「……うーん、こうやって外を歩いてみると、知らないところに来たって実感が湧くなぁ」
「そんなもんか?」
「そんなものなんだよ、好恋伯父さん」
月の光に照らされた町並みは、京都の映画村にあるよりも、もっと簡素で、もっと粗末だけど、何となくリアリティに富んでいた。
コンクリートで舗装されている訳でもなく、小石がそこらに落ちていて、歩く度に特徴的な響きを足音に付加している。
「確かに何となくこの感じは懐かしいなぁ」
「……………(コクッ)」
「外灯もなければ、電線電柱の類いも一切無し、か。……まぁ逆に言うと、月明かりがこんなにも明るいものなんだってのを知れたから、得した感じもするけど」
空に浮かぶ満月は、神々しいばかりに清洲の町を照らしている。
「建物は全て木造。瓦がある屋敷っぽいのやら、板屋根の建物とか。多種多様ってやつだな」
「はぁ~……なんか大変なことになったって、辛い現実を突きつけられてる気分だ……」
「けどまぁ、嘆いていても、その大変なことが片付く訳でもないし、事態が好転することもない」
「一つ一つ、考えていくしかないんだよな。……分からないことだらけだとしても」
考えるのを止めてしまっては、それこそ何も解決しないんだし。
「その通りだな。だからこそ今俺たちは何をしていかなければいけないかを選択していかないといけない」
「……俺が考えなきゃならないことは……一つ、元の世界に戻る手立てを考える。一つ、何としても生き残る。当面はこの二つって訳か」
何故、この世界に俺が来たのか。何故、俺だったのか。
なんて、原因を考えるよりも、分かりやすい目標を立てるのが先決だ。
「一つ目はまだ何も考えられないけど、二つ目については何とかなりそうかな……」
「俺たちもいるから大丈夫だと思うぞ」
そうだよな。それに俺自身も武芸全般、サバイバル技術全般、ガキの頃から姉さんたちに仕込まれてる。
「元の世界の一般人相手なら、そうそう引けを取ることはないけど……こっちの世界では大丈夫かな」
「大丈夫なように稽古をしてやるから安心しろって」
「稽古中に死なないか、逆に心配になってきたわ!」
「それにしても……我ながら思うけど、動じてないよなぁ俺……」
元々、淡泊な性格ってのもあるんだろうけど、こういう事態になっても、パニックにならないってのは、良いことなのか、悪いことなのか。
「悪いってことはないんだろうけど。……うーん、こんな淡泊な奴だから、彼女の一人も出来ないんだろうな」
伯父さんみたいな蕩しにならのは嫌だけど、やっぱり可愛い彼女の一人は欲しかったよなぁ。元の世界で。
「はぁ……若い身空でこんな異世界に放り込まれた童貞なんて、世界広しといえど、俺くらいなもんだ」
「いや、おまえが言っている伯父さんの一刀もおまえと一緒で、こっちに来た時は童貞だったぞ」
「…………あんな女蕩しなのに……嘘だろ!」
「いやいや、ホントだって。なぁ恋?」
「…………(コクッ)」
「マジか~…………ってなんだこの音?」
いつのまにか虫の鳴き声はぴたりと止まり、何かを咀嚼しているような奇妙な音が聞こえてくる。
「っ!?………恋!」
「…………(コクッ)!」
「…………………」
「剣丞、覚悟だけは持っておけよ」
好恋伯父さんの話しを聞きながら、無言のまま、周囲に気を配り、腰に佩いた刀に手をやった。
好恋伯父さんたちも身構えながら辺りを見回している。
「……音の聞こえ方からして、音源は周囲十メートル四方のどこかってとこか」
「しかも移動せず、一箇所に留まったまま、音を出し続けてる……」
耳に入ってくる音は、高音と低音を混ぜた湿度の高い音に聞こえる。
