Scene 3-1 親子
「ふぁぁ……」
大きな欠伸と共に、上条当麻は鏡の向こうの自分と対面する。慣れた手つきで髪を整え、いつも通りのツンツン尖った髪型に。
よし、と一声入れて、リビングに向かう。すると、この家の本来の住人がこちらに気付いた。
「おはよう。ゆうべは眠れたか?」
「おかげ様でな。助かったよ。……そういえば、朝飯ってどうしてるんだ? そっちが良けりゃ、俺が作るけど」
「大丈夫だよ、昨日のうちに下拵えはしたから」
「そっか。俺、世話になってばかりだな」
「気にしなくていいぞ。上条は客人だし、もてなすのはオレの仕事だよ」
「へえ。なら、お言葉に甘えさせてもらうか」
そう言って、上条はテレビに目を向ける。朝の情報番組では、小さなニュースばかりを取り扱っていた。大きな事件と言っても、せいぜい海上都市に突如巨大竜巻出現、なんて話程度。そもそも海上都市がどこにあるのかさえ知らない異世界人の上条当麻にとっては、どこか遠くの出来事だった。
勿論、遠ければ無視していいというわけではない。だが、もっと身近で起きている事件を放り出して行くべきでもない。
物事には順番というものがある。
そんな思案を遮るように、朝食の完成を告げる声が聞こえてきた。それに従い、上条は食卓を囲む椅子の一つに腰を下ろす。
「有難いな……朝からモヤシ料理以外を食べられるなんてさ。ああ……管理人のお姉さんがこんな風に毎朝温かいご飯を作ってくれたりしないかなそしたら俺は喜んでご馳走になって他愛もない話に花を咲かせながらキャッキャウフフとそうですよねこんな暑い日は海に行きたくなりますよねあはは」
「料理を目にしただけでトリップするとはロクでもない……いや大した才能だぞ人間。つまり貴様は妄想で腹一杯だから、これらは私に献上するということだな」
「ダメっ、ダメですっ! 上条さんの貴重な癒しはたとえオティヌスであっても譲らねえっ!!」
壊れてしまった上条には、その向かい側で難しい顔をする柊史の機微まで読み取ることはできなかった。
果たして、その少年は何を考えていたのか。
それを知るには、少しばかり時を遡る必要がある。
『俺とインデックスは、異世界から来たんだ。つっても、信じるのは難しいだろうけど』
突然飛び出した異世界という言葉は、柊史と寧々の二人に大きな衝撃を与えていた。
しかも、それだけに止まらず。
『この世界には望んで来たわけじゃない。俺達をここに呼んだヤツが、何処かにいる』
『それが誰かってのは、分かってるのか?』
『いいや』
それはつまり、異世界の住人を呼び出してしまうような脅威が、今も野放しであることを意味していた。
『ただ、いくつか分かってることもある。そいつは何らかの計画を進めていて、その為に悲劇を欲してるってことだ』
『悲劇……』
その時、柊史は何故か、ある出来事を思い浮かべていた。
こことは違う時間で起きた、避けられなかった離別。死よりも無情なルールが、二人を永久に別つ瞬間。
『もしかしたら、お前達が襲われるかもしれない。ヤツは俺を知っていたから、俺の周りに現れる可能性もある。気を付けてくれよ』
『……それは、本当なんですか?』
寧々の一言で我に返った柊史。そう、
そしてその反応も読んでいたかのように、上条は肩を竦めた。
『本当だ、って言うしかないだろ。……けど、怪しいヤツに気を付けろって言うなら、まず疑うべきは俺だよな。うん、
やけにすっきりとした様子で、彼は言い切った。その上、目的は達したと言わんばかりに、意味ありげな笑みを浮かべてすらいた。
ここに来て、背中を冷たいものが通り抜ける感覚を柊史は感じていた。
彼は最初、これが上条の内から湧いて出たものなのかと考えた。しかし直後に、あの少年に対してだけはありえないと思い直した。柊史の「五感で感情を読み取る力」は、特別な右手を持つ少年には通じないのだ。
即ちこれは、柊史の内から湧いて出た感情に他ならない。そしてその感情とはつまり――
『うーん、学園都市の発明品でも見せられれば……』
『仮に手元にそんなものがあったとして、勝手に外へ持ち出したと知られた日が貴様の命日になるかもしれんぞ。ヤツの支配下にあって、それが起こるとは考えにくいが』
『どーかな……あいつの事だぞ、念には念って事でやらないとは限らない』
肩に乗る小人と寸劇を繰り広げる様からは、先程見せた冷徹さは微塵も感じられない。
では、あれは一体?
