※この作品はR-18です。

五等分の〇〇   作:なるせいぶき

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あいまいでぃすたんす⑩

 三玖からの一報を受けて、あてもなく夜の外に飛び出した。なんでも完全にノープランで出ていってしまったらしいから、財布とかコートとか、そういったこの時期生きていくのに最低限必要なものすら五月の手許にはないという話だ。

 五月、家出、と、この二つの単語を並べたとき、当然思い当たるものがある。あれは一年と少し前、姉妹間でのちょっとした諍いがトリガーだった。

 だが、今回の家出は前回と異なって、二乃と連れ立っての行動ではない。あくまで家からいなくなったのは五月だけで、そしてその理由も、前とはガラッと変わっている。

 まあ、有り得る話ではあった。いつまでも隠し通し続ける無理も、いつまでも騙し続ける無謀も、そう上手いこと続いてくれるわけはない。そのうちにバレてしまうことは明らかで、それが今になったというだけ。喋ってしまった三玖を責められはしない。

 けれど、どうしてこんなタイミングで……という思いが心のどこかにあるのも事実。いいや、伝わっていいタイミングなどありはしないけれど、それにしたってもう少し後になって欲しかった。よりにもよって受験前で余裕がないこの時期に、そんな意味の分からない情報を叩き込まれてしまえば大半の人間は思考がパンクする。不器用で人間関係に潔癖を持ち込む五月であればなおさら、受け入れることなんて出来ずに困惑して当たり前。というか、戸惑いどうこうの前に普通に激怒していると思う。積み上げた信頼なんて、あっさりと消え去ってしまったはずだ。

 分かっていたつもりだった。自分が進んでいる道がどれほど危ういものだったかくらい。なんでここまで綱渡りが成功したのかも謎なんだ。個々人の利益追求がたまたま他者の尊厳を侵さないギリギリのラインを攻めていたからだとは思うのだが、その利益関係に関わらない人間が輪に加わった場合にどうなるかは考えるまでもなかった。この歪な関わりを見れば理解不能で気味の悪いものとして認識されるに決まっている。登場人物の大半が自分の身内であればなおさら。

 その場しのぎを続けに続けて、最後に最悪な形でボロが出た。分岐点はおそらく、二乃に襲われたあの日。あのときに下手な対応をしなければ、現状ここまでこじれることはなかったように思う。確かに一度完全に信用を失うことにはなるが、一度の過ちならまだどうにかリカバリすることが出来た可能性もある。俺はその可能性とやらから目を逸らして、更なる修羅へと歩みを進めてしまった。

 ――いや、どうだろう。

 信用とか、信頼とか、分かるようでよく分からない単語を引っ張って、自らの思考に誤魔化しをかけている気がする。俺は瞬間的にそんな見込みが出来るほど鋭い人間じゃない。

 俺はきっと、自分でもよく分からないうちに、自分自身を欺いている。簡単な結論に面倒なカモフラージュをして、率先的に分かりにくくしてしまっている。認めてしまうのがものすごく癪で、負けてしまったような気分になるのが嫌で、隠している感情がある。

 五つ子に、仲のいいままでいて欲しい。……いいや、これは違う。だって、これに関して言えば隠してなんかいない。俺は日常、ぼんやりとでもはっきりとでもこの思いを抱えながら姉妹に接し続けてきて、ここまで入り組んだ人間模様を中心となって演出してしまった今になっても、その思い自体は変わらず心のどこかに持っている。俺が本当に願っているのは、これ以外の何かだ。

 

 では、なにか。

 

 俺の思いは、願いは、なんなのか。

 

「それが分かんねえから苦労してるんだっての……!」

 

 冬で、夜だ。当然寒い。この前二人並んで帰った時よりもずっとずっと寒い。

 気温でいえばみぞれが降るほどだったこの前の方が低いはずなのに、なぜか俺の体からは寒気が消えない。三玖からもらったばかりのマフラーをきつく締めても、上着のファスナーを限界まで上げても、震えが止まってくれやしない。

 熱があるわけでも、体調が悪いわけでもないのに、寒さがいっそう辛いものに感じられるのは、いったいなぜか。どうしてか。

 分からない。俺には、なにひとつ。

 

