「上杉君、今日は学食じゃないんですね」
昼休み。いつもなら学食で伝家の宝刀『焼き肉定食焼き肉抜き』を振るっているはずの俺は、とある事情から教室でもそもそ菓子パンをかじる憂き目に会っていた。というのも、全校生徒が入り乱れて食事をするあの場所に行くのは、今の俺の状況から鑑みた時、得策とは言えなかったから。
そうやって警戒心を持ち、アンテナを高めに張っていたからこそ、俺に話しかけてきた人物の顔はかなり意外だった。本来であれば、彼女はここではない場所にいるべき人間だ。
「……そういうお前はなんでここに?」
中野五月。五つ子の末っ子。姉妹の中で最も食に関する興味関心が高いであろう彼女は、昼食の時間を誰より楽しみにしていそうなものなのに。それがどうして、昼休みも半分ほどが過ぎ去ったこの時間、まだこんなところにいるのか。
「いえ、家計が家計なので、あんまり贅沢は」
「ああ、そうか。なんか悪い」
「謝ってもらうようなことじゃありません」
食いしん坊に食を我慢させるというのはなかなかのことだ。しかも、そうなった原因を辿っていくと最終的には俺に到達するのだから、自然に謝罪の言葉も出てくる。それが遠因と呼べるくらいに薄い関連性ならまだしも、限りなく直接の要因だ。出会って一年と経たない連中相手に一蓮托生してしまうのだから、人生というものは本当に良く分からない。
「最近は二乃がお弁当を作ってくれるので、それで十分満足ですし」
「…………」
少々厄介な名前を出されて一瞬眉がひくついたが、特になんでもないような表情をどうにか顔に貼り付けて、適当な相槌を打つ。些細な失態から全てが瓦解していく可能性があるので、こんな日常のワンシーンにも注意しなくてはならない。全然昼休めていないが、文句を垂れている暇があるのなら今までと同じペースで顎を動かし続けるべきだろう。
「集まって食わないのか?」
「一花はお仕事が入っていて、二乃と三玖は日直で遅れるそうなので。そこで四葉と話した結果、たまにはクラスの友達と食べるのも良いだろうって」
「なるほど」
仲違いを疑ったが、特にそういうことでもないらしい……とも言い切れなかった。四十人のクラスから日直が二人選ばれるとして、仲良し五人組の中の別々のクラスに属している二人が同時に日直業務を負う確率……は、まあ、有り得なくもない程度に収まるかもしれない。……が、その確率計算に、『俺と肉体関係を持ったことのある』というドギツい冠をつけた場合、果たしてそれはいかほどか。俺は自信を持って「ああ、今日は二人とも日直なんだ」と信じることが出来そうにない。どうしても裏を疑いたくなってしまう。
俺の見ていないところで二人がこっそり戦争を始めている可能性だって頭のどこかでは考えていて、とうとうそれが顕在化したのではないかと冷や汗が一筋背を伝った。今現在、この学校には爆弾が多すぎる。
「で、お前、弁当は?」
「……食べ終わりました」
「……ああ、そう?」
体重やら美容やらに人一倍気を遣っていそうな二乃が作る弁当は、そこらの男子が持ってくるような大雑把で量に特化したものとは一線を画すのだろう。そしてそれはきっと、五月的にはちょっと物足りないくらいの容量で。
「…………やらんぞ」
「要りませんよ!」
「そこまでムキにならなくても……」
「……すいません」
しゅんと萎んだ彼女をぼんやり眺めながら、味のしないパンを咀嚼し続ける。俺も俺で食べ盛りの体にそれなりの無理を聞かせているので、あまり他人のことばかり考えてもいられないのだった。衣食住の中で、疎かにすると短期的に手痛いしっぺ返しを受けるのが食だ。これに関しては割と死活問題なので、自分を優先させてもらう。気遣いで自分がひもじくなっていては目も当てられない。
なおも無心で規則的に顎を動かし続ける。せっかく生徒が目の前にいるのだから問題の一つでも出してやれれば良いのだが、最近この姉妹を前にすると上手いこと頭が働いてくれない。何度でも重ねて言うことになるが、顔も体つきもまるで同じなのが厄介極まりないのだ。五月と俺の間にはやましいことなど何一つ存在しないのに、顔を合わせると罪悪感のようなものに苛まれてしまう。良くないと分かっていても脳が自然と服の下にあるものを想像してしまうこともあって、どうしようもない。
「今日の勉強会はどこで開くんですか?」