疑問は解けぬまま、上条は説明を続けた。
『とにかく、今は異世界から来たとしか言えない。信じろとは言わないし、そこはお前達の判断に任せるよ』
『……分かった』
やがて、柊史は決意を固めた。
『上条が言っているのは本当なのか、もう少し様子を見せてもらう。会った当日にそれを判断するのは、
含みのある言い回しに気付いた上条は首を傾げたが、正解は出てこなかったようだ。
代わりに、彼にとっては最も重要な問いを恐る恐る繰り出してきた。
『……それで、今晩の宿は……?』
『予定通り、オレの家に泊ってくれて構わないよ』
『ありがとうございますこの恩は必ず返せるうちに返すっ!!』
そう言って泣きつく上条の姿には、威厳も何もあったものではない。
さっきのあれは錯覚だった。そう思ってしまいそうだった。
そんな事があって、朝。
「いやしかし、今晩友達を泊めると聞いたときは驚いたぞ。去年の今頃、死んだ魚の目で朝御飯を作っていた息子と同一人物とは思えないな」
「うるさいな。色々あったんだよ」
「おいおい、男のツンデレは需要ないぞう」
「……」
上条当麻はこうして、保科柊史の家にいた。親子の会話に割り込むのも気が引けるので黙々と箸を進めていたが、その思考はある一点で止まり続けていた。
(この人、青髪ピアスに近い感じがする。見た目はまるで似てないのに……何でだ? 声が似てるからか?)
それは、
当然、柊史の父親たる保科
「さて、父さんはそろそろ行ってくるかな」
「ああ、行ってらっしゃい」
「行ってきまーす。……おっと、そうだそうだ、上条君。ウチの柊史と仲良くしてやってくれ」
「え? ああ、はい」
それを聞くと、太一はニカッと笑ってリビングを出て行った。その姿を見送りながら、上条は思ったことを素直に呟く。
「すげえ元気な人だな。疲弊しきった現代社会に生きているとは思えん」
「お前のその人生観は何処から出てくるんだ……いやそうじゃなくて、確かに元気な人だよ。父さんが凹んでる姿なんて、ほとんど見たことないな」
「ふーん」
上条の受け答えがそこで途切れたのは、自分の父親が浮かべた表情を殆ど知らないからか。彼にとっては誰と比較できるものでもなかった以上、その程度の感想になってしまうのは当然かもしれない。
だから、
「そうだ、保科の母さんは……?」
一瞬の沈黙。ほんの数秒程度の無言、それを上条は重く受け止めた。気軽に触れていい話題じゃない、と。
だが、柊史は変に気負うでもなく、こう答えた。
「亡くなってる。交通事故でな」
「……そっか。悪い、簡単に聞いちゃいけなかったな」
「気にしなくていいよ。挨拶をするなら、一緒にやっとこう」
そう言って彼は、ある方向を手で示した。そこには、女性の写真が入った写真立てがあった。
二人して両手を合わせて、写真の前で十数秒ほど俯く。顔を上げた柊史に、もう暗いところはなかった。
その顔を見ながら、上条は漠然と考えていた。
誰かが言っていた。人が死ぬのは、肉体が死んだ時ではない。誰からも忘れられた時、初めて
だとすれば、たった一人の息子に「親」であることを忘れられてしまった両親は、あの瞬間に一度死んでしまったと言えるのではないか。
母親を亡くし、関連する記憶と記録だけが残っているもの。
両親は健在だが、関連する記憶を失ってしまったもの。
似て非なる境遇にあり、似ても似つかない性質を宿す二人。
もしも、世界をも超える運命なんてものがあるとしたら、この二人が一堂に会するのもまた運命だったのか。
この出会いが巡り巡って、保科柊史という人間の生涯を左右するということに。
今はまだ、誰も気付いていない。
Scene 3-2 暗雲垂れ込める街
時は流れ、昼下がり。
保科柊史と上条当麻、男が二人して街を闊歩していた。
「その先輩ってどういう人? メチャクチャおっかないとか勘弁だぞ」
「そうだな……掴みどころはないけど物腰柔らかいし、そこまで警戒する必要はない……と思う」
