「フータロー君って、テレビは観るほう?」
「観る手段がないほう、だな」
それは派閥と呼ぶにはいかんせん貧弱なものに思えた。インターネットの勃興から昨今の無料動画サイトの隆盛にあたってテレビ不要論のようなものが語られる現代ではあるが、それでもまだ中心的に娯楽を発信しているのは、テレビ局だと思う。なんだかんだと言いつつ、一家に一台あって当然の機器だ。
それだというのに我が家にテレビが設置されていないのは、厄介なポリシーやら制約やらが絡んでいるわけでなく、ただ単に金銭的な辛さがあるからだった。純粋に、値が張っていて手が届きにくい。一般的に、娯楽は高くつく。
「じゃあ、安心だね」
「何がだよ。古くなると爆発でもするのか?」
「そうじゃなくて。私の心構え的な問題」
一花は、そう言ってから楽しそうに、それでいてどこかいたずらっぽく笑ってみせた。一瞬、からかわれているのかとも思ったが、だとしても今さらである。俺は貧乏を隠していないし、彼女がそれを気にかけたそぶりもない。であれば、その笑みに込められた意味は別のところにある。そう考えたほうが、ものごとが上手く回る気がする。
「それが俺を待ち伏せてまで聞きたかったことだとは思えないが」
「そう言うと悪いことしてるみたいじゃん。お出迎えだよ、お出迎え」
「大学の正門に部外者が張り付くのは、どう繕っても待ち伏せだっつーの」
帰りしな、見慣れない人だかりが出来ているなと思ってそちらに意識を向けてみたら、その輪の中央になぜかこいつが陣取っていた。高校の頃からやたらと目立つ奴だと思ってはいたが、ここ最近はそれがより顕著になった気がする。
本人曰く、仕事で順調に成果を残している副産物らしい。有名税とも言うか。だからと言って、その副産物とやらを引き連れて俺の元に駆け寄って来られても困るのだけれど。
「良くは知らんが、スキャンダルってのは低俗なゴシップ誌の大好物なんじゃねーの?」
「それは大丈夫じゃないかな。あ、大丈夫になったんじゃないかな」
「…………?」
言い直す必要性があったか、と疑問に思う。残念なことに根も葉もある噂なので、追及されたらどうしようもないのではないか。それこそ、仕事が減りそうなものだけれど。
「そもそも私、アイドルじゃないからさ。恋愛禁止ってわけでもないし」
「方便だろ、それは」
テレビが無くとも、熱愛がスクープされて人気を落とす芸能人の存在自体は聞き及んでいる。一花に演技の実力がないとは言わないが、今のこいつの人気の獲得経緯はアイドルのそれに類似しているので、彼氏の一人も見つかろうものなら、その日のうちにスケジュール帳がまっさらになってしまいそうだ。
「少なくとも、事務所の推奨は受けてなさそうだ」
「どこも奨めてないと思うよ」
「だろうな」
人間どうこうの前に、一つの商品としての扱いを受ける。そういう生き方もありと言えばありなのだろうが、俺には少し息苦しく映る。少なくとも、自分には歩みようもない人生だ。
「まあ、いざとなれば『妹と見間違えたんじゃないですか?』が使えるからね」
「卑怯」
指摘する。自分と同じ顔をした奴が他に四人いるというのは、思わぬところで効力を発揮するらしい。一花はこちらの物言いに対して「臨機応変」とだけ答えて、俺より一歩先を進む。
「でも、上手くやるから大丈夫だって」
「既にだいぶ上手くないけどな」
「なんとかなるものだよ、意外と」
まだ日のある内に、男と二人きりというのはいかがなものなのか。芸能事情に疎い俺には判断が出来かねたけれど、褒められた行為でないことだけは察しがついた。だからといって、適当な忠告で止まるような連中でないことは重々承知。そういうわけなので、俺は今日もなるがままに振り回されるのだった。
「しかしまた、なんで待ち伏せなんてしてたんだよ。俺が別の出入り口から帰ってたらどうするつもりだったんだお前」
「その時はその時かなって。でも、フータロー君はちゃんと正門から出てきてくれたよね」
「たまたまな」
「運命感じちゃうなー」
「ずいぶんしょぼくれた確率の運命だ」
どうせならもっと劇的なものであって欲しいと願うばかり。これではじゃんけんに勝つかどうかと大差ない。