 でも。でも……。

 

「……………………ッ!」

 

 頭の中に溢れかえるありとあらゆる思いを振り切るように、思い切り地面を蹴り飛ばした。靴とアスファルトとが擦れ合う音が何度も何度も反響して、その音がいつまでも自分の中から消えないように、がむしゃらに駆ける。体力なんてもう尽きているというのに、それでもまだ気力を捻出して脚を動かす。五月が居そうな場所を片端から訪ねて、また訪ねてを繰り返す。今頃、他の姉妹もそうやって彼女を探していると思う。

 こんな情けない俺でも、分かることはあった。五月がどんな奴で、今ごろどんな行動をとっているかくらいは想像がついた。あいつはきっと、今もこの冬空の下をさまよっている。俺に対する嫌悪とか、姉妹に対する不信とかを心の中でごちゃまぜにしながら、体を寒風に吹き晒している。そういう奴だって知っている。

 こうやって探し回っているくせに、もし見つけたら何を言うかも考えていない。みっともない釈明をするのか、謝って赦しを乞うのか、その方向性すら己の中で定まりがついていない。それでも見つけなきゃいけないという思いだけが先行して、空転して、ひたすらに脚を前に動かした。どうしたって彼女がいないことには始まらないから

というのはもちろん、今立ち止まったら自己嫌悪で死んでしまいそうだからというのもある。あのときああしておけばの連続で、頭が破裂してしまう。それは、ダメだ。

 だって、後悔は俺に許された行為じゃない。

 流されるままにこんなところまでやって来た責任は俺にあって、だからその末路を受け取るのも俺である必要がある。目を逸らすのは簡単で、現にこれまでずっとそうしてきて――でも、もうその手段はとれない。自分が立っている場所はとっくの昔に袋小路のさらに奥。複雑に絡み合った蜘蛛の巣の上。今更どうにか逃げようともがき足掻いたところで状況を悪くするだけだ。無論、現状維持ですらこの場面においては悪手。だからそろそろ、きちんと正面から向かい合わなきゃいけない。最低だろうが最悪だろうが、きちんと一つの出来事として片をつけないといけない。自分の不始末をなんとかするのは、やっぱり自分自身の仕事だと思うから。

 散々酷い道のりをたどってきて、途中途中で甘い蜜だけをすすった俺への罰と思えばまあ、納得が行く。

 俺はもうどうでもいい。だからせめて、彼女たちの関係をもう一度つなぎ合わせられるように。俺という異物が崩壊させてしまったものをどうにか再建できるように。

 

 ――いいや、それは、己の真意との間にいくらかの齟齬がある。

 

 違和感があった。今思ったことがどうにも受け入れられないような、不思議な違和感が。この期に及んで何を……という話だが、突如聴こえた不協和音は放置しておくにはあまりにも不気味で、だからもう一度、自分の持っている感情を精査したくなる。

 俺の行動の源泉となっているのは、何とか彼女たちを笑顔で卒業させてやりたいという思いだ。そのためには全員の信頼を損ねるわけにいかなくて、何度も何度も苦しい言い訳を積み重ねた。そうしないことには五姉妹の成績を維持、向上させられなかったから。

 では、もはや全員の卒業が確定的になった今、それを引きずる必要が果たしてあるのかどうか。

 当時打ち出した苦肉の策はあくまで苦肉の策であって、いつか綻ぶことは重々承知していた。だからこそ俺はその綻びが先延ばしされるように尽力したし、その過程であれこれ追加で秘密を抱えてきた。

 正直な話、もうここまできたら全部投げ捨てても良いのだ。俺は不完全ながらも当初請け負っていた仕事は遂げたし、彼女たちは次へと進む権利を得た。大筋で見ればそれなりの結末。あとは報酬だけ受け取って縁を切ってしまえば、また昔のような日常に戻ることが出来る。静かで、波が立たない、気楽な日常へ。――静かで、何も起こらない、面白味の欠片もない毎日へ。