ほっ、と胸を撫で下ろす上条。話を聞いてみれば、今日会う人物と昨日「学園都市はない」ことを指摘した「先輩」は同一人物。最悪、不審者扱いで通報されるだろうという想定だっただけに、安堵もひとしおなのだ。
しかし、なぜ部活があるはずの二人が共に行動しているのか。それには理由がある。
依頼人の家に五人が押し掛けても出来ることが少ないということで、上条と柊史は「先輩」と呼ばれる人物との待ち合わせ場所に向かっていた。発端は上条が発した、
「俺、恋愛関係はさっぱりだから力になれねえ……」
という言葉であった。とはいえ彼は「先輩」と面識がないので、合流は困難。なので、柊史が引率に立候補したのだ。……実際には、上条の監視という役割も併せ持っているのだが。
それは上条の方も薄々勘付いてはいるようで、故に指摘はしてこない。
そんなわけで、やり取りはあくまでも穏健なものだった。
そんな他愛もない話をしている間に、目的地が見えてくる。
そこで、二人が目にしたものは――
要塞と形容しても違和感がない外観の、とある駅前で。
密やかに、だが確かに。
「悪」と呼ばれる何かが、牙を剥いていた。
やがて
避けられぬ悲劇の犠牲となることを運命付けられた、哀れな被害者の名は。
「戸隠憧子、だな」
そう呼ばれた少女は、反射的に声のした方へ振り向く。するとすぐに、その表情が訝しむようなものへと変化した。
視線の先には、黒いローブに身を包んだ『人間』が立っている。だが彼女の知り合いに、こんな格好をする者はいなかったはずだ。
「あのー、どちら様ですか? どうしてわたしの名前を?」
「さあな。過去に会ったことがあるか、あるいは前世の因縁か? 案外、答えはお前の中にあるかもしれんぞ。どうだ、
「……? 何を言って――」
言葉はそこで途切れた。
男が着込むローブの裾から取り出した、右手の形をした歪な形の鏃が、戸隠憧子という少女の頭頂部に添えられたのだ。
傍目に見れば、起こったことはそれだけだった。
だというのに、少女の内部では明確な異変が起きていた。
記憶という名の濁流が、彼女の中で暴れ回る。
憧子がずっと封じていた記憶が、鏃の効果で解き放たれたのだ。
「思い出したか、化物。人ならざるお前がここへ至るまでに辿った軌跡を」
「化物……人間じゃない……?」
そう断言された少女の体が、ぐらりとよろめく。
魔法使いは下卑た笑みでその光景を眺めていたが、突如としてその身を翻した。
「どうだ、我手ずから披露する見世物は」
不遜な言葉を向けられた相手、それは即ち――
少女の体が揺らいだ瞬間には、上条当麻は地面を蹴っていた。全速力で間合いを詰めると、躊躇なく右の拳を突き出す。
それをひらりと躱した魔法使いの言葉も無視して、彼は呼びかけた。
「保科、その人を頼む!!」
「ああ! ……って、お前はどうする気だ!?」
「俺は……」
視線を外すことなく。
少年は、正面に佇む魔法使いをしかと見据えて、こう吠えた。
「あの野郎を、ぶっ飛ばす。話はそれからだ!!」
「ぶっ飛ばす、と来たか。お前には無理だろうよ」
「あの人に何をした」
嘲笑すら意に介さない様子で、上条は問いかける。
聞き覚えのある声だった。穂織の山奥で語りかけてきたものと同じ。故にこそ、彼の戦意は増大していた。
その一方で、向けられる激情を柳のように受け流して、魔法使いは得意げに語った。
「ふっ。……ヤツの記憶を取り戻してやったのだ。お前のそれと違って、あの女の記憶は魔法によって封じてあるに過ぎん。であれば、
「……
確かに、あの鏃を見たことはあった。
それは、『窓のないビル』に侵入した時の事。先代の統括理事長の過去を追体験する最中に目撃した
「じゃあ、あれは……」
案内役のミナ=メイザースは、その霊装を何と呼んでいたか。
「……ブライスロードの秘宝。あれが、そうだって言うのか!?」
魔法使いは、ただ嗤っていた。
沈黙こそが、答えだった。
「だが、あり得ん。
「そう、
パチンと指が鳴り、火球が飛翔する。素人の目でも追えるほどの速度で、しかし見てくれだけは立派に。
