彼女の言うように、去年の勤労感謝の日にも似たような調子で街を練り歩いた。その時は金持ち特有の壊れた金銭感覚に散々振り回されたが、現況を鑑みれば、流石にあの時と同じようにはいかないだろう。彼女たちはバイトで生計を立てる身になったし、棲み処だって大幅にランクが下がった。それでもなおウチよりはよっぽどマシな場所に住んでいるが、節約することは覚えたはずだ。そもそも元はかなり貧乏な生活を送っていたらしいから、ひもじさやら惨めさやらには耐性があるのかもしれない。
生活レベルを下げるというのはなかなかに苦痛の伴うことだと聞いているが、残念ながら最底辺を脱したことがないので俺にその感覚は理解できなかった。同時に、それを彼女たちに聞こうとも思わない。ドンケツ同士の比べあいなど、虚しいだけで何も生み出さないという自覚があるからだ。
「四葉」
「はい?」
「それ、楽しいか?」
「ええ、すっごく」
導入らしい導入はなかったのに、自身を責める貧乏に気分を暗くしていた。先が見えないというのはどうにも厄介で、じくじくと心の深くを蝕んでいく。それなりに受け入れていることではあるのだけれど。
だからこそ、最近はそれなりに苦しい生活を送っているはずなのに明るさを絶やすことのない四葉を不思議に思った。今も、商品棚にならんだガラス細工に目を光らせて、とっかえひっかえ手に掴んでは興味深そうに眺めている。
個人の性格決定に環境の寄与が大きいとするのなら、それこそ彼女の行動は奇行の類に該当するのではないか。困った生活状況の中で笑い続けられるというのは、ほとほと理解しがたいものがある。まあ、同じ環境で育った人間が五人いて、その全員がまるっきり違う人間性を手にしている以上、そんな仮定は無意味かもしれないが。性格は遺伝子によって定められているとかなんとかいった情報を、いつだか目にした記憶もあるし。
だが、目に見えないサイズ感で進行している塩基配列の話などはこの際どうでもよかった。俺が疑問視している主題は、そんなところに置かれていない。
「綺麗なものを見ていると、なんだかとても幸せな気持ちになれますから」
「そんなもんか」
さっきまで四葉の手のひらの中にあった小物を、今度は俺が手に取る。
なんてことはない、ただの雑貨。そもそもからして雑貨という単語が担う構造物の範囲が曖昧すぎて俺はもやもやするのだが、そんな愚痴を彼女に言っても意味がない。生産性がない。だから、俺も彼女がそうしていたように、ガラス細工を照明に透かして見る。
「どうです、何か感じました?」
「この前解いたレンズの問題を思い出した」
「……む」
「ってのは嘘で」
嘘じゃないが、嘘にした方が良さそうだ。わざわざ喧嘩を売っても仕方ない。
しかし、これといって思うこともなかった。実用性に重きを置く人生なので、動物の形を模したただの飾りに飾り以上の意味を見いだせない。発想力の貧困を指摘されても、おそらく俺はそれを否定できないだろう。
「嘘なんだが……」
「なんでしょう?」
「……すまん、こういう時って何を思うのが正解なんだ?」
堪らず教えを乞うた。俺の人生経験からでは、彼女が望む回答を導き出せない。それこそ逆立ちしたって無理なものは無理。加減乗除を知らない人間に複雑な方程式が解き明かせようはずもないのだ。
だから、普段は教える立場の俺が、その立ち位置の逆転を是とした。四葉相手につまらない意地を張るだけ無駄だ。
「上杉さんは、難しく考えすぎなのかもですね」
「そうか?」
「はい。綺麗なものを見たら綺麗。美味しいものを食べたら美味しい。面白い話を聞いたら面白い。それで全然良いんです」
「発展性が……」
「応用問題ばかりじゃないんですよ、世界は」
一を見て一を知るだけでは、知的生物として著しく停滞しているように思うが。しかし彼女的には、そうでもないらしい。
手に持ったイルカっぽい雑貨を前に硬直した俺の周りを、四葉がぐるっと一周した。何かを伝えたいが故の行動なのか、それとも無意味なのか、俺にはさっぱり分からない。
「たとえばほら、こんなのはどうです?」
近くにあったしゃれた髪飾りを手に取って、頭に重ねて見せる四葉。それに対して、どうですかと言われれば。
「しっかり着用しないあたりに売り物への配慮が見える」
「やっぱり考えすぎです。もっと単純に、さあ」
「リボンと合わせてお前の頭部の無秩序感が留まることを知らなくなった」
「はっきり言い過ぎです。他には?」
「他にはって……」
感じたことをそのまま言ってみたけれど、それでもまだ答えがひねたものになっているらしい。こうなると、もはや彼女の裁量に俺の価値観を合わせているだけにも思えてくるが。
「女の子がかわいいものを身に着けているんですよ?」
「似合ってる?」
「惜しい! ニアピン賞です。でも、もっともっと単純なの、ありません?」
「単純、ねえ」
四葉が出した例えをもとにして、導き出される答えとは何か。正直なんとなく気づいてはいて、実のところは口に出すのが恥ずかしいだけだってことは、胸の内にそっと秘しておくことにして。
「…………かわいいな、それ」
「はい!」
ようやく俺から引き出せた言葉にご満悦なのか、花のように笑う四葉。誘導尋問だろと文句の一つも言ってやろうかと思っていたが、こうも幸せそうな顔をされると、毒気を抜かれてしまってダメだ。
「でも、『それ』が余計だったので、ちょっとだけ減点です」
「手厳しいこった」
そこが譲歩できる最低のラインだった。あくまでものに対して褒めるスタンスなら、俺でもギリギリ対応できる。本人含めてとなると、流石にこっぱずかしいんだ。分かれ。
「で、今のは結局何点だったんだ?」
「合計して今日の終わりに発表する手筈ですので」
「繰り上がりには注意な」
酷い忠告だが、四葉なら冗談抜きでやりかねないミスだ。それに対して彼女は「オブラートに包むのとはまた別です!」とぷっくりむくれていた。相変わらず、他人の心情を推し量るのは難しい。
「じゃあ、お会計してくるのでちょっとだけ待っててください」
「買うのかそれ?」
「はい。褒めてもらったので」
ほとんど褒めさせられたのだけれど、そこは関係ないらしい。
俺がスマートな男だったら代わりに金を払ってやるシーンなのかもしれないが、残念なことにそんな甲斐性はどこにもなかった。
だから、まあ、ちょうどいい妥協点として。
「……今度があるなら、もうちょいストレートに感想言うわ」
「おおっ、ポイント稼ぎに来てますね?」
「うっせ」
リボンの片耳を、型崩れしない程度の力で引っ張る。彼女はまるでそこにまで触覚が通っているような様子で「あうー」と目を瞬かせるが、当然リボンは肉体から独立した機構なので無視した。いつものように少しだけ手直しは加えたけれど。
「今度、今日中に来ると良いなあ」
「いくらなんでもペースが早えよ」
そうなったらそうなったで、どうせ俺は二の脚を踏んでしまうのだろう。ためらっている自分の姿だけははっきりと思い描けて、情けなさに苦笑した。