見せてあげるんだよ」
「…………帰りたくねぇ」
その言葉を聞いて帰ることへの抵抗が大きくなる。帰ったら絶対捕まるよこれ。けれどローガスはどうやらユーフィーの異常を知らないようで、疑問を抱いている。ミューギィがよくわからないままに手を握って落ち着けようとしてくれる姿が唯一の癒しである。
「まあ、そう言わずに。君の両親は君の帰りを時間樹エト・カ・リファで待ってるんだから。心配かけた分ちゃんと怒られておくといいよ」
「……父さんたちに怒られた後にまた旅に出たらダメか?」
「……君、そんなにユーフォリアに会いたくないのかい?」
「以前、昏い目でずっと一緒だと言われたけど何か?」
そう言うと哀れな生贄を見る目で見られたが、こいつはそもそも喜怒哀楽のうち「怒」と「哀」が消えているのではなかっただろうか。それとも哀れんでいるフリをして、その上で生贄を見る目だから問題ないのか。思い出すと体が勝手に震えてくる。ミューが頭を撫でてくれたのでちょっと落ち着いた。
「あはは。それだけ愛されてるってことじゃないか」
「重すぎて相手を傷つけかねないものを愛と呼んでいいものか……」
何気に、ローガスが初めて俺の家庭内での危機を把握してくれたエターナルかもしれない。他の面々は知っていないはずだ、ユーフィーがあんなことになっているなんて。
そんなことを思いながらもローガスに続いて門を潜る。逃げられないとわかっているから、諦めた。一緒にミューギィがいてくれるそうだし、彼女のことを頼らせてもらう。彼女の存在がこれからの地獄における唯一の清涼剤であり、おそらく彼女がいなければ自害を選ぶのではないだろうかと思うほどにはユーフィーのことを恐れていたし、それほどまでにミューギィの存在は大きかった。
「とりあえず、これから行く世界の気候に合わせた服装に変えてもらったわけだけど。今から行くのがどの世界かってことは説明してなかったよね?」
「エト・カ・リファじゃないのか?」
「いいや、時間樹はそれであってるよ。君が行くことになる、その時間樹内部の世界……分枝世界のことを言ってるんだよ。君が行くのは、君がかつて行ったことのある世界。君が脱走を行なった『出雲』という組織が存在する、ハイペリアと呼ばれる世界だよ」
その言葉を聞いた時、俺は嫌そうな顔をしていたと思う。
「……逃げちゃダメか?」
「逃げちゃダメだよ」
即答。あー、とかうーとか言いながら、思い出すのはミューギィと出会う少し前のこと。一度、時深さんから連れ戻されそうになった時のこと。タイムアクセラレイトからのクリティカルワンをいずれ捕まった時に受けることが確定した瞬間。そして今、俺は彼女が存在する世界に行こうとしている。これは殺されること間違いなしと思うと、どんどん逃げたくなってくる。
「大丈夫。ユーリはボクが守る」
「ミュー……」
そんなことを言うミューギィの服装は俗に言う童貞を殺す服。真白のブラウスに紺の膝下丈のスカート。その服装を着こなすために概念情報を書き換えて年齢を十三程度にまでは引き上げている。幼いことに変わりないのだが、膨らみ始めた胸など、見た目にわかりやすい特徴を始めとして諸々の部分が童女から少女に変わりゆく世代特有の愛らしさと相まって、とんでもない色香を放っている。
というか一回殺された。即死だった。
俺のことを思ってくれて……いるのだろうか? まあ、とりあえず憎からず思ってくれていて。スキンシップ過多で。甘えることができる相手。……あと血が繋がってない。……血が! 繋がって! ない!! なんだ、この誰かが空想したかのような都合のいい女……。 ここで血が繋がってたら繋がってたでやっぱりライトノベルとかでよくある展開ではあるけれど。それでも血は繋がってない。ユーフィーとは違う。
なんだ、嫁じゃん。
今も握られている手の柔らかさにうわーうわーと心の中で言っている。ついでにそれを見てニヤニヤしているローガスもいる。俺もちゃんと彼女の肉体年齢に合わせて十三程度にしている。もう父さんたちには嫁探しに行ってたとでも言おうかなと思える程度にはミューギィが可愛くてしょうがなかった。
「うん、大丈夫。ミューがいればどうにかなる」
けれど、とりあえずかわいい女の子の前では格好をつける男の習性とでもいうべきそれを使ってどうにか顔からはそんな状態を全く読み取れないように虚勢を張る。ローガスにはバレているような気がするが、うん。そこに関してはどうでもいい。こんな男に知られたところで別に何も問題は……
いや、あるな。
そういえばこいつ「サードデスティネーション」で父さんに対してユーフィーを任務に派遣したいという内容のそれを「娘さんを僕にください」とか言って説明してた、ということを今思い出した。最近、常日頃から思い出していたような内容でもないと前世のそれがなかなか思い出せない。
「よかった」
とは言ってもそんなことなど全く知らないミューギィは、俺の虚勢を見て最近豊かになってきた表情のうち笑顔を見せる。へにゃりと相好を崩したそれが、これまでの雰囲気とは違いすぎて。こうしてミューギィの新しい姿を幾度も発見できることがとても嬉しい。ああ、多分こうして彼女の新しい姿を見ることが好きなんだなと思って、
とりあえずその可愛さに悶絶した。
「どうしたの?」