上条は引き寄せられるように右手を差し出して、
少年と『魔神』が、揃って目を見開く。起きた現実を、直視せざるを得ないのだ。
「さて、こちらの効力も試してみるか? 我は構わんぞ、次は誰を標的に据えようか」
たっぷりの自信と共に、そんな文言を投げつける。
それで、上条は持ち直した。
パフォーマンスで誰かを平気で傷つけられるようなヤツを相手に、尻込みするわけにはいかない。
「……関係ない。テメェが何を持ってようが、戦う理由は変わらない!!」
そう叫んで、少年は再び一歩を踏み出す。それ以外の選択肢など、彼の前にはなかった。
対する魔法使いは、やはり笑みを浮かべるだけだった。
「おおおおおッ!!」
繰り出した右ストレートは、紙一重の所で回避された。ひらりとローブをはためかせながら距離を取る敵に向けて、再度の攻撃を敢行する。
抉るように、体当たりのように、軽い牽制に。何度も拳を打ち出しては、ユラユラとそれを避けられる。
「待て人間、様子がおかしい。ヤツは何故逃げに徹する……?」
『魔神』の忠言を受け、上条が足を止める。
「……確かに。右手をわざとらしく見せびらかしておきながら、やってる事は逃げるだけ。いったい何が……」
言い終わる間もなく、男が上条に背を向けた。そのまま、通行人の方へ左手をかざす。
「ッ!! この野郎!!」
慌てて男のもとへ飛び込んで、右手を振りかざす。それを読んでいたかのように、男は数歩前にズレた。
気付けば、二人を取り囲むように人だかりができていた。回避のスペースが狭まったことで、逃げに徹する魔法使いにとっては不利な状況が出来たようにも見えた。
だが。
「これだけあれば十分か。
向こう。その一言で、上条は己の失策を悟った。
この魔法使いがいくら傍若無人な人間とは言え、仲間がいる可能性はゼロではなかった。
回避に徹していたのは、柊史達との距離を広げるため。無防備になったそちらに、別の刺客が向かっているのだろう。
そう推測できても、上条はそこを動けない。少しでも視線を外せば、その瞬間に殺される。そう思わせるだけの
「そら、足元注意だ」
「う、あああ!?」
バランスを崩して、床に右手をつく。すると、彼を支えていた地面が跡形もなく消え去った。
否、元の位置に戻っている……!?
「これは――」
何だ、と言う暇さえない。悪寒を覚えた上条が咄嗟に背後に見たのは、猛然と突っ込んでくる巨大な岩塊だ。
彼がそちらに向き直ると同時に、岩塊が彼の体を叩いた。空中で防御姿勢など取っても大した意味はなく、10メートル以上も飛ばされる。
顔面からの着地こそ避けたものの、衝撃で体中が嫌な音を発していた。
「ぐっ……」
呻き声を上げつつも、上条は腕を突いて立ち上がると、再び魔法使いと相対した。
「もう遅い。悲劇の幕開けだ」
そう言って魔法使いは天を仰いだ。
しかし、そこにあったのは。
大勢の驚愕する気配と。
ガァン!! という、鋼を叩く硬質な音だった。
Scene 3-3 暴露
何が起きたのか、その場の誰にも分からない。
知っているのは、当事者たる二人だけ。
即ち、柊史に銃口を向けていた魔女と。
その銃を横から蹴り飛ばした、赤い髪の女性だ。
「……!?」
「はぁッ!!」
赤髪の方が、先に動いた。霞むような速度で打ち出した掌底が、魔女の鳩尾へと吸い込まれていく。
ズドン!! と鈍い音がして、魔女の体が水平に飛んでいく。
目まぐるしく変わる情勢に追いつけなくなりつつある柊史は、女性に訊ねた。
「あなたは……?」
「ただの通りすがりだよ。それ以上でも、それ以下でもないかな」
言い終わると同時に、彼女は柊史と憧子を抱えて水平に飛んだ。瞬きをするよりも早く、柊史の目前に交番が現れていた。どさりと落とされてようやく、自分に何が起きたかを理解した。
「じゃあね」
返事を待たずに、女性は地面を蹴る。一歩目の踏み込みで爆破音を炸裂させ、二歩目を踏んだ時には二人の距離がゼロに。あまりの速度故に、その姿が揺らいで見えた。
しかし、柊史にはそちらに気を配る余裕などなかった。