「口を開けたまま物を食べるのは、マナー違反なんだぞ気持ち悪い……」
「そんなのんきなことを言ってる場合じゃないぞこりゃあ」
全身、総毛立つような不快感を我慢しながら、音の方へと向き直る。
「この路地の向こうか……?」
「これは確実にいるな」
「…………(コクッ)」
建物と建物の間、ちょうど月光が差し込まない道の向こうから音は聞こえてきた。
「音からして、肉に鋭い何かを突き刺して抉ったり……考えたくないけど、もぐもぐしている音だろうな、これ」
「そこまで分かってるなら、今どんな状況なのかも想像できるんじゃないのか?……それでも行くか?」
正直、もう嫌な予感しかしない。だけど……もし俺が行かなかったことで、最悪な事態を迎えてしまったら寝覚めが悪い。
「覚悟、決めるしかねーよな……」
可能な限り気配を消し、音を立てないように注意しながら、忍び足で路地を俺らは進む。
暗闇の中、人らしき影が地面にしゃがみ、一心不乱に何かをしていた。
ピチャピチャと液体が滴る音と共に、ゴクリと何かを嚥下する音も聞こえてくる。
そして――――その影がこちらを向いた。
「………っ!?」
目と目が合い、思わず息を飲む。
禍々しく煌めく瞳。暗闇の中でもはっきりと分かるほど、不快感を呼び起こすヌメリを帯びた肌。
そんな姿形よりも更に目を引いたのは、歪んだ笑みを浮かべた口元に見える。大きな犬歯だ。
牙と言っても差し支えないそれは、赤い液体を滴らせていた。
「なんだこいつ……」
「どこからどう見ても化け物の類だろよ!」
見たこともない不気味な姿の"ナニか"に圧倒され、腰に手をやったまま、ジリジリと後ずさる。
好恋伯父さんたちは、ただ身構えながらその化け物の様子を見ていた。
と、腰に佩いていた刀が、うっすらと光を放っているこたに気付いた。
「なんだこの刀……光ってる?」
「ッチ!?その刀はそういう代物か!」
好恋伯父さんが何かを言っているが、今は刀に気を引かれていたためよく聞こえなかった。
ゆっくりと明滅するその刀の光に、目の前の"ナニか"が興味を示したようにこちらに近づいてきた。
「いやいや、勘弁してくれよ……」
「あまり弱気になるな!下手に弱気になるとこいつに襲われるぞ!」
こちらの様子を窺い、隙あらば飛びかかる気配を見せる目の前の"ナニか"。
(左右は壁……。道幅は刀を振り回すにはちょっと狭い感じ。となれば、基本は突きで対応するしかない)
(逃げ道は後ろのみ……。うーん、大通りに戻った方が良いのかな)
(けどこいつ……足の筋肉の付け方で、すばしっこそうなのが見てとれるんだよなぁ……広いところだと逆に不利か……?)
相手から片時も目を離さず、脳味噌の端っこの方で状況を整理する。
と、そのとき。"ナニか"の後ろに、女性の足とおぼしきものが、視界に飛び込んできた。
「人が……」
「剣丞!あまり見るな!お前にはまだ早い!」
そう好恋伯父さんに言われたが、自分の視界に入ってきたものをすぐさま理解してしまった。
人?いや。違う。良く見ると上半身が――――無い。
「おまえ、食ったのか!人を!」
「誰だよおまえ!何なんだよおまえ!人なのか?獣なのか?」
「熱くなるな!剣丞!冷静になれ!」
好恋伯父さんに言われたことで、少し落ち着きを取り戻し、警戒しつつ、すり足で相手との距離を詰める。
今、心の中にあるのは、未知の存在との立ち合いへの、震えるほどの恐怖。
だけど、それと同時に、無残に殺された人の無念と、再度燃えるような怒りが沸き上がる。
「グルルルルルル……」
俺の怒りを察したのか、"ナニか"は口を歪ませ、臨戦態勢を取る。
