どんな問題も、永遠に保留しておけるならそれより楽なことはないのになと思う。期限をどこまでも先延ばして、追及をのらりくらりとかわして、そうやっていつまでも面倒なことを考えずにいるのが許されるなら、俺もそっち側に流れるかもしれない。
けれど、現実としてそんなことを許容してくれるほど世界は甘く作られてはいなくて。だから遅かれ早かれ、満足の行く行かないにかかわらず、答えを迫られるときは必ずやって来る。
「へんなかお」
「そう思うなら見なきゃいいだろ」
図書室。机の上に必要なテキスト類をざっと並べて、黙々と励んでいたところ。
別に招集をかけたわけでもないというのに、三玖は俺の対面の椅子をそっと引いて、そこに腰をおろした。
「眉間にしわが寄ってる」
「目が疲れてんだよ」
「ほんとに?」
「ほんとに。ついでに言えば脳とか体とか、他にも色々疲れはたまってる」
変な顔、というのは表情が苦しげだという意味だろうか。考え事をするのならそれに関わる如何は己の内側に留めるべきで、外に漏出させるのは好ましくない。芸とか品位とか、その他もろもろを問われる。
昔までならどれだけ険しい顔をしようが問題はなかったが、ここ最近は勝手に心配してくれる連中がいるので、下手な迷惑をかけたいとは思っていなかった。
それがこうやって三玖からの指摘を受けるほど目に見える変化を起こしてしまっているのなら、いよいよ深刻。
「えい」
「えい、じゃねえよ」
「ほぐせば少しは良くなるかなって」
大きく身を乗り出した三玖が、指先で俺の眉間をつまんでくる。それに飽き足らず前後左右にぐりぐりと動かしてくるので、前を見るのもままならない。
「そこをいじったところで疲れは取れなくないか?」
「気分的に」
「気分で解決はしないんだな、残念なことに」
原因は明らかに睡眠不足なので、保健室のベッドにでも潜り込むのが一番だ。ただ、最近は寝つきも良好とはいえないからなんとも。
それ以前に解決すべきことが山積しているとの見方もあるが、俺の能力で片付けるのが不可能だからここまでだらだらと間延びしてしまったわけで。
眉間から下降して頬っぺたをつつき始めた三玖の手を退けて、目をノートに落とす。正直これ以上手を尽くしたところで意味があるかは微妙なのだが、気分的に妥協はしたくなかった。
「無理はほどほどにね」
「心得てる」
「心得てるなら、ゆっくり休むべきだと思うんだけど」
「……自分のことだけ考えりゃ良いのならそうしてたかもな」
「……意外にお人好しだよね、フータロー」
「意外は余計だ」
俺が現在扱っているのがセンター対策系の問題集だったのを見て、三玖は色々と察したようだ。
「どうせなら皿まで食ってやろうと思ってな」
「…………?」
「こっちの話」
嫌味を言うようだが、俺自身はもうどうにでもなる。国内の最高学府なら、基本的にどこだって射程だ。なんなら明日に試験を持ってこられようが構わない。
だから、こちらの心配は、自分以外に預けられている。
「ここまでやってきたんだ。どうせなら成功してもらった方が得だろ」
「損得で考えるのがフータローらしいっていうか」
「俺の一年の価値が問われてるからな」
「そんなの、気にしなくてもいいのに」
気にするんだこれが。自分のやって来たことが間違いだったかもしれないという憂いは、人生に大きな影を落としてしまうから。
というか、それ以上に。
「本人の頑張りを知っちまってるから、応援してやりたくもなる」
「お人好しと言うよりは、お節介焼きなのかもね」
「否定はしない」
これから受験に臨む誰かさんのために躍起になって要点整理ノートなんて作っているのだから、そう言われても仕方ない。ここまでくると介護に近い趣さえ感じる。
昼間はあんなことを言ったけれど、あいつの努力に関しては疑っていない。要領が絶妙に悪いせいでこれまでは結実しなかったが、人生の大一番でくらい成功体験を味わってもらっても罰は当たらないだろう。