何故なら、目を合わせてしまったから。
光を失い、暗く濁る紫紺の両目と。
綾地寧々と瓜二つの顔をしていた、あの魔女と。
「邪魔が入ったか」
「ッ!!」
戦局が動いた時には、上条も駆けていた。正面に立つ魔法使い目掛けて、あらん限りの力を込めた拳を放つ。
そちらを軽やかに躱した魔法使いは、自身に向かって飛んでくる魔女を受け止めつつ、人込みを割って現れた赤髪の女性へ目を向けた。
次いで、虚空を握り込む。すると、何もなかった空間にねじくれた杖が出現した。
「協会の人間か?」
「一応ね。そういうそっちは亡霊かな?」
「ふん。我ながら忌々しいが、生きている。『
その口ぶりからして、過去に何かがあったのは明らかだ。だが、詳細までは分からない。そして、それは決して見落としてはならないような気がした。きっとこの男が『
「今日の所は引き上げるとしよう。目的は達した、つまらん見世物と成り果てた寸劇に時間を割くつもりはない」
「逃がさない!」
地面を砕くほどの踏み込みと共に、握り締めた左拳を突き出す赤髪。
対する魔法使いは、短く告げた。
「虚ろなる三」
次の瞬間には、抱えられていた魔女が姿を消していた。残った魔法使いは身を捻りながら、右手の形をした鏃で拳を弾く。
その交錯に目を奪われた者には、魔女がどこに行ったのか、皆目見当もつかない――
「人間、ヤツの足元の影を叩け!!」
否。戦いの最中にあって、ただ一人だけ魔女の行方を知った者がいる。
魔術を極めた神たるオティヌス。彼女は、その術式の正体を看破していた。
考えるより先に、少年が右手を振りかぶる。それを察知していたのか、影は蛇行しながら男から分離した。同時に魔法使いは杖で地面を突き、コンクリートを隆起させる。二人がこれに体を突き戻される隙を突いて、影は取り囲んでいた人込みの中に紛れ、完全に姿を消す。
脅威が迫ったことをようやく認識した観衆が散り散りに逃げ出す。これでは、姿を追うことはできない。
「『
「やはり『魔神』が相手では看破もされるか。厄介な不純物を巻き込んでしまったものだ」
得意げに語る魔法使い――ならぬ、魔術師。その力量は既に『魔神』の域に届きつつあった。
「だが、その数価に至るには……」
「然り。『
「そうか、あの女……
「何だと……?」
一体、どれほどの悲劇を生みだせば気が済むのか。意味のない問いと分かっていながら、上条はそれを口に出そうとしたが、
「否。ヤツが辿りうる無限の可能性のうち、最も救いの無い未来を具現化したのみよ。我手ずから壊すのも一興ではあるが、その時は実験も兼ねていたからな」
「無限の可能性……『
オティヌスは一度、言葉を切る。溜めを作って、その名を告げた。
「アレイスター=クロウリー、『銀の星』だな」
Scene 3-4 最悪の魔術師
「アレイスター……こいつが? 俺が知ってるあいつとはだいぶ違う気がするけど」
「並行世界の同一存在、あるいはクロウリーズ・ハザードの残党……いずれにせよ、この男がアレイスターであることは間違いない」
赤髪の女性も嘆息する。
「まさか、本当に
そのやり取りを、間近で見ていた魔術師は。
「そうか、自己紹介がまだだったよなあ。しかし、これだけ分かりやすく手の内を見せていれば、辿り着くのも必定ではあった。そこの女も看破していたとは考えていなかったが」
「よく言うね、散々『協会』に攻撃を仕掛けておいて。おかげでデータの照合には困らなかったよ、死人と一致した時は驚いたけど」
「準備運動がてら、邪魔な虫を払ったに過ぎんのだがな。お前達には攻撃と映ったか」
終始嘲るような調子で語る魔術師。対する女性の方は眉を顰めるに留めている。
「オティヌスの方はともかく、『協会』の方はどうやって我だと特定したのだ?」
「アタシ達が使ってた魔術とは系列が違った事から、だね。Magickだっけ」
「ふむ。我を多少は知っているか。現代人も勉強しているらしい」
ここで、蚊帳の外に置かれていた上条が首を突っ込む。彼にとっては、どうしても腑に落ちないことがあった。
