「見つけた」
足にぶつかった小石を怪訝に思ってそちらの方を向いたところ、見慣れた誰かさんが顔面蒼白になって息も切れ切れのまま佇んでいた。聞こえた言葉は掠れていて、ずいぶん自分のことを探し回ったのだろうなというのが見て取れる。今会ったところで、特に話せることもないというのに。
「探したぞ」
「お願いしていません」
「怖がりのくせにこんな時間の墓場にいるのは盲点だった」
彼は目の前の墓石を見ながら言う。私の言葉に取り合うつもりがあるかどうかも分からない。石碑のとある場所を懐かしむように指でなぞって、そのまま二の句を継ごうとする。
「お前の姉貴たちも、まだ必死になって探してる」
「知りませんよ、そんなの」
「家に帰る気は?」
「まさか、あんな話を聞いたうえで、今まで通りの生活に戻れるとでも?」
できる限りの力で睨みつける。ちょっとした仲違いや喧嘩ならまだよかった。どちらかの譲歩によって改善の見込みがある程度の出来事なら、人生において何度か起こり得る喧噪の一部として仕方ないながらも受け入れられた。
でも、こと今回に至ってはそうじゃない。見せられているのは大いなる価値観のズレで、それはとてもじゃないけれど自分に馴染むようなものではない。
体表を爬虫類が這い廻るような気味の悪さがずっと消えてくれなくて、許されるのなら今にも叫びだしてしまいそうだった。様々な感情が自分の中で複雑怪奇に混ざり合っていく感覚が、酷く恐ろしい。
「あなたのことを信頼していました」
「そりゃどうも」
「……でも、それはあくまで、昨日までの話です」
知らないままでいられたら、どれだけ幸福だったかと思う。そうしたらきっと今だって、彼は頼りがいのある私たちの家庭教師でいてくれたはずなのに。
しかし、裏でどんなことが起こっていたかを知った今になれば、もう。
呑気な視点で考えることは、出来なくなってしまって。
「私には、あなたのことが分かりません」
これが、何よりも正直な感想。彼がどんな人間で、どんなことを考えて動いているかをなんとなく掴んできたつもりだったのに、一日の間でそのすべてが否定されてしまった。同時に自身の審美眼すらも信じられなくなって、何を拠り所にして歩けばいいかが分からなくなる。
私が思い描いていた彼の人物像は、実像と符合しない。ずっとこの目で見てきたものは虚像であって、本物ではない。そう思うと、世界全てを疑ってしまいそうだ。
全幅の信頼を寄せていたはずの相手が実は酷い隠し事をしていて、しかもその裏には姉妹の結託があった。仲間外れは自分だけ。どうしたって、その事実に納得できない。
「一人にしてください。これ以上お話しすることはありませんから」
決意をもって突き放す。今は誰が近くにいてもダメだ。私に寄り添ってくれそうな人間に限って、ことごとく私の心を裏切っている。そんな中で当たり前のように呼吸することは、とてもじゃないが不可能。頼るアテはどこにもないが、なんとかしてみんなと距離をおかないことには気持ちの整理すらつけられない。お願いだから放っておいて欲しい。
でも、心の底からそう願っているのに、彼はなぜかその場から去ろうとしない。
「早くいなくなってくださいよ……」
「残念ながらそういうわけにもいかない」
「ここにきて教師面ですか?」
言葉の端々に棘が生えている。己の中で息を潜めていた攻撃性が、生まれて初めて牙を剥いている。
自分のそういう部分に向き合うのは苦しい。剥き身の心で人と接してはすぐさま何かが摩耗してしまう。だから、今すぐにでもここから去ってもらいたかった。周りのみんなを嫌いになりかけている今、自分さえも嫌いになってしまったらどこにも寄る辺がなくなってしまう。そうなれば落ちるだけになってしまう。それはきっと何よりも恐ろしいことだから、私のことを案じる気持ちが少しでもあるなら、ここは放置の選択をしてもらいたい。
デリカシーのない彼にだって、この程度の感情の揺らぎなら推し量ってもらえるはず。
そう思っているのに、やっぱり立ち去ってはくれなくて。
「今更できる教師面なんか持ってねえよ。やったことに関しても、全面的に認める。言い訳するつもりもない」
「開き直り?」
「好きなように受け取ってくれ。訂正可能な立ち位置じゃなくなってるしな」
