太陽がすっかりその姿を隠し、街の店々が照明を燦燦と輝かせる時間になって、その中をただ黙々と二人で歩いた。
歩きながら話すと言った割にこの場に相応しい話題は提供されなくて、上を向いたり下を向いたり、とにかくそわそわしながらあっちこっちへ足を動かすだけ。体力の差があるせいか俺の体はもうずいぶんとくたびれてしまっていて、出来ることならどこかで休憩を挟みたい気分だった。
「上杉さん的には」
ようやく四葉の口が開かれて、破られた沈黙の欠片を集めるように、そちらにすっと耳を澄ます。暗がりの中では視力がまともな働きをせず、残った五感が鋭敏になっている感覚があった。
「今のところ、誰がリードしてる感じですか?」
「これまた答え辛いこと訊いてくんなお前」
「この際根掘り葉掘り言った方がいいかなと思って」
「……そういうのを考えなくていいように、最近忙しくしてたんだよ」
バイトのシフトを多めに入れて、今まで以上に勉強に打ち込んで。そうやって何か一つに集中している間だけは、彼女たちの顔を思い浮かべずにいることが出来たから。
我ながら腐った根性をしているなと思うが、正直それ以外に方法がない。刻限までの時間をどうにかやり過ごさないことには、俺はまともに生活することも叶わないのだ。
「その場凌ぎでいずれ誰かを選ぶから保留なんて約束を取り付けたのはいいものの。……それはつまり、その」
「余りますね、たくさん」
「容赦ない表現使うな……」
「で、上杉さんの中の優しさが邪魔して、それを嫌がっていると」
「これを優しさって呼ぶかよ」
かなりクズな部分だと思う。要は、自分の決定で産まれる不幸を嫌っているだけなのだ。なんならこんな男から離れた方が最終的に幸せになれそうな気もする。……それにしたって彼女たちの男運を思えば、後が危ぶまれもするのだけれど。
「せっかくの機会だから忠告しとく。俺だけはやめといたほうがいいぞ」
「ここで素直に聞き入れたら絶対に後悔すると思うんですよ」
「全員に諦めてもらえるならそれが一番だろ」
間違いなく一生続く姉妹の関係を、俺みたいな部外者の存在で破滅させて良いわけがない。こんなのは、計算すればすぐ分かることだ。
「…………無理じゃないかなぁ」
「なんでだよ」
「たとえばですね」
四葉の指が、俺の指一本一本をゆっくり絡めとっていく。一回り小さい手はしっとりとして柔らかくて、かさついている上にごつごつと硬い俺の手とは根本的に作りが違うのだろうなと思った。
「こういうのを知っちゃうと、もう戻れないわけです」
「どうして今知ろうとした……」
「戻れなくしておこうと思いまして」
「確信犯かよ」
覚悟の示し方があまりに男前すぎて憧れそうだ。やめてくれって全身が叫んでいるけど。
「感想とか、ないですか?」
「JKビジネスが成立する理由がなんとなく分かった」
「…………もっと、単純なので」
「……体温高いな、お前」
疑うまでもなく恥ずかしいことを言った。基礎代謝の違いだというのは分かっているのに、その温もりに何かしらの理由を見つけようとしている自分がいて本当に嫌だ。
「これが好きのパワーです」
「言ってて恥ずかしくないのかそれ?」
「正直失敗したのでこっち見ないでください」
そう言われても、今見たものを忘れるのは難しい。まだ夕陽が残っていてくれたら、頬に差した朱も、照り返しだって勝手に納得することが出来たのに。
「……と、そんな感じで、私はもはや引き返せないところにまでやってきてしまったわけです」
「袋小路だって分かってるのに入って来るなよ」
「顔が同じなので、運よく選ばれることがあるかもなーって」
「よしんばそうだったとして、お前はそれに納得できんのか……」
「しちゃいますね多分。思い出は後からでも積み上げられるので、上杉さんの確保の方が急務です」
「しちゃわないでくれ……。もっと悩めよ……」