「サポート頼むぞ」
「うん、分かってる」
精神面のケアは俺の領分じゃない。それはこれまでで嫌と言うほど理解させられているので、大人しく姉妹に丸投げしておく。同じ家で過ごす家族である以上、俺なんかよりもよほど上手く立ち回ってくれるに違いないから。
得手不得手はどうしてもあって、そしてそれは彼女たちに限った話ではない。克服しようと努めるのも大切だけれど、効率の方を優先させた方が丸く収まる場合だってある。おそらく、今は後者だ。
一年前よりは彼女たちのことを深く知って、一年前よりはその心の内を推し量ることに大きなウェイトを割くようにもなった。けれどそこにはどうしても俺の性向上の限度が存在するので、踏み込み過ぎるのも考え物だ。
「……で、お前はどんな用向きでここに来たんだ?」
「好きな男の子の顔を近くで眺めておこうと思って」
一切の予備動作なく投下されたバンカーバスターの余波がどこまで広がっているか確認するために周囲を一通り見回すが、幸運にも聞き咎めた者はいないようだった。聞いていないフリをしているのかもしれないが、別にそれでも構わない。今この場において重要なのは、いかになんてことない感じで受け流せるかどうかだから。
「……反応してもらえないと恥ずかしいんだけど」
「悪いが今ちょうど切らしてる」
「スーパーじゃあるまいし」
真っ向から受け止めて甘酸っぱい感じの雰囲気になってしまうと、間違いなく勉強どころではなくなる。
酷いことをしているという自覚はあるけれど、俺の考えられる最適解がこれである以上、頼らないわけにはいかない。
「入荷予定はあるの?」
「……数か月後じゃねえかな」
「そっか。なら、気長に待つ」
「わ――」
悪い。そう言いかけて、けれど途中で口を噤んだ。どこかで致命的な間違いが発生している気がするというのが第一の理由で、第二には、それを弁解するだけの資格が自分に備わっているようには思えなかったというのが挙げられる。
やったことがやったことだ。最低とか最悪とか、そのあたりの誹りは黙って全部受け止めておかないと。一人で勝手に謝って、救われた気分になるのは何かが違う。この話題に関してのみは、どうあっても彼女たちの優しさに甘えることは許されないと思うから。
「わ?」
「……忘れてたら言ってくれ」
「じゃあ、今日から毎日催促を」
「やっぱやめてくれ」
急ごしらえの方針転換なんてしても、何もいいことはなかった。最低具合がさらに跳ね上がっただけだ。マイナス百が二百になろうが三百になろうが零点を割り込んでいるというところでは同じなので、今更気にしたところでと感じたりもするけれど。
「気付いたら四葉も手籠めにされてたし、もっとアピールしなきゃなって」
「お願いだからそれ以上いじめないでくれ……」
「朝帰りした後、冷や汗だらだらで苦笑いしてる四葉に何が起きたかを考えるのはすごく簡単だったよ」
「その節は大変申し訳なく……」
「申し訳なく思うなら、せめて最後くらいはきっぱりね」
「……おう」
温情、あるいは憐憫。結局甘えに走ってしまっている俺は、思ったよりもずっと弱っちい人間らしい。
なればこそ、せめて彼女の言う通りに有終までは持っていきたかったが、『誰が』とか、『どういう理由で』とか、果たしてそんなことを言う権利が俺にあるのかどうか。
分からないなりにどうにかしようともがいていて、そのたびにずぶずぶと底なし沼へと沈んでいく。厄介なことにじっとしていても体は泥に動きを奪われていくから、両者の違いは侵食速度の差だけ。それならばせめて自分の力で溺れてしまおうと思うのは、俺の傲慢か。
「あ、そうだ」
「なんだ」
「三玖が一番って言う練習、ここでしておく?」
「圧」
えげつないプレッシャーだ。誰もかれも最近こんなのばっかり。
もっとなりふりを構って欲しいところだが俺の素行が素行なので強くは言えず、だから必然的に、彼女との視線の交わり合いをやんわり避けるところに帰着する。