意図して目を合わせず、声の抑揚を殺す。感情的になっているということさえ、今の彼に知られたくはなかった。全てを鎖して心理的な距離を設けるのが、一番有効な精神防衛策だと思った。
熱くなったところで、怒ったところで、これまでにあったことが改まる道理はない。事実は事実として厳然と世界に存在し、どうあっても失われたりはしない。なら、そんなことに労力を割くだけ無駄だと割り切るのが尤もらしい。
皮肉なことに、彼がこれまで私に教えてきた効率化の方策が役に立っている。あらゆる出来事に対し、真っ当な姿勢で臨む必要はない。人生には、取捨選択が要る。
願わくば、この関係が簡単に切り捨てられるようなものなら良かったのに。
「本当に弁解しないんですか。私が間違った解釈をしているかもしれませんよ」
だが残念なことに、自分の不器用さがいつまで経っても道行きの邪魔をする。彼を信じたい気持ちがどうしても消えてくれなくて、こちらに勘違いがあった可能性に期待してしまう。
そんなこと、望むだけ無駄だと分かっているのに。自分の弱さが、そうさせてしまう。
「間違ってねえよ。たぶんだけどな。ずっと、バレたらロクなことにならないだろうなと思ってきて、実際に今そうなってる。なら、合ってる」
「そう、ですか」
関係修復への一縷の望みも絶たれた今、いよいよもって自分がどうすればいいか分からなくなる。いっそ思い切り彼の頬でも張ってやれれば良いのだろうけれど、そんなことをしても何かが解決する風には思えなかった。たまった鬱憤をそんな形で晴らした虚しさが心を余計に冷たくするだけだ。
彼は私に不義理を働いていて、私はそのことに気付きすらしなかった。結局、残るのはそれっきり。
所詮、私たちはその程度の間柄に過ぎなかったということなのかもしれない。
いい加減に低下してきた体温と底冷えしていく思考とのダブルパンチで、無意識に上半身を掻き抱いた。防寒着すら着ないで外に飛び出すなんて、なんて意識の低い受験生だろう。
すると、そこに。
「ほら、とりあえずこれ羽織れ」
「今のあなたから施しなんて……」
「損得勘定くらいしとけ。ここで体調崩して困るのはお前だろ」
こんな中においてもいつもと同じ傍若無人っぷりを発揮しながら自分の上着を強引に押し付けてくる人がいた。ここで自棄になって全てを放り出せるなら楽でいいのだろうが、現実はそう単純な構造をしていない。立ち尽くしていても明日は来るし、それを繰り返すうちに受験に襲われる。今はそんなことを考えたくないのに、学生の性としてどうしても乗り越えられない壁がある。それを思うたびに、自分のちっぽけさに嫌気がさす。全部投げ捨てて台無しにしてしまえるような性格だったら、こんなことにはならなかっただろうか。
そして、何より。
彼の気遣いを嬉しいと感じてしまう自分がいるのが、辛かった。
彼の匂いと体温が残るコートに触れて高鳴ってしまう心音に気付くのが、苦しかった。
浅ましいと思う。醜いとも思う。この期に及んで何を考えているのかとも。しかし、思考と感情は別々に切り離せるようなものではないから、どこかから湧き出してくる喜色を否定することは叶わなかった。嫌いになったつもりでも、それを自分に信じ込ませても、心中深くに眠る真意までもは欺けない。
きっと、未だ惹かれている。
現実を理解しても、なお。
「せっかくここまで自分の意思で頑張って来たのに、それを俺みたいなどうでもいい奴の茶々でひっくり返してたら世話ねえよ」
聞いて、やはり彼は根本的にずれているのだと思った。だって、本当にどうでもいい人だったら、何一つとして歯牙にかけずにいられたはずだから。彼が私たちにとって欠かせない存在になってしまったからこそ、こんなにも心が乱れているのに。彼が私の一部になってしまったせいで、こんなにも苦しい思いをしているのに。
「……話すだけ無駄なのかもしれません。私とあなたは分かり合えない。もうそれでいいでしょう?」
「初めから会話が成立するなんて期待はしてないから気にすんな。こうなるのは予定調和だ」
思わず、「はぁ?」と聞き返してしまった。あまりに傲岸な言い分に、少し苛立つ。どう考えても状況は私優位なのに、なぜそんなことを言われなくてはいけないのか。さっき感じたはずの思いやりは偽りだったのか、と。