距離を詰める俺を観察し、隙を窺う素振りを見せる。しかし、俺の前にいる二人にも気を抜いてるわけではなさそうだ。
「次は俺を食いたいのか?……いいよ来いよ。返り討ちにしてやるからさ……!」
緊張から手に汗を掻き、ともすれば脱力して取り落としてしまいそうになる、刀の柄を握り直す。
瞬間、"ナニか"が俺に飛びかかってきたが、上手く刀を持つ手に力が入らず取り落としてしまいそうになった。
そして、そこから慌てて刀を振り下ろしたため"ナニか"の犬歯にぶつかり刀を弾かれてしまい、その衝撃で刀を地面へと落としてしまった。
「ッチ!剣丞の馬鹿!……間に合えっ!」
「……!!急ぐ!」
"ナニか"はその気を逃さず俺ののど元を狙って牙で噛みついてきた瞬間、咄嗟に目をつぶってしまった。
それから、いくらたってもこない衝撃に恐る恐る目を開けるとそこには左腕を食われ、もう片方の腕で"ナニか"を押し止めていた好恋伯父さんがいた。
「なっ!?好恋伯父さん!」
「おいおい、咄嗟に何があっても目をつぶるなと稽古の時、散々言っただろうが」
「好、好恋伯父さん!う、腕、腕が!」
「ちっとばっかし痛いが、お前を守るために腕の一本や二本なんて惜しくはねぇよ。っとぉ!」
「グッガァァァッ!」
好恋伯父さんはそう言うと、右腕で"ナニか"を思いっきり殴り飛ばした。
殴り飛ばしたことにより左肩から先が失くなってしまったが、失くした本人はあまりそのことに対して関心が無さそうだった。
「好恋伯父さん!ひとまず後ろに下がってないと!」
「ああ?たかが片腕が失くなったぐらいでこの場から退けるかよ!」
「…………治療、優先」
恋姉ちゃんも好恋伯父さんの片腕が失くなってしまったというのに何故か平然として、好恋伯父さんに近づいていった。
「ッチ!仕方ねぇな。剣丞、念のため化け物の様子を見ておけ!その間に治療を済ましちまうからよ」
「治療ってこんなところじゃできないだろ!」
「そういや、剣丞には見せたことがなかったな。俺と恋は少し他の人とは違ってな、化け物じみた力があるんだよ」
「化け物みたいな力?」
「そうだよ。まぁ見てなって」
そう言った好恋伯父さんは何故か突然恋姉ちゃんとキスを始めた。
「はむっ…んっ❤…んちゅっ❤…んっんっ❤」
「な、な、何をやってるんだよ!」
好恋伯父さんたちが、キスを始めて数秒後、好恋伯父さんたちはキスを止め、俺に説明をしてくれた。
「何もふざけたようなことはしてねぇよ。俺の腕を見てみろよ」
「腕って、好恋伯父さんの腕はさっき"ナニか"にやられて…………はぁ!?な、なんで腕があるんだよ!」
「見て分かってもらった通り、俺と恋はお互いの体液を交換をすることによって身体を再生させることができるんだよ」
「さらには、死んでいても片方が生きてて体液を死んだ方の体内に入れれば生き返れるんだよ」
「だから俺らを殺したかったら、全身を消滅させるか、もしくは、両方を同時に殺さないと死なないんだよ」
「もちろん、その時の対策も打ってあるがな」
「グルルルルルル……」
俺は今の出来事が現実離れし過ぎて、"ナニか"の存在を忘れていたが、唸り声でまた、"ナニか"の存在を気にし始めた。
「そういえば、さっきの"ナニか"は!」
「それならさっきからこっちの様子を窺ってるよ」
少し離れた位置に何故か、隙だらけだったはずの俺らを襲うことなく様子を窺っていた"ナニか"がいた。
「……なんであいつは襲ってこないんだ?」
「それはな、俺が腕をやられた時から恋がかなりの殺気や怒気を、あの化け物にぶつけているからだよ。この中で今さっきの出来事に一番、頭に来ていたのは恋だからな」