「……とにかく、俺は作業に戻るから」
「ん、分かった。……見ててもいい?」
「好きにしてくれ」
それから数時間、何をするでもなくただただ椅子に座りながら俺を見つめてくる三玖になんとも言えないものを感じながら、それでもどうにか予定していたものを作り上げた。
よくもまあ飽きないものだというのが、正直な感想だった。
「これ、五月に渡しといてくれ」
「自分で渡せばいいんじゃないの?」
「こういうのは早い方がいいだろ。時間がそんなに残ってるわけでもないんだし」
ノートに題でもふっておこうかと思ったが、気の利いた文言が思いつかなかったのでそのままにした。『サルでもわかる』なんて喧伝した上で理解されなかったらあまりにも悲惨過ぎるので、変に凝らない方がいいとも思う。外見より中身で勝負していけ。
「……まあ、この時期にやたらめったら新しいものに手をつけるのは危険だとは分かってるんだけど、心情的に拠り所になるものがあると楽だからな」
「了解。しっかり届ける」
三玖がノートを鞄にしまい終えるのを確認してから、その場を離れる。思いの外手間取ってしまったというのもあって、図書室内の人影は既にまばらになっていた。おおかた、暗くなる前に帰路に就こうという魂胆の連中が多かったんだろう。
昇降口で緩慢に靴を履き替えて、外を眺める。
照明に慣れてしまった目に、夕闇はいくらか暗すぎた。疲れ目では瞳孔の収縮も上手くいかず、また眉間にしわを寄せることになる。
「ほら、さっさと帰るぞ」
振り返って言う。ローファの踵がどうにも合わないらしくもたついている三玖を急かすために。
「え……?」
「なんだその困惑顔」
「いや、いつものフータローなら一人ですぐに帰っちゃうところだから」
「そうしたってどうせ付いてくるだろ、お前は」
もしかすると、俺は割と恥ずかしい類の勘違いをしてしまったのかもしれない。すっかり一緒に帰るものだとばかり思って、それを前提に行動していた。
これを思い上がりと呼ばずになんと呼ぶといった感じだが、当の三玖はまんざらでもないらしかった。それどころか、ご満悦らしかった。
「うん、付いてく」
言って、ようやくのこと立ち上がる。……けれど。
「それはサービス対象外なんだが」
「しーらない」
しっかり組まれた左腕を、半ば諦観の意を込めながら見下ろす。独占欲の高さは姉妹に共通するようで、以前の二乃なり四葉なりを彷彿とさせるような、抜け出す方法が見つけ出せない完全な両腕によるホールドだった。
こんなことをしなくても走って逃げ出したりはしないというのに、一体何が彼女たちを突き動かすのか。……と、そこまで考えて、四葉の言が頭の中に甦る。誰より近くで自分の欲しかった幸せを見せられる恐怖。そもそもこいつらの定義する幸せになぜ俺が関与しているのかという根本的な疑問は飲み込めていないが、こいつらはこいつらなりに必死なのだろう。
だからこんな風に、捕らえた腕に頬ずりを――
「いくらなんでもそれはねえだろ」
「せっかくだし」
「お前も損得勘定で動いてるじゃねえか」
この指摘で多少は離れてくれるかと思ったが、どうやら彼女の決意は俺の思う以上に硬いようで。
なおも頑なに体をすり寄せてくるのを強引に引き剥がして、なんとか会話を続ける。
「しゃーないから聞くわ。ずっと気になっていたことではあったんだけど、なぜここまで俺にご執心なんだお前?」
「なぜって?」
「いや、上手くは言えないけど……」
「俺のどこが好きなんだ?」と正面切って言う胆力はなかった。自分の口で言うと認知を確定させてしまったようで悔しさが滲むというのもある。
しかし、これはずっと気になっていたことではあったのだ。男の趣味が悪いなーと漠然と感じはしていたが、そこに明確な理由付けがなされているのなら、聞いておきたい。敵と己を知って百戦百勝の構えだ。