「いやさ、直接顔見たいなーと思って。でも、こっちから連絡したら負けた気がするじゃない?」
「勝敗があるのかよ」
「あるある。そこで考えたの。私が居る場所にフータロー君の方から来てくれれば、それはもう私の勝ちだろうって」
「なんで俺は知らぬ間に負かされてんの?」
「私の勝負強さが生きたね」
「めちゃくちゃだ」
それは一花も理解しているのか、べーっと軽く舌を出してくるのみ。反論する気力もないので「あーうん負け負け」と流して、ジーンズのポケットからとあるものを取り出した。
「せっかく買ったんだからもう少し有効活用してもらいたいところだ」
「有効活用ってされるものだっけ?」
「少なくとも、今回においては」
いい加減に必要かなと考えて購入したスマートフォンだが、どうにも蔑ろにされている感じがする。一報入れてくれれば、それで済む話なのに。
「ほんと、意外だったよね。フータロー君がそういうの持つなんて」
「お前らがねちねち持て持て言ってきたんだろうが……」
「それでも、根負けするのに驚いたっていうか」
「まあ、気分の問題だな」
俺も多少は考えを改めた。初対面の相手と一々スマホ持ってないトークでごたつくくらいなら、初めから手にしていた方がマシだ。一応、生活が便利になった実感もあるし、そこまで悪い買い物ではなかった。
「でも、そうだね。今なら動画が観れちゃうか」
「ん?」
「いや、おいしいなと思って」
「ガムでも食ってんのか?」
「こっちの話だよ、こっちの話」
自己完結されてもこちらにはもやもやが残るだけなので、きちんと最後まで言い切って欲しいというのが本音。だが、根掘り葉掘り聞いたところで解決を見ることもなさそうな気がした。君子なんとかに近寄らず、だ。
人生最強クラスのドタバタがあった高校三年時に、それは嫌というほど学んだ。ヤバそうな事柄からはそこはかとなく距離を置くのが一番いい。まあ、俺に関してはとっくに虎穴の中なので、今更逃げる気力も起きないが。
「お前、やけに大荷物を抱えてるけど、これから旅行でも行くのか?」
話題を切り替えようと、彼女がずっと転がしていたキャリーケースに視線を落とす。近場に出かけるくらいでは使わないものだから、必然的に遠出を疑うわけだ。ちょうど週末だし、軽い国内旅行でもするつもりなのか。でも、それだったら他の姉妹の誰かを連れていきそうな気もするが。
「んーん、帰ってきたところ。そもそも旅行じゃないし」
「じゃあ仕事関係か」
「そう。撮影が遠くであって」
「景気が良くて結構」
「何を撮ったか聞かないの?」
「どうせテレビ番組かなんかだろ。さっきまでの流れで嫌でも分かる」
おーっと驚嘆の声をあげる一花。もしかしなくとも、俺は今おちょくられていないか?
「絶賛売り出し中の若手女優さんは、とうとうテレビにもお呼ばれするようになったか」
「すごいでしょ」
「さあ、良く分からん」
ほとんど関わりがないものなので、どこがどうすごいのか判断できない。芸能界というのは、俺にしてみればまったくのブラックボックスだ。
「まあ、お前が売れれば俺もデカい顔ができるか」
「彼氏として?」
「元家庭教師として。いつからお前は俺の彼女になったんだ」
「膜を」
「すまん勘弁してくれ」
忌避感情というかトラウマというか、とにかく当時のことを振り返るととんでもない頭痛に苛まれる。あの頃の俺は絶対にどうかしていた。それだけは確かだ。
地獄みたいな話し合いを何度も続けて今はどうにか昔に似た距離感に収まっているけれど、もしかしたらまたどこかで歯車の狂いが起きるかもしれないと、常日頃気が気でない。過去の話は、俺にとって明確なウィークポイントとして健在だ。
「抜け駆けの機は常に狙ってるから、フータロー君は気を抜いちゃダメだぞ」
「宣言するな。心労が増える」
「新郎?」
「やめろ。増やすな」
額に浮かんできた汗を拭う。やりたい放題もここまでくると清々しさを伴うらしい。そんなこと、知りたくはなかった。
「この後はバイト?」
「直帰。さっさと帰ってさっさと寝る」
「なら良かった。ご飯食べて行こうよ。私が奢るからさ」
「ならは順接なんだよなぁ……」