「当たり前、自分の子供以外にも夫を傷つけられて平然としていられるほど恋は人間ができてるわけでもないし、優しくもない」
「こんなに喋ってる恋姉ちゃん、初めて見た」
「恋は感情的、特に本気で怒りの状態だとよく喋るんだよ。俺も初めて恋が激昂した時は驚いたなぁ。あの時の相手は確か人食い熊だったかな」
……というか、好恋伯父さんたちは熊とも殺り合ってるのかよ。
「正直、このままこの化け物をこの手でぶち殺したいけど、今はこの気持ちを抑える。剣丞に相手をさせないと意味がないから」
「……えっ?」
「そういうわけで、もう一回あの化け物とやり合え。今度はしっかり落ち着いて動けよ」
「………うん。もう大丈夫。次は勝つ!」
「よしっ!その調子だ!恋、その化け物が動けるようにしやれ!」
「…………(コクッ)」
俺は今一度刀を拾い、刀の柄を握り直した。
そして、"ナニか"も動けるようになったため、先ほどのことから二人よりも俺を狙うことにしたようだ。
「…………………」
「…………………」
視線を固定せず、ポジションを変えながら、俺と"ナニか"はそれぞれの動きを窺う。
その動きが止まり――――"ナニか"が先に動いた。
「ヴゴゴォォォゥゥッ」
耳をつんざく咆哮を放った瞬間、俺の視界から"ナニか"が消えた。
「マズッ……っ!」
予想していたよりも数倍も早く動いた"ナニか"は、相対距離を一気に詰めて、鋭い牙で俺ののど元に食らいついてくる。
「くっ!」
正眼の構えから一転、"ナニか"の首元に向けて、袈裟斬りを放つ。だが――――。
「なっ!?」
俺が振り下ろした刀に、のど元を狙ってきた牙で噛みつき、俺の動きを制限しようとする"ナニか"の動きに、戦慄が走った。
「まず……」
刀を口で固定される前に、蹴りを繰り出して、相手との距離を取るように後ろに飛び退る。
「へっ……今度は思い通りには行かせるかよ」
再び俺が距離を取ったことに苛立ったのだろうか。"ナニか"は怒りの咆哮を放ち、俺を睨み付ける。
「動きは速いけど、攻撃は基本、力任せ、か……」
「さっきよりは化け物の動きが見えてるようだな」
「…………剣丞は、やればできる子」
"ナニか"の行動パターンから、奴にとって両手は、地を駆けるための道具でしか無いのが分かる。
「所詮ケダモノってことか。……なら対処法はある」
「けど、厄介なのはあのスピードだな……」
「って迷ってる暇はねーか!」
「また牙で……って、しまった!」
突然、距離を詰めてきた"ナニか"の動きに、反射的に繰り出した突きを、その鋭い牙で受け止められる。
「グルルルルッ……!」
「ちょっ……!」
「ごふっ!」
咥えた刀ごと、空中に放り投げられ、民家の壁に叩きつけられる。
「ごほっ、ごほっ、ごほっ!くぅ、効いたぁ」
「グルルルルルッ……!」
「ちょ、まっ、いきなり、エンジン全開かよ!」
目で追うのがやっとのスピードで繰り出される"ナニか"の攻撃。
一撃一撃が重く、致命傷を予感させる鋭さだ。
「ちっ、何とか凌いでるけど、このままじゃ――」
「この音は剣戟の音……!?急ぎましょう!あの方たちかもしれません!」
「待て麦穂!……しばし様子を見る」
「そんな!」
「落ち着け。あの様子ならばそう簡単にはやられはせんだろう。どうやらお付きの者も手は出してはないようだからな。……奴の真の実力を推し量る」
「殿のご命令に逆らうことになりますよ?」
「承知している。だが織田家の家老として、奴の実力を見極める必要がある」
「分かりました。しかし……大丈夫でしょうか?」
「分からん。が……他国に行かせるには惜しい人材だと言うならば、この程度の難局は乗り切ってもらわんとな」
