分類は得意な方だとばかり思っていた。勉学というのはつまり必要と不必要を区分けしていく行為に他ならないのだから、それに適性のあった俺ならばこそ、ある程度の選別、分解はお手の物だとばかりに。
だが、こればっかりはお手上げせざるを得ない状況に追い込まれていた。
「これはなぞなぞなんだが」
「うん」
「同じフロアで特に大きな区切りを設けることもなく、本やらCDやらゲームソフトやらを売っている店のことをなんて呼ぶ?」
「つた――」
「店名じゃない。もっとこう、大きなくくりで。八百屋とか、魚屋とか、雑貨屋とかをまとめたのがスーパーだろ? なら、今言ったのはなんて呼ぶべきだ」
「それ、なぞなぞじゃないよね?」
まあ、確かに。純粋な質問として問いかけるのが馬鹿らしいから、エンターテインメント性を求めてしまった節はある。気になりこそすれど、そこまで深刻な問題としてとらえてはいない。心の傾き具合からいえば、そんな塩梅。しかし人間不思議なもので、いざ一度口に出してみるとこれがなかなか引っかかる。ちょうどいい固有名詞がどこかに用意されてはいないものか。
「複合ほにゃららとか、総合なんとかとか、エンターテインメント云々みたいな名称になるのかこれは」
「そんなに気にすること?」
「悔しくないか? 似た形態の店に行って、〇〇の親戚だとしか言えないの」
「いや全然」
あっけなく一蹴される。すっぱり斬られ過ぎて、こんな細かいことを気にするのは世界で俺だけなのではないかという気分になる。おそらくそんなことはないのだろうけれど、今この場においての孤独感を形容しようとしたら、ある程度大仰な喩えを持ってくる必要があった。
全然……全然か。わずかに肩を落としつつ、陳列された新書を手にとる。最近の講義で出てきた話題だ。ページの真ん中あたりを開いてぱらぱらと流し読みし、元あった場所に戻す。特にこれといった目的意識はないから、当然購入意欲も薄い。それでも時間を潰せるので、本屋というのは有用だ。……と、ここは正しく本屋ではないのかもしれないけれど。
「フータロー、ここ、一番上の本、届く?」
呼ばれ、振り向く。三玖は必死に背伸びをしているようだったけれど、それでもあと一歩目的の品に手が届いていない様子だった。近くに踏み台の存在を確認してはいたけれど、わざわざ使うのも億劫だろう。それよりも手っ取り早く役立つ俺が傍に居るのならなおさら。
彼女の横から手を伸ばし、単行本を引っこ抜く。このサイズ感は漫画にありがちなものと思っていたが、どうにも違うようだ。タイトルからして、歴史書だろうか。
「需要が薄いと手が届かない場所に行っちゃうから大変」
「まさかお前、踏み台代わりに俺を連れてきたわけじゃないよな……」
「感覚的にはマジックハンドかな?」
「勘弁」
手渡す。そんな意図は微塵もないと分かっているが、泣き寝入りも癪なので関節の動きをわざとらしく機械的にした。「拗ねてる?」「可能性はある」
勉強に付き合ってくれとの名目で呼び出されてみれば、連れてこられたのはこの場所だった。本を読むのはぎりぎり学習の内として、本を買うシーンまでもが学びに含まれるかは議論を呼びそうだ。とはいえ遊んでいる感じでもないし、これもまた分類しにくい状況。
「買うのか?」
「うん。フータローは何か欲しいものある?」
「特には。流行りものには興味がない」
「何でも買ってあげるよ?」
「お前らはそうやって、すぐ俺をダメ人間にしようとする」
「ら?」
「一花は俺のヒモ化を狙って、二乃は家事全般を受け持とうとしてる」
「姉妹だね」
「似るのは顔だけにしてくれ」
なんでちょっと誇らしげなのか、これが分からない。あまり無茶なことは言わないから、せめて一度でも俺の立場がどういうものか考えてみてはくれないものか。
「常に板挟みなんだよ俺は。あちらを立てればこちらが立たずだ」
「分かる分かる。私もちょうど姉妹の真ん中だし。どれくらいお姉ちゃんをやってどれくらい妹をやればいいかのさじ加減、意外と難しい」
「それなら天秤の釣り合いを取るだけで済むかもしれないけど、残念なことに俺は五角形の重心を探さなきゃいけない」
「いつでも手を貸すのに」
「そうしたら間違いなくお前の方に傾くだろうが」
「…………?」
「『何か問題でも?』の顔はやめろ」
「何か問題でも?」
「とうとう口に出しやがった」
理屈でどうこうできそうにもないことを悟ったので、三玖の背中を強引に押してレジの方へ向かう。これはただの勘だが、これ以上この場で押し問答を繰り広げても、俺の形勢が悪くなっていくだけだ。元より、俺には突かれるとどうしようもない傷口が多すぎる。
「最近はあんまり赤面しなくなっちゃったからつまんないね」
「慣れだ。ってか俺で遊ぶな」
日に日に俺の立ち位置が下降していく確かな実感を得ながら、脚を前に進めた。レジまでの距離は、目算よりずっと遠い。