俺の教えが甘かったかと落胆しつつ、ふらふらと彼女の後ろを歩いた。こういうときは、流されるままにしたほうがいい。それが経験則だ。
「何にしようか。お肉?」
「高いものになればなるほどヒモ感が増すから手ごろなのにしてくれ」
「ヒモかぁ。それもいいね」
「良くない。なんにも良くない」
どこらへんがどういいのかの説明を求めつつ、日暮れの街並みを縫っていく。あちこちから向けられる目線は、いつの間にか気にならなくなっていた。
漫然と眺めていた動画サイトの急上昇欄に、なんだかやけに覚えのある顔と名前を見かけてしまった。見なかったふりができれば何よりだったのだが、俺の好奇心がそれを許してはくれなかった。しばらくの逡巡の後にサムネイル部分をクリックすると、五分に満たないような短い動画が流れ始める。動画タイトルからして既に不穏だったのだが、一縷の望みに縋りたい俺がどこかに居た。
ひな壇というのだったか。高さ違いに組まれた三列五行くらいの人の塊があった。その中の最前列左端に座っている若い女性タレントと壮年の司会者が何やら会話をしている。ご丁寧に、テロップ付きで。
完全な推測だが、これはテレビ番組の切り抜きだろう。そしておそらく、動画として切り抜かれていない部分から、好きな異性のタイプに関するトークが始まっていた。
そのタレントの掘り下げが一段落する。そして、会話対象が真隣に移る。
『中野さんは?』そう司会者が発言した。見間違いを望んでいたが、やっぱり間違いはなかった。小綺麗な衣装をまとって座っているのは、どう考えても中野一花だった。先日話題に上がった撮影とやらの話を、このタイミングで思い出す。背中にぞくりとした予感が走る。
『私は、頭の良い人が好きですね。自分は勉強が丸っきり振るわなかったので、憧れるというか』
『顔のタイプとかは?』
『こだわりはないと思います。――でも、上中下で分けるなら、上がいいですね』
ふと、画面の中の一花がこちらに笑いかけてきたような錯覚を覚える。もちろんそんなわけはないのだが、彼女のもの言いたげな瞳から察するところがいくつかあった。
単に面食いである旨を述べているのではないだろうと、アタリをつける。おそらく、投げ込まれる爆弾の総数は一つじゃない。
『上中下とは、またずいぶんと直球だ。松竹梅なら迷わず松を選ぶと?』
その言い換えが上手いのかどうかは賛否両論だろうが、少なくとも一花にとっては好都合だったに違いない。彼女は笑みを満面に滲ませつつ、問いかけにこう答える。
『――いえ、樹木だったら杉が良いです』
動画を閉じて、代わりに電話帳を呼び出す。登録者は十を下回っているので、目的の番号はすぐに見つかった。タップして、電話をかける。数回のコール音の後、通じる。
「なんだアレ」
『見ちゃった?』
「地上波になんてもの乗せてんだ……」
『大半の人は不思議ちゃん扱い止まりだからセーフだよセーフ』
「上で杉って……」
『わあ、合わせると上杉だね。ぐうぜーん』
「白々しい……」
これ以上の言及は自分の傷口を抉るだけになりそうなので避けつつ、端的に、目的を問うことにした。全国放送でやっていいようなおふざけではない。
「で、何が目当てだったんだ?」
『ん』
その相槌だけで、彼女が微笑んでいるのがなんとなく分かった。いいように弄ばれている。肩が重い。胃が痛い。
『宣戦布告』
それだけ言って、通話が切れた。なんとまあ人騒がせなことか。そんなの、連中の前で直接言えば済む話なのに、なんでまた永劫残る方法を使ってしまうのか。
「どこが大丈夫になっただ、あのバカ」
俺は別に、お前の心構えについて聞いたわけではないというのに。
深いため息が、部屋の中に溶けていく。あいつらとの付き合いが出来てから、これで何度目になるだろうか。
「結局、何も変わんねーな」
それが喜ばしいことかどうかは量りかねたが、なんでか俺の口許には笑みが浮かんでいる。暗転したディスプレイに、諦め交じりの微笑が映る。
家庭教師が終わっても、やっぱり奴らは問題児。であるのなら、まだ俺が面倒を見てやらねばならないのだろう。やっぱり先行きは不透明で、どうにも明日は見えないけれど。