「お前に会ったところで何も言えることなんかないって知ってる。言い訳も弁解も釈明も申し開きも、どれだけ重ねたって意味がない。だから、俺はようやく終わった自己分析を開示しに来たんだ」
「それは、どういう……」
「どうもこうもない。ただ、ずっとよく分からなかった自分の内面を考察してみて、その結果としてなにが分かったのかを伝えようと思った」
「それは、今関係あることなんですか……?」
「受け取り方次第だ」
この時点で、だいぶ意味が分からなくなっている。なぜ私はそんなことに付き合わされそうになっているのだろうか。まともに取り合う気力すらどう捻出すればいいか分からなくなっている、今この状況で。
しかし、彼が意味のないことを好んでする人間でないことは経験則で知っていた。なら、これからの話にもそれだけの意味が包含されると考えるべきか。……それは期待が過ぎるように思えてならないけれど。
「不思議だったんだ。これだけの泥沼に両足どっぷり浸ってまで、自分の立場を守ろうとするのが。そうする理由はたとえば借金苦から逃れるためだったり、お前らの卒業まではなんとか面倒を見てやりたいという思いからだったり、色々挙がりはした。でも、そういうのは全部しっくりこなかった。間違ってはいないけれど正しいとも言い切れないような微妙な感触が付きまとって、長いこと悩んでいた」
相槌を打つ間もなく、彼の言葉は続々と繋がっていく。
「お前らと出会ってからの毎日は災難続きで、どうやって逃げるか画策したこともあった。というか、いつも考えていた。俺は家庭教師をしにきただけのはずなのに休みはつぶれるわ姉妹喧嘩に巻き込まれるわで、どう考えても通常業務の領域を逸していると思うことばかりだった」
続く。
「だけど、その環境の中で、少しずつやりがいのようなものを見出していったのかもしれない。いつしかお前らに教えることは苦ではなくなっていたし、それが自分の糧になっているような感覚も得るようになった。ただ知識だけを積み上げてきた俺の人生において、お前らは初めてアウトプットに付き合ってくれた。全員の成績が少しずつ向上していくのが自分のことのように嬉しくて、見える世界が大きく広がった気分になった。そして、それは今も変わっていない」
続く。
「俺はたぶん、自分が教える以上に、お前たちから教わっていたんだ。下手くそな人生の改め方とか、人との接し方とか。教科書をどれだけ読み込もうが身に付かなかった知恵が、お前たちには備わっていた。知識を与える見返りとして、知恵を享受していた。それはきっと、あのまま人生を歩んでいたら身に着かないでいたことだ」
続く。
「だから、素直に感謝している。出会えたことで、俺は変わった。変えてもらった。……まあ、俺が良くない方向でお前らを変えてしまったのはここでは別問題として」
続く。
「じゃあ、ここで最初の疑問に立ち返ろうと思う。なぜ俺が、今の立場に縋りついているのか。俺なりの分析でようやく求めだした答えを、聞いてもらおうと思う」
続く。
「俺は、きっとさ――」
ここでようやく、途切れることなく続いていた彼の言葉に隙が生じた。水が流れるようにすらすらと繋がっていた台詞に切れ目が出来て、風の音以外が世界から消え去った。
何を目的としたタメかは分からなかった。これから先の言葉をより一層際立たせるための助走のようなものだったのかもしれないし、単純に、言葉が出てこなくなったからかもしれない。もしかすると、彼にとっては珍しく、言葉にするのをためらっているなんてこともあるのかも。
本当は聞いてあげる義理なんてない。耳を塞いでいても、ここからいなくなってしまってもいい。彼がしたことを考えれば私がこれからどんな暴虐を働こうがそれを咎められるいわれはないし、無視して良い。
でも、今この瞬間だけは、なんでか黙って聞き届けようという気分になっていた。そうすることが一つの義務だと言わんばかりの強制力が世界から働いているようで、不思議とフラットな気持ちでいられた。
単純に、興味がある。頭の良い彼が時間をかけて導き出した自己分析とやらがどんなものなのか。この場から立ち去るのは、それを聞いた後でも遅くない気がする。
「――お前たちに、嫌われたくなかったんだ」
ぽかん、と。
思考が一瞬で漂白されて、思ったことも考えたことも、全てがどこかへ遠ざかってしまった。
