薄々感じていたことではあったが、日暮れまでの時間が短くなっている。途中密室に二時間幽閉されていたのだから当然それなりの時間経過はあって、茜色に馴染んできた東の空が、昼の終わりを告げていた。
家庭教師をサボって四葉の付き添いをしてきたわけだが、なかなかどうして悪くない時間の使い方だったように思う。四葉には人を楽しませる才能があるのだろう。前まではそれが他人本位での行動だったから危うくも感じられたが、今は。
「四葉」
「なんでしょう?」
「もしかしてこれ、去年の反省会だったりするか?」
「へへ、バレちゃいましたね」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、四葉が顔を傾けた。夕陽を背にしているせいで、まるで後光が指しているようだ。
「相変わらず、なんでもお見通しです」
「俺でも分かるようにやってたろ」
「そこまで見透かしますか」
四葉が、一本ずつ指を追って数を数えていく。それが片手で収まらなくなったところで、言葉が紡がれ始めた。
「あの雑貨屋は、たまたま見つけたお気に入りです」
「おう」
「あの喫茶店へは、自分へのご褒美でアルバイトの後に何度か通ってました」
「おう」
「あの映画は、前から気になってました」
「おう」
「全部、私の興味と好みが詰め込まれたものです」
「分かってる」
主体性の一切が喪われたような行き場所の選定に、去年は大いに困惑したものだった。それを踏まえて、彼女なりに模索するものがあったらしい。
「他にも色々あったんですが、全部回るには一日ってすごく短くて」
「いいよ別に。お前が言いたいことはなんとなく察した」
「どうです、言った通り成長したでしょう?」
胸を張る四葉。その仕草があんまり年不相応なもので、ついつい吹き出してしまった。
「あー、馬鹿にした!」
「してないしてない」と手を振って否定した。微笑ましかっただけだ。
この一年弱の間に、彼女は必死で自分らしさを探していたのだろう。姉妹の影を追うのではない、あくまで自分の内側だけで完結するものを。
愚直だなぁと思う。まっすぐ過ぎて眩しくも思う。ただ、その前向きな姿勢が他ならぬ四葉らしさであるということを、本人だけが気づいていなさそうだというのがこの話のミソだ。
「俺の言ったこと気にしすぎだろ」
「私なりに思うところがあったんですよ」
「お前、そういうとこ変に真面目だよな」
融通が利かないとでも言うか。実直さの弊害なのかもしれない。
「でも、おかげで色々見つかりましたよ」
「たとえば?」
「少ないお小遣いでどう工夫して楽しむかとか、短い時間でどれだけ多くのことが出来るかとか。……とにかく、色々です」
「すげえな、お前」
「へ?」
「いや、なんでもない」
今日の頭に考えたことを思い出していた。なぜこいつが笑顔を絶やさずに生活できていられるかが謎だったが、そんなのはなんてことない、ただの発想の転換に過ぎなかったのだと理解する。
与えられた環境に文句を言うのは簡単で、だけど打開するのは誰にでも出来ることじゃない。それをこいつは、その中でどれだけ自分が楽しめるかに主眼を据えて生きている。
住めば都ではないが、住んだ場所を都に変える能力とでも言えばいいか。お気楽に見えて、こいつが一番真理に近いところに立っているような気がする。
「その前向きさは、俺も見習った方がいいなと思っただけだ」
「私みたいな上杉さんは、ちょっと気持ち悪いかもです」
「完全にトレースするわけねえだろ。コラ、俺にリボンつけようとすんな」
「今日はあの髪飾りがあるので」
「そうか。いやそうじゃねえ。なぜそのレベルで形から入ると思った」
「まあまあ」
「まあで済ますなよ……」
要領を得ないやり取りをしばらく繰り返し、無駄に目立つリボンを互いに押し付けってから、それでも最後はなんとか四葉の頭部にそれを戻す。
無駄にパワフルな彼女の気にあてられて、休憩のために街路樹に背中を預けた。こんな用途で設置されたものではないと分かっているが、今だけはどうか許してほしい。
「もしかしたら上杉さんに似合うかもしれないのに」
「似合ったとしても付けねえよ」
「そんなこと言わずに一度だけチャレンジしてみません?」
「お前がブラック飲むのとはわけが違うんだよ」
沽券に関わる問題なので、そうやすやすと挑戦する気は起きない。写真でも撮られようものなら一生涯残る汚点になる。
「ぶー」
「拗ねるな。ダメなもんはダメだ」
「ぶーぶー」