「なぜってどういうこと? もっとはっきり聞いて欲しい」
「さてはお前分かってやってるな?」
「分からない。何も。だからはっきり聞いて欲しい」
「三十六計」
「逃げるに如か……あ、ちょっと。待ってよフータロー」
形勢不利と見たら取りあえず逃げる。兵法の基本だ。
俺がいつから戦争に参加していたのかは謎だが、ここは歩幅を大きく広げて、三玖の意識を歩行に割かせることに注力する。俺の脚の方が長いので、加減をやめれば歩行距離に差がつくのだ。
しかし、俺の権謀は虚しく散る。というのも、しばらく黙ってもらおうと思っていたのに、突然三玖が口を開いたからで。
「…………まさに、こんなところとか」
「意味が分からん」
「いつもはこっそり歩幅合わせてくれてるってことでしょ」
「…………」
完全に無意識なので、いきなり言われても困惑するしかない。確かに横並びで歩くことには慣れてきたけれど、そこに隠れた意図なんて一つも……。
「そういうところがあったかいなあって」
「……誰でもしてるだろそんなの」
「そういう素直じゃないところも」
「無理やり好きな要素増やそうとしてないか……?」
単純な疑問。天邪鬼な部分まで気に入られても困る。卑屈だったりひねくれていたり、少なくとも俺の性格は褒めそやされるようなもんじゃない。
ここまでくるとどうにも恋に恋している感が強くなっている気がして、そこから漂う違和感が拭えなかった。盲目的すぎるのは、流石に違うように思う。
「人を好きになるって、要はそれでしょ?」
「それってどれだ」
「一つ『ここがいいなー』って思ったら、だんだん他のところにも目が向くようになるの。それで気が付いたら、その人の全部が好きになってる」
「……じゃあさ」
大本。根っこ。今に至る原因。それがあると彼女は言うのだから、この際教えてもらうことにしよう。
「最初の一つってなんだったんだよ?」
「さあ?」
「さあって」
いきなりの矛盾。自身の言葉を彼女本人が否定しにかかっている。
今の言葉から鑑みるに、何かしらの理由が必要不可欠なはずだった。それがないなら、今こうなってはいないって。
なのに当人がこの調子では、何をもってその発言が裏付けられるかが不明瞭になってしまう。
「押しに弱かったのかもね、私」
「口説いた覚えなんてないぞ」
「違くて。ほら、フータローはさ、最初から距離を気にしないでぐいぐい詰めてきたから」
「仕事だったし……」
「それにしたって強引だったよ」
俺なりに必死だったので仕方のないことだ。生活がかかっている以上、適当に投げるわけにはいかなかった。
結果として、大きく踏み込み過ぎたというのはあると思う。だがしかし、それで陥落するのはいくらなんでも耐性がなさすぎる。
「きっかけはたぶん、そんな感じ。こんなに近くに男の人がいるの、初めてだったから」
「引き運が悪くて残念だったな」
「ん、どうだろ」
言って、三玖はそのまますり寄ってくる。人懐こい猫を思わせる動きに、人としての尊厳を問いたくなった。
「フータローじゃなかったら、きっとこうはならなかったと思うなぁ」
「…………それは嫌味か?」
「半分はね」
「もう半分は?」
「……感謝、かな?」
確かに私生活をはちゃめちゃに荒らしはしたが、その中でも仕事に関してはきっちりこなしてきた。その部分に恩義を感じるというのなら、受け入れられなくもなかったり。今考えれば、プロに任せていた方がもっと丸く収まったのではないかと思いもするけれど。
……が、そんな俺の内心を知ってか知らずか、三玖は否定を示す次の言葉を紡いでいく。
「フータローに会えたおかげで、昔よりずっと自信がついたから」
「別に、いずれどうにかなってたろ」
「じゃあ、その『いずれ』を手っ取り早く引き連れてきてくれたフータローには、俄然感謝をしなくちゃね」
「そういうもんかね」
「前と違って、好きなものを素直に好きって言えるようになったよ」
「……なんだその目は」
