落ち着いた店の中に、これまた落ち着いた音楽が流れている。世代が違うからさっぱり分からないが、こういう場所に流れているのは数世代前に流行ったジャズだと相場が決まっているので、そんなもんなんだろうと思うことにする。残念なことに、世代直撃の音楽ですら俺には良く分かっていないけれど。
しかし、そんな適当な認識なりに、今響いている曲がいわゆる名曲の類であることは分かった。音量の割に思考の邪魔をしないし耳障りでもないので、BGMとしてはこれ以上ない代物だろう。
「で、ここでは何をするんだ?」
「喫茶店なんですから、喫茶するんじゃないでしょうか?」
「だろうな」
場所を移して、くつろいでいる。照明は全体的に暗めで、西側から差す木漏れ日が目立った。もしかすると、それを意図して設計された店内なのかもしれない。
やたらと木目が強調されたテーブルはマホガニー材で出来ているとこれまた相場が決まっているので、そんなもんなんだろうと思うことにする。厨房の方からはシロップ系の甘い香りが漂って来ていて、思いがけずに空腹を刺激された。
「ここのパンケーキがとっても美味しいんですよ」
メニュー表を指さしながら教えてくる四葉。三段重ねの生地の上にはアイスクリームとさくらんぼがのっかっていて、確かに美味そうだった。
こんな状況で唐突に脱線するが、俺は未だにパンケーキとホットケーキの違いが理解できていない。
「上杉さん、今パンケーキとホットケーキの違いがさっぱり分からないって顔してますね」
「心を読まないでくれ」
「私も気になってちょっと前に二乃に尋ねてみたんですが、基本的には同じものらしいですよ」
「同じなのかよ……」
そんなことを聞かされたら、今後パンケーキとホットケーキの両方を販売している飲食店に訪れた時、この店メニューの嵩増ししてんな……という悲しい視点で食いものを選ぶことになる。たまにこうして世界の闇をつっついた気分になるのが、知識を獲得していくうえでの難点か。
だから、悲しくならないように自分の中では上手いこと噛み砕いておこう。エデンもパラダイスもシャングリラもヘブンも天国も大体全部楽園と言う意味でくくれるが、宗教体系やらなんやらで解釈に幅がある。つまりはこの度のパンケーキとホットケーキ問題も、それの類題みたいなものに違いない。適当ぶっこいてるだけだけど。
注文を取りに来た店員に、コーヒー二杯と例のパンケーキを要求する。俺は食わないが、きっと四葉は美味そうに食すのだろうから、それを見て満足することにしよう。
「そういやお前コーヒー飲めんの?」
「お砂糖とミルクがあれば」
「そこまで行ったらカフェオレで良いだろ」
「ブラックを注文するの、大人っぽくてかっこいいので」
「分からんでもないが」
「ちなみにいつもはカフェオレを頼んでます。でも今日は上杉さんの前なので見栄を張りました」
「緩やかな見栄だな」
張る前から見栄だとバレてしまっているが、それはいいのだろうか。問題は、そんなところで見栄だの意地だのを張ったところで、俺の人物評になんら変化はないということだが。
「何事も挑戦、か」
運ばれてきたコーヒーを前にして小さく呟く。四葉がコーヒーを飲んでみたいというのなら、俺にそれを止める権利も権限もない。彼女の持つ小遣いの範囲で何をしようにも、それは個人の自由だからだ。全メニュー制覇みたいな到底クリアしようもない上に店側にも迷惑がかかるような試みなら制することもあるかもだが、たかがコーヒーの一杯くらいでぐだぐだ言うのも馬鹿らしい。
「…………」
「ほら、砂糖」
「やっぱり強敵です、これ」
ちょっとだけカップを傾けてから固まってしまった四葉に助け舟を出した。ブラックなんて飲めずとも生きていくうえでの障害にはなり得ないのだから、無理ならさっさと諦めるが吉だ。
「無理して苦いものに手をつけるくらいなら、好きな甘いものを食ってた方がよっぽど良いと思うが」
「それもそうでした」
四葉は苦笑を挟んでから、シロップと生クリームで覆われたスイーツにフォークを伸ばした。案の定、分かりやすいくらい美味そうに食ってくれる。見ているだけでこちらも上機嫌になれそうだ。
「はい、上杉さん」
「…………なんだこれは」
「あーんですよ、あーん」
「要らねえよ。子供じゃねえんだし……」
「私が上杉さんに食べてもらいたいんですよー」
口許に伸ばされた切れ端をどうにか押し返そうとするが、思った以上に本気らしい四葉の圧に観念して、そのまま押し負けることにした。途端に糖蜜の味が口の中をいっぱいに満たして、いかにも四葉が好みそうな味だなあと理解する。
「どうです、美味しい?」
「…………甘いな。甘い」
今度は率直な感想を述べることが出来た。甘すぎるくらいに甘ったるくて、たった一口なのに胸焼けしてしまいそうだ。その原因が、果たして砂糖の甘さだけによるものなのかは定かではなかったけれど。
だから、未だ口の中に残る甘味を追い出すために傍らのコーヒーを煽った。思惑通りに苦味が緩衝材の役割を担ってくれて、どうにか一息吐くことに成功する。
「それ食った後ならブラックもなんとかなるんじゃね?」
「……おお、確かに」
革命にでも立ち会ったような顔で、カップを持った四葉が言う。それくらい、もっと前に自分で気づいていたっていいのに。
「やっぱり上杉さんは天才ですね」
「安っぽ過ぎだろ、お前の天才観」
まあ、四葉が楽しそうなので、これで良いということにしようか。