「意地悪ですよ、壬月さま……」
「私とて、好きでこのような振る舞いをしている訳ではない。しかし殿の身辺を守るのも我らの務め。彼奴ら、特に彼奴の力をこの目で見る、絶好の機会を利用せん手はない」
「……危なくなったらすぐに助けに入ります。そのおつもりでいてください」
「分かっている。……」
「ん?あの家老とやらの二人も来たようだな。だが、…………剣丞の実力を見るつもりか?」
「………………(コクッ)」
「はぁ、はぁ、はぁ……強いなおまえ」
「グルルルルルッ……」
「人間様みたいな形をしているのに、言葉も話せないってか。……ホント、何者だよおまえはよぉ……」
「……………」
俺の問いかけには反応せず、"ナニか"は俺の隙を見つけようと、うろうろとポジションを変える。
「……人のようで、人じゃない。獣のようで獣じゃない。……こいつ、鬼ってやつなのか?」
見た目といい、人を食う所行といい、日本古来から伝わる鬼ってのに酷似している気がする。
「けど戦国時代の日本に鬼が居たなんてこと、聞いたことがないぞ……」
鬼らしき"ナニか"は、右にポジションを移しては飛びかかろうとしたり、左にポジションを移しては、詰め寄ろうとしたり忙しい。
「獲物を狙う獣そのものの動きしやがって。……さっさとどっかに行けよ、もう……」
毒づきながら、鬼らしき"ナニか"を見ると、まだまだ元気一杯だ。
「相手はまだまだ体力に余裕がありそう。だけど俺は疲労が蓄積してる。となりゃ……やれることは限られてるか」
「前に出て、死中に活を拾うしかない……!」
踏ん張った足にグッと力を入れ、圧縮されたバネのように腰を溜める。
両手で握った柄の具合を確かめて、呼吸を整える。
「んじゃ、そろそろ終わりにしましょうか……!」
「うおおおおぉぉぉぉぉ!」
渾身の力を両手に籠めて地面を蹴りつけ、会心の速度で繰り出した突きが、ケダモノのみぞおちの辺りに吸い込まれた!
みぞおちを吸い込まれた剣先が、背骨らしきものを掠めながら背中へと貫通する。
「……よしっ!」
「まだだ!気を抜くな剣丞!」
刀身を通して伝わってくる鈍い感触に、俺は勝利を確信した――――そのとき。
「ゴルルルルルゥゥゥッ……!」
耳をつんざく咆哮をあげた鬼が、その太い腕を横に薙いで俺を突き飛ばす。
「くっ……!」
強かに背中を打ちつけたられたが、俺は痛みに堪えてすぐに立ち上がり、態勢を立て直す。
「手応えはあった……なのに……っ!」
鳩尾に入った剣先は確かにこの鬼を貫いたはず。その手応えは確かにあったんだ。
それなのに、目の前の鬼は膝を付くことさえもせず、苛立った声を上げるだけ。
「……化け物かよ」
確かにこいつは化け物だ。今の俺に、目の前の相手を倒しきることが出来るだろうか。
(……出来るかどうかじゃない。殺らなきゃ殺られるんだ)
「……………」
(さて……どうするか)
相手はそれなりに傷付いてるけれど、動き自体は鈍っていない。ともならば。
(傷を負わされたことで、俺の力を認め、余力のあるうちに逃げるか。それとも―――)
「……っ!!」
鬼はまるで狼の遠吠えのように、夜空に向かって咆哮する。すると、その咆哮に答えるように、夜空に響く声が二つ。
「やっぱり仲間を呼ぶのかよ!」
「ギャッ!ギャッ!ギャッ!」
「グルルルルッ……」
「くっ……」
(見た目が殆ど同じ鬼が二匹追加か。…絶望するつもりはないけど、圧倒的不利ってやつだな……)
新しく現れた二匹は、俺との距離をじりじりと詰めてきている。少しでも隙があれば飛びかかろうって姿勢だ。
(どうする……好恋伯父さんたちに頼むか……っ!)