「あー、また図書館あたりで考えてる」
「上杉君、最近私たちの家を使いたがらないですよね。あそこなら時間も人目も声の大きさも気にしなくて済むのに」
「いや、それはあれだ。明確な縛りがあった方が意識的に手を動かすようになるだろ。惰性でやるのが一番良くない」
「考えあってのことなら構いませんが」
実を言うとそんな考えなんてなかった。意識の問題なんてのは今なんとなくひねり出したこじつけに過ぎない。とにかく、俺はもうあの家で勉強など出来るわけがないのだ。どうやったって二乃との行為を思い出して悶々としてしまうし、あいつ自身、最近俺を焚きつけてあわよくばもう一度コトに及ぼうとしている節がある。見え透いた地雷を踏み抜くほど愚かではないつもりだ。
「それより五月、さっき一花は仕事だって言ったか?」
「ええ。今日は撮影があるみたいで学校はお休みです。放課後までにはなんとか終わりそうだと言っていたので、勉強会には間に合うかと」
「……そうか」
「なにか?」
「なんでもない。気にしないでくれ」
残り僅かとなったパンを一気に口の中に放り込み噛み砕く。先日の意味深なメールの後、俺は未だに一花と一対一で話す機会を持てていない……というか、極力二人きりにならないように立ち回っていた。どんな話をしたところでロクな結末を迎えそうにないと分かっているからだ。それでもいつかは何とかしないといけないというのは理解できていても、先を思うと頭が痛い。幸い五月の反応からも分かる通り目撃情報の拡散は為されていないようだから現状一安心だが、近くアクションがあっても何の不思議もなかった。
それで言えば、三玖も三玖でだいぶ問題があった。
元から羞恥心や距離の取り方がどこかズレていたあいつだったが、あれっきり妙に近い。気づけば隣にいるし、酷い時は呼吸音がはっきり聞こえるくらいまでこちらに詰め寄ってくる。それに触発された二乃までチキンレースを始めようとするからなおのこと手に負えなくて、勉強会のたびに俺の胃痛がマッハなのだった。二人とも告白関連のことはなあなあの有耶無耶にしたままだから、絶妙に居心地が悪い。スキンシップの過剰な奴なんだという理解は、明確に示された好意の前にはあまりに無力だ。こんな状況の対処法などどこを調べても載っていないので自力で何とかする外なく、目下最大の悩みの種として俺の前に立ちはだかっている。
「上杉君、最近ちゃんと眠れていますか?」
「どうした急に」
「ここのところずっと元気がないので。自分たちが負担になっているんじゃないかなと」
実際は、お前の知らないところで複雑化した人間関係を思って精神が摩耗しているだけなのだが。しかしわざわざこんな特大の爆弾情報を教えてやるわけにもいかず。
「心配すんな。それは関係ねーよ。ただちょっと怠いだけだ」
「無理は禁物ですよ?」
「分かってる」
その思いやりに心の中でこっそり感謝を表明しながら、教室の前に固定されている時計を見た。昼休みも残すところわずかだ。
「お前はどうかそのままでいてくれよ」
「はい?」
疑問の声には答えず、次の授業のテキストを取り出した。五月の呆けたような表情が、妙に印象的だった。
「来ないね、一花」
四葉の一声。
時計の針は図書館が閉じる三十分前を指しているのに、一花は未だ現れる気配がなかった。それどころか遅刻の連絡すらなく、今彼女がどこにいるのかも定かではない。
これまでも定刻にやってこれないという事態がなかったわけではないが、そういう時には必ず連絡が来ていたので、無断欠席は初めてのことになる。二乃なんかは、先ほどからシャーペンの芯を出したり引っ込めたりしてまるで落ち着きがない。おおかた事故か何かに遭遇したのではないかと憂慮しているのだろう。
「あ、連絡。一花から」
「なんて?」
「撮影が長引いちゃって、しかもその間スマホを触れる空気じゃないからメッセージを送るに送れなかったって。今日はもっとかかりそうだから、私のことは待たないで良いよってさ」
「なーんだ。あんまり遅いから嫌なこと考えちゃってたわ。それなら一安心ね」
緊張から解放されたように二乃が肩の力を抜き、その他の一同の雰囲気も心なしか弛緩した。この空気感の中で勉強が捗るとも思えなかったので今日は解散する旨を告げると、全員が用具を鞄にしまい始める。
その中で。