チェーンの喫茶店の中には、なんとも言えない音楽が流れていた。いつだったか、こういう場所で聴くような音楽はだいたいジャズだと言ったような気もするが、今耳にしているこれは果たしてジャズなのだろうか。そもそも俺にはジャズもクラシックもポップも、全て似たように聴こえるのだから、知ったところでどうするのだと言われればそれまで。調も和音も、基礎すら知らない俺からすればその重要性が分からない。
それにしても、日本人は面倒くさがりなのか、それとも効率主義者なのか。本屋のすぐ隣にコーヒーショップを設置するのは、怠惰の極致が生み出した業にすら思える。現に客の大半は、同じブックカバーをつけた本をテーブルに載せていた。ここまでシームレス化が進んだのだから、あと百年もすればゆりかごから墓場までの直通便でも出来ているのかもしれない。
「酷いこと言っていいか?」
「ダメだけど」
「いや、お前、そうして黙って本読んでればめっちゃ知的に見えるな」
いつもの眠たそうな目はミステリアスに見えなくもないし、まともに使っているところを見たことがない首掛けのヘッドフォンも、環境要因による錯覚で洒落た洋楽でも流れ出しそうに思える。読んでいる本の題材もミーハー感が薄く、これに関しては特に偽りないのだけれど、一種の知識人っぽさを醸し出していた。
「私の言葉聞いてた?」
「さっきちょっと傷ついたしこれくらいはいいかなと」
バランスを取らなくてはいけない。貸し借りゼロ。心残りなし。そういう状態をキープすることが清々しく生きるための秘訣だと信じている。
「あとは眼鏡でもあれば完璧なんだけど」
「じゃあ今度付き合ってね」
「うげ」
「今かなり傷ついたし、これくらいはしてもらわないと」
言質を取られるまでがあまりにも早過ぎた。こうやってすぐ調子に乗るから俺は俺なんだなと自省内省を重ね、三玖に任せたせいでトッピングが過剰になった、おそらくバケモノみたいなカロリーの飲料を口にする。コーヒーにこだわりはないが、これをコーヒーだと呼んでしまうのには著しい抵抗を感じる、酷く冒涜的な甘みが口に広がった。決してまずいわけではないが、アルコールとノンアルコールの間にあるような絶対的な壁の存在を知覚する。「シャッターチャンス」唐突にカメラのフラッシュが瞬いた。見れば、三玖が片手に構えたスマホで、俺を撮影している。
「俺の間抜け面撮ってどうすんだ」
「オークション?」
「聞くだけ無駄だけど、その競売の参加メンバーは?」
「姉二人妹二人」
「了解。やっぱり聞くだけ無駄だった」
「エプロンのフータローは新鮮で良かった」
「お前も二乃から競り落としてんじゃねーか」
いつの間に撮られていたのだろうか。というか俺は、いつの間にこいつらの盗撮対象になっていたのだろうか。
「次は頬杖ついて、物憂げな表情で窓の外に視線を」
「やらねーよ。カメラマンか」
「私の写真と交換」
「スマホ差し出すな。俺はどんなデータが飛び出してくるか不安で仕方ない」
「フータローが思ってるようなのはあんまりないから」
「不穏な副詞を出すな。ちょっとはあるんじゃねえか」
「うん、あるよ。四葉に撮られた寝顔とか、二乃の私服を着せられたときのとか」
「…………」
「あれ、違った?」
こいつもなかなか、人を煽るのが上手くなった。核心に触れることは一度も口にしていないけれど、この段階で既に目が勝ち誇っている。口許はニヤつくのを必死にこらえている。俺も、ひっかけを危惧していなかった。焦燥だった。完全にしてやられた。
「はぁ……次第によっては、ガキの頃の写真でも見せてやろうと思ってたのに」だが、ただで転ぶ俺ではない。「帳消しだな、今ので」向こうの需要は、こちらもばっちり把握している。
「……私には、最悪の場合泣いて縋って形勢逆転するって手段がある」
「最悪も最悪すぎる……」
「フータローも結局は男の子だし、女の涙に弱いのは実証済み……」
「そういうのはこっそり思っとけ。口に出されたら今後泣いてるお前ら見たときに色々邪推しちまうだろ」
「だ、だから、その手段を使われる前に解決するのが一番賢いって思わない?」
「だいぶ苦しいな……」
「泣くよ?」
「脅しが前衛的だなおい。そんなにガキの頃の写真が欲しいか」
「命に代えても……」
「お前の命が安いのか、それとも写真の価値がべらぼうに高いのか……」
さすがに命を差し出されては後々困るので、根負けして、俺のスマホをすっと取り出した。
「二歳くらいか。写真直撮りだからぶれぶれだけど」
「あ、かわ…………ん?」
「どうした?」
「……なんで女物のお洋服着てるの?」
「仕方ないだろ。それしかなかったんだから」
「え、いや、え……?」
「らいはのガキの頃の写真」
「…………」
「ああ、主語省いてたっけ」
「……………………………………」
瞬間、顔を真っ赤にした三玖がその場に突っ伏した。……これは、まさかのガチ泣きか?