どうすれば切り抜けられるのか。ただそれだけを必死に考えていた、そのとき。
「誰か来るな」
「……(コクッ)」
「ひゃぁーーーっはぁぁぁーーーーーっ!」
「……っ!?」
静寂を切り裂くかのような高い声。その声が響き渡ると同時に、俺の傍を黄金の旋風が走り抜けていった。
「汚物は全殺だぁぁぁーーーーっ!」
物騒な雄叫びを上げながら現れた金色の暴風が、背丈の倍はあろうかという棒を振りかざし、事も無げに一閃を繰り出した。
「おら、次ぃ!」
「なっ……」
突如現れた金色の暴風―――その正体が分かり、俺は言葉を失ってしまった。
「おんな……のこ?」
身の丈の二倍はあろう長い槍を軽々と掲げ、夜風に髪を靡かせて仁王のように立っている姿が、月光を浴びて、やけに鮮明に網膜に焼き付いた。
「ぁんだよ、手応えねぇなぁ~……」
「グ、グルルッ……」
「はぁー、つまんね。……お前もさっさとぶっ殺してやるから、そこで大人しくしとけ」
可憐な外見とは裏腹に、乱暴な口調で言い放った少女が、掲げた槍を無造作に――だが目にも止まらぬ速さで――鬼に向かって振り下ろす。
「ギャァァァーーーーッ!」
「チッ!避けやがって……往生際が悪いぞ、野郎!」
「ギャァァァーーーーッ!」
少女の槍の苛立ったを後ろに飛び退って避けた鬼が、悔し紛れの咆哮を放つと、身を翻して駆け出した。
「あ!てめ!待ちやがれ!」
「気を抜きすぎだクソガキが」
「母っ!」
「戦場では最後まで気を抜くなと、いつも言ってるだろうがよ。……それとぉ!」
「戦場で後ろを向く奴ぁ死あるのみだぁ!」
殺気なんて言う生易しいものじゃない。心臓を鷲掴みにされたような、総毛立つ殺意と共に、突如現れた女性が一閃を繰り出した。
空を裂く鈍い音と共に繰り出された一閃は、逃走を図っていた鬼を切り裂くのではなく、無慈悲に叩き潰した。
「「「……………」」」
「なんだぁ
「おっ?なんだコラ?やんのかコラ?いつでもやってやんぞコラぁ!」
「なんでこんなに喧嘩腰なんだよ?」
「…………?」
「あ、いや、俺は―――」
「待て待て!その喧嘩、少し待て!」
「待ってください、桐琴どの!」
「あん?なんだぁ?権六と五郎左じゃねーか。貴様らこんな夜分に何をしてるんだ?」
「少し理由があってな。こやつらを呼びに参ったのだ」
「こいつらを?……おい孺子。腐っても織田の家老様を迎えに来させるなんざ、てめぇら何者だ?」
「母ぁ!こいつら怪しいぜ!殺っちまおう!その方が面白ぇ!」
「さっきから口うるせぇガキだなーおい!流石に売られた喧嘩は買うぞクソガキが!」
「……好恋、少し落ちついて」
「待て待て!早まるな!こやつらは殿の客人だ!」
「殿のぉ?」
「そうよ、小夜叉ちゃん。この方たちは久遠さまのお客人。……田楽狭間のね」
「田楽狭間と言やぁ……ほぉ~。ということは、この孺子が例の?」
「うむ。殿がいたくご執心でな。……こやつを夫にするなどと言って聞かんのだ」
「こいつがぁ?こんな弱っちい奴に殿の夫が務まるのかねーっ!?」
「腕は確かよ。壬月さまの抜き打ちを避けたらぐらいですもの」
「そんなのオレだって余裕で出来らぁ」
「……あん?」
「なんでぇ?殺るか?」
「……………。まぁとにかくだ」
「そういうことだ、森の。手を出すな」
「ふーむ……」
桐琴と呼ばれている女性が、俺の顔を下の方から舐めるあげるように覗き込む。
「………………」
別に険しい表情をしている訳でも、威嚇の声を出してる訳でもない。
ただ無言で見つめられているだけなのに、みぞおちの辺りに痛みが走り、全身から力が抜けていく。
「……………ふんっ。まぁいい」
「おい、権六。殿がこやつに執心しとるんだな?」
「ああ。どうしても夫にすると言ってな。森の。貴様もやめるように説得してくれんか?」