「待てよ。お前がアレイスターだとしたら、辻褄が合わないだろ。だって――」
「…………お前が、我の何を知る?」
不快そうな気配を滲ませながら、言葉を切らせる魔術師。だが少年は臆することなく、次の言葉を紡いでいく。
「……知ってるさ。アレイスター=クロウリーは、娘を何よりも大切にする父親だってな。クイーンブリタニア号に向かう前、アレイスターはリリスの前で言ったんだ。もう復讐者にはならない、って。あいつは世界に嘘を吐いたとしても、娘に嘘を吐くようなヤツじゃなかった。もしお前がアレイスターだってんなら、戦う理由なんてもう無いはずだ」
その言葉を受けて、魔術師の纏う雰囲気が変化した。
怒り、憎しみ。それらの色が如実に表れた、どす黒いオーラを幻視してしまうほど。
「…………そうとも。お前達が知るクロウリーは、確かにその結末を手に入れた。ある意味では、救われていたのだろうさ。リリスは新たな生を受け、同時に『
だが、と彼は否定した。
「我は違う。同じクロウリーでありながら、我はヤツと異なり、未だ何も得ていない!!」
それは、世界に対する憎悪を全て乗せた咆哮でもあった。
「だから、手に入れる。これ以上なく、馬鹿馬鹿しいくらいの幸福な結末を!!」
あまりに身勝手で、どうしようもなく些末で、きっと誰もが欲しがるような、在り来りな願い。
だからこそ。
その姿は、あの『人間』と重なる所があった。
「覚えておけ、上条当麻。我とお前に大差はない。誰かの幸せを踏み躙ってでも、己の幸せを得ようとする自分勝手。かつてお前が為し、我がこれから為すことだ」
目も眩むような、あまりに完璧な世界で、自分が取った選択。それがどれほど重い罪なのか、彼は忘れていない。忘れられるはずもない。
考えてみれば、単純なことだ。人が戦う理由なんて、常に自身の望みを叶えることだったはずだ。勿論、上条当麻が戦う理由も。
それが誰の幸せに繋がっているか。生まれる差異なんて、たったそれだけだ。
「邪魔をしたければするがいい。何度でも乗り越えるまでのこと」
故に、この『人間』が持つ意志を否定することはできない。
でも。
「ああ、俺は必ず邪魔するぞ」
どんな理由があったって、他人を苦しめて悦楽に浸ることが正当化されてはならない。
「悲劇を生みだして楽しむヤツの幸せなんか、絶対に認めない」
「好きなように言え」
そう吐き捨てると同時に、魔術師は軽くジャンプした。生まれた僅かな空隙から、空気が爆発的に噴出する。その勢いを利用して、魔術師は上条の手が届かない所まで昇ってしまった。
赤髪の女性は追い縋ろうとしたが、
「っ!?」
見えない何かに体を叩かれ、敢え無く撃墜されてしまった。
「っ、おい! 大丈夫か!?」
「つつ……心配ないよ。大した傷じゃない」
その言葉通り、外傷らしい外傷は見られない。むしろ、女性の方が上条を心配している様子だった。
「まさか、そっちも知り合いだったなんてね。大事ないかな?」
「俺の方も大丈夫だ。知り合いっていうか、あいつに似たヤツを知ってるだけだよ」
そこまで言って、上条は先程の戦いを回想する。
「つーか、メチャクチャ強いんだな、アンタ」
「……薄々気付いてはいたが、貴様も魔術師だな?」
オティヌスからの声に、女性は目を丸くする。というよりは、オティヌスの存在自体に目を丸くしているのか。
「そうだけど……それ、何かな? さっきは状況が状況だったから聞く余裕なかったけど」
「ああ、こいつはオティヌスって言って――」
「神だ。崇めろ」
身も蓋もない発言に上条が肩を落とす。女性の方も困惑していた。
「あのですねこれには色々深い理由があって話すと長くなるんですけどとりあえず今は神様という認識でお願いします」
懇願……というよりは泣きついていると表した方が正しそうな上条の様子に、女性は若干引いていた。
このままこの話題を引っ張るのはまずいと察した上条が話を切り替えようとして、思い出す。敵の正体やら何やらで頭が一杯になっていたが、