こてんと首を傾げる仕草もこれまで通りのはずなのに。なぜか異様に可愛く感じる。一瞬息を飲んだせいで答えが返すことができなかった俺を見ながらローガスが笑う。
「あはは。ユーリはさっきから君が可愛くてしょうがないんだって」
「ローガス!!」
ブチギレである。手持ちの小石を全力投球。しかし彼がそこらへんで拾った木の枝によって全て粉砕された。
「そうなの?」
「う……あ……はい」
じっと見つめる瞳は純粋で、嘘をついてしまえば一生ぬぐいきれない罪悪感に苛まれそう。そう思った、思ってしまった俺は、頷いてしまう。それを横で見ながら大爆笑しているローガスはいつか殺すとして、俺の返答を聞いたミューギィはそうと言って何度か頷いて。そしてそのまま俺の腕を取ってきた。
「ミュ、ミュー!?」
「それなら、今から恋人。恋人ならこんなことをするのは普通って聞いた」
「いや、なんで!?」
少なくとも、かわいいは感想でしかないはずだ。告白していないのにも関わらず、なぜに恋人ということになっているのか。……やはり、もっとちゃんと教えておくべきだったか。そうは思ったし、とっさに突っ込みも入れてしまったが、ミューギィは嬉しそうで否定する気にもなれない。
実際、嫌いではないのだ。可愛いとも思うし、それなら付き合わない理由がないと思われるかもしれないが、世の中そう簡単にはいかないのが現実。そうだ、間違えるな。確かに可愛いし、嫁にしたいなぁとも思うけど、それはイコールで好きというわけではない。多分これは「あんな人がお嫁さんになってくれたら楽しいだろうな」みたいな感じだ。だってそうだろう? 俺とミューギィの間には特別何かがあったわけでもなく。こう、父さんたちみたいな劇的な何かもなかった。
いつまで経っても心は前世のオタク気質だった俺のまま。だから自分が誰かに惚れるなら、やっぱり現実ではなかったような何か特別なイベントが欲しいなんて考え方。そんな考えをきっと捨てきれていない。ゲームと同じように進んだ父さんたちという実例があるのだから、きっと何かがあるはずだ、なんて思ってしまっている。だからどうにかしてミューギィに抱くこれを恋ではない何かだと否定しようとしている。
「……ぬ?」
ふと、考えが変な方向に至る。これは恋ではないのだと否定する材料を探そうとして、気づいてしまった。これまでの生活で、基本的にはミューギィの蓄えた知識というのは俺が与えたもの。たまに近所のおばさんとかがいることは確かだが、それでも大部分のミューギィ殺戮以外の知識は俺が与えた。……つまりこれは俺が光源氏的な畜生になっていることの証明ではないかと。
「いや、流石にそんなことは……」
さらにそこから否定する材料を探そうとして発見できないことに気がつく。ちょっと落ち込む。流石にそんなド畜生になっていたとは思ってもみなかった。
「あはは。とりあえずそろそろ着くよ。準備しな」
「……はーい」
「ん」
ローガスの言葉で気を取り直してエト・カ・リファの門を潜る。広がった景色は見覚えのあるコンクリートが敷かれた地面。二百年以上は前に見たのが最後の、現代日本の地面だった。アガスティアは石畳のそれが舗装された道だったから、こういうのを見るのは本当に久しぶりだ。わずかばかりの懐かしさを覚えながら、視線を前に向けるとそこには紅白が目立つ巫女さんが一人。その姿を確認して、ローガスの後ろに隠れる。彼であれば別に盾にしたところで何も心が痛まない。
「トキミ……君、何かしたのかい? 彼、怯えてるけど」
「な、何もしてませんよ!?」
慌てる時深さん。……ほう、あれをなんでもないと称するか汝は。
「タイムアクセラレイト……」
「ゔっ……」
ぼそりと呟くと奇妙な声をあげて動きが止まった。ほらほら、時深さんですよーなんて言ってた彼女の動きが。自覚はあるようだ。ならもっと攻めてあげるとしよう。
「クリティカルワン……」
ぼそりとさらに呟く。時深さんはまた奇妙な声をあげて、それによってローガスも事情は分からずともタイムアクセラレイトとクリティカルワンに関して俺に対して何かしらの疑いは持ったようだ。
「何があったのかは知らないけど、流石に子供に対してそれはダメじゃない?」
「よくわかんないけど、ユーリの敵ならボクの敵」
咎めるローガスと、俺が時深さんに対して向ける行動から敵だと判定したことで神剣を構えるミューギィ。この世界で流石にバンバン神剣を呼び出すのはまずい。そう思ったので
「ちょ、ちょっと待てミュー! この世界で神剣を簡単に呼び出したりしたらダメ! 捕まって一緒にいられなくなるぞ!」
「そうなの?」
「そうなの」
ならやめると剣を隠すミューギィ。ホッとした。けれどその状況を見ていた時深さんからしたら、彼女が何者なのか分からないので疑問符を浮かべた状態に。無駄に見た目はいいので小首を傾げるその仕草だけで愛らしく感じてしまうのが憎い。
「えっと、そちらの子は……」
あ、まずい。名前を知ったら絶対にまずいことになる。だってミューギィだぞミューギィ。ロウの首魁と同じ名前のエターナル。この時点でバレたらまずいとわかる。
「ボク? ボクはミューギィ。永遠神剣第三位『絶炎』の担い手。ミューギィ・ファナン」
すっと、時深さんの視線が剣呑なものになる。
「あと、ユーリのお嫁さん」
そして直後に続けられた言葉に時深さんの目が点になり、空気が一瞬死んだ。
ミューギィによる「ユーリの嫁」発言を聞いたユーフィーさん「あはっ」