 あいつらと知り合ってからの日々は面倒ごとの連続で、ちっとも休まる暇がなかった。直に教えていない時間にも次の授業についてのことを考えなくてはならなかったり、家族の問題に俺が顔を突っ込むことになったり。割の良いバイトだとウキウキしていられたのはほんの少しの間だけで、蓋を開けてみればとんでもない地雷がそこら中に埋まっている、事前に内容を確認していたら願い下げ確定の超ブラック業務。借金のことさえなければやめられるのにと思った回数は両手の指どころか両足の指まで含めても足らず、何度も何度ももっとよく考えた上で始めるべきだったと後悔した。

 

 それなのに、なんで俺は今、こうやって家庭教師の座にしがみつこうとしているのだろうか。

 

 やめられるのならやめたかったはずの仕事で、一度は自分から暇をもらったこともあった。それなのにいつの間にか復職して、あまつさえ、関係が切れることを寂しいなどと思ってしまいもして。

 変わっていく己の心に追いつけないまま、気付けばこんな場所にまでやってきていた。

 気持ちの整理をつけるタイミングをいつまで経っても見つけられなかった俺は、自分がどんな思いで彼女たちに接しているのかを理解できないまま、時間だけを溶かしてしまった。

 今になって認められることはある。俺は確かに、あいつらと過ごす空間を、時間を、どこか居心地のいいものとして認識するようになっていた。自分がこれまで目的なく身に着けてきた知恵を活用して誰かの役に立てられるあの場は、もしかしたら俺が長い間心のどこかで欲していた舞台なのかもしれなかった。いつかの日のためにと蓄えた知識や経験を活かせる場所はなかなかに得難くて、だから、偶然からそれを手に出来て、幸運だったのかもしれないと思うようにもなっていた。

 その感情に、偽りはあるだろうか。――ないと思う。これまでの日々は確かな記憶として、今も俺の中に蓄積されている。

 嬉しかったのだ。俺の積み上げてきたものが無駄じゃないと証明されたみたいで。あの子に恥じない自分になれたような気がして。だから、その機会を与えてくれたあいつらには、漠然とした感謝の情を抱えていて。

 徐々に俺に心を許してくれるようになったあの感覚も、俺の教えで次の目的地へと導いていくあの感動も、彼女たちなしには掴みようがなかったもので。

 

 だからきっと、その過程で生まれたのだ。当初は微塵も持っていなかった、新しい感情が。

 

 それはたぶん、自分が考えるよりもずっとずっと単純なこと。

 

 あまりに当たり前になり過ぎて、わざわざ言葉にする必要もないと己の中で処理してしまったもの。

 

 自身の感情を何度も何度も再編して残ったその上澄みは、実はそこら中に転がっているくらいシンプルな――

 

「俺は」

 

 もやもやとして判然としない思いを、きちんと言葉の形にする。この工程を経て、初めて飲み込める気がする。

 

「俺は――――」

 

 続けた言葉は、驚くほどにしっくりと馴染んだ。口から発した文章が耳から再度自分の中に入り込んで、ゆっくり時間をかけて体内を循環する感覚が心地よかった。なんてこともない、くだらない、どこにでもある言葉なのに、今の俺にはこれしか必要が無いようにすら思える。それくらいに、長いこと探し求めていた解答だった。

 つくづく、学校の成績などなんのあてにもならないことを痛感する。こんな答えを導き出すのに時間をかけ過ぎだ。どう考えても。

 そう思いながらため息まじりに蹴飛ばした小石が、小さく跳ね回りながら、とある障害物にぶつかってその勢いを完全に失った。夜中の墓地は酷く不気味で、幽霊なんか信じていなくても背筋に震えが走りそうになる。

 いや、違うか。震えそうになっているのが事実だとして、その原因は決して幽霊なんかではない。適当な理由付けに利用される心霊現象サイドからしたらたまったものじゃないだろう。

 俺はきっと、怖いんだ。今しがた答えに気付いてしまったがゆえに、これからそれにヒビを入れるかもしれないのが怖い。端的に言えば、臆病になってしまっている。

 

 でも、言わないことには始まらないから。

 

 だから一度大きく息を吸って、吐いて。

 

 いつかと同じように、またこの言葉から幕を開こう。

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