「……そうだ! 保科達は!?」
「もしかして、襲われてた少年の事? それなら、そこの交番に置いてきたよ」
「マジかありがとう!! ……ああっ、そういや名前聞いてなかった! アンタ名前は――」
「アタシの事はいいから、少年の所に行ってあげなよ」
「…………分かった、いつかこの借りは返す!」
そう告げて、脇目もふらずに交番へと上条は走った。
その背中を見ながら、赤髪の魔術師、貴船未緒は思う。
(籐矢といい彼といい、どうして少年は危地に飛び込もうとするんだろうね)
Scene 3-5 不可避の結論
電話を切って、柊史は深く息を吐く。
(…………寧々は、ずっと椎葉さんたちと一緒にいたらしい)
当然のことではあった。
だから、彼女が魔女として存在できるはずがない。それでも、確認せざるを得なかった。
だって、あの魔女は寧々と瓜二つだった。誰よりも愛しい人の顔を、見間違うはずもない。
「保科! 良かった、無事だな!?」
タイミングが良いのか悪いのか、ツンツン頭の少年がやってきた。柊史はそこで一度思考を切り替える。
「……上条か。大丈夫だよ、怪我はない」
「そうか、なら良かった。それで、あの人……先輩は?」
「ああ……意識が混濁しているみたいで、寝かしてもらってる。何が起こるか分からないから、手の付けようがないな」
そう聞いて歯噛みする上条。「先輩」が何をされたのか、彼は聞いている。その内容が正しいのなら、上条の右手をもってしても事態は解決しない。それどころか、事態は悪化する可能性さえあった。
故に、動けない。
「あの野郎……魔女と手を組んで何をする気だ」
「…………」
「何か知っていそうだな、貴様」
不自然な沈黙で察したオティヌスが、端的に訊ねた。
「……ああ。大したことは分かってないけど、それでもあの魔女が誰なのかは分かる。あれは――」
何かを堪えるような様子で、彼はそれでも言った。
「寧々だ。信じ難い話だけど、寧々で間違いない」
いつの間にか更新開始から1年経ってました。ペースが落ちててどうしようもない。
登場人物紹介。
・保科柊史
『サノバウィッチ』の主人公。『他人の感情を五感で感じとる』魔法を先天的に有しているが、魔女ではない。
・因幡めぐる
『サノバウィッチ』のメインヒロイン。寧々達の1つ後輩。過去に友人と離別しており、そのことについての記憶も混濁している。
・椎葉紬
『サノバウィッチ』の以下略。寧々達とは同級生。魔女であり、七緒ではないアルプと契約している。
・戸隠憧子
『サノバウィッチ』の以下略。元はアルプであり、魔力を集めて人間になった例の一つ。アルプだった頃の記憶は封印している。
・相馬七緒
『サノバウィッチ』のサブキャラクター。黒猫のアルプであり、喫茶店『Schwarze Katze』のオーナーでもある。
続いて、今回判明した黒幕の紹介でも。
・エドワード・アレクサンダー・クロウリー
『ゆずソフト』の世界におけるアレイスター。区別をつけるため、こちらは旧名で表記している。タグにあったオリキャラとはこのキャラの事。
傲岸不遜な性格は、セレマ教の教義たる『法の書』に見られた「落伍者や不適格者に対する見下し」を正しく体現したイメージ。
彼が使う魔術については今後適宜修正するので、ご指摘お待ちしております。
戸隠先輩が出オチ要員なのは、寧々達との距離感ゆえです。外堀から埋めるならここだろうという、ちょうどよい距離感でした。その分扱いが雑になってますが、筆者はサノバウィッチで戸隠先輩がイチオシであり、ヘイトの意思はないことを明記しておきます。
今回の話は『サノバウィッチ』編3話であり、『E×E』編の0話でもあります。ようやく敵の素性も判明させられたので、のんびりお待ちください。
今回はこの辺で。お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字・ミスの報告、感想等お待ちしております。
クリフォトの解釈合ってるか気が気でならない