「呆れる気持ちも、下らないと言いたくなる気持ちも分かる。でも、これが長いこと時間をかけてようやくたどり着いた結論だ。笑いたきゃ笑ってくれ」
「そ、そんな、意味が……」
「そのまんまだよ。お前らに頼られる感覚が心地よくて、出来るだけ長くその環境に身を置いておきたいと願った。慕われる自分を守るために、ここまで色々間違ってきた。それもこれも全て、嫌われたくないというその一心からの行動だったんだって気づいた」
彼は首を傾げながら困ったように笑って、
「我ながら酷い話だと思う。そうならそうで、もっと選べるやり方はあったはずなのにな。でも、俺はそういうことにはとにかく疎くて、だから誤魔化しに誤魔化しを重ねることでしか対応できなかった。泥沼に足をとられていくのが分かってもなお、信頼ってやつを手放したくなかった」
まあ、それも今となっては台無しだけどな、と続いた。
「とにかく、これで全部だ。最後まで付き合ってくれてありがとな」
そして、ようやく、彼の姿が視界から遠のいていく。結局、やって来たことに対する謝罪も弁解もすることなく、あらゆることを自己完結させて、全部終わらせた気になって、この場から去って行く。
ねえ。
あなたは、それでいいのかもしれないけれど。
私の気持ちはどうなるんですか?
「ちょっと!」
「……呼び止めを誘ったわけじゃないから、もう無視で良いぞ」
「そうじゃないでしょう! 自分は気持ちよく言いたいことを言い切って、その後のことは丸投げですか!」
「だって、お前は赦さないだろ。なら、どれだけ時間をかけても無駄なことだ」
「あーーーーー、もうっ!」
やはり、ズレている。こういうときに効率性を度外視できないところとか、決めたら曲げないところとか、前から何一つとして変わっていない。私たちから学んだようなことを言ったくせに、結局根っこは彼のままだ。それが果たして悪しきことなのかは私の視点だけで断じることはできなかったけれど、確かに一つ、言えることがある。
「上杉君は大馬鹿です!」
感情を見せるのが嫌だったはずなのに、そんなことはすっかり忘れたような大声を出す。ここには二人しかいなくて、距離も離れていなくて、こんな声量は要らないのに。それでも、彼に対する苛立ちや憤りが渦を巻いて、こうしなくてはやっていられない。
「もっと出来ることがあったでしょう! 正直に相談するとか、早い段階で謝るとか、色々!」
「だから、嫌われたくなかったんだっての」
「一度や二度で嫌いませんよ。私が怒ってるのは、ずっと隠し事をされていたことなんです!」
「普通言えねえだろ。お前の姉妹とやることやったなんて」
「どうしようもない事情があったなら、初めに言ってくれればよかったんです。困っているって教えてくれれば、私だって、私だって……!」
「私だって?」
「……私だって、あなたの力になれたかもしれないじゃないですか」
いつも頼ってばかりだから、いずれどんな形になるかは分からないけれど恩返しがしたいという思いがあった。向こうから頼ってもらえるタイミングを待っていた。それなのに、知らないうちにこんなことが起こっているなんて。
「信頼してくださいよ。私のことも」
「いや、だから……」
「言い訳はしないんじゃなかったのですか?」
「これはそういうのじゃなくて、えっと……」
口ごもる彼を無視して、今度はこちらから言葉を紡ぐ。どうせなら、全部吐き出してしまった方がいい。上杉君の不遜ぶりを真似るように、少しだけ気を大きくして。
「だいたい、いつも横暴なんですよ。独善的というか、独りよがりというか。一度決めたら変えられない頑固なところ、本当にどうかと思います」
「それは」
「口ごたえは受け付けていません」
一方的に愚痴をぶつける時間なのだから邪魔しないで欲しい。ボールを打ち返してくる壁があってたまるものか。
「私にバレていないのをいいことにひそひそひそひそと。まともな対処法の一つも考えてみてくださいよ」
気持ちが完全に理解できないわけではない。出来の悪いテストは二度と見返したくなくなるし、隠したくなる。だけど、今はそういう自分の事情は全部全部棚に上げて、たまった鬱憤をひたすら吐き出すことにした。私優位の状況なのだから文句は言わせない。こうなればもうやりたい放題だ。