「その異様な執着は一体どこから出てくるんだよ……」
「ただの好奇心ですが」
「えぇ……」
どうせなら、もっとマシな理由の一つも考え出して欲しいところだ。それを聞いたおかげで、より一層つけてやらねえぞという気持ちは強固なものになったが。
なおも多角的に攻めてくる四葉を適当にいなして、暮れなずむ夕日を眺める。結局丸一日遊んでしまったが、これは業務的にアリなんだろうか。
「上杉さん」
「なんだよ」
「楽しめました?」
「幸運にもな」
彼女の足跡を辿るような一日だったが、いつかと違って名状しがたい違和のような何かは消え去っていた。自然に楽しめてしまった。……しまったというのも、なかなか言葉の綾感が染み出しているけれど。
「なら良かったです。上杉さん、最近ずっと忙しそうだったから」
「忙しいのは今に始まったことじゃねえんだけどな」
四葉の額を軽く小突く。
「主に五人ほど、問題児の面倒を任されているおかげで」
「…………」
「後ろを探すな。間違いなくお前らのことを言ってる」
「やっぱりそうでした?」
「それ以外誰がいるんだっての」
本当にもう、毎日がてんやわんやだ。自分の世話もしないといけないし、家族だっている。そんでもって、こいつらから目を離すわけにもいかない。
いつの間にか五つ子の扱いが自分や家族と同列になってしまっていることにぎょっとするが、そこらへんに関してはいい加減に認めなくてはならないのかもしれなかった。気付けば、こいつらの存在なしに上杉風太郎は語れなくなっている。
「早えな、時間が過ぎるの」
「楽しい時間はあっという間ですから」
「……別に、今日だけに限った話じゃないんだけどな」
聞かれないように極小の声で呟く。四葉理論で行くなら、俺はこの一年を楽しんで走ってきたことになるのだろうか。……途中途中に絶対人様には教えられないイベントが挟まっていて、それを楽しんでいたかと言われると正直返答に困ってしまうのだけれど。
「で、お前のプランに残弾はあるのか? ここまで来たらもうとことん付き合うけど」
「うーん……」
眉間にしわを寄せて四葉が唸り始める。そこまでして考えなくてもいいのに……。
「……そういえば言われてません」
「何をだ」
「去年みたいに、『彼氏さんですか?』って」
「どこまで再現性高める気してんだお前」
「上杉さんが彼氏っぽく振舞ってくれないからー」
「言いがかりも甚だしいなおい……」
謎の執念に尻込みする。そんな都合の良いことを言ってくれるエキストラが早々現れるはずもないのに、四葉は手を廂にして周囲をきょろきょろと観察しだした。
「狙い目はブティックですかね」
「狙うなそんなもん」
「とっておきの返しを考えてあるんですよ」
「備えるな。そんな憂いに」
俺を何に巻き込むつもりなんだこの妖怪どデカリボンは。楽しかった一日の記憶にヒビでも入ったら最悪だろうに。
確かに前は表情を変えるだけの微妙な間があったが、今回はその間をどうやって埋める気なのか。気にならないというわけでもないが、積極的に知りたいというほどでもない。俺が渦中に放り出されないのなら、知ってもよかったかもしれないが。
「近くにカップルへ無差別にインタビューを繰り返しているテレビカメラでもあれば……」
「やけに具体的で怖いからやめてくれ」
俺も彼女に倣って周囲を見渡すも、それらしき影はない。どうやら杞憂。びっくりさせないでくれ頼むから。
「かくなる上は、近くの人にどうにかお願いして……」
「そこまでして披露したいのかよ」
「とっておきなんですもん」
「一生とっておけばいいのに……」
お披露目の機会を得ないまま、納屋で埃をかぶって欲しい。使えるシーンがあまりに限定的すぎる対処法に、意味らしい意味なんてないのだから。
「取りあえず限界までカップルっぽくして可能性を高めましょう。まずはそれからです」
「どこらへんが『まず』なのかが理解できない」
「大丈夫! 天才の上杉さんならきっとすぐに分かってくれます!」
「悪い、言い方変えるわ。俺はきっと理解したくないんだ……」
脳が絶妙に理解を拒むのが分かる。酷い茶番に付き合わされていると、体が拒絶の意を示している。
「私を助けると思って、どうか」
「何が助かるんだこれで……」
「うら若き乙女の純情です!」
「うら若き乙女は自分でその肩書を名乗らないからな」
「さあ、張り切っていきましょうね!」
ここまで振り切れるといっそ清々しくも思った。四葉の腕に引っ張られるようにして、ずんずんと前に進んでいく。