「フータロー、この後時間ある……?」
と、ぎりぎり俺にだけ聞こえる声量で三玖が呟く。これだけでこいつが目論んでいることが分かってしまって、俺の血流がおかしなことになった。
「……約束通り、履いてないんだけど」
「バカ。履け。今日はこの後用事だ」
「……むぅ」
お前そんなリスキーな装備で姉妹の前に出てきたのかと叱責したくなるが、これに関しては熱に眩んだこの前の俺が明確に否定なり拒絶なりを示さなかったのが悪い。パンツを履いていない女の子に発情する性癖があるなんて思われては双方に何の得もないので、いずれ矯正しなくては。
「フータロー、今日はウチでご飯食べていけば?」
「なんだ突然」
「この調子だと一花は向こうで食べてきそうだし、そうしたら一人前余るじゃない」
「一人分少なく作ればいいだろ」
「気づくと五人前になるのよ、癖でね」
「……悪いが遠慮しとく。妹が夕飯作って待ってるからな」
夕飯の誘いは魅力的ではあったが、俺は今後二乃から提供される飲食物に対し、常に細心の注意を払わねばならない。四度目は流石に食らえないだろ……。
不満げに唇をつーんと突き出す二乃から目を逸らし、五月に軽く目配せをした。「昼の鬱憤は夜晴らせ」的な意味合いを込めて。当然分かってもらえるはずもないが、そこらへんは五つ子でやりくりしてもらおう。
「ほら、さっさと帰った帰った。ちゃんと自習もしとけよ」
告げて、一足先にその場を後にする。これ以上一緒の場にいると更に余計なことに巻き込まれる気がするから。……それに、他の事情も抱えている。
室内にいると窓の外の変遷に疎くなってしまうようで、見ればとっぷり日が暮れていた。イマイチしっくり来ない位置に収まった鞄を身をよじってちょうどいいポジションに寄せ、重たい脚をとぼとぼと前に進めだす。一応後ろを確認してみるが当たり前にそこは無人で、後ろを尾けられているという事態はなさそうだった。
念のために周囲を更に複数回検分するが、やっぱり人の気配はしない。肺にこもった重たい感情を呼気として吐き出してから、取り出したケータイでリダイヤルした。
「なぜここまで手の込んだことを……」
『なんとなくかな?』
電子音に変換された肉声はどうにも無感情に聞こえて、何かに怯えたように腕に鳥肌が浮かび上がった。女優見習いの面目躍如、だろうか。
「一花」
『なに?』
「二人で話したいことってなんだよ」
『分かってないの?」
「……心当たりはあるが」
むしろ心当たりしかないまである。今この状況で話題に上るのが好きなおにぎりの具は何かとかだったら拍子抜けもいいところだ。
「だけど、いくら何でも姉妹騙くらかしてまで時間作ることはないだろ」
実のところ、一花の欠席には予め断りがあった。今日の勉強会には参加できないと、放課後になってすぐ俺に連絡が届いていたのだ。
……だがまあ、問題はその後で。
「仕事が長引く設定にしたって、それを最初に言っておけばもう少し……」
『いやいや、今まで夜になっても帰れないなんてことはなかったからいきなりだと疑われちゃうよ。焦らして焦らして最後に伝えるからリアリティが生まれるんじゃない』
「その頭をもっと別の場所で使って欲しいよ俺は……」
『あ、良いんだ。そんなこと言ってるとこの前三玖とフータロー君がいちゃいちゃしてた時の写真、他のみんなに送っちゃうよ?』
「正直すまんかった」
『まあ、そんなの撮ってないんだけどね』
冗談は笑えるものだけにして欲しい。おかげで今この瞬間、あふれ出した手汗でケータイを取りこぼしそうになっている。あとちょっとだけ膝も震えてる。
「……で、結局お前は俺をどうしたいんだよ」
『どうもしないって。でもまああの子たちのお姉ちゃんとして思うところがないわけでもないから、一回会って話したいな』
「いつ?」
『これから』
「どこで?」
『駅前にカラオケあるでしょ? 私、今そこの近くにいるんだけど』
「……了解」
簡素に答えると、そこで通話が切れた。明らかな面倒がやってくるのを覚悟しながら、目的地に足先を向けた。
おそらく一花が指し示したのであろう店舗に近づくと、店と店の中間地点にあたる壁に背を預けてスマホをいじっている彼女の姿が目に入った。どう話しかけたものかと少し悩む間に向こうも俺の姿を視界に捉えたようで、によによ笑いながらこちらに手を振ってくる。
「早かったね」