「なんて言うか、思いやりが足りないんです。自分のことを考えているのか私たちのことを思っているのかは知りませんけど、やり方がいつも雑! 基本的にずっと空回ってるじゃないですか! それが嫌なんですよ。思っていることがあるのなら全部はっきり伝えてください!」
常々感じていた伝達不足も、ここではっきり言っておく。察しが良くないのはこちらも同じなのだから、思っていることはきちんと言葉にしてもらわないと分からない。
思えば、すれ違ってばかりだ。出会ってから今日に至るまで、上手く行ったことの方が少ない。その成功体験の方が確かな思い出として積み上がっているから記憶が美化されているけれど、そもそも私たちは最初から相性が良くなかったのだ。強引にこじつけて綺麗な過去だったように印象操作しても、その事実は変わらない。
「変なことはしないで、ずっと自慢の先生でいてくださいよ」
だからきっと、今のが一番の本音。素直に感謝できるような人のままでいてほしかった。私たちを教え導いてくれた恩人として。たまたま出会えた無二の友人として。それを余計な何かで穢されてしまったことが、何よりも悔しい。
こんなことさえなければ、いつまでだって恩義を抱えたままいられたのに。
「あなたは、私たちの家庭教師でしょう……?」
言いたいことは他にもいくらだって残っていた。けれど、力を出し尽くしてしまったかのように体は重いし、声帯は震えない。どういう感情なのか自分でもさっぱり分からない涙が後から後から零れ出てくるし、膝はがくがくと安定しないしで、体中が不安定になっている。
相手がこの人でなければここまで心乱されることはなかっただろうというのが直感的に理解できるのが、まず何よりも腹立たしかった。こんな酷い人に深く依存してしまっている自分をどうしても嫌いになれなくて、そのもどかしさも相まって、溢れる涙はとめどなく敷石を濡らしていく。
「…………悪い」
ふいに彼の手が、頭におかれた。
ようやく引き出せた謝罪のような言葉だが、それを得たところで何が満たされるわけでもない。だから涙で崩れた顔で必死に睨んで、赦す気なんて欠片もないことを訴えかける。
それについては彼も承知しているのか、諦めたような顔で二度三度と私の頭を軽く撫でつけて、ゆっくりその手を下におろした。
「きらいです。上杉君なんて、だいっきらい……」
「だろうな」
「世界で一番、きらい……」
「知ってる」
「きらい。きらいきらいきらいきらいだいっきらい!」
「分かってるってば」
その言葉の裏に隠れたもう一つの感情が表に出てこないようにと必死に押し殺しながら、何度も何度も、子供のような悪口を繰り返していく。こうでもしていないと、自分の中でせめぎ合う思いに負けてしまいそうだったから。ふとした拍子に、こんな中で言ってもどうしようもないことを口走ってしまいそうだったから。
まさか、好きだなんて。
とてもじゃないけれど、言えるわけがないのだから。
「もう、それでいい。そう思われて仕方ないだけのことをした。取り返しがつくなんて考えてもいない。……けど、せめて、姉妹のことだけは赦してやってくれよ。俺と違って、死ぬまでの長い付き合いなんだから」
「そういう、ところが……」
その先は言葉にならなかった。いや、言葉に出来なかった。そういう不器用な優しさに惹かれてしまったなんて、言えなかった。
「ほら、帰るぞ。冷えたし疲れたろ。暖まって、休んで、元気になったら、またいくらでもなじってくれていいから。だから今は、最初に自分のことを考えてくれ」
やっぱり、自己完結だ。彼の中ではもうこの話は終わったことになってしまっている。失った信用は取り戻せないし、私からはずっと憎まれたままだということで全てを片付けてしまっている。
それが、なんでかものすごく癪に障った。
「帰りません」
数歩先に進んでいた彼の手を、握りつぶすような勢いで引っ張り寄せる。もう、目の届かないところで後ろめたいことをさせないように、強く引っ張る。
「まだ、言い足りません」
「後からいくらでも……」
「口ごたえする権利があるとでも?」
「…………」
その一言で反論を封殺し、逃れる理由づくりを始めた彼の目を、じっと見つめる。
真っ向から、向かい合う。
「これは、あなたが負うべき責任です」
残るであろう禍根とか、軋轢とか、そういうことについての考えを巡らせるのはやめにした。
私は、ここで全てを終わらせる。