「……殿が良いと言うなら、きっと良いことなんだろうさ。ワシらがとやかく言うのは筋が違うだろう」
「それに森一家って得物は、殿という使い手に使われるのが仕事だ。殿が決めたことなら異は唱えん」
「やれやれ……森も賛成という訳か」
「賛成も反対もねーよ。殿がやるってんなら、オレらぁそれに従うだけだ」
「そういうこった。……おう、クソガキ!興が削がれた。帰って酒だ!」
「応よ、付き合うぜ、母ぁ!」
「………………」
あの人たちは一体、何だったのだろう?突如現れ、好き勝手に値踏みされて、さっさと立ち去っていった。嵐のような二人の女性。
「ふんっ、貴様でも呆けることがあるんだな」
「いやいや。何かあったら人並みに呆けちゃうけどさ。……あの人たちって一体ナニモノ?」
「あれは森家の当主で、名は森三左衛門可成どの。娘の方は森長可ちゃんですよ」
「はぁ……」
もりさんざえもんさんと、もりながよしちゃん、か。
(何にしても……)
この世界に来て、たった数時間で、人じゃない奴に出会うわ、目線だけで殺されそうなほどの殺意溢れる人物に出会うわ。
可成さんとか長可ちゃんなんて、人間のようで人間でない少し人間っぽい人、だったもんな……。
(退屈しそうにないな……なんて言うのはタダの格好付けだけど。正直、俺一人だったらこの世界で生き残れるのか自信が無くなってたな……)
「あー……ところで、ええと……」
久遠の屋敷で、俺に抜き打ちを掛けてきた人と話しを続けようとして……名を知らないことに気づく。
「丹羽五郎左衛門尉長秀。通称は麦穂と申します。以後、お見知りおきくださいませ」
「あ、どうも。俺は新田剣丞です。こちらの二人は―――」
「姓名は呂飛、字は太原、真名、そちらで言う諱は好恋。剣丞、自分の名前くらいは自分で名乗るぞ」
「……姓名、呂布、字、奉先、真名は恋。……よろしく」
「私は柴田権六勝家。通称は壬月という」
「新田剣丞。さっきはどーも……」
挨拶しながら、壬月と名乗った女性から距離を取る。
「別に距離を取る必要はないぞ。剣丞」
「そう警戒せんでいい。今日はもう、抜き打ちで襲う真似はせん」
「今日はもう、って言うことは明日はするの?」
「状況次第ではな」
「……了解。その言葉を信じますよ」
警戒を解き、俺は刀を鞘に戻した。
「ところで、ついさっきまで、ここに何か変なのがいたんだけど……」
(……あれ?死骸が無くなってる……?)
「変、とは?」
「人なのか、獣なのか分からない生き物。……多分、人を食ってたんだと思う。ほらそこに」
道の端に無残な姿を晒している、人だったものの肉塊を指さす。
「あれって何?ここには、あんな変な生き物が居るっていうの?」
「何、と問われれば、分からんとしか答えようがない」
「ですが、私たち、人を食らう妖の存在として、奴らのことを鬼と呼んでおります」
「鬼か。やっぱりあれは鬼って認識で良いのか」
納得……したんだけど、どこか引っかかる。
「……って、ちょっと待ってよ。今、奴らって言った?ってことは俺な鬼と殺り合ってるのを見物してたの?」
「おまえは気にする余裕がなかったから気づかなかったかもしれないが、途中から見物してたぞ?」
「………(コクッ)」
「好恋伯父さんたちは気づいていたのかよ!」
「うむ。貴様の力を推し量るために、隠れて検分しておった」
「えー!ちょっともう、最悪なんだけどそれ。さっさと助けてくれても良いじゃん!」
「それじゃあ、おまえの稽古にならないだろ。それにこういう命のやりとりも大切な経験になるからな」
「まぁ、そうだけどさ」
「ふん。貴様ほどの腕があるなら、助けなど不要であろうに」
「いやいや、それはそれ、これはこれ、でしょうに。それに初めての経験で怖かったんですからね」