「普通だろ」
「写真は本当に撮ってないから安心してね。わざわざ身内の爆弾を作る趣味なんてないし」
「……そりゃどうも」
心の中では万に一つくらいの可能性を捨てきれていなかったから、彼女が示した明確な否定にそっと胸を撫でおろす。そんなえげつないものを脅しの材料に使われたら、今後の人生俺はこいつの言うことに絶対服従だ。ただでさえ一花には、いつかの膝枕画像を握られたままだし。
「でも、すごいびっくりしちゃったなあ。まさかあんな……ねえ?」
「……何だよ」
「いや、合意の上ならこっちからは何も言えないけどさ。……でも、場所くらいは選んだ方が良いよってお話」
「…………」
お宅の妹さんが主導ですよと伝えてやっても良かったが、今は何を言おうが言い訳がましくなるのでやめた。結果的にその流れに乗ってしまった俺がいた以上、話は繕いようがない。
「歩こっか」
他の歩行者の邪魔になるからと言って、その場を離れる。集合出来た以上、ここはもう用済みというわけか。
「どこを目指すんだ」
「何も考えてないよ。ただ適当にぶらぶらしながらお話したいなって」
どんな話になろうとも、最終的に俺の肩身が狭くなるのは確定なのだ。先が思いやられるというか、考えただけで胃が痛むというか。そもそも罪は俺と三玖が同じだけ背負っているわけなのだから、俺だけが一方的に追いつめられるという構図はどうなんだろうか。釈然としない感はあって、そのあたりのすり合わせが自分の中でまるで上手く行かない。
「今日の勉強はちゃんと進んだ?」
「良くも悪くもいつも通りだ」
「そっか。なら置いていかれないようにしなくちゃね」
「他の誰かからノート見せてもらってくれ。ついでに再現授業でもしてもらえば完璧だろ」
「じゃあそうしようかな」
「…………」
「どうかしたの?」
「別に……」
とにかく、神経が磨り減る。今はどういう心境か会話が脇道に逸れているが、この際だからさっさと本題に移ってくれないだろうか。警戒しっぱなしのままでは、ただの雑談でさえ裏に意味がこもっているのではないかという猜疑心が尽きてくれない。この調子では心労でダウンしてしまいそうだ。
「もっと肩の力抜いていいのに」
「無茶言うな」
「そんなに後ろめたいならしなければ良かったんじゃないの?」
「そういうこと言われそうだから警戒してたんだ俺は」
「三玖とはいつから?」
「いつからってなんだよ?」
「もう、察し悪いなあ」
言って、一花は眉根を寄せた。それはそれは大変に不満そうな表情を浮かべながら。
「私、人の感情の機微にはだいぶ敏感な方だと思ってたんだけど、あまりにも突然だったから」
「……?」
「最近付き合い始めたんだったら、すぐ分かるものだとばかり」
「…………」
「だから、いつそういう間柄になったのか、純粋に気になっちゃって」
「……あー」
「二人とも、意外と隠すの上手だなあって。こっちが参考にしたいくらい」
「…………あー」
「発声練習?」
「………………あー」
言うたびに少しずつ空を仰ぎ、目の焦点をぼやかす。もう、なにもかもが面倒だ。俺はここから何をどう訂正すればいい。
「えーっとだな。まずは……」
「まずは?」
「……ちょっと待て」
まず俺と三玖がやらかした背景には、どうしようもなく二乃の存在が絡んでくる。……が、ここで一花にみすみすそのことまで話してしまっていいのかという疑問が湧いた。それは知られないに越したことはないし、なんなら知られたくないことだから。これ以上弱点を増やしてしまっては全身が急所になる。願わくば、それは避けたい。
かと言って、その出来事を抜きにした説明で彼女を納得させられるかといえばそれもまた首を傾げざるを得なかった。そもそも俺の偽証能力が試される課題でもあるし、深く突っ込まれたら粗が出るのは必至。であればふわふわした曖昧な説明で納得してもらうしかないが、果たしてそれで上手く行くかどうか。
一旦落ち着こう。まずは各々の立ち位置と知っている情報を確認するべきだ。
関わっている人間は俺、一花、二乃、三玖の四名で、それぞれ蓄積している情報量には差異がある。俺の関与しない場所で駆け引きが生じている可能性もあるが、そこまで考慮すると厄介なので、ここでは俺の視点から見たことを中心にまとめておこう。