「競争相手がいなければもっとゆっくりでも良かったんですが、恋愛は基本的にスピード勝負なので」
先手有利の原則はゲームだけにして欲しいものだ。人と人との駆け引きにまでそれが持ち込まれたら、一体いつ気を抜けるタイミングが来るか分かったもんじゃない。
「だから、私としてはもうなりふり構っている場合じゃなくて」
「構え。人として最低限の尊厳を見失うな」
「使えるものは、全部使うべきだと思うんです」
「なんだそれ……」
「最初にポイントの話をしましたよね」
「あったなそんなのも」
「内訳は省きますが、428ポイント達成です」
「どうなってんだ」
「でも、間の悪いことにギョウザ無料券は切らしていて」
「切れるもんじゃないだろそれは」
「…………だから、その、中野四葉一晩自由権で手を打ってもらえないかなと」
知らぬ間に、ネオンがけばけばしく光る謎のエリアにやって来ていた。近くの電飾看板にはここが休憩所である旨が記されていて、かねてから体を休めたかった俺としてはうってつけの場所に思える…………わけねえだろ。バカか。脳みそ溶けてんのか。
「落ち着け」
「作法は予習済みです」
「こんなところで俺の教えを活かすな。お願いだから正気を取り戻してくれ」
一日ほんわかとしたノリでいたのに、最後の最後でラのつくホテルに入ったら全部が全部瓦解する。それはいけない。
四葉は話を聞ける奴だ。だから、なんとか説得して離脱しないと。
「初めては、どうしても上杉さんが良くて」
「聞いてもない情報を開示するな」
「今ならまだ、浮気扱いにはならないでしょう?」
ただでさえ近かった距離が更に詰まる。傍から見れば、これは痴話喧嘩扱いを受けるのだろうか。
「なら、今のうちに、それだけでも」
「勇み足で捨てるもんでもないだろ。大事にしまっとけばいいんだよ」
「…………あ、あの」
四葉の目がキラキラと光っている。というのも、浮かぶ液体が周囲の光を弾いているからだった。
「女の子がこういうお願いをするのがどういう意味なのか考えてもらえたら、嬉しいなって」
「じょ、情に訴えかけられても……」
固まっていると、四葉の頭がぽすんと俺の胸あたりに収まった。服を貫通するくらいに顔が熱を持っているのが分かって、言いようのない悶々とした感情が心の奥底に渦巻く。
「好きな人に拒絶されるの、すごく、辛いです」
「目を、目を覚ませ。恋に恋してるだけだきっと」
「それならそれで構いません。だって今、こうしてるだけでとっても幸せなんです」
四葉の腕が背中に回る。髪の毛からはお馴染みの甘い香りがして、必死に自制しないと今にも腰が砕けてしまいそうだった。
「口で答えるのが恥ずかしいなら、どうか、抱きしめ返して……」
「…………ッ」
反射的に動きかけた腕をどうにか意志の力で押さえる。ここの最適解は心を鬼にしてこのまま立ち尽くすことだ。四葉ならいずれ人間の出来た優しい男を引っかけられるだろうし、その頃にはきっと俺のことなんて忘れている。人間、道半ばで冷静な判断なんて下せないんだ。だから今の捨身の行動だって、一時的な感情の昂ぶりが引き起こした思いの揺らめきにすぎない。
そう思えば、俺は心を鬼に出来る。今四葉を泣かせる役割を背負うことで、結果的に彼女をいい方向に導いてやれる。
自分の中できっちり結論をつけて、大きく深呼吸をした。大丈夫。俺は冷静。
「嬉しい、です……」
「……………………」
冷静に、間違った。相変わらずに先のことを考えず、今この場で四葉の泣き顔を見たくないなんて思ってしまった。
その結果、両の腕はぎこちなく、しかし確かに、彼女の背中を抱え込んでいて。
「上杉さん、大好き……」
絶対にこんなのはおかしいのに、安心しきったような彼女の声音に、心の大切な部分を溶かされてしまった。
本格的に本能に負け初めてるぞ、俺。