「好きな人を見る目」
「…………」
これ以上のやり取りは不毛と言うか、俺の精神力が一方的に摩耗していくだけというか。
とにかく、今は何を言っても墓穴を掘ってしまいそうな気がしたので、一度口を紡ぐ選択をした。
「フータローが恥ずかしがり屋さんなのは知ってるから」
「……ただの予防策だっての」
「何を予防するの?」
「主に失言。それと、そこから来る揚げ足取り」
一度口に出した言葉は引っ込みがつかないので、吟味を挟んでいくしかない。思考と発言を直結させるのは安易すぎる。少なくとも、俺の性格とは相性が良くない。
「黙ったら黙ったで、私の言葉が刺さってるのが分かって嬉しいけど」
「そう言われたらとうとう打つ手がねーよ」
「打たなきゃいいんだよ。私はいつでも準備万端だから」
「一応聞いとく。何の準備だ?」
「嫁入り」
「こえーよ。怖い」
みんな怖い。どこまで先を見てるんだか分からなさすぎる。三玖を見るに『冗談だよ』と否定する様子もなさそうなのがまた、俺の不安を煽り立ててくるのだ。
こういう奴らを四人ほど相手にしていくのか、俺は。業があまりにも深すぎて今にもこの場で泣き出しそうだ。
「私をこんな風にした責任は、フータローにあるんだからね?」
「安直に病むな」
「……それは冗談としても、良いよね、お嫁さん」
「男だからその感情は分からん」
「お嫁さんって、女の子にとってはウェディングドレスのイメージだから」
基本的に一生に一度だけ世話になる華美な服装。大きな晴れ舞台として、深層意識では誰もが憧れるものなのだろうか。
「一応仏教国なんだけどな、日本」
「フータローは白無垢の方が好み……?」
「そういう意図はない。ってかそれは神道だろ」
「神前式も趣があって良いよね」
「ここで歴女の顔を出すな」
「紋付の袴、似合いそうだし」
「バージンロードって和製英語らしいぞ」
向こうが会話を放棄して妄想に耽り始めたので、こちらも大暴投することにした。キャッチボールなんて知らない。
しかしその球は三玖の体を掠めたようで、「へー」と頷いているようだ。
「バージン」
「なぜそこで区切った」
「バージン……」
「なぜ俺を見る」
「いや、もうあげちゃったなと思って」
「胃が千切れるから勘弁してくれ」
やっぱり、口は災禍を招いてしまう。この際だから大人しく声帯でも潰しておこうか。
それ以上に災いを呼んでくる器官があることには薄々勘づいているが、ここを切除する想像をすると全身が震えあがるのでやめておく。命は惜しい。
「まあいいや。誰かさんが私の憧れを叶えてくれるように、今からお祈りしておくね」
「それは脅迫って言うんだぜ」
「それでもいいよ。なりふり構う余裕がないもん」
外気は冷たいはずなのに、三玖はそれを感じる余地すら残してくれない。肌のふれあいと、それから心のふれあいでもって、さっきからずっと体が火照っている。
いっそ雪でも降ってくれれば話題を逸らすことも出来るんだけどなと思いつつも、そういえば彼女と会ってから、進路に関しての懊悩を一時的に忘れられていたことに気付く。代償に、同等の爆弾を落とされはしたけれど。
「なあ、三玖」
「なあに」
「お前、将来の夢ってあるか?」
「フータローのお嫁さん」
「ノータイムで答えんな。……でも、そうか」
ぱっと出てくる選択肢があるだけ羨ましい。俺には、それすらないから。
これさえあればというものが自分の中央に座っていないのは、今思えば歪な精神構造なのかもしれない。たかだか十八のガキに、未来を決める決断を迫るだけ無謀だという見方も出来なくはないけれど。
「フータローには何かあるの?」
「……さあ、どうだかな」
「ないなら、見つけるのを手伝うよ。恩返しにね」
「恩なんか売ってねえよ」
「勝手に買ったもん」
正規の購入手続きを経てくれと毒づく。だが、協力者がいる方が、頼もしいか。
「大丈夫。私たちに勉強を教えるより難しいことなんて、世の中に存在しないんだから」