「いい加減機嫌なおせよ」
「意地悪なフータローの言うことなんてしらない」
「お前からふっかけてきた事実はどこに行った……」
喫茶店を出てからもむくれっぱなしの三玖をどうにか慰めようと色々試みたが、どれもまるで上手く行かない。ちょっとしたいたずらのつもりが、ダメージが想定の百倍くらいあった。俺としても、さすがにそこまでだとは思っておらず、どうしたもんかと頭を抱える。
「ほら、お前が欲しがってた昔の俺の写真だぞー」
「…………」
三玖の目が、ほんのちょっとだけこちらを向いた。拗ねていても欲しいものは欲しいらしい。
「そ、それで機嫌がなおるほど簡単な女じゃないもん」
「そうか……」
「でも一応見てみたい気持ちはあるから、あとでスマホに送って」
「そ、そうか…………」
欲望に忠実過ぎる。その姿勢は見習いたいと思ったが、いかんせん今を何とかしないことにはどうにもならない。
「逆に聞く。お前はどうして欲しいんだ。俺に出来ること自体、そう多くないけど」
「デート、バイク、キス、同棲、婚姻届け、ハンコ……」
「…………」
なんとなく察してはいたけれど、こいつはこの機会に、俺の良心に限界まで付け込むことで自分の希望を叶えようとしているらしい。それにしても最後の爆弾はなんだ、もはや隠す気なしか。
「華やかな結婚式、幸せな妊娠出産、暖かい家庭……」
「徐々にディテールはっきりさせんのやめろ」
「子供は二人欲しい……」
「短冊にでも書いといてくれ……」
それだけ生々しい内容なら織姫やら彦星やらの目に留まる可能性もあるだろう。叶えてもらえるかは別問題だけど。そもそも七夕の短冊ってどういう文化なんだアレ。
「もっと短期的で分かりやすいのを頼む。一度の問題解決のために戸籍を引っ張り出したくない」
「じゃあ手、繋いで」
やむなしと、彼女の小さい手を取った。休日の昼間だからまわりにはちらほらカップルが見えるし、別に目立つこともない。「んー」三玖の体がこちらにすり寄る。肩がぶつかる。喜色を隠そうともせず、顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「えぇ……」
「なあに?」
「簡単な女じゃない宣言はどこいったんだ」
「ゴミ箱」
「自覚があるなら、まだいいか」
この変わり身の早さを見せつけながらなおも言い続けるのなら何かしらの矯正が要されたが、分かっているなら仕方ない。山の天気みたいなものだと諦めよう。
「ねえ、フータロー」
「なんだよ」
「今度、フータローの家に呼んでよ」
「何もないけど」
「フータローがいれば十分」
「簡単な割に重いんだよなぁ……」
「お父さんにちゃんと挨拶もしたいし」
「……一応聞く。なんて?」
「長いお付き合いになるからどうぞよろしくって」
「簡単で重い割に、強いなお前……」
「強い女の子は好き?」
「特に好みも注文もねえよ」
「そっか。なら、今からでも染められるね」
「お手上げだ」
わざとらしく肘から上を曲げ、降参の意を示す。相変わらず、俺は中野姉妹に対して、あまりにも弱すぎるようだった。「お前らの立ち位置を、どう分類したもんだか」「なに?」「なんでも」適当にはぐらかして、空を眺める。気分のいい快晴だから、小難しく色々考えるのは、今日のところはやめておこうか。