まず二乃。一言でまとめれば元凶。あいつの存在なくして今の俺の思考はない。この構文は感謝をメインに扱われるものだと思って生きてきたが、どうやらそんなこともないらしい。三玖の発言を聞いている以上その後何が起きたかも察しているだろうし、ポジション的にはかなり深いところにいる気がする。
次に三玖。助けられたようで、その実色々と複雑になっただけだった。今になって思えば、いっそあそこで全部放り投げていた方が精神的に楽だったのではなかろうか。信頼関係云々とか言っていたが、正直もう胃が痛い。再構築のワンチャンスに賭けてみた方がマシだった説すら俺の脳内に浮上している。
そして一花。おそらく二乃とのことは知らないから、そのあたりの事実関係をどう誤魔化すかに全てがかかっている。だが、ぶっちゃけ自信がない。どこかでミスをする気がしてならないのだ。
ついでに言うなら、二乃も三玖も一花のことは知らないから、ここで情報の互換性を断てるならそれが一番だった。もういい。お腹いっぱいだ。これ以上厄介ごとが増えるのはごめん被る。
以上を踏まえて、俺が一花に対しどんな弁明をすべきか。その結論は。
「付き合ってはいない」
「え」
「その場の流れだった」
「え」
「どうしようもなかった」
鳩が豆鉄砲食らったような顔……と言われてもぱっと理解出来るものなのだろうかと人生のうちで再三考えてきたが、今の一花の顔がそれに該当することは想像に難くない。予想だにしない答えだったのだろう。
「え?」
「聞き直されても、同じことしか言えないが」
「ええ?」
「いや、だからその、若気の至りというか……」
「…………」
絶句、である。ここまで気持ちよく黙られると、なんだか一周まわって心に余裕が出来てきた。下手な嘘で自身を窮地に追い込むくらいなら、いっそこれくらいあけっぴろげにしてしまえばよかったのだ。なお、この捨身戦法は後のことを考えていないからこそ出来るものであって、建設的かそうでないかと問われれば笑顔で「そんなわけねえだろ」と吐き捨てなければならない程にすてばちだ。
「せ、性に奔放なんだね」
「はっきり言ってくれ」
「ちょっと最低……」
だろうなーと頷く。当の俺とて同一の見解を示しているのだ。状況は地獄めいて複雑で、もはや何もかも収拾がつかない。勘弁してくれよと匙を放り投げたくなる気持ちでいっぱいなんだ。
けれどそうすると当初の注文である『姉妹そろって全員卒業』までたどり着ける可能性が格段に低くなるため、この土壇場でどうにか踏み留まるのは必須。諦めるには、まだ少し早いように思う。
「……で、ものは相談なんだが」
「なに?」
「その、今後も家庭教師を続けるにあたって、今回のあれこれはどうか見なかったことに……」
「……ふーん」
手を顎から唇のラインに添えて、半目でこちらを見てくる一花。その様は何かを検討しているようであって、悪い予感から思わず右脚を一歩分後ずさりさせた。
我ながら情けないことを言っているのは重々承知だが、いかんせんこれくらいしか打てる手立てがない。どうにか情報漏出に歯止めをかけないと、対応事象が増えすぎて比喩抜きで死んでしまう。それはまずい。
だから、五つ子の中ではかなり話が通じる方の一花の良識に全てをぶん投げざるを得ない。これが最適解だということに眩暈がするが、もはやこれ以外に頼める手段がないので腹をくくろう。後生だ。
「ねえ、フータロー君」
「なんだ」
にこやかな顔で、一花は。
「……タダで、とは言わないよね?」
なんて一言を告げた。
まあ、予想できたことだ。対人関係において培ったアドバンテージを口約束で投げ捨てる人間というのは、きっとそう多くはない。
だからおそらく、俺がここで何かしらの代償を支払うことにより、利益の釣り合いをとるのだろう。それで済むのなら可愛いもので、今後のリスクを考えるならこれは限りなく必要な犠牲だと断言できる。
問題は要求内容がどんなものになるかだったりもするのだが、こと一花において必要以上に無茶なことは起こらないだろう。そのあたりは信用が出来た。
とにかく、時間なり金銭なりで解決できるのならそれに越したことはない。襲い来る脅威をマネジメントするという観点から見れば、ここが一大ターニングポイントであることは疑いようもないのだった。
「……出来ることなら」
「じゃあ――」
さて、どう転ぶか。なんにせよ、俺に選択肢なんてないのだが。