「抜かせ。それでも殺されもせず、無事ではないか。そんなことはただの人にはそうそう真似できんことだ。貴様……それほどの腕前、どこで手に入れた?」
「どこって。一緒に住んでた伯父さんたちとその奥さんたちに色々と教えてもらったんだ」
「その奥さんたちは、俺にとっては姉みたいなものでね。良くしてもらったんだ」
「奥さんたち?また訳の分からんことを言う」
「ですよねー。さすがに五十人近くの奥さんとか、何の冗談かって誰でも思うよな。でもさっき言った伯父さんの一人とその奥さんはここにいる二人だし」
「「はぁー……」」
何故か好恋伯父さんたちは、昔のことを思い出しているのか深いため息をしていた。
「だけどまぁ……今はとにかくさっきの奴のことだけど。仲間が居るようだけど大丈夫なの?」
「あまり大丈夫ではないかもしれんが、どこに潜んでいるのかさえ皆目見当ながついておらん」
「それに夜、食事をしたら、しばらくは出てこんのだ。……捨て置くしかあるまい」
「食事……ねぇ……」
人間がエサって言うんだから、笑えないよホント。
「じゃあ次に出てくるのは、あいつのお腹が空いたときってことか」
「恐らくな。常日頃から探索に人を割いてはいるし、何匹か成敗もしたが……」
「一体、何が目的なのか、どういう存在なのか、なかなか判明しません。……気長にやるしかないでしょう」
「でも人が食べられてるんでしょ?ならさっさと対策しないと……」
「分かっておる。すぐに解決するならば手も打つが、それも出来んとなれば……」
「手をこまねくしかない、か……」
「我らも精一杯のことはしておりますが……。今のところは夜の外出を控えろ、と下達するしか出来ませんから」
「畿内を中心に噂を聞いていたが、昨今ではこの尾張や美濃にまで出現しているという。一体何者なのやら……」
不機嫌そうな表情なのは、己が何も出来ない悔しさなのだろう。まっすぐな人たちなんだな。
「ところで、二人はこれから帰るところなんです?」
「いえ。久遠さまに頼まれて、あなたたちをお迎えに参ったのですよ」
「あ、そうだったんだ。……ありがとうございます」
「悪いな、わざわざ」
「……ありがとう」
「刺激的な散歩も、充分楽しめたであろう?屋敷に戻るぞ、孺子ども」
「孺子って。まぁ良いけど。……了解」
「下手すると俺らは年上なんだけどなぁ」
「…………若返って、少し嬉しい」
「あれっ?恋ってそういうこと気にする感じだったけ?」
「……若返れば、もっと長く好恋といられる」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。俺も同感だがな」
「ちょっと!人前なんだからイチャつくのは止めてくれよ!恥ずかしい!」
「お二人は仲が良いのですね」
「これでも夫婦なのでね」
「「へぇ(ほぉ)〜」」
「ああ、もうー!早く行きましょうよ!」
こうして――――俺らは壬月さんと麦穂さんに連れられて、久遠さんの屋敷に戻った。
屋敷ではお風呂が用意されていたので、びっしょり掻いたていた嫌な汗を、熱い湯水で洗い流す。
「……なんだか色んなことがあったなぁ」
織田信長と名乗る女の子との出会い。そしていきなりの求婚(というのだろうか、あれは?)と、鬼との遭遇。
「はぁ…俺、この先、どうなってくんだろ……」
それと風呂の中まで、二人でイチャつくのはどうなんだろうか?仲が良いのは良いことなんだろうけどさ。いや、ホント。
「アラカガガスエメガアラワレタカ……ゲンキドクナリ……」
「トウセイノウツワキタレリ……」
「シュクガンタルシカイヘイテイガタメ、カミノミチカラヲテンニシメス……」
「キタレリ……ワガホコ……ワガツルギ……」
「イマコソゴウイツノトキナリ……」
「ダガ、アラカガガスエメトトモニアラワレタ、アヤツラハ、ナニモノダ?」