「それだけ説得力やべーな」
「だから元気出してよ。最近、ずっと疲れた顔してる」
むにむにと頬を引っ張られる。その程度で、凝り固まった表情筋がほぐれることはないけれど。……でも、心の方には、ちょっとだけゆとりができた。
「……これじゃあ、どっちが先生なのか分かんねえな」
聞かれないように呟く。教え導く側がこんなんでいいのか全くの謎だ。
未だに、舵の取り方は分からなかった。その場しのぎを繰り返してきたせいで、具体的な方法論は確立されていない。
「ラストスパートだ」
何においても。終わった後に倒れこめそうにないから、余力を残しておかなければいけないけれど。それでもあと数か月で、今の俺に襲い掛かっている問題の大半は一応の解決を見る……ことになっている。今の段階では神のみぞ知ることだから、せめて上手く行けと願っておこうか。
ここからの自分の判断一つ一つが、未来の自分を作る大きな分岐点になる。まるで実感が湧かないが、悔いだけは残さないようにしないと。
「出来る限り、私も協力するから」
「なら、この腕をほどくところから始めてくれ」
「これは別問題」
「さいで」
空に浮かぶ星を見上げながら、肺にたまった空気を吐き出す。こういう甘えたやり取りをしていられるのも、おそらく今が最後だ。
何を選ぶにしろ、選ばないにしろ、きっと円満な解決法なんて存在しない。大団円はどこにもない。
それならそれで、俺にお似合いの結末のように思う。自分の分を超えた行いだったと考えれば、意外にすんなり受け入れられる。
どんなことになろうとも、その顛末は全てこの身で受け止めよう。自分で引いてしまった引き金なのだから、面倒を最後まで見切らないことには話にならない。
当然の帰結。当たり前の責任。それを超えた先に、待っていてくれるものはあるのだろうか。
「ほら、お前んちあっちだろ」
「ん、もうちょっと」
「お前のもうちょっとは異常に長いんだよ。知ってるかんな」
「なら、あと五分」
「五分はちょっとなのか……?」
体力自慢なら一五〇〇メートルを軽々駆け抜けられるくらいの時間。大抵のカップ麺が出来上がる時間。それがちょっとかどうかは、俺の尺度では断言できなかった。
「もしくは十分……」
「指定しても伸びるんじゃ意味ねえだろ」
ぽすっと胸あたりに収まる三玖の頭をどう扱うべきか悩んで、最終的に握りこぶしをぐりぐり押し付けることに決めた。これなら、触れることに特別な意味を見出されなくて済む。
「ね、フータロー」
「なんだよ」
「キス、しとく?」
「しとかねえよ」
「いや、断られてもするんだけど」
「えぇ……」
極力限界まで背を反って、目を瞑りながらこちらに唇を寄せてくる三玖から逃れた。残念なことに、一日一回は朝一番で消化済みだったりする。
「……むぅ」
「むぅじゃないが」
「じゃあ、こっちで我慢しておく」
ちゅっと、唇が首に触れた。これは協定的にセーフでいいのか……? この抜け穴を許すと、どんどん綻びを突かれる気がするんだけど。
「このほうが記憶に残っていいかもね」
「良くねえよ。なんにも良くない」
そのたびに寿命を縮めてしまう。長生きしようとは思わないが、別に早逝したいってわけでもないのだ。
「あったかい……」
そりゃあそんなにべたべた引っ付いたら、寒さを感じるどころではないだろう。決して俺は湯たんぽなどではないので、勘違いはしないでもらいたいのだが。
「頑張ってね、フータロー」
「言われなくても頑張るっての」
こんなやり取りの間にも、時間は刻々と流れていく。
結局、経過したのは五分や十分どころではなかった。何もない道端で立ち尽くして、中身の伴わないどうでもいい会話をして、そうやって、だらだらと貴重な時間を消費していく。
なんてことはなく、ぬくもりを誰よりも求めていたのは、ここにいる俺自身だったらしかった。
やっぱり、彼女たちへの